幸せな日




By あおり様



陽射しがすっかり初夏のものになった爽やかな5月のある日。
蘭は朝の心地よい空気を部屋に呼び込むべく、
部屋の窓を全開にして自分もうーんと伸びをした。

ほんとうに、気持ちのよい季節。
暑すぎず、寒すぎず、太陽が輝きを増し、春の強い風がほこりを舞い上げる季節も過ぎてしとしとと雨の続く梅雨にはまだ早く。
空の青色もいっそう澄んで見え、庭の草木の色まできらきら輝くようなこの季節を蘭が幼い頃から愛してやまないのにはその気持ちよさに加えてもう一つの
何があっても外せない理由がある。

それは
世界で一番大切な人が生まれた日。
5月4日。工藤新一、誕生日。

その朝新一は例によって自分の誕生日などに毛ほどの興味もなかったため、昨夜の夜更かしが尾を引いて9時を過ぎても起きる気配もなかった。
連休だからと言って旅行の予定があるわけでもなく、蘭もこのところずいぶん多忙だった新一の姿を見ていたので
むしろ誕生日はゆっくり休んで家で二人でのんびりと祝いたい、と思っていたから起こすことはせずに、夕食のお祝いメニューのことなんかを楽しく考えつつ平常どおりの家事をこなしていた。
そしてそんな蘭のもとに一通の郵便が届く。
差出人は工藤有希子、新一の母親。
だが宛名はやけに大きく
『工藤 蘭 様』
になっている。つまり、有希子から蘭への手紙。

ちなみに自分の姓が『工藤』にかわったことについて、蘭は未だになんとなく照れを感じてしまう…先日も電話で『く、工藤です』と名乗るのに顔を赤くしているのを新一に見られてからかわれたばかり。

それはさておき、
自分宛に届いた優雅なデザインの封筒を開けると中からは白い、ふちにレース状の精緻なカッティングが施された高級感満点の便箋が現れ、開いてみるとなかには有希子から蘭に当てたメッセージが自筆と思われるちょっとくせはあるがかわいらしい字で書かれてあった。



  ☆☆☆



「おはよう」

目を覚ました新一が最初に見たのは
ベッドの脇で起きるのを今か今かと待っていたような顔の蘭。
おはようのキスより先に白い紙がぺたんと視界に押し付けられる。

「ねえ、それ、なんのこと??」
「んあ?」

明晰を誇る頭脳も流石に起きて数秒では回転も鈍いらしく、その紙に書かれている文章を理解するまでにゆっくり10数える時間を要した。

『 蘭ちゃんへ
元気かしら??今日は新一の誕生日ね。
今年から蘭ちゃんに頼みたいことがあるのよ。
それは毎年我が家で新一の誕生日に行っていた行事で
去年までは私の楽しみだったのだけれど、
今年からはもう妻の蘭ちゃんにまかせることにするわね。
なんのことかは新一が知ってるから、訊いてみるといいわ。
よろしくお願いするわねvv  有希子』

一読して蘭には…なにがなんだかさっぱりわからなかった。

・去年までの工藤家の、新一の誕生日の行事。
・有希子は楽しみにしていた。
・蘭が新一の妻になったのでお役目交代になる。

…一体、なんなのだろう。
新一が起きたらすぐに訊こうと、便箋を手に寝室をなんども覗いて数度目に、ようやく本人にそれを見せるに至った、のだった。

渡された新一は寝ぼけ眼でそれをじーーーーっと見ていたが…やがてはたと気がついたように
目を見開くと…みるみる仏頂面になり便箋をさっさとたたんでしまった。

「ねえ、それってなんのこと?」
「なんでもねーよ!」

言下にいいきる新一に蘭はむっとして言い返す。

「なんでもないわけないでしょ、わざわざお手紙で私に報せてくれてるんだから…」
「…いや、ほんとにたいしたことじゃねーから。気にすんな」

なんとかごまかそうとしている、と感じ取って蘭はむっとした。

「そんな、ひどいよ…おかあさん、『蘭ちゃんに頼むわね』って書いてくれてるんだよ??
なにかおかあさんにとって大事なことだったんじゃないの?
教えてくれないとなんだかわからないよ…
それとも、私じゃ変わりに出来ないから言いたくないの?
じゃおかあさんに新一から蘭じゃ無理だからダメだ、って言ってよ…
私、出てくから。」

「おいどーしてそうなるんだよ、なんでおめーが家出てく話になるんだよ!」

「私、おかあさんに特別に頼まれたこともちゃんとできないお嫁さんなんていやだもん…」

一気にまくし立てて最後には涙声でそう言ってふいと横を向いてしまった蘭に、新一は慌てて手を伸ばす。
捕まえようとする腕をすり抜けてさらに顔を背けた。

参ったな…
手紙を見て内容について散々悩んだせいもあってかなリ重要ななにかを有希子から託されようとしている、と思い込んだ蘭は相当それにこだわっている。
だから教えてくれない新一に焦れて拗ねた態度に出ているのだ。
結構かたくななところのある蘭のこと、こうなってしまうと膠着状態が長くなることを経験でしっている新一は…しばらく天を仰いだが、どうやら話すしかない、と覚悟を決めて蘭を呼んだ。

「…蘭。教えるから。こっち向け」
「…ん」

こちらを向いた蘭は本気で泣きそうになっていたらしく目のふちがわずかに赤い。
新一はうーん、と考えた後、意を決したように向き直り、蘭をちょいちょいと手招きして呼び寄せると、手を伸ばしてひょい、と自分の胸に抱き寄せた。
そうして蘭の腕をとって自分の背にまわさせる。

「…つまり、こういうこと」

ぽつりと呟く。
…蘭はきょとんとしたあと、不意にまたむっとした。
結局ごまかそうとしてる!と思ったのだ。

これが一体、誕生日と有希子とどうかかわるのか。

抱きしめられるのは好きだけどそんな、子供をあやすみたいなやりかたでごまかそうとするなんて…
有希子から嫁として信頼されているほどには、新一から妻としての信頼を得ていないのだ、とさえ思えて情けなくすらなる。
涙がこみ上げてきて蘭は新一の抱擁から逃れようともがく。

「やだ!離してよ!そんなに言いたくないことならもういいから!!!」
「あ、暴れんなって!…あーもう、わかったから!ちゃんと話すから!」

手に負えない、とみて新一はようやくあきらめたように言う。
それを聞いて蘭も、やっと暴れるのを止め、腕の中から顔を見上げた。

新一はそんな蘭と目を合わせないようにしながら…頭をぱりぱり掻き、
一つ咳払いをしてから告げた。

「つまり、その…抱き締める、ってことだよ」
「…誰が?」
「今までは、母さん。今年からは、蘭。」
「…誰を??」
「だから、俺を」

きょとーんとする蘭。

「その…なんだな、毎年誕生日になると母さんがさ…俺を、こうぎゅっと抱き締めるのを楽しみにしてたわけ」
「…いつから?」
「俺が生まれた日から」
「いつ頃まで??」
「…………だから、去年までだっての!」

最後は相当言うのに勇気を要したらしく、新一の頬は赤くなっている。
確かに、男の子にとっては相当恥ずかしい…と思われる。

照れをかくすように蘭の髪を弄びながら新一はぽつぽつと語った。

新一がうまれたときは結構な難産で、その割には小さく生まれたことを有希子が、人には言わずとも相当気に病んだこと。
生まれてからしばらくは体重の増えが人と比べてゆっくりで小柄な赤ちゃんだった新一をいつも気にしていたこと。

1歳の誕生日を迎えても標準以下の身長体重の新一だったが、それでも有希子は、こんなに大きくなった、とぎゅうっと抱き締めて涙をこぼしたこと。

それ以来毎年誕生日には儀式のようにしっかりと、心行くまで新一を胸に抱き締めて、成長を確かめ喜ぶ、のが有希子の習慣だった。
そんなことが気恥ずかしくなって
『やめさせて欲しい』
と父に訴えたのは12歳の頃だったか。
優作はそんな新一に一枚の写真、新一が生まれる1週間前の日付の写真をせ、上のようなことを話して聴かせた。
写真の中の有希子は出産1週間前とは思えないほど線が細く、腹部も前方に張り出してはいるものの横幅はほとんどかわらずで
背を向けてこちらを振り返ったポーズはまるで妊婦とは思えなかった。
優作はその写真を見ながら新一にこう言った。

『母さんにも、ご褒美はあってもいいと思わないか?』
『…なんに対するご褒美だよ』

『あんな苦しい思いをして、自らの命も捧げる覚悟で、君をこの世に送り出したことに対する、さ』

それ以来…精一杯、仏頂面をしながら…だが、新一は黙って有希子の抱擁に身を委ねる。

有希子は歳を経るごとにだんだんと自分の胸に収まらなくなってきた我が子の背中に、満足そうに手をまわすのだった。



  ☆☆☆



話し終わって…腕の中を見下ろすと蘭は瞳の端に涙をいっぱいためて聴いていた。

「おい、泣くなって…」
「だって…」

感動屋の蘭にこんな話をして泣くなと言うほうが無理。
やがて涙を拭いながらぽつりと言った。

「そんな、おかあさんにとって大事なこと…私頼まれちゃっていいのかな…」
「…母さんが、おめーになら任せるって言ってんだからいいんじゃねえの?」

そう言っておかないと、蘭は「私じゃダメだから」などと言って引き受けない可能性もある。
蘭を腕の中に収めるチャンスは万に一つも無駄にするのはごめんだ。

やがて蘭は手を伸ばし、自らも新一を抱き締め返した。
有希子の代理を務めます、と言わんばかりに。
肩の線、背中の広さを確かめるように撫でる。

「…いいな。私も子供が生まれたらそうしたいな」

「…ませてくると、嫌がられるんだぜ?」

「大丈夫だもん。新一みたいな優しい子に、育てるから」

新一がなんだかんだと言いながらも結局は母親を邪険にできない優しい息子であることをちゃんと見抜いている。
照れて何も言わなくなった新一がなんだか可愛らしくなって蘭は有希子が小さい頃の新一にそうしたであろうように、自分の胸にぎゅっと頬をうずめさせた。

新一の誕生日は、蘭にとっても年に一度の大切な記念日だけど、新一の生まれた日を、誰より強く喜んでいたのは、紛れも無く有希子。
きっと一年ごとに巡ってくるその日は有希子にとって最高に幸せな日だったに違いない。
そんな幸せを味わえるいわば『儀式』を有希子に託されたことが嬉しくて。
そのままうっとりと呟く。

「あー、すごくいい話聴かせてもらっちゃったな…私も自分の子供こうしたいなあ」

「……じゃ、今から作ってみる?」
「…もう!折角感動してたのに!」

新一流の照れ隠しだとわかってはいたが、蘭は胸に伸ばされた手を結構なチカラでぺちん、と叩いた。



end






あおり様の後書き

子供を持つことが出来てはじめて知ったことですが…
おかあさんって 自分の子供の誕生日がとても嬉しいものです。
今はまだ自分から抱きついてきてくれる王子ですが
いつか私よりも好きな女の子の手を取る日が来るのだろうな…と思うと

すごく楽しみなんですが。わくわく♪

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