彼の時間

By くう様

アイツは、泣かない。
オレの前では、泣かない。
探偵だから。
その言葉で、アイツは気持ちを、封じ込めている。
オレは・・。
アイツに、何ができる?

あの日、言葉ひとつ告げず、そっと小さな箱を届けてくれた、その想いに――――――。






3月も、早くも半ばに差し掛かって、わたしはなんとなく落ち着かない。
来月からは、高3。
受験生・・か・・。
はあ。
とひとつため息をついた。

ふと、今更のように思い出して、教室を見回した。
明日は、ホワイトデイだ。
でも、教室は穏やかなものだった。
そういえば先月、新一は丁寧に女の子達を断っていたっけ・・。
2月15日の朝を思い出すと、顔が赤くなる。
新一がわたしを迎えにきてくれたのは、別にはじめてでも、なんでもない・・はずなのに。

ああ。わかってくれたんだ・・。
そう思ったら、ほっとして。


あれから、もう1ヶ月がたった。

ねえ、新一。
今日は・・。
明日は・・。
一緒に過ごせるかな?
明日は。
あなたのちょっと眠そうな顔、授業中に見ることはできるかな?

わたしはね・・それだけで、いいの。




放課後、このところ珍しくすべての授業に出ている新一は、わたしの部活がないことを知って、一緒に帰ろうと言ってくれた。
街の色もさして変わらないように見える。
やっぱりホワイトデイは、バレンタインほどざわざわとはしないんだろうか・・。
今、この瞬間に、新一が隣にいる。
それが、何より心地よかった。



「なあ、蘭」

たわいもないおしゃべりも一段落して、無理のない優しい沈黙が少し続いた後、ゆっくりと新一は口を開いた。
振り向くと、新一はちょっといたずらっぽい笑みを浮かべていて。

「・・・・・・?」
「手、出してみろ」

唐突な言葉に、思わずその場で足を止めてしまった。

「手‥って。・・どっちの?」
「どっちでもいいぜ」

ますます、わからない。
新一、何をしたいの?
よくわからないまま、右手を新一の前に出してみる。
新一は、わたしを少し覗き込んで。
そうしておもむろに、ポケットから自分の携帯を取り出した。

「・・・・・・?」

それはゆっくりと、わたしのてのひらに収まって。

「・・ほら、明日。ホワイトデイ・・だろ?ちょっと早いけど、プレゼント」

ホワイトデイの・・プレゼント?

「し・・しんいち。よく・・わからないんだけど・・。だって、わたし、携帯なら・・新一に、もらったじゃない」

言いながら、わたしはその携帯を通じてかわして来た、切なかった日々を一瞬、思い出した。

「バーロ・・。そういう意味じゃねーよ」

言葉はすぐには続けられず、やけに真剣な眼差しで、新一はわたしに告げた。

「・・時間。・・今から、明日まで。オレの時間、オメーにやるよ」

「・・・・・・!!」

時間・・・・・・?
うまく、頭が回らない。

「それ、電源切ってっからよ。そのまま、明日まで。オメーが持っててほしいんだ」
「しんいち・・」

言葉が出ない。
だけど、新一。
だけど・・。

「だめ・・。だめ・・だよ・・。そんな」

だって。
新一は探偵なのに。

そう言おうとしたわたしをさえぎるように、新一は力強く頷いて見せた。

「ほんとに・・?ほんとに・・いいの・・・・・・?」

上ずった声を出すわたしに、新一は優しく微笑んでくれた。 


  ☆☆☆


新一から渡された、彼の携帯。
帰宅してから机の上においていたそれを、わたしは夜、そっと自分の枕もとにおいてみた。
布団にもぐりこむ。
シャンプーの香りで、まどろみそうになる。

けれど、眠りに落ちそうになるたび、今日の新一の言葉が頭の中を駆け巡って・・。
結局は、なかなか寝付けない。

「オレの時間、オメーにやるよ」

思ってもいなかった。
ほんとうに、なにひとつ、予想なんてしていなかったのに。
こんな・・。
こんな、最大のカタチで返してくれる・・だなんて。

わかってる。
どんなに笑ってみせても、無理をしているときには、きっと新一は感づいてしまう。
けれど、わたしは探偵である新一が好き、だから。
それでもいいと思ってきたけれど。

