怪盗の災難



By あおり様



(俺としたことが、今回ばかりはドジったようだぜ。)

暗がりの中で怪盗キッドこと黒羽快斗は自分自身に毒づいた。
油断していたつもりはなかった。
が、しかし、予定外の事象がかさなって、今この時間は無人であるはずだった
この場所に、キッドの最も苦手とする人物がきていた。
しかも向こうは一人ではない。

悔やんでも仕方ないが問題は今ここにある危機をどう切りぬけるかだ。
細い隙間から室内の様子を伺いながら快斗は考えをめぐらせたがさしあたり、いまはじっとしている以外の得策は無いように思えた。
ここは、警戒のしかれた美術館でも、内偵にもぐりこんだ警察でもない。
そんなことすら物ともしないキッドが唯一畏れる人物、東の高校生探偵、工藤新一の…自室のクローゼットの中、である。


何故こんなことになってしまったのか。

近日にやや大きな仕事を控えたキッドはいつもの通り、『仕込み』を入念に行っていた。
警察無線の傍受、逃走ルートの確認、もしもの時の、変装相手のリサーチ。
そんな中で一つ気になることがある。
この頃警察からの呼び出しがますます増えた新一についてだった。

黒羽快斗としては、新一はお互いの彼女を通じて付き合いのある友人だ。
キッドの正体についても知っている。
直接口にはださないけど。
理由はわからないが新一はそこのところを探偵業とプライベートできっちり区別しているらしく、快斗に『仕事』をやめるように、とは一切言わない。
ただしキッドの仕事に絡んで警察からの依頼があれば探偵としての新一は、暗号解読や逃走ルートの確定など、実にいい仕事をしてくる。

(おかげでやりにくくなったぜ。)

と思いつつも快斗にとっても新一との頭脳戦はたのしくもあり、お互いに自分の仕事をきっちりやるだけだった。

そこで今度の仕事は大きなヤマで、四日前に出した暗号文がすでに新一によって解かれていることも情報として伝わってきていたので、なんとか当日とその前後の新一の動きを知っておきたい、と思い…新一の身につけるであろう物の幾つかに盗聴器でも仕掛けてやろうと思って、この日学校へ行った先で警察からの電話に呼ばれたらしい新一を、今日は遅くまで帰らないと確信して、工藤邸に侵入したのだった。
もちろん盗聴器に気づかない新一だとは、快斗も思っていない。
複数仕掛ければどれか一つくらいは役目を果たすかもしれないし、すべて発見されたとしても新一への軽いジャブにはなる、と踏んでの行動だった。

クロゼットの中へ入り込み、順調に作業を進めていた快斗だったが、丁寧にやるのに夢中になっていたためか新一の部屋に人が入ってきたことに気づくのが遅れた。
はっとして気配を消し、隙間から室内を見るとそこには、
新一の幼馴染にして恋人、蘭が制服のまま濡れた長い髪をタオルでぬぐっている姿があった。
様子から見て、急に雨に降られ、ここに避難してきたという感じだった。

(オイオイ、まずったな…)

ここに来たということは蘭は一人ではあるまい。
その予想を裏付けるように、こちらもタオルを頭からかぶった新一が、肌が透けるほど濡れた白いシャツを脱ぎながら部屋に入ってきた。
新一の上半身はびしょぬれだが、見たところ蘭の制服はそれほど濡れていない。
新一が自分の上着を着せ掛けていたであろうことは容易に想像できた。

(ま、紳士としては合格だな。)

そして新一は快斗の潜む場所の隣の扉を開けて、服を適当に取り出すと一組を蘭に渡し、

「じゃ悪いけど、俺先にシャワー使ってくるから、着替えてろよ。」

と言った。

「うん、ありがと…」

と蘭も応じる。
身動きの取れない快斗は焦る。

(オイオイ、蘭ちゃん、ここで着替えちゃうのか?それを俺、見ちゃうわけ???)

顔見知りの女性の着替えなど、見て喜ぶべきではない。
青子にもなんとなく済まない。
しかしこの状況で目を閉じていられるほど自分は人間が出来ているだろうかと自問自答。
だがそのあと快斗は思わず自分の目を疑うような光景を目撃する。

部屋を出る寸前だった新一がすっと蘭のところに戻り、

「けど、その前に…」
とつぶやき、流れるような素早い動作で蘭の頬に手を当てると、珊瑚みたいな色の唇に自分のそれを重ねたのだ。

(ゲッッ…まじっすか。)

快斗は気取られないように指一本動かさなかったが、心の中では頭を抱えた。

(…10秒超えたぜ。長いっつうの。)

なかなか蘭の唇を解放しない新一に呆れながらもついつい観察してしまう。
…見ているこっちが照れてしまうようなキスシーンだった。

(俺はまだ青子にあんなチュ〜したことなかったな…はぁ。)

ようやく離された蘭が、ふうっと息をつく。
瞳が潤み、頬は紅く染まって、薄く開いた唇が濡れていて、艶かしい表情だった。

(あ〜んな顔みせられちゃ、たまんねえよな〜。)

青子と顔が似ているため、どうしてもその表情を青子のそれと重ねてしまう。
湧き出した妄想を頭から追い払って外を伺うと、そんな短い間に事態はますます深刻化していた。

「…ん…新一…」

蘭が困ったような、でも甘さを含んだ声で囁いている。
新一の手がいつのまにか蘭の胸元へすべりこんでいた。
制服ごしにわかる手の動きが妙にリアルで直視しずらい。
快斗は今度こそ神を呪った。

(怪盗キッドのプライドと、親父の名にかけて誓うが、俺はこんなことをしにきたんじゃねえ!こんなところ覗く趣味はねーんだよっ!新一、手ェ早過ぎ!)

