夏のヒナギク―Summer dasiy― Side.S



By 春陽様



「新一。別れよう」
「え・・・?」
「これで最後。もう、会わない」
「嘘だろ、蘭?」
「嘘なんかじゃないわ。もう、嫌なの」
「あ、あれは、蘭の所為なんかじゃねえ!だから・・・!」
「・・・そんな事を、言ってるんじゃない。新一と一緒にいたら、わたしはまた、危険な目に遭うかもしれない。だから・・・本当にもう嫌なの。迷惑なのよ」

 はぁ? 何言ってるんだこいつ。

 本意ではないことは蘭の表情を見ればわかる。おめぇ、気づいてないだろう。自分がどんな顔して言っているのか。泣きそうなツラしてるんだぞ。そんな顔をして嫌だ、迷惑だ、と言われてもちっとも説得力がない。

 でも蘭は本気だ。本気でオレから離れようとしてる。そのことは痛いほどわかった。

 バーロ、そんなことさせるかよ。

 言うだけ言って、病室を出ようとする蘭を呼び止める。

 でも蘭は振り向きもしない。

 オレは八つ当たりでベッドを叩きつけ、立ちあがろうともがく。今アイツを捕まえないと、アイツはオレから離れていく。

 そんなこと許さない。許してたまるか。

 吊るされている足を抜き取り、自分の腕に突き刺さっている点滴の針を無理やり外す。身体の痛みより、今は大事なことがある。
 急いでベッドから足をついて走って蘭を追おうと足を踏み出す。踏み出すたびに身体の激痛に顔が歪む。思うように身体が進まない。

 力の入らない足では身体を支えきれず、床に叩きつけられた。激痛でうめき声を上げる。その間も蘭はどんどん離れていく。

「らぁぁぁんっ!」

 オレの声に看護師と医者が病室に飛び込んできた。

「く、工藤さん! どうされたんですか!」

 抑えようとする看護師の腕を振り解く。どけよ、オレは蘭を捕まえなきゃならねぇんだ! と喚く。看護師と医者が戸惑っているが、そんなの知るか。

「ちょっ、離せ! 離してくれ! らぁぁぁんっ!」

 何度も立ち上がっては転ぶを繰り返す。何度も激痛で意識が遠のく。みっともなくっても形振りかまってられない。

 でもオレの意識と身体の限界は別だ。オレは取り押さえられ、鎮静剤を投与された。意識がブラックアウト。
 真っ暗になる前、思い浮かんだのは、泣きそうな顔をした蘭の顔だった。

 今ごろ蘭は泣いている。オレのいないところで泣いている。そこに寄り添ってやれないことがどうしようもなく歯がゆくて、情けなかった。
 




 オレが次に目を覚ました時、窓の外は真っ暗だった。
 くそっ! とベッドに八つ当たりをする。

 すべてはオレが怪我を負ってしまったことが原因だ。

 昨日、蘭は、警察に要請されて事件現場に向かったオレに同行していた。
 ビルの中で行われた殺人事件。
 オレは現場を調べ関係者から話を聞き、そして、トリックを暴き、犯人を突き止めた。
 オレから名指しされたその犯人は、取り巻く警察官の隙を突いて、逃げだしたのだった。

 オレ達は、逃げようとする犯人を追った。

 ビルから延びた歩道橋を走る犯人の退路を断つように、蘭が前方、オレが後方についた。

 蘭が前方に回ると言っても止めなかった。蘭の方に行く前に、オレなら犯人を捕まえられる。
 足の速さには自信があった。その時、オレに少しの油断ができた。その油断が、驕り、危機を招いた。
 
 オレと蘭に挟まれた犯人は、蘭の方に向かって突進していった。
 蘭の元に急ぐ。蘭はナイフをなんとかかわしたが。

 そのまま、バランスを失い、歩道橋の欄干から落ちて行こうとした。

 追いついたオレは、飛びついて蘭を抱きしめ、一緒に落ちた。咄嗟に受け身を取ったが、自分の怪我は避けられなかった。

 医者に言わせたらその程度で済んでよかった、だが。
 オレから言わせたら全くよくねぇよ、だ。

 蘭が何を考えてあんなことを言ったのかわかっている。わかることと納得することは違う。
 納得できるはずがない。

 きっと、蘭は。
 自分が傍にいたら、また、オレに怪我をさせるかもしれないと思っただろう。

 アイツはバカだ。

 オレは自分が怪我をしたことより、蘭に怪我がなかったことの方が重要なのに。

 アイツは本当にバカだ。

 オレがどんなにアイツのことを大事に思っているか気付かない。
 三年前、アイツのことをどんなに励みにしてきたか。

 アイツが側にいるから、オレはオレでいられる。
 アイツが側にいなかったら、オレは生きる屍になっちまうんだ。
 
 でもそんなアイツよりも。オレがバカだ。

 オレが怪我をしなかったら、アイツはあんなこと言い出さなかった。
 オレがアイツに自分の気持ちをしっかり伝えていたら、あんなこと言い出さなかった。

 オレが一番大バカだ。

 自己嫌悪はそのくらいにして。
 蘭に会いに行かなきゃならない。それも早く。

 骨折のせいで、熱が高い。頭がぼんやりする。それに打ち身で身体中が痛い。
 オレの怪我が治るまで待っていたら、蘭はオレの手の届かない所に行ってしまう。何としても、蘭に会いに行かなくてはならない。

 さっきよりも動きづらい身体を操り、ベッドから立ち上がった。がくん、と膝が折れその場に崩れ落ちた。再び刺されていた点滴の針が外れ、警報音が鳴る。止めなきゃ看護師が来てしまう。そうわかっていても、身体が動かなかった。

 案の定、看護師に見つかり、ベッドに戻された。すぐに医者も病室にやってきた。

「工藤さん、困ります。大人しくしてもらわないと、怪我が悪化します。最悪の場合、ベッドに縛り付けますよ」

 ため息混じりに言われた。後半の言葉は本気ではないとわかっているが、暴挙を繰り返せば、出歩けないようにされるかもしれない。

 でもオレはそれに答えなかった。大人しくしてたら蘭が会いに来てくれるのかよ。蘭はオレから離れることを決心してしまった。そう決心しているアイツを連れ戻せるのはオレだけだ。

 何も答えないオレに医者はため息をつき、点滴に注射を使い、薬を投与した。

「安定剤です。少しは落ち着いて下さい」

 くそ、これじゃあ逃げられない。オレの意識はゆっくりと沈んでいった。





 朝起きるとオレは病院脱走計画を立てはじめた。

 まず歩けるように松葉杖がほしい。それは看護師にトイレを理由に欲しいというと、簡単にくれた。
 次は服だ。簡単な衣服なら病院の売店で売っているはず。手持ちのお金で買って、タクシーに乗り、家に戻る。タクシー代は阿笠博士に立て替