曇りのち晴れ
By あおり様
「ただいま…っと、誰もいないのか」
その事に何となくほっとしながら、コナンは背負ったランドセルを乱暴に部屋に
投げ捨て、たたんだ布団に凭れかかった。
…かすかな頭痛。
ここ数日のどんよりした天気に同調するかのように、気分はどん底だった。
今日は久しぶりに見た悪い夢のせいか朝から考えはどんどんマイナス志向で、思い通りにならない小さな身体への憎らしさとか子供を演じることへの気苦労とか組織の情報も解毒剤の完成も先行き不透明なことへのもどかしさとか
でもそんな事態を招いたのは結局自分の不注意が大きな原因なわけでこのイライラをどこにぶつけたらすっきりするのか
…などと考えていたら授業中だということをすっかり忘れていて、原因はわからないがこちらも相当イライラしてたらしい先生に
「そんなに私の授業がつまらない??」
と叱られ、休み時間にはこっちは顔も知らない上級生に
「あんまり調子に乗んなよな!」
と理不尽な言いがかりをつけられ。
苛立ちがMAXになりかけていたところに、帰り道での少年探偵団たちの他愛ないおしゃべりは
正直キツかった。ほとんど上の空で生返事しかしていなかったら
「ねえコナンくん、聞いてるの?」
歩美が手を絡めてくる。
いつものことだ。
いつものこと、だったのに。
「うるさいな!」
乱暴にその手を払いのけてしまってから、我に帰った。
が時は遅く、歩美のまん丸な目から涙がぽろぽろっと零れた。
元太の怒鳴る声。
おろおろする光彦。
ごめん。
すぐ言えば良かったのにタイミングを失った。
「…あなたらしくないわね。」
投げつけられた哀の声は氷よりも冷たかった。
黙って背を向け、逃げ出すように走った。
いま、口を開いたらこっちが泣いてしまいそうだった。
何もかも嫌だ、ほっといてくれ。
らしくない…?
当たり前だ、ここにいる俺は所詮ニセモノなんだからな。
些細なことでイラついて、自分にも周りにも嫌気が差して。
あげくに女の子に八つあたりか。
けっ、外見がコドモなら中身はそれ以下じゃねえか。
ほんとの子供ならこんなときは泣くのかな。
イライラで頭が膨れ上がっちまったときは、いやなことをみんな涙に乗っけて流しちまうみたいに、大声あげて泣くんだろうか。
「コナンくん…どうしたの、電気もつけないで?」
頭上から降ってきた声に、はっと顔をあげる。
いつのまにか夕暮れ時で、部屋の中は薄闇に包まれていた。
見上げると、いつ帰ってきたのか、蘭が心配そうに自分を見降ろしている。
慌てて、笑顔を作る。
「…なんでも無いよ、蘭姉ちゃん。ちょっと、眠かっただけ」
「眠たかったんなら、お布団しいて寝れば良いのに…風邪ひいちゃうよ?」
「もう平気」
そういって、急いで部屋を出ようしたら、蘭の手に捕まった。
そのまま、するすると引き寄せられる。
何を、と思う間もなくコナンの後頭部をふかふかした暖かい感触が包んだ。
座ったまま背後から、胸に抱きしめられていると気づいて頬が熱くなる。
跳ね起きようとしたが胸の上に白い、柔らかい手が置かれ、動けなくなってしまった。
「…蘭、姉ちゃん」
「あのね、小さい頃、嫌なことがあって泣きたくなったとき…お母さんや、新一のお母さんがこうやって私のこと抱いてくれたの。そしたらすごく安心して…嫌なことも、つらいことも忘れることが出来たんだ」
「僕は…」
「…コナンくん。私の前で、無理しないで。我慢しなくていいんだよ。つらいときには、甘えたっていいの」
何で、見ぬかれてるんだろう。
顔を合わせたのは一瞬で、ちゃんと笑顔を見せたはずなのに。
「何があったかなんて、話さなくてもいいよ。」
バレバレってか。俺の芝居もまだまだか。
「少し休めば、楽になるから。」
楽になリたがってることまでお見通しか。
「こうしてると、安心でしょ?」
...ホントにな。
最初こそ心臓が喉元までせり上がりかけたけれど、蘭のほうに他意は無いのだからと冷静になってみると、頭を包み込む柔らかな感触と温度、規則正しく刻まれる鼓動が伝える律動は何とも心地よかった。
重苦しかった気分も、泣き出したいほど嫌いだった今日の自分も、運勢最悪と占われていたかのような今日一日も。
すべてが無かったことのように脳内から消えていくのを感じた。
凍り付いていた心がゆるやかに溶けていく。
無意識に、ふうっと安堵のため息が漏れた。
そんなコナンの頭のてっぺんに蘭が頬を乗せた。より密着度が増してしまい、再び正直に頬が赤くなってしまう。
蘭はほとんどささやき声で、ぽつりと言った。
「…新一も」
「え?」
突然、本当の名前を蘭の口から聞かされて驚く。
「新一も、たまにそんな顔、してた。さっきのコナンくんみたいな…つらい事件にかかわったときとか、新一のこと、あまり良く思ってない人たちにいろいろ言われたときとか」
「…そう…」
「新一はね、誰の前でも絶対泣かないの。つらいときでも精一杯に胸張って、『たいした事ねーよ!』って、笑って見せて。…でも、悲しそうな目、してた」
