Love affeir



Byあおり様



時刻は、午後3時。
なんの前触れもなく鳴った呼び鈴の音に応えて玄関のドアを開けた蘭の目に、ドア幅いっぱいに広がるほど大量の、濃いピンクの花をびっしりと咲かせた桃の枝の束がとびこんできた。

「よぉ。」

花束が喋ったように、向こう側から声がする。
顔が見えなくたってわかる、新一だ。

「すっご〜〜い!どうしたの、これ。」

抱えている量が尋常ではなかったため、もう手が限界と新一に訴えられ、急いで探したバケツ(!)に水を張り、無雑作に投げ入れられた花束を見やって、蘭は心から感嘆した。
花器こそ無愛想この上ないブリキのバケツだけれど(実際、花瓶に入るような量ではなかった)花は満開で枝の一本一本はとても長く、なんともゴージャスだった。
足を投げ出して座った新一は、目を丸くしている蘭を嬉しそうに見ていった。

「今日、事件解決した後の現場の帰り道に、すごい立派な桃の木が立ってる家があってさ。」

あまりに見事なのでついぼんやりと眺めていたら、その家の主人である初老の男性が現れ、言うことには、

「増築で、その木切ることになったらしくて。で、最後の花だから良かったら貰っていただけませんか?…って、言われてさ。オメ〜好きだろ、こういうの。」
「へえ…それで、こんなに…」
「ま、もう咲いちゃってるからあんまり長くは楽しめないんだけど、な。」

新一の言葉に蘭はかぶりを振る。

「ううん、すごく嬉しいよ。桃の花って普通、2〜3本ずつしか飾らないから、こんなにたくさん、いっぺんに眺められるのはじめてだもん。…お雛様も、喜んでる。」

ね?とローチェストの上に出された雛人形を指し示す。
そう、雛祭りまでもう後わずか。

「…今年はこの2人だけか?」

仲良く寄り添うように並べられた男雛、女雛を見て新一が聞く。

「たまには、2人きりにさせてあげようかな〜、なんて。…ふふ、ほんとはかさばるから」
「ま、確かに全部出すのは大変だよな。」
「この頃、手伝ってくれる男の子がいないからよね〜」
「…あ〜、悪ぃ…」

ばつ悪そうに口篭もる新一をみて、蘭はふんわりと口元をほころばせる。

「それにしても、雛祭りの前にこんな豪華な桃の花を持ってきてくれるなんて、新一って…」
「ほんとに俺って、いい男だよな。」
「もう!自分で言わないの!」

一気に破顔し、くすくす笑う蘭に、新一も笑みを返す。
そうそう、この笑顔を見たくて、持ちにくい枝の束を頑張って持ってきたんだ。
…なんて、言えるわけないが。
蘭は本当に嬉しそうに花をいろいろな角度から見ようと顔を傾けていたが、もっと良く見ようと座ったまま身をかがめ、花にそっと手を伸ばす…が、指が枝に触れる直前、ギリギリ手前で新一の手に捕らえられる。
あ、と思ったときにはもう蘭の身体は新一の腕の中に抱き込まれていて、条件反射的に目を閉じるとすぐ、唇がふさがれる。

キスを交わす仲になってからしばらくが経っていたけれど、未だに蘭は慣れない。
相手に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど鼓動が高鳴り、息継ぎが上手く出来ずに呼吸が乱れる。
おまけに新一は唇を離した後きまって、必死に息を整える蘭の顔を楽しそうに、もしくは真剣な瞳でじっと見つめるので余計恥ずかしかった。
新一としてはそんな蘭の様子が可愛くてたまらず、つい見入らずにはいられないだけなのだが…


長めのキスからようやく解放された蘭は、うつむいて深く息を吸い込む。
すると新一はそれを見計らって身をかがめ、掬い上げるように再度、唇を奪った。
少し角度が変わり、さっきよりも深く、力強く口付けられる。
蘭は戸惑いながらもされるままになっていた。
目を瞑っているせいか、微かなはずの花の香りを強く感じる。
花を抱えてきた新一の胸元からも同じ香りがして…
頬に触れた指、触れられている頬…どちらかわからないがひどく熱い。
重ねられた新一の唇がやや乱暴に、一途に、幾度も自分の唇を吸い上げる感触を感じとって蘭は肩をびくんと震わせた。

(いつもと違う…)

そう考えながらも、腕の中は心地よく、そうされていることに抵抗はなかった。
キスを受けながら優しい手つきで髪を梳かれ、胸の中が甘い感覚で静かに満たされていく。
やがて名残惜しげにそぅっと離された唇が、そのまま耳の下当たりにすっ、と落とされる。
同じに肩を包み込んだ手のひらにやんわりと押され、そのまま絨毯の上に身体が、ゆっくり、倒れていく。

(...!)

