ベルの音が、私を呼んでいる


それは

声に惑わされる、私じゃない私


私たちは、同じ星を見ていた――





voice



By clear様






rurururu・・・
rururururu・・・

遠くで電話のベルの音が聞こえる。
何故、こんな夜中に?

何処で鳴っているのかはわからない。
もしかしたら、下の事務所で鳴っているのかもしれない。

どうしてだか、気になって仕方がない。

それでも、自分とは関係ないものだと思考から切り離した。
本当に急用ならば自宅の電話の方にかけてくるはずだから。

ベッドの中で何度か寝返りを打ってみたものの、余計に目が冴えてしまった。

ここのところ、睡眠不足が続いている。
眠りを誘うはずのホットミルクもハーブティーも、飲んではみたものの効いてはくれず、今夜もただただ目を閉じていただけ。
そんな時に、目覚まし時計のように聞こえてきた電話のベル。

時計の針が午前3時を少し回ったところで、蘭は眠ることを諦めた。
眠れなければ、起きていればいい。どうせ明日は休日だし、ゆっくりできる。


ベッドを抜け出して窓の外を覗くと、遠くで星が瞬いていた。


新一、今頃何処にいるんだろ?

風のように駆けていったままいなくなった、憎たらしいアイツ。
その顔を思い出すだけで胸がきゅんと締め付けられてしまうのが、やたら悔しい。

たった少しだけ、会えないだけなのに。
たった少しだけ、声を聞けないだけなのに。

私って、こんなに弱い人間だったっけ?

自分が強い人間だと思ってはいない。
でも、弱い人間だとも思ってはいなかったのに。
けれど、どうしても不安で仕方がない。

新一が、帰って来なかったら・・・どうしよう。

信じていないわけじゃない。
新一の“絶対に帰って来る”って言葉は、嘘じゃない。

でも、無茶をするアイツが心配でたまらなくて。
だってアイツってば、推理に夢中になればなるほど、周りのことなどまるで見えなくなってしまうから。

そんな時に、何かトラブルに巻き込まれてしまったら?

たとえば、事故。
たとえば、犯人の逆恨み。そして逆襲。
銃、刃物、薬物。それ以外でも凶器になるものなんて、いくらでもある。
スキを突かれてやられてしまう話など、世の中には腐るほどある。

帰ってこないのではなくて、帰れなくなってしまったとしたら?

そんなことを考える自分がものすごく嫌い。
どうしてこんな風にネガティブに考えてしまうのだろう?

大丈夫、きっと帰って来る。
でも・・・。

それの繰り返し。

ホント、嫌になる。




新一、あなたの、声が聞きたい。

あなたに、会いたい。




rurururu・・・
rurururu・・・
rururururu・・・

また、ベルの音が聞こえる。

rururururu・・・
rururururu・・・

集中して音を聞いてみると、音源地はやはり下の事務所だ。

rururururu・・・
rururururu・・・

いつまで鳴らす気?
相手が出るまで?それとも、自分の気が済むまで?

rururururu・・・
rururururu・・・

夜の静寂の中の、唯一の音。

rururururu・・・
rururururu・・・

耳鳴りのようにまとわり付くベルの音。

rururururu・・・
rururururu・・・

多分、私の他に誰も気が付いていない音。

rururururu・・・
rururururu・・・

真夜中に響くベルは、自分を呼んでいるような気がしてならない。

rururururu・・・
rururururu・・・

ったく、もう!

蘭はカーデを羽織って、誰も起こさないように足音を忍ばせながら玄関を開け、外に出た。
冷たい空気が身体を包み、小さく身震いをする。


寒っ。

外階段を使って階下へ降りると、事務所からベルの音が漏れ聞こえてきた。
本当にここだったんだと思うと同時に、こんな時間に誰?という疑問が浮かぶ。
とりあえず鍵を開けて中に入ったけれど、父の机の上の電話に手をかけたまま、出ようか出まいか迷ってしまう。