何度怒ってみても、推理小説を読みふける癖は抜けるはずもない。
どこにいたって事件と聞けば飛び出して行ってしまう好奇心も、衰えるはずがない。

そんな新一が、好きで。

だけど・・。

わたしは、枕もとの携帯を包み込んだ。
そっと胸に押し当てて、想いでいっぱいになっている心を静めようとした。

そうしてわたしは、揺るぎない決心をする。
新一の想いに、わたしも精一杯応えたいから。
こんなことでしか、返せないけれど、それでも。

もしかしたら。
怒ってしまうかも、しれない・・。
だけど、わたしは・・どうしても――――――。





ホワイトデイ当日は、前日からの予想通り、バレンタインのような騒ぎもなく、ほんとうに穏やかに過ぎていった。
一方で、わたしは少し、照れくさい。
耳をふさごうにも、どうしても聞こえてくる、クラスメイトの声。
それは、教室にいても、いつもと変わらないわたしと新一の姿を見てのこと。

「工藤のヤツ、毛利のチョコは受け取ったんじゃね-のか?」
「なんか返すのかなあ・・」
「アイツのことだし、誰も思いつかないようなこと、とか?」
「えー?けど、毛利が絡むと・・」

ほんの少し、頬を膨らませそうになるうわさたちも、なぜだかくすぐったくて、笑えてしまう。
どんなものよりも、わたしは一番幸せに感じる。
なんだか・・申し訳ないくらいに。
バレンタインの日、からかわれてちょっと困ったような顔をしていた新一は、今日は笑いながら、さらりとクラスメイトたちの追及をかわしていた。
知らないうちに新一に視線を送っていると、ふいに声をかけられる。

「ちょっとちょっと、蘭」

楽しそうな顔をしているのは園子。

「な・・なに?」

すっとぼけるのははっきり言って苦手だ。
嬉しいことがあると、どうしてもそれが顔に出てしまうような気がする。

「なーんか今日、いつもよりきれいじゃない?」
「な、なにいって・・」

慌てるわたしに笑いかけて、園子は肘でつついてくる。

「このー。幸せものっ」
「まだなんにもいってないじゃない!」

ほんとうはこんなふうにからかわれるのさえちょっと嬉しいけれど、言葉はそうはいかなくて。

「園子こそ・・。何かいいこと、あったんじゃない?」

とっさに話題の転換を試みたら、園子は押し黙ってしまった。
目を忙しく瞬きながら、明らかに照れている。

そんな園子の表情を見ていると、わたしまで嬉しくなる・・・・・・。


わたしもね、園子。
信じられないくらい・・。
とっておき・・の、プレゼントだったよ。






放課後、昨日とは違って部活のあった蘭を、オレはちょうど調べたいことがあるからと、図書室で待つことにした。
時間を見計らって校門前で待っていたオレと落ち合って、昨日と同じようにふたり並んで歩いていく。
つくづく、不器用だな・・と思う。
蘭はオレのことをよく、

キザでかっこつけ

そんな風に言う。
そうなのか?
よく・・わからないけれど。
少なくとも、オレは蘭の前では不器用であることを、自覚している。

プレゼントなんてうまく選べやしない。
携帯を渡したとき、蘭は心底驚いて、そして喜んでくれたけれど。

久しぶりに寄り道をして、雑貨の店なんかも蘭に付き合ってのぞいてみる。
ここでもまた、オレにはいまいちよくわからないこともあるけれど、蘭は楽しそうだった。

確かに一見、楽しそう・・だった。
けれどオレは、傍らの蘭の様子が気にかかっていた。
時折、不安げにそわそわとしていることに、気がついていた。

蘭・・。どうしたんだよ?・・ほんとは、楽しくねえのか・・?