流石の蘭でも、これから何をされようとしているかくらいはわかる。
驚きに見開いた目に、近すぎる距離にある新一の肩越しに桃の花が映る。
その鮮やかさに、目が眩む。

声も出せずに固まる蘭の服のボタンを、新一の指がひとつずつ、やけにゆっくりと外していく。
まるで、止める暇を与えるかのように…しかし、やがて外し終わった胸元をその手でゆるゆると開かれても、制止どころかまばたき一つさえ、蘭にはすることが出来なかった。
心臓はまるで身体の外にあるみたいに、激しい鼓動を耳に伝えてくる。

(や…だ。新一にも、聞こえちゃうよ…)

そんな場違いな心配しかできないほどに極度に動揺していた。
いつかこうなる日が来るんじゃないかと言う漠然とした予感はあった。
新一となら、そうなっても良い、と密かに思ってもいたけれど。

(急すぎるよぉ…)

鎖骨の上に柔らかく唇が押し当てられ、体内の血がざわめいた。

「ふ…ぅ、ん…」

吐息と一緒に思わず微かな声が漏れ、慌てて手の甲で口元を覆う。
新一が少し身体を起こす。肩のところの床に手をつき、見つめ降ろされているのに気づいて蘭の頬がかぁっと熱くなる。


やめて、と一言言うのは簡単だった。
言えば必ず新一はその手を止めてくれるのもわかっていた。
けれど…その後、一体どんな顔をして過ごせば良いのかわからない。
それに、胸の奥に、正体不明のざわめきが住んでいて…
止めなくて良い、止まらなくて良いんだと告げていた。

(新一…好きだよ。)

そう言い聞かせて、恥ずかしさに打ち負かされないようにするのが精一杯の、蘭。
新一の視線の熱さに、晒された胸が灼けるようで…いたたまれなくなり、顔を横に向ける。
さまよわせた視線の先、濃い色の花びらの向こうに、雛人形の白い顔が見えた。
見られている気がして、ぎゅっと目を瞑った。

(新一…新一、好き…)

蘭の心の声が聞こえたかのように、指同士が絡められた手に、きゅうっ、と力がこもる。

刹那。

pipipipipi   pipipipipi   pipipipipi  pipipipipi

永遠に続いてしまうかのように思えた閉じられた世界を、突然現実に引き戻す音が室内に鳴り響く。
心臓が止まらんばかりに驚いた二人の視線がぶつかってしまい、思わず互いに顔を逸らす。
尚もなりつづける、携帯電話。
それが自分のものだ、と蘭が気づくと同時に、顔を背けたままの新一の手が、自らの手で大きく開けた蘭の服の袷を…やや乱暴に、それでも潔く閉じ合わせた。
そのまま敏捷に身を起こし、背中を向ける。
蘭はぎゅっと胸元を押さえ、乱れる呼吸を必死におさえて電話をとった。

「ハイ…!あ…お母さん…?」

電話は英理からで、近いうちに母子2人で食事でもしないかとの誘いだった。
雛祭りも近いし、たまには女同士も良いでしょ?などと言う母に、ほとんど上の空で返事を返し、そのあとでいくつか語られた雑談などほとんど耳をすり抜けていった。
電話を切ると、すでに部屋には誰もおらず、慌てて飛び出した玄関に、靴を履きかけている新一の姿があった。

「し、新一…」

名前を呼んでみたものの、何を言って良いのかわからない。
真っ白いシャツの背中がなんだか傷ついてるように見えて、蘭は泣きそうになった。
そんな気配を察知したのか、わずかに顔を向けた新一は肩越しに言った。

「…かえって、頭冷やす。」
「…ごめ…」
「謝んなって。俺は怒ってね〜し、そもそもオメーは悪くない。」

平素と変わらない、優しい口調に、蘭は少し安心する。

「あの…私、ね…」

蘭の言いかけたことを遮って新一は背中で告げた。

「勝手かもしれねーけど、次、逢った時…普通にしてくれると、助かる」

振り返らない耳朶が赤い。
ぶっきらぼうな口調は、最大限に照れている証し。
このまま別れて良いものか迷ったが、正直、蘭も今日これ以上2人で一つの部屋で過ごすことに耐えられそうになかったので、

「うん」

と一言だけ、言った。
そのまま玄関が閉じられ、一人になった。



  ☆☆☆



「『母の愛、娘のピンチを救う』か…」

帰り道、やや自嘲気味に新一は呟いた。
あのタイミングで電話をしてくるとは、それが無意識だとしても全く母親の勘とは侮れない。
アレがなければ…なければ、俺は…俺と、蘭は、今ごろ…どうなってたんだ。
新一はしばし考えたが、慌てて頭を振った。