rururururu・・・
rururururu・・・

長い時間、ベルは鳴り続けている。
誰かが出るのをずっと待っている。

rururururu・・・
rururururu・・・

なんだか、私みたい。ふと、そう思った。

ずっと待ち続けている電話の向こうの誰か。
電話をかけているのが私で、ベルで呼ばれているのが新一。

rururururu・・・
rururururu・・・

出てみようかな。
間違いかも知れないし、誰かが出なければ、延々と待ち続けてしまうかもしれない。


「もしもし」


意を決して受話器を上げた。
けれど、返事が無い。


「もしもし、毛利探偵事務所ですが」


名乗っても返事は無かった。
電話が切れているわけではない。
ただ、受話器の向こうに誰かがいる気配がするだけ。


「もしもし?どちら様でしょうか?」


何度訊ねても、黙ったまま。
ため息をひとつついて、蘭は父の椅子に腰掛けた。


「もしもし」

「・・・」


相手は、相変わらず何も言わない。


なんだか切るのが惜しい気がする。

だって、やっぱり私みたいなんだもん。
そう、新一を待ち続けたまま、気持ちをぶつける事の出来ない私。
私に似ている私じゃないひとが、回線の向こうにいる。

耳に受話器を当てたまま、窓の外を眺めた。


「遠くにね、星が光ってるの。あなたのところは、星が見える?」


気まぐれに、話しかけてみた。
別に返事を期待していたわけじゃない。
ただ、見たものをそのまま伝えただけだった。


「見える。星がひとつ。」


思いがけず返事が返って来て、少し驚いた。
若い男の人の声だった。


「もしかしたら、あなたと私は同じ星をみてるのかな」

「多分、ね」


つっけんどんな言い方が、少しアイツに似てる。


「小さいけれど、瞬いていてとても綺麗」

「ああ」

「星は、どうしてあんなに瞬くのかな?どうして――」

「星の瞬きは、冬の速い大気の流れが星の光を乱すからそう見えるんだ」


何だかうれしかった。
だって、その答え方が新一そっくりだったから。

普通なら、こんな質問は子供じみていてバカにされるものだと思う。
でも、彼はきちんと答えてくれた。科学的に、しかも、端的にわかりやすく。
私の望んでいた答えではなかったけれど。


「え?あれって、大気の流れのせいなの?」

「その速い気流が上空のチリやホコリを吹き飛ばしてくれるから、冬の星は澄んで見える。
だからよけいに、ひとの心を捉えてしまうのかもしれない」


彼は、わかっていた。私の真の質問の意味を。

――星の瞬きは、どうしてひとの心を捉えてしまうの?

――澄んで見える冬の星の瞬きだからこそ、ひとの心を捉えてしまう。


「あの星は、何ていう星なのかな?」

「あれはきっと、おおいぬ座のシリウス」


本当に、アイツみたいで。
胸が熱くなった。


「アンタ、何で電話に出たんだ?」


彼からの初めての質問。

受話器の向こう側にいる彼の戸惑いが感じられて、おかしかった。
きっと、勝手にしゃべり続ける私が不思議なんじゃないかな。

自分で掛けてきたくせに、何で出たんだと聞かれても、ねえ?


「あなたこそ、どうしてここに掛けてきたの?」

「この時間なら、誰も出ないと思ったから」

「そう」


あっさり白状した彼に、私もあっさりとそれを受け入れた。

電話を掛けるのも自由。
電話を受けるのも自由。

それでも、どちらかといえば彼の方が悪いハズだ。
こんな夜中に、用もなく電話をしたのだから。
さもすれば、親戚に不幸があったかと心配して家人が出てしまうことだってある。
酷いいたずらだと叱責されても仕方がない。


だけど――
どうしても責める気がしなかった。


しばらくの沈黙ののち、また彼が訊ねた。


「俺が誰なのか、どうして電話を掛けたのか、聞かないの?」

「あなたは、聞いて欲しいの?」

「こっちはその場所を知ってる。気味が悪くないのか?」

「そりゃあ、気味が悪くないって言えば嘘になるけど。
でも、あなたは誰も出ないことを知っていてここに掛けてきた。
・・・ってことは、結構優しい人なんじゃないかなぁと思って」