コナンは心の中で憮然とする。
誰よりも弱いところを見せたくなかった相手に、すっかり見ぬかれてるとはね。
「…だから、余計心配なの。いまも新一が、1人で泣いてるんじゃないかって。誰にも言わずに、ひとりでつらい思いを抱えてるんじゃないかって…私ね、新一がつらい思いをしてるってわかってても、何も出来なかった。こんなこと、新一には出来ないし…話してもくれないから、言葉もかけてあげられなくて。新一はいつも私がつらいとき必ずそばにいてくれて、泣きたいときは泣かせて、慰めてくれて…いつでも護って、助けてくれてたのに。私…何にも新一の役に立ってなかったんだ、いままで」
声が、かすかに震えた。
泣くのを堪える気配が触れた部分から伝わってくる。
(蘭…おまえってやつは…)
何も出来なかったなんて言うな。
役に立たなかったなんて、言うなよ。
俺が…おまえが隣にいてくれるだけでどんなに安心していられたか。
見せてくれる笑顔に、何度心のしみを洗い流してもらったか。
いつだって、俺が本当につらいとき、必ず救い上げてくれたじゃねーか。
...今だって。
「蘭姉ちゃん」
コナンが不意に声をかけてくれたことで、蘭は落ちそうになった涙を慌てて拭うことができた。
「…何、コナンくん?」
「新一…兄ちゃんは、そんなふうに思ってないよ」
「え?」
コナンは子供らしくない、低い静かな声でそっと、言った。
「新一兄ちゃん、蘭姉ちゃんが側にいるだけで、つらいことも、嫌なこともみんな忘れられてたんだから。それに…蘭姉ちゃんにだけはカッコ悪い、弱いところ見せたくなかったんだよ」
蘭はコナンの顔を覗き込もうとしたが、一瞬早く逸らされた。
「どして…」
言いかけた蘭に、コナンの声が重なる。
「新一兄ちゃん、蘭姉ちゃんのこと好きだから」
蘭の心臓がどくん、と強く打つのが頭に伝わった。
わずかに震える声が、おずおずと尋ねる。
「…新一が…そう言ってたの…?」
「言ってない」
即答する。
新一は、まだ蘭に何も伝えていないから。
まだ、伝えられないから。
表情が曇る蘭。コナンは精一杯の思いを込めていった。
「言ってない。…けどわかるんだ」
自分にも言い聞かせるようにくりかえす。
「僕には、わかるんだ」
二人の間に短い沈黙が落ちる。
「…嬉しい。ありがとう、コナンくん」
蘭の手が頭を優しく撫でる。子供扱いも、今は気にならなかった。
髪の間をすべる指の気持ち良さと、胸の温かさに包まれて、瞼が重くなる。
「…蘭姉ちゃん」
「少し、眠っていいよ…」
…どうしてこっちの言いたいことがわかってるんだ??
普段の自分なら絶対にこんな頼みはしない。そんな意地もこの安らぎの前では無力だった。
蘭があやすように微かに歌ってくれている。
コナンはそれを心地よく聞きながら眠りの淵に沈んでいった。
…明日は、きっと晴れる。
「ごめん」
翌日、顔を合わせるなり潔く頭を下げたコナンに、歩美はかえって面喰らった。
それは元太、光彦も同じのようで、二人して顔を見合わせている。
「…昨日は、イライラしてた。でも歩美ちゃんにやつあたりするなんて最低だよな。本当にごめん」
「そんな…私のほうこそ、うるさくしてごめんね?もう気にしてないから、頭上げて、ね?」
顔をあげれば、いつもとまったく変わらぬ笑顔の3人。素直に謝ってしまえば、あっけないほど屈託の無い仲間たちだった。
早速今日、博士のうちにみんなで遊びに行く計画を立てはじめた彼等を見て、ほっと息をつく。
「天使の奇蹟が降りたようね?」
昨日とあまりにも差のある晴れやかな顔のコナンに、からかい口調で哀が話しかける。
ふくみを持たせたその言い方すら、今朝は気にはならなかった。
「あん?なんでわかんだ?」
「そうね…とっても、満たされた顔してるわよ。まるでおっぱいにありついた赤ちゃんね」
さらりと言われた台詞に昨日のことが一部過剰な想像になってフラッシュバックする。
「な、何てこと言うんだ、オメーは!!」
後ろめたいことは何も無いはずなのに、かつて無いほどの動揺を見せるコナンを珍獣を見るような目つきで見ていた哀の瞳が、キラリと光った。
「あら…図星、かしら?」
「…な…」
言葉も出ずに固まるコナンに、哀はふうんと独りごちて、くるりと背を向けひらひらと手を振った。
「特権濫用は、ほどほどにね。」
何やら楽しい誤解をしてるらしい哀の、愉快そうな呟きに、コナンは…
(…見られたほうが、まだましだったな…)
対抗するすべも無く、イスからずるずると滑り落ちた。
end
作者様後書き
というわけで初コ蘭です。
蘭はコナンの正体に気付いてるとも気づいてないとも取れる感じにしてみました。
最も書きたかったポイントは
「言って無いけど、わかるんだ」
のくだりです。もしくは蘭ちゃんの乳枕。(こら)
読んでいただき、ありがとうございました。
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