「これで良かったんだよな。」

1人、自分を納得させるべく呟く。

今日の行動自体は後悔していない。
好きな女性と、そうなることに罪悪感みたいなものを感じるほど聖人君子ではなかったし、蘭に対する思いはけして不純な、それ目的だけじゃないものだということには自信を持っていた。
キスするまではいつもと同じだったのに、腕の中で、やけに従順だった蘭。
強烈な媚薬のように頭をしびれさせた、花の香り。
目の前の愛しい女性を自分のものにしたいという欲望と、大切にしたいと言う理性。
二つの思いが自分の中でせめぎ合って発生した熱で頭がくらくらした。

二度目のキスの最中、蘭は無意識に新一のシャツを震える手で、きゅ…と掴んできた。
その仕草にたまらなくなり、思わずその肩を押していた。
あの時、一言でも「いや」とか「やめて」とか言ってくれれば…いっそのこと、平手打ちでもお見舞いしてくれれば。

「…なんて、勝手だよな」

ふう、と息をついて、いつのまにかたどり着いていた自宅のドアを開ける。
お帰りを言う人もいないひとりぼっちのリビングも、今の新一にとってはもっけの幸い。
こんな自分、誰にも見せたくはない。
座り込んだソファに、勢いをつけて突っ伏す。

「...」

目を閉じればどうしたってさっきの光景が脳裏に甦る。
艶やかな、黒い河のように絨毯に流れた髪。
震える睫毛の下で、紅く染まった頬。
華奢な鎖骨から、胸のふくらみに至る柔らかな稜線。
まぶしいくらい白い肌に、枝からおちた桃の花がいくつか、零れかかっていて…

「だ・か・ら!頭冷やせっての!俺!!」

ばりばり頭をかきむしる。
去りぎわに精一杯の虚勢で、今度会うとき普通にしてろ、なんて言ってみたけれど。
それに精神力を要するのは自分のほうらしい。
しかし、いくら努力したところで、頭の中に焼きついた強烈な映像を追い払い、あっさり頭を切り換えられるほど、新一はまだオトナではなかった…



  ☆☆☆



父に母との予定を伝えると、

「フン、勝手にしやがれ。こっちは羽が伸ばせるからよ」

と可愛くない返事だったが、いつものことなので蘭も聞き流し、後片付けを終えるとお風呂に入るべく、脱衣所で服を脱ぐ。
下着を外そうと手をかけた時ふと見た胸の間に、一枚の桃の花びらが貼りついていた。

「...!」

これがいつついたものか、一瞬で思い出した蘭の頬が音でも出そうな勢いで赤くなる。
今日はあの後、とうとう部屋にいられず、終日をリビングで過ごした。
『秘密』を知ってる雛人形と顔を合わせたくなくてそうしていたのに、思わぬ伏兵にさっきのことをリアルに思い出させられて、誰が見ているわけでもないのにあたりをきょろきょろし、熱を持った両頬を押さえる。
しばらくそうしていたあと、おもむろに手早く服を脱ぎ捨て、やや乱暴に身体を洗い、湯船に浸かったところでようやく、息をつく。

これで良かったのだ、と思う。

大人の階段を登ってしまうには、今の自分はまだ幼い。
覚悟なんて出来てなかった。
あの場で心の準備ができるほどあんな場面に慣れてはいなかった。
あんな新一を見たのははじめてだった。

しかし一方で、新一の身体が離れていったときの、あの、すうすうするような寂しさも忘れられるものではなかった。
新一が突然自分を求めようとしたことへの驚きと、同じ位の分量の甘いざわめきの正体は、何だったのだろう。
…答えは、きっと自分の身体が知っているような気がした。
蘭の中の一部は、気づかないまま、だが確実にあの先を…望んでいた。

嫌じゃなかった。…好き、だから。

言いかけて遮られた言葉を口の中で呟いてみて、ぎゅう、と自分の身体を抱きしめる。

(新一…言われたとおり、今度逢うときは普通にしててあげる。でも、もし…次に、こんなことがあったら…そのときは、)

新一のほうこそ、覚悟は出来てるの??

きっと。ゆるしちゃうよ。

そんな確信めいた思いを抱いて、きたるべき日への予感に、蘭の胸は震えた。



end






後書き


惜しくも未遂に終わった新一くん、哀れなり。
これを読んだオトナの皆さんが自分が初めて押し倒したり倒されたりしたときのことを思い出してちょこっと萌えてくれれば。(えぇ??)

読んでいただき、ありがとうございました。



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