「アンタって、お人好しだな」

「うん、よく言われる」


蘭がクスリと笑うと、真夜中の話相手もまた、その声に釣られて小さく笑った。
顔も見えない相手の笑顔が、少し見えるような気がした。


「でも、そんなところも似てたんだ・・・」


彼の声のトーンが、少し下がった。


「似てた?誰に?」

「彼女」

「彼女?ふうん。ね?その彼女って、とっても可愛い人でしょ?」

「そういう自意識過剰なところも同じかも知れない」

「や、やだ、そういうつもりじゃ・・・別に私に似てるからとかそういうんじゃなくて」

「すぐ本気にする、そんなおっちょこちょいなところも、似てた」

「・・・もしかして、からかったの?」

「うん、わからなかった?」

「もう、失礼ね!あなたがもし目の前にいたら、一発お見舞いしたいところだわ」

「そういう気の強いところも、似てた」

「似てた――って、過去形なんだね?」

「うん、過去形なんだ」

「ごめん。悪いこと言っちゃったかな」

「・・・」


電気も点けていない防犯灯だけのこの場所が、もっと暗くなりそうな気分だった。
見ず知らずのひとを傷付けてしまったことが、妙に悲しい。


「本当に、ごめんなさい」

「嘘。気にしてないよ。だからアンタも気にするなって」


彼の声は、何故か弾んでいた。
その軽いトーンの声のまま、彼が語り始める。


「彼女とは、時が来たら会えなくなるってわかっていながら付き合ったんだ。
だから、こうなることは当然だった」


彼が語り始めた恋を、私は聞くことに決めた。
何故なら、彼が誰かにそのことを話すのは初めてなんじゃないかと思ったから。
心配を掛けたくないからこそ、身近な人に話せないこともある。

私は、そのことを知っている。
知っているからこそ、彼が内に秘めた思いを話すことで楽になるのなら、聞いてあげたいと思った。


「彼女と会えなくなった時、俺は彼女の電話番号を携帯メモリーから削除した。
でも、俺の頭の中のメモリーにはその番号は残ったままだったんだ。
気が付けば、つい、その番号を押してしまいそうになる」

「まだ、彼女のことが好きなんだね」

彼の返事はなかった。
顔なんてわからない。けれど、照れながらも頷く彼の姿が見えるように思える。
優しい表情で頷いている彼の姿が。

誰も出ないとわかっているのに、電話を掛けた彼。
彼女へ電話を掛ける事が出来ず、その想いをこの事務所の電話にぶつけていたのだ。
そんな電話のベルが気になって、導かれるようにうっかり出てしまった私。

ふと、言葉が止まる。

過去形の彼女への彼の想いは、未だに現在進行形のまま。
彼の心は、どうしたら救われるんだろう?


するとまた、彼が話し始めた。
こちらが黙ってしまったことに、負い目を感じてしまったのかもしれない。


「ある時、ついに彼女に電話を掛けてしまったんだ。
でも、誰も出ないことに違和感を覚えてすぐに切った。
その時間、彼女の両親が電話に出ることがわかっていたから。
おかしいと思って確かめたら、番号の末尾がひとつずれててさ。
きっと焦って手を滑らせちまって、末尾の番号を間違えて押しだんだろうな」

「あなたもおっちょこちょいで、安心したわ。」

「とうとう、アンタにまで一緒にされちまったか。」


遠くで、彼の笑い声が聞こえた。
きっと、彼は彼女にも同じことを言われたのだと思う。


「それが、今、アンタのいる場所の番号だったんだ」

「でも、どうして?ここは固定電話の番号だよ?彼女の番号って携帯の番号じゃなかったの?」

「彼女、縛られるのが嫌だからって携帯を持っていなくてさ。俺、いつも家に電話してたんだ。他愛ない話ばかりだったけど、彼女とのそんな時間がとても好きだった。」

「それでここに掛けてきたの?ひとつだけずれた、この番号に」

「そこは、夜は誰もいないって知ってたから・・・」

「この電話に気付いたのが私だけで良かったわ。
こんなおかしな電話、お父さんが取ってたら、めちゃめちゃ怒られてたよ?」

「それは良かった。君のお父さん、怒ったら怖そうだし。」

「お父さんを知ってるの?」

「次の日、たまたまその近くを通りかかったら、自分が間違えて掛けた番号がビルの窓に書いてあってさ。まさか、ひとつ違いの番号がそこの探偵事務所のもので、こんなに近くだったなんて、すごく驚いた。その時に、チラッと君アンタのお父さんを見たんだ」