何年も蘭を見てきた。
ガキの頃からずっと見てきた。
そして何より、コナンだった頃、蘭の気持ちを知ってからは、なおさらに。
オレは蘭の小さなしぐさにも、何かを感じることが多くなっていて・・。

「そうだ、新一。今日・・夕飯、作りにいっても・・いい・・?」

ちょっと遠慮気味に蘭は尋ねた。

「いいのか?」
「うん。新一に、プレゼントもらったお礼もしたいし」

ほっとしたように笑みを浮かべる蘭に、オレは目を細めた。
お礼のお礼、か。
蘭の性格を思って、オレはひとり、苦笑してしまう。

「最近また結構不規則だからな・・」

ポツリとつぶやいた言葉に、蘭はすかさず反応する。

「もう・・。いつもそうなんだから・・。気をつけなきゃダメじゃない・・」





なんとなく、新一の気遣わしげな視線を感じていた。
やっぱりわたしはとことん顔に出てしまうタイプらしい・・。
違うの。
心配しないで。
楽しいよ、こうしてふたりで過ごせて。
嬉しいよ、新一の気持ち。
ありがとう。
でも、だからこそ、どうしても、わたしは・・・・・・。

夕飯のメニューを考えながらも、わたしは自然と、学生かばんに視線を落としていた。





読みかけの推理小説を一度開いて、しばらく考え込んだ後、やっぱりそれを閉じた。
何をするでもなく、ぼんやりと天井を見上げてみる。
キッチンからは、蘭のかわいらしい鼻歌が聴こえる。
そういえば、コナンだった頃も。
夕飯を作るとき、楽しそうに鼻歌を歌っていることもあったと思い出す。
蘭の機嫌はよさそうだった。
やっぱり深読みしすぎたったかと安堵のため息をついたそのとき。
 テレビもつけず、静かなリビングで、かすかに何かが振動する音を近くに感じた。

「・・・・・・?」

ブー、ブー・・・・・・・と、それはしばらく止むことなく続いている。

ま・・まさか・・。蘭・・・・・。


瞬間。よぎった考えに、思わずオレはソファに置かれたままの蘭の学生かばんを無断で開けてしまった。

そうしてとうとう見つけてしまった。
蘭のどことなく落ち着かず、時々は不安そうにしていた、その原因を。

かばんの中では、オレの携帯が、主を求めるように振動していた。





結局着信しているものにはさほど重要と思われるものもなく。
どうということもないただの迷惑メールをすぐさま削除すると、後ろのキッチンを振り返った。
蘭は楽しげに夕飯を作っている。
オレが知ってしまったことに、まだ気づいていない。

携帯を握り締めた。
どうしても言葉にはならない想いが、こみ上げてくる。

蘭は、電源を切ってはいなかった。
いや・・。
切れなかった・・・んだ――――――。





「・・蘭」
背後に聴こえた新一の静かな声音に、わたしはなんとなく予感がした。

ああ。
バレちゃった・・かな・・・・・?

ゆっくりと振り返ると、やっぱり新一は携帯を手にして立っていた。

「オメー・・」

言葉を続けられない新一に向かって、わたしは自分から口を開いた。

「ごめんね、新一。せっかく・・プレゼント、して・・くれたのに・・」

我ながら、恩を仇で返すようで、声が震えた。
だけど、わたしには。

「もらって家に帰って・・。しばらくは、そのままにしてた・・。でも・・わたし、やっぱり・・。どうしても・・ずっと切ったままにできなくて・・。電源・・入れちゃったんだ・・。だって・・新一は、探偵・・なんだもの・・」

俯き加減になりながら、やっと言葉にした後、しばらく新一からの返事はなくて。
わたしはやっぱり新一を怒らせてしまった。
そう思って体を強張らせたけれど。
やがて返ってきたのは、怒った声ではなく、優しいぬくもりだった。

のぞきこんでくる、その瞳の色も、限りなく優しさに満ちていて。
見つめられるだけで、頬が熱くなるようだった。

「ったく・・」

少しだけ拗ねて見せた後、新一はまっすぐわたしを見つめて。

「オレさ、蘭。確かに、探偵なんてやってっけど・・。オレは・・探偵である前に、ただの・・工藤新一でしか、ねーんだよ」

「・・ばか・・」

まだ、声は震えたままだった。
ほら・・。
やっぱり新一は、キザで、かっこつけで。
だけど、どうしても、探偵だから・・と。
どうしてもぬぐいきれない不安を抱くたび、新一はそっとそれを掬い取ってくれる。
わたしもいつも、その想いに応えていられるようにしたい。
ふたりで笑いあえるといいね。
時々は、哀しい顔も、みせることもあるかもしれないけれど・・。
それさえも、分かち合えたなら・・・・・。



ふたりだけの時が流れる。
またひとつ、忘れられない日になる、ホワイトデイ。

そろそろシチューの匂いが、キッチンをあたたかく包み込み始めていた。




FIN…….


 
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