しかし蘭のほうも多少ためらいながらも身を任せてしまっているではないか。

(蘭ちゃんも…女は焦らしも肝心だぜ、って、そうじゃなくてな…)

誰が好き好んで顔見知りの友人の情事など覗き見たいものか。
しかしここで

『何やってんだ!』

と踏み込む権利は快斗にはなく、またそれやってしまったら新一はともかく蘭は生涯、快斗とは口を利いてくれないだろう。
そしてそれは間違い無く蘭から青子へと筒抜けになり、青子の快斗に対する評価が地に落ちることは避けられない。
文字通り手も足も口も出せない状況だった。
一体こんな苦行にあとどれだけ耐えれば良いのかと流石の快斗も自分の運のなさに心でため息をついた、その時。

「新一、待って…シャワー、浴びさせて」

蘭が定番の台詞で待ったをかけてくれたのだ。

(おっっ!!)

暗闇の中に光が射したような気がする。
蘭がバスルームに行ってる間に新一も何らかの理由で下に降りてくれるとか、もっと言えばこれを機に活動(何のだ)
拠点を移動してくれれば何の問題も無く脱出できる。
一分、いや、三十秒でいい、部屋から出てくれれば逃げおおせる自信はあった。

(携帯の操作音は切ってある…新一の自宅電話でも鳴らすか?よし…)

残る問題はすっかりスタンバイしている新一が素直に蘭を手放すかどうか、だったが…意外にあっさりと、新一は蘭を送り出した。

「なるべく早くなvv」

と囁くのは忘れなかったが。
紅くなった顔をおさえて蘭が着替えを抱え部屋を出る。

よし!と快斗がそ〜〜っと懐の携帯に手を伸ばしかけたとき。
ベッドに腰掛けていた新一がすっ、とクロゼットに歩み寄る。
細い隙間から、事件の真相を見抜いた探偵の目が見える。

「で、何を盗んだ?コソ泥くん??」

(万事休す、か…)

新一がクロゼットの扉を開けると両手を小さく挙げて降参の意思を示した快斗がちょこんと座っていた。
憮然とした顔で

「気づいてたのかよ」

と言う。

「探偵なめんじゃねーぞ。家に入った時点でぼんやりと気配は感じてたっての。ここにいるって解った時は呆れたぜ。…で?仕事のレパートリーに覗きも加わったってわけか??」

新一の小馬鹿にした口調に、快斗は自分の名誉を回復しようとむきになる。

「いや!違う!断じてそんなつもりじゃなかった。ただその…うん…??」

快斗は言いながら気がつく。

「新一お前…俺がここにいるの解ってて蘭ちゃんにあんな不埒なことを…」
「不埒なのはどっちだよ。まあ蘭が言い出さなくても俺からああいう展開にしようと思ってたから」
「あれ、もしかして、俺のこと逃がしてくれようとしてた?」
「バーロ。蘭の身体をコソ泥に拝ませね〜ようにだよ。」
「あ、そう…」

がっくりうなだれる快斗。

「それより良いのかよ、出て行かなくて。続き、見たいか?」
「…!誰が!…邪魔したな。」

快斗は部屋の窓に歩み寄り、窓枠に手をかけて振り返る。

「じゃ現場で会おう」

カッコつけたつもりだったが新一は人の悪い笑みを浮かべた。

「そうそう。明後日の、お前の狙ってる宝石な…」
「んん?」
「所有者が急病で来日できなくなったから、展示は延期だってよ。今日学校で『中森警部』から電話あったぜ」
「な、何だって…!?」

思わず窓枠からずり落ちそうになりかろうじて体を支える。
新一は盗聴器俺のほうで処分していいか〜?とさらりと言っている。
今日は何もかも見抜かれているようだ。
悔しいが負けを認めざるを得なかった。
その時軽い足音が階段を上ってくるのがかすかに聞こえた。
新一が快斗に行けよ、と顎をしゃくった。
言われなくても、これ以上はごめんだぜ。
快斗は窓から身を翻した。

「新一、どうしたの?窓なんか開けて??」

部屋に入った蘭はベッドに腰掛けたまま窓のほうを見ている新一を小首をかしげて見つめた。
なんだかイタズラに成功した子供のような目をしている。

「ああ…もう、雨止んだからな。見てみろよ」
「わあ、きれいな虹がかかってる〜〜!」

窓にくっついて空を見上げる蘭。
新一も立ち上がり、そばに寄り添って蘭を見つめる。

「とってもきれいね?」

さっきまでの甘い雰囲気までシャワーで洗い流してきてしまったような無邪気な笑顔に少々拍子抜けしたが、まあいいか、と新一は苦笑した。




快斗もまた、虹を見上げていた。今まで関わったどんな仕事よりも、今日は疲れた気がする。
重くのしかかる疲労感をふりはらうように、肩をすくめ、首を振る。
振り仰ぐと虹の青がやけに目にしみた。
無性に、青子に逢いたくなった。

今日の自分の一日がさっきの土砂降りの雨だとしたら、そのあとにこうして虹がかかるように、青子の笑顔に癒されたかった。

手の中の携帯をじっと見つめる。

(青子に逢ったら…さっきの新一ばりに、熱いキスでもしてみるか。)

「快斗のバカ!」

と頬っぺたを思いきり張られるか、それとも蘭のように頬を染めながらも応えてくれるのか。
今日最後の運試しをするため、快斗は青子の携帯番号の最初の数字を、気合を込めて押した。


end



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