「お父さんはあなたを知らないのに、あなたは知ってるなんて、何だか不思議ね。」

「俺、アンタのことも・・・少しだけ知ってる。」

「うん。“似てた”って言われた時に、もしかしたらそうなんじゃないかって思ってた。
そうじゃなきゃ、比較できないでしょ?」

「ゴメン。でも、怖がらないで。ストーカーとか、そんなんじゃないから。」


どうしてだろう?
自分を知っていると言われても、怖くはなかった。

何て言うのかわからないけれど、ほら、あれ。
初めて会ったのに、前から知ってるひとのような気がする、あの感覚。
あれに近いような気がする。


「弟を呼ぶ君の声を、聞いたんだ。」

「弟?――ああ、コナン君ね?あの子は弟じゃなくて、今、ウチで預かっている子なの。」

「そう。あの子、随分利発そうな子だね」

「コナン君まで知ってるの?」

「うん。下からその事務所を見上げていたら、職務質問されたよ。
お兄さん、誰?こんな所で上を覗いて何やってるの?探偵事務所に用があるんだったら取り次いであげるよ――ってね。
まるでその近所を取り仕切っている警察官みたいだった」

「コナン君らしいわ。でも、コナン君の職務質問を受けるなんて、あなた、よっぽど怪しかったのね」

「え?そうかな。普通にしてたつもりなんだけど・・・」

「あの子の目は確かよ?もしあの子が子供じゃなかったら、立派な探偵としてやっていけると思うわ」

「まいったなぁ」


その時のコナン君の姿が、目に浮かぶようだった。

鋭い目付きで彼を訝しがる、コナン君。
その姿には、大人のような風格さえ感じてしまうほど。
それはまるで、ミニチュアのホームズ。ううん、ミニチュアの新一。


「うん、確かに小さな探偵って言葉がピッタリだ。
あの目付きで睨まれたら、大人でも怯んじまうよ。」


呟くように、彼が言った。


「だから、心配なの。」


つい、心の内を言葉にしてしまった。
ずっと胸の奥底で燻っていた不安をぶつけるかのように。

どうしてこんなことを口にしてしまったんだろう?

もしかして、相手が見ず知らずの彼だったから?
ずかずかと彼の領域に踏み込んだ私に、自分を曝け出してくれた彼だから?

それもあるけれど、きっと、自分みたいだと思った彼だからこそ。
だから、パッと口を突いて出てきてしまったのかもしれない。


まだ小さな子供のくせに、探偵のみたいなまねをして。
そして、いっちょ前に事件解決のヒントを導いてくれたりするコナン君。

まだ小さな子供くせに、自ら危険に突っ込んでいってしまう。
それって裏を返せば、まだ小さな子供だからこそなのかな?

子供だから、危険を知らない。
守ろうとするものがあれば、まわりが見えなくなってしまう。
そして、無茶をして自分の身を危険に晒してしまう。

そんなあの子に、何度助けられたことか。
だからよけいに心配で。

それは、新一と同じくらいの心配の種のひとつ。

そのふたつの心配の種は、何故か同じ種なのだ。
大きさも、色も、柄も、香りも、何もかも。


「あの子だって、アンタが心配なんだよ」


彼が発した意外な言葉に、驚いた。


「たった一度会っただけなのに、どうしてそんなことがわかるの?」

「たった一度会っただけのその時、上の階の窓が開いて、君があの子を呼んだんだ。
コナン君、おかえり――って。」

「あ・・・」


何となくだけど、思い出した。

あれは先週の休日、暖かな陽射しののどかな昼下がり。
遊びに出ていたコナン君を窓の下に見付けて、おかえりと声を掛けた。

声を掛けてから気が付いたのだけれど、その時、誰かと話をしていたみたいだった。
顔はよく見ていない。でも、背の高い男の人だったということは覚えている。
どうかしたの?と聞くと、何でもないよ、道を聞かれただけだから――って言ってたっけ。


「あの時のアンタの声が・・・」

「声?」

「アンタの声、病気で亡くなった彼女に良く似てたんだ。」

「・・・そうだったの」


彼の過去形の彼女は、もうこの世にいない人だった。

電話を掛けても、出ることはない。
声を聞きたくても、聞くことは出来ない。

誰も出ないとわかっていながら、掛けてしまった電話。


胸がぎゅっと締め付けられた。


「本当のこというと、そこへ初めて間違い電話をしたのは夜中じゃなくて昼間なんだ。
その時電話に出たのがアンタで・・・その声に泣きそうになった」

「もしかして、あの時の無言電話があなた?」


心当たりがあった。
何週間か前、父が競馬中継に夢中になっていたため、私が代わりに出たあの電話。
名乗っても、呼びかけても、何も言わない。いつまでたっても切れない電話。
仕方がないから、用がないなら切りますよって言って、こっちから切ったんだっけ。


