Tasteful Sweets



By あおり様



工藤新一にとって、これほどテンションの下がるバレンタインデーは初めてだった。
…といっても、チョコレートの数が例年より少なくてへこんでいる、とかでは断じて、ない。
むしろ今年は数ばかり増えている有象無象(酷)からのチョコレートなど、新一にとってまったくどうでも良かったが、たった一つ、彼が心から欲してやまないそれが、どうやら今年はもらえそうにないのだ。


思えば物心つく頃から毎年確実に、ある年などは諸々の事情から寝てる間にこっそり食べると言う姑息な手段を用いてまで手に入れてきた蘭からのチョコレート。
何故今年は手に入りそうにないかというと、近隣の都市いくつかと、海外からの招待選手を招いた空手の親善試合が今日、催されている。
都大会を二連覇した蘭が、それに招かれないはずはないわけで。


(バレンタインデー当日に大会ってのは…女子選手の士気があがらねーだろうな…)

などとつい、余計な心配すらしてしまったが、当の蘭は気合充分に出掛けていった。
試合の後には親睦会も予定されてるそうで、

「何時になるかわからないの」

と済まなそうに手を合わせる蘭に、その後渡してくれ、などと言うワガママは言えるはずもなく。
今更チョコレートくらい、と強がって見せても、でるのはタメイキばかり…。
おまけに蘭の不在が判明するなり、何を勘違いしたのかたくさんの乙女達が新一の元にチョコレートをもたらしにやってくるのである。
そのたびに判で押したように

「悪いけど、俺には蘭しかいね〜から。」

と断りつづけ、そのたびに級友からの派手なからかいを浴びて、昼休みにはもう疲労困憊していた。
こんなときにこそここから連れ出して欲しい目暮警部からの電話も、今日に限って一向になる気配もなく、終業の鐘を聴く頃には日ごろの爽やかな好青年とはまるで別人の、あたかも『今日も一日、ハードな仕事に忙殺され、私生活でも何一つ良いことがなく、満員電車に押しつぶされてく帰宅するサラリーマン』のようにくたびれた新一の姿が、見るものの哀れを誘っていた。



  ☆☆☆



帰宅途中、かつてのお仲間、少年探偵団の面々に遭ったが、

「蘭さんからのチョコレートはどんなのでしたか?」

という光彦の無邪気過ぎる質問が痛かった。
その様子があまりに悲愴にみえたのか、歩美が、明らかに身の回りにばらまいた残りと思われる
チョコをさしだし、

「歩美、新一さんのことも大好きだから、これあげるね?」

といってくれたが微妙な言いまわしと、その目にこもった憐れみに、新一のガラスのハートはさらに傷ついた。



  ☆☆☆



帰ったら帰ったで、一息つく間もなく、口に入れるもの関係ではあまりかかわり合いたくない隣人がやってきた。

「工藤くん。ハイ、これ」
「…灰原。これは何だ。」

わざとらしく真っ赤な紙に包まれたそれを差し出しながら、

「…意外と物を知らないわね。チョコレートって言うんだけど??」
「…嫌がらせかよ。」
「わかってくれて嬉しいわ。」

にっこりとする哀に、背筋がなんだか寒くなり、恐る恐る受け取って扉を閉める直前、

「食べて身体に変化があったら教えて頂戴ねvv」

とのおそろしい捨て台詞がきこえる。

(絶対食わね〜ぞ!)

歩美と哀からの贈り物をぞんざいにテーブルに放りだし、部屋で着替えて降りてきたところに玄関のチャイムがなる。

「…ハイ。」
『新ちゃ〜んvママですよ〜vv』
「帰国するなら電話しろっていっつも言ってるだろ…ってオイ!」

ぶつくさ言いながら開けたドアの向こうには、とっくに活動休止したはずなのに、ご丁寧に正装した怪盗キッド。

「何してやがる!」
『新ちゃん…お留守番してるときは、確かめないでドア開けちゃだめよって、ママ言ったでしょ?』

わざと有希子ボイスで喋る快斗に新一のイライラがさらにUP。

「…いいか、二度と身内の声真似で俺をからかうんじゃね〜ぞ。」

快斗はにやっとして、

「ご機嫌斜めだな、名探偵?言っとくけどこれはおふくろさんからの正式な依頼だぜ?」

そう言って包みを差し出す。
表面に貼り付けられたカードには、

『新ちゃんへ
ほんとは直接渡してあげたいけど優作とラブラブデートなのv
声だけで我慢してねv
そっちも蘭ちゃんと仲良くねv 有希子   』

と真っ赤なキスマークの添えられたメッセージが書かれており…ラブラブデートがなかったら直接渡される事になっていたのかと思うと今日ばかりは素直に父に感謝した。
とはいえ、両肩にのしかかる疲労感は軽減されたわけではない。

「…快斗。」
「なんだ?」
「…わり〜けど。一人にしてくんね〜か。」

そこでキッドはつい余計なことを言ってしまった。

「アレ?蘭ちゃん、いね〜の??」
「う、うるせ〜!!!帰れ帰れ!!」

激昂した新一によって目の前で音高く閉じられた扉の外で、なにがなんだかわからないまま快斗は首をかしげる。

「さわらぬ神に祟りなし…か。」

そう呟いて、闇にまぎれてその場を去った。



  ☆☆☆



(くそ〜。どいつもこいつも何なんだ!)

ぶつけようのない苛立ちに頭を支配され、読みかけの本もテレビも、目の前を素通りしていくだけだ。
不て寝しようにも時刻は7時を回ったばかりと、なんとも中途半端。

「…どうかしてるぜ。どうでもいいじゃね〜か、チョコレートなんて。」

1人呟いてみる。

…わかっているのだ、そんなことは。
重要なのはそんな品物じゃなくって…
要するに、このイライラの正体は…
蘭が今日、ここにいないことが寂しいのだ。

自分はさんざん一人ぼっちで待たせてきたくせに。
事件が起こればデートの最中でもほったらかしでとんでいってしまうくせに。

「蘭に逢いてぇ〜…」

誰も聴いてないのをいいことにものすごい直球の願い事を口にする。

『いつ頃終わりそう?』
『帰ったら電話くれ。』

そんなメッセージを打とうとして、酷く自分がワガママな独占欲の塊のように思えてためらい、携帯を開いては何もせずに閉じる。
かれこれ30分以上も無意味な動作を繰り返して、いつしか時計が8時を指した、そのとき。
玄関チャイムが鳴った。

(今度は何だよ?!)

これで大阪の友人だったら、今日の運勢は最悪、と勝手に決め付けて、つかつかと玄関に歩みより、ドアを力任せに開ける。
そこには。
今日の新一の蓄積したイライラを瞬時に吹き飛ばし、いいとこなしの今日一日をいっぺんに無かった事に出来る唯一の人物が、ほっそりしたシルエットで立っていた。

「蘭…」

驚きでそれ以上一言もない新一を、下から覗きこむように見上げた蘭は

「こんばんは。入ってもいい?」

と尋ねる。ようやく我に帰った新一は、

「ど、どうぞ。」

とぎこちないことこの上なく蘭を迎え入れる。
数秒の沈黙が流れるが、新一の問いがそれを破る。

「今日…遅くなるんじゃなかったのか?」
「途中で、抜けてきちゃった。みんなと一通り話は出来たし。」
「家には…?」
「お父さん、別に今日じゃなくてもいい用事無理矢理つくってお母さんのところに行ってる。今日行けばお母さんにチョコもらえると思ってるのよ。…可愛いでしょ?」

そういってくすくす笑う。
そんな屈託の無い蘭とは反対に、新一は手のひらの汗をこっそりジーンズで拭った。
諦めていた願いが突然に叶えられたとき、人は酷く緊張するものなのだと悟った。
2人とも突っ立ったままなのにようやく気づいて、蘭を促し、自分も並んで座る。
すごくどきどきする。
逢えて嬉しいはずなのに、何も言えない。
目も合わせられないほど、なぜか照れくさい。
そんな新一の心中が伝わったのか蘭もやや居心地悪そうにスカートの裾を意味無く直したりしている。

このままでは何ともせつない逢瀬になりそうだ。
そう思った瞬間、蘭が動いた。
手にしたバッグから、ラッピングすらされていないやや素っ気無いデザインの箱をとりだす。

「新一…これ。」
「へ?」

きょとんとする新一に、蘭はちょっとうつむき、もじもじと言う。

「今年は、手作りできなくて…ゴメンね。」
「あ…」

箱は、大手のスーパーなどでは良く見かけるようになってきた、外国産のチョコレートだった。
新一も良く知っている、ポピュラーな種類。

「…リンツのチョコレートじゃん。」

リンツのチョコレートは一枚が5cm四方ほどの大きさで、2mmくらいの厚みしかない板状をしている。
特に感想の言いようも無い代物だったし、蘭がきてくれたことが重要なんであってチョコは付け足しでしかなかったけど沈黙をガッカリと取られてしまっては大変なので慌てて言う。

「あ…ありがとな。」

蘭はそんな新一を見て何故かほんのり顔を紅くしていたが、やがて意を決したように言った。

「新一…今、食べる?」
「あ?ああ…食おうかな。」

そう返事をしてパッケージを開けようとする新一の手から箱を取り上げると、蘭はするするとセロファンの包装を剥いて蓋を開け、中から細い指でチョコを一枚つまみあげた。
何をするのかといぶかしげに見守る新一の目の前で、蘭はその、薄い板状のチョコを自分の唇にあてると、面を上げて

「召し上がれ。」

といい、そのまま目を瞑った。

「!!!」

普段の蘭では到底ありえない大胆なふるまいに、流石の新一も度肝を抜かれた。
が、なんとか体勢を立て直し、必死に目を瞑っている恋人を見つめる。

(…まじかよ…これは、つまり…OKって事だよな…?)

正直過ぎるのどがごくんと鳴ってしまう。

(…ココで引いて、蘭に恥じかかすわけには、いかねえよな。)

そう自分に都合良く決着させて、いただきます、と声に出さずに呟き、そっと顔を近づける。

(キスくらい初めてじゃないんだから、もっと静まれよ、俺の心臓。)

チョコレート越しに、唇が触れ合う。
チョコを押さえていた蘭の手をそっと外させて、指を絡め、そのまま触れていただけの唇を強く押し付ける。
接点から伝わる二人の体温で柔らかくなった
チョコは音も無く割れて、欠片は新一の舌で蘭の唇に押し込まれる。
と、蘭もチョコの絡んだ舌をたどたどしく動かして、新一の唇をゆっくりとなぞる。

どちらからともなく手を強く握り合い、かわるがわる相手の唇を吸い上げる。

もうチョコレートなどとっくに無くなっているのに、もっと甘い感情に支配されてそんなことには気づかずに、世界で一番美味しいお菓子を食べる子供のように夢中でお互いの唇を味わっていた。







ずいぶん長い間触れていたのに、それでも名残惜しそうにゆっくりと唇を離すと、酸素をとり込もうと深く息をする蘭に、そっと尋ねる。

「…どこで覚えてきた?こんなこと。」

蘭は今更ながら恥ずかしいらしく、顔をあげずに答える。

「今日、仲良くなった海外の女の子が言ってたの。ランも、恋人とリンツを食べるときはこうしてみたら?って。」
「…ふう〜ん。」

(とりあえず…その女の子に感謝状。)

ふと気がつくと、さっきまでの沈んだ気分は霧が晴れたようにすっきりしていて、すっかりいつもの自分を取り戻していることに気づく。

(おれって…単純な男だよな。そしてワガママで、強欲だ。)

自分でそう決定付けてしまったのなら、あとの台詞は決まっている。

「あのさ、蘭。」

こみ上げる恥ずかしさと必死で戦っていた蘭は顔を上げ、そこに普段通りの、実に愉快そうな新一の姿を見る。

「ぇ…何?」
「おかわり。」

そういって、箱を指差す。そこには、あと、29枚のチョコが残っている。

それが今日中に無くなったかどうかは…ご想像のままに。




end






作者様後書き


はい、おそまつさまでした。バレンタインも近いのでこんな糖分過剰に。
前半新一くんをいじめたのでラストではご褒美を上げました。
あおりの大好物なのです。いやいや、キスじゃなくリンツのチョコレートが、です。
リンツのチョコレートはふつうに食べてもとってもおいしいものなのです。

新年一発目がこんなんで。。。すみませんです。


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