aromatic sweets



By あおり様



今年のホワイトデーは休日。
工藤新一宅のキッチンには甘い芳香がたちこめていた。
いつもならばその香りのもとを作り出しているのはこのキッチンの実質的主、蘭なのだけれど、今日はちょっと違う。

「本当に、大丈夫でしょうか?こういう繊細な作業は…私のような者には…」
「心配要りませんって。俺がついてますから。」

自信無さげに言う一人と、無闇に自信満々に言いきる一人。

「んじゃとりあえず、これ潰しましょうか。」

男相手にも出し惜しみ無い笑顔で、工藤新一はガラスのボウルにいっぱいの苺を京極真に手渡した。


真が新一にこっそり電話をかけてきたのは3日前のこと。
何事かと思ったが内容は、

『ホワイトデーに何を贈ったら良いと思うか』

という何ともストレートな相談事だった。

『こう言うことは工藤くんに聞くのが一番良いかと思いまして』

ずいぶんと買かぶられたものだと思いながらも、新一は真の心情を思いやって真面目に考える。
確かに考えてみれば園子のように、金銭、物品ともに不自由無く育った女性に品物を贈るのは結構難しい。
なんだかんだいって真にベタ惚れしている園子のこと、彼から贈られるんであればそれが何であれ素直に嬉しいのだろうけど…少し考え、新一は言った。

「俺はとっておきのを考えてますけど、一口のります?」

そして今日、訝しがる蘭と園子をショッピングに出して、男2人がキッチンに出張っているというわけである。
そう、新一のアイデアとは、手作りのお菓子を彼女たちに食べさせてあげること。
セレクトしたメニューは苺のムース、シュークリーム、チーズケーキ。
理由はシュークリームは蘭、チーズケーキは園子の好物だから。
苺のムースは材料の買出しに行った店で、ちょうど旬の苺がやけに美味しそうだったので、おまけである。
お菓子など自分ではほとんど食べることが無いのでその製造過程に興味を持ったことも無い真には、並べられた材料がどう変身してお菓子になるのか皆目見当もつかない。
言われるままにボウルの中の苺をマッシャー(ジャガイモなどを潰す道具)で押しつぶしながら、几帳面に目盛りを睨み粉や砂糖を計量している新一を興味深く見ていた。

やがてあまりに真剣に見つめられる視線を感じたのか、新一がこちらを見、真の手元を見ると驚いたように言った。

「…京極さん。苺のヘタは取りましょう」
「…あ」

空手界の貴公子も、台所ではまだその能力が発芽していないらしい。

苺をつぶし終えた後も、クリームチーズを柔らかく練る、卵白をメレンゲにする、生クリームを泡立てるなどの作業が分担して行われる。なにもかも初めて尽くしの真に、

「メレンゲはボウルを逆さにしても落ちてこないくらい固く泡立てる」
「生クリームは泡立て器から垂らして文字が書けるくらいに」

などの細かい指示が新一から飛び、予想以上の重労働にヘトヘトになった。


やっとのことで苺ムースは冷蔵庫にしまい、チーズケーキの生地を型に流してオーブンをセットしたらほっとしたのと、ふだん使わない質の体力を使った疲労で思わずふうっと息をつく。
疲れきった様子の真を振り返った新一が言った。

「お菓子作りってのは意外に力仕事な部分が多いですよね」
「…こんな重労働だとは知りませんでしたよ。勉強になります」

真面目な回答にくすりと笑いながら、新一の手は休まずに火にかけた鍋の中身を木べらで掻き回している。
バニラビーンズを煮出した牛乳と、卵黄と、砂糖、コーンスターチ。それらが鍋の中でカスタードクリームになっていく。

『エッセンスよりもこっちを使った方がずっと良い匂いなのよね』

と嬉しそうにバニラビーンズの小片に鼻を近づけていた蘭のことを思い出しながら焦げ付かないよう、真剣に煮詰めていく。
やがて出来あがったものを器に移して、冷めるまでの間しばしの休憩。
むせ返るような甘い匂いのなかで、思いきり苦く淹れたコーヒーを真にも手渡す。

「…お菓子作りと恋愛ってどっか似てると思いませんか?」

ふと新一が言う。小首をかしげる真に、指を折りながら説明してみせる。

「手順が頭に入ってないと戸惑う。素材の扱いが難しい。同じ材料でもプロセスによって完成するものが違う。目を離さずに見てないと、失敗しやすい。」

言葉を並べる新一に、真もふと思いついて言う。

「…『甘味が欠かせない』と言うところもでしょうか。」
「お、上手いこと言いますね。あとは…」

真の意外な切り返しに感心しながら、新一は愉快そうに付け加えた。

「『時には、力技も必要』ってところもです」
「…く、工藤くん…」



  ☆☆☆



「わあぁ〜…」
「すっご〜〜い!!」

買い物から帰り、テーブルに並べられた完成したお菓子たちを見た時の蘭と園子の顔は、
それぞれの彼氏もはじめてみるような驚愕と歓喜と感心と尊敬が入り混じった表情で、実際に味わった彼女達からべた誉めに誉めちぎられて男2人は至極満足だった。
特に園子は買った品物よりも自分の為に手作りしてくれたことにひどく感動したらしく、

「真さんってすごいわね!」

と必要以上に纏わりついて真を赤面させていた。
すっかり舞い上がっている園子を連れて真が去り、急に静かになったリビングに新しい紅茶を煎れなおして持っていくと蘭は苺ムースを食べ終わり、目の前に置かれたシュークリームをじっと見つめていた。

「どうした?」

目の前のシュークリームのとなりにカップを置いて、蘭に身を寄せて座る。
蘭はまだ信じられないと言った感じで新一を見ると言った。

「これ、ほんとに作ったんだ…」
「ああ。」
「皮、すっごくキレイに焼けてる。」
「初めてにしちゃなかなかのもんだろ?」
「クリームに、バニラビーンズも入ってる。」
「オメ〜がそうしたほうが美味いって言ってたからな。」
「新一って…すごいね…」
「そうか?」
「彼氏に、こんなに上手に作られちゃったら…」
「ん?」
「…自信、無くしちゃいそう」
「な〜に、言ってんだよ!」

わざとふくれて見せた蘭を思いきり引き寄せる。
ぱっと頬を染めて逃れようとする身体をそうさせないよう強く抱きしめる。
腕の中でもがきながらくすくす笑う蘭。

「苦しいよ〜。離してってば」
「やだ。オメ〜が機嫌なおすまで、このまま」
「機嫌悪くなってないってば〜!」

笑いながら、諦めたのか急に大人しく新一の肩に頭を預ける。
そのまま鼻を近づけて、息を吸い込んだ。

「…新一、いい匂い。バニラね」
「…オメ〜はいっつもこういう匂いがする。」

蘭が首元に頬をすりよせて囁く。

「…さっきはああ言ったけど、ほんとは嬉しかったんだよ、すごく」
「…それ聞いて安心したよ」

強気な態度だったものの内心では蘭の機嫌を損ねたんじゃないかとハラハラしていた新一は心の底からほっとする。
ふうと息をついたところに、不意打ちのように、柔らかな唇が触れた。

「ありがと、新一」

滅多に無い、蘭からのキス。
驚きに目を見開いたときにはもう蘭は恥ずかしそうに目を逸らしている。

「もっと」
「…何よぉ」
「短すぎて、わかんなかった。だからもっと」

ストレートにねだる新一を、困ったように見ていた蘭はテーブルの上のシュークリームに目を移した。
数秒の間の後、クリームを指で掬う。

「ちゃんと…味見した?」

そう言って新一の口元にクリームを擦り付けると、そこを覆うように口付けた。

「ん…」

微かに甘い苺の味の残る舌がクリームを丁寧に拭っていく。いつに無く大胆で、柔らかい動きがもたらす甘美な感触に新一も夢中で自分のそれを絡ませる。

理性の強靭さには結構な自信を持っていたが、どうやらそれも風前の灯と言った様相を呈してきた。

…やがて唇を離し、新一は蘭の両頬を手で包み、額をこつんと合わせる。
至近距離すぎて表情を伺うことは出来ないが、上気した頬と潤んだ瞳は目に入った。

「…もっと食べさせて、蘭」

指で頬をなで上げられ、甘い息が溶け合うほど近くで熱っぽく囁かれ、蘭の心臓はどくんと跳ね上がる。
自分でも思っても見なかった大胆な行動にでてしまったけれど、今度は囁きだけでより深く、捕らえられてしまった。
新一の襟元からはバニラの甘い匂いがして、蘭の頭を痺れさせる。

古来、バニラは人を誘惑する媚薬だったと言われているが、今日、その香りに魅入られてしまったのは…新一なのだろうか。自分なのだろうか。

次第にきつく絡んでくる腕に縋り付きながら、蘭は心の片隅で言い訳めいたそんなことを想った。



end






あとがき

香りと言うのは結構人の心理を支配します。
相手から良い香りがしたりするとそれだけでラブ度が
3割増くらいになっちゃう…なんてことはありませんか?
え、無い?そんな…

読んでいただき、ありがとうございました。

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