「ごめん。どうしても、声が出せなかった。どうしても、すぐに切ることが出来なかった」


彼は今夜も私の声が聞きたくて、ここに電話を掛けてきたんだ。

彼女に似ている、私の声を――。

それでも、迷惑を掛けることを恐れて、誰も出ない夜中を選んだ。
ずっと鳴り続けたままのコール音を耳の奥に流し込んで、彼女と話していたつもりだったのかもしれない。


彼が心から謝っているのが、伝わってくる。

本当は心優しいひと。

ただ、今は――心の揺れを抑えることが出来ないだけ。

私と同じだ。


「そこにいるのは彼女じゃない。わかっているのに、“もしかしたら”なんて馬鹿げた期待をして。
どうしてもその場所へ行ってみたくなって、とうとう実行してしまったその時、小さな探偵に出会ったんだ」

「偶然この事務所を見付けたわけじゃなかったのね」

「嘘をついて、悪かった」

「ううん、いいの。
それで――今、あなたは私の声を聞いてどう思った?」


私の質問に、彼が戸惑っている。
それでも私は続ける。


「あなたは彼女の声が聞きたかった。でも、私は彼女じゃないもの」


少しの間、彼は黙っていた。
けれど、すこしすると決意したように口を開いた。


「わかってる。アンタは彼女じゃない。そんなの、わかってるんだ。
でも、アンタの声は彼女そのままで。声を聞けてうれしいのに、アンタは俺を知らない。
彼女に自分の存在を忘れられたみたいで、すっげー悲しい。それでも、その声を聞きたいと思う。
すごく矛盾してるんだ」

「あなたの気持ち、少しわかる気がする。
私も、誰かさんの声を聞きたくても、聞けなくて。会いたくても、会えなくて。
我慢するしかないってわかってても、どうしようもない時があるから」

「それって、彼氏?」

「ううん、そうじゃないけど、私のとっても好きなひと」

「あれ?彼氏いないんだ?じゃあ、片思い?」

「多分、思いっきり片思い」

「そっか。そうすると、俺の方がまだマシだってことか。一応、両想いだったんだから」


本当に、優しいひと。


私はいつか、新一と会える日が来る。声だって、聞くことが出来る。

でも彼は、二度と彼女に会えない。二度と声を聞くことも出来ないのに。

きっと、私に気を使わせないようにそう言ったんだ。


「けど・・・今はまた片思いに戻っちまった。
彼女は今まで幸せだったんだろうか?彼女はあの世で幸せに暮らしているだろうか?
そんな一方通行の心配ばかりして、前に進めなくなってしまっているみたいだ」

「きっと、彼女もそんなあなたを心配してると思うよ?」

「え?」


驚きの声が、伝わって来た。
彼にとって、私の言葉は思いもかけなかったみたいで。


「だって、私が彼女の立場だったら、そんな後ろ向きのあなたの姿なんて見たくないもの。
きっと空の上から“ガンバレ、ガンバレ”って、応援してると思うな。彼女だって同じなんじゃないかな」


少しの沈黙のあと、彼が言った。


「死んでしまった人間が、そんなことを思うなんてありえない」

「そんなこと、誰もわからないじゃない?
今、生きている私がそう思うんだから、彼女がそう思ったって不思議じゃないでしょ?」


布擦れの音がした。
体勢を変えて、考え込んでいるようだ。

私は、続けた。


「生きてる時に、そう思っていたかもしれない。死んでからも、そう思ってるかもしれない。
生きてたって、死んでたって、大切な人を心配して何が悪いの?」


ハッとした。
彼と自分の言葉に。


――死んでしまった人間が、そんなことを思うなんてありえない

――大切な人を心配して何が悪いの?


さっきのコナン君の話と逆だ。
私と彼の会話が、逆さまになっただけ。


――あの子だって、アンタが心配なんだよ

――たった一度会っただけなのに、どうしてそんなことがわかるの?


お互いにそれに気付いて、ふたりでぷっと噴出して笑った。
同じことを繰り返していた自分達が、おかしくて、おかしくて。


そしてもうひとつ、気付いたことがある。

心配だけしてたって、前には進めない。

心配するのは、相手が好きだから。
その、相手を好きだという気持ちを、もっと大切にしなきゃいけないってこと。


「人間って、バカだな。言われないと気付かない。言われてもなかなか気付かない。
ホント、その中でも俺ってバカの中の大バカ野郎だ。」

「それは私も同じ。バカの中の大バカ女だわ。
私だって一方通行の心配ばかりして、人の気持ちもわからなかったんだもの。
大きな口叩いて、ごめんなさい」

「こっちこそ、ごめんな」

「じゃあ、お互いさまってことで」


もう一度、ふたりで笑った。


どうしてだろう?
重い鉛を抱えていた心が、突然、軽くなった。


「アンタと話してたら、なんだかスッキリした気分だ」


彼も、同じ気持ちだったらしい。


「本当はさ。あんたの声を聞いたら、もっともっとどん底に落ちてしまう気がして怖かった。
まさか出ないと思っていた電話が繋がった時、やっぱり掛けなきゃよかったって、後悔した。
でも、今は違う。掛けて良かったって思う」

「私も、電話に出なきよかったのかも?って、思った。
でも今は、出て良かったって思う。気付かなかったことに、気付けたから」

「あんたもずっと何かに悩んでたってことか」

「そう、あなたはまるで私だった。だからこんなふうに話せたのかもしれない」

「俺達の気持ちが、どっかでシンクロしていたのかもしれないな。
それが電話の回線を通して、本当に繋がったみたいに思えるよ。
俺、神様なんて信じないけど、そんな不思議なことが信じられる気がしてきた」

「不思議って、いいね!こんな不思議なら、いくつあってもいいかも」

「ああ、マジそう思う」


暗い部屋が、少しだけ明るくなった気がする。
もうすぐ夜が明けるのかも知れない。けれど、それだけじゃない。
心が、明るくなったのだと思う。


「こんな時間に、悪かったな」


彼が謝る。


「あなたって、いたずら電話を掛けてくる割には、いいひとなのね」

「馬鹿言うなよ。俺って、すごい悪人だぜ?
こんな寒い真夜中に、長い時間あんたを付き合わせちまったんだから。
寒かっただろ?風邪ひくなよ?」

「ほら、やっぱりいい人じゃない!
あ、でも、未来の探偵に目を付けられちゃったし、あなたはもう悪いことは出来ないわよ?」


小さく笑う私に、


「そうだね。悪いことはこれで最後にするよ」


彼も賛同して笑った。


「でもさ、アンタも相当悪い女だと思うよ?」

「は〜?」


あまりに間の抜けた声に、自分でもビックリした。
だって、彼の言葉の意味がよくわからなかったから。


「あんな小さな子供を惑わせるなんて、相当悪い女だってこと」

「ちょっと、どういうこと?変なこと言わないでよ?」

「だってさ、あの小さな探偵、あの時なんて言ったと思う?」

「さあ、なんて言ったの?」


くっくっくっ、と、笑い声が聞こえる。やだ、またからかってるの?


「俺がアンタを狙ってると思ったんだろうな、きっと。
お兄さん、ひとつ忠告しとくけど、あのお姉さんに何かしたら、ただじゃ済まないからな――って」

「やだ、コナン君たら・・・」

「だから言ったろ?あの子も、アンタのことが心配なんだよ。お互いさまってことだね。
あの子、相当アンタに入れ込んでるっぽいぜ?どうする?年下キラーさん?」

「そ、そんなんじゃないわ」

「それにさ、まだ続きがあるんだ」

「続き?」

「何かあったら、お姉さんの彼氏だって黙っていないからな。覚悟しとけ――だってさ。」

「か、か、か、彼氏って・・・やだ、私、彼氏なんていないし・・・きっとあの子、何か勘違いしてるのよ」


ぶはははは、と、吹き出すような笑い声が聞こえる。
やっぱり、からかってる?


「アンタの恋、案外うまくいってるのかもしれないよ?アンタが気付かないだけでさ」

「そんなこと、ないよ」

「こういうことは俺の方が少しばかり先輩だからかな。何となく、わかるんだ」

「そうだったらいいな、って思うけど・・・」

「アンタ次第だって、俺は思うけどね。でも、アンタが彼を想っていれば、必ず叶うさ。
ガキを惑わすような悪い女だけど、いい女だよ、アンタ。妙に優しくてお人好しでさ。
だから絶対大丈夫。俺が保障してやるよ」

「うーん、褒められてるんだかけなされてるんだか良くわからないけど・・・
そう言ってもらえるだけで、うれしい。なんか、勇気が出た」

「そりゃあ、よかった。本当に、うまくいくといいな」

「うん、ありがとう」


心の底から、うれしかった。

彼は、もう一人の私だったひと。でも、今は違う。
今はお互いに、前の自分とは何かが変わっている。

前向きになった彼のこころ。
それが声に表れていることが、それを証明している。

そんな彼からエールをもらえたのだから、うれしくないはずがない。


「これから――」

「これからどうするの?って、聞きたいんだろ?」


躊躇いがちにかけた言葉に、彼はおどけたように言う。


「うん。」


「俺、彼女を無理にでも忘れようとしてたのに、でも本当は忘れたくなかった。
時の流れに、逆らおうとしていた。だからいけなかったんだ。
忘れたくないなら、忘れなければいい。そのままの自分で時の流れに乗ればいい。
今は、そう思ってる。だからもう、ここへは電話しないよ」

「よかった!あなたの明るい声が聞けて」

「俺も、アンタの声が聞けて、よかった」


ふたりの間に、何かが芽生えた。
恋とかそんなんじゃなくて、友情みたいな、家族みたいな、まったくの他人じゃない、そんな感じ。

東の空が、また少し明るくなった。
完全に夜が明けるにはまだ時間がかかりそうだけれど、いつのまにかシリウスが遠く感じるようになっている。


「もう、お別れだ」

「そうだね」

「俺、アンタのこと、忘れないよ」

「私も、あなたのこと、忘れないわ」


別れが惜しい気がして、少し寂しい。
変だよね。初めて話した、見ず知らずのひとなのにね。


「じゃ、握手しよっか?」

「は?どうやってするんだよ?」


私のおかしな発言に、もう一度、笑った。


「つもりよ、つもり!」


私たちは、笑いながら別れの握手をした。







***








まぶしい光に照らされて、ふと、目が覚めた。
そこは自分の部屋ではなく、事務所の中だった。
遠くで冬鳥が騒ぐ声と、新聞屋のバイクが軽やかに走り回る音が聞こえる。

いつもと同じだけれど、いつもと違う朝。
たった数時間前のことが、まるで夢のように思える。

それでも私は、あの彼の声をきっと忘れない。
ひとのことアンタって呼んで、つっけんどんで、生意気で、少しアイツに似ていた彼。

彼のことは素敵な思い出として、心の中の引き出しに大切にしまっておこう。
いつかアイツが帰ってきた時に、思い出して懐かしめるように。


まだ眠気が残っているけれど、意外とスッキリした気分。

それにしても。
私、いつの間に眠っちゃったんだろう?

硬いデスクに突っ伏したまま、寝てしまったみたい。
おかしな体勢で寝たせいか、少し背中が痛む。
ゆっくりと身体を起こすと、背中から毛布がパサリと落ちた。

誰が掛けてくれたんだろう?

毛布を拾い上げ、ふと目を移した先には――


「コナン君・・・」


パジャマ姿のコナン君が、ソファーで身体を丸めて眠っている。

どうして、コナン君が?

きっと、この子が毛布を掛けてくれたんだね。
夜中に目を覚まして、何故か私がいないことに気付いて、ここまで見に来てくれたのかもしれない。
この子、とっても鋭いところがあるから。

だって、小さな探偵だものね。

クスッと笑って、小さな探偵を起こさないように、静かに同じソファーに腰掛ける。

あどけない寝顔。
思わず、目を細めてしまう。

本当に、新一のミニチュアみたい。

自分に掛けてくれた毛布を、今度はコナン君の身体にふわりと掛けた。


なんだか、とても愛おしく思えて。
ぎゅっと、だけど優しく、その小さな身体を抱きしめた。

その身体はとても温かくて、じわりと私に染みる。私の、こころに。


「ありがと、コナン君。私、あなたが大好きよ」


小さな声で、そう呟いた。
何故か、抱きしめた身体が少しだけ温かくなったような、そんな気がした。









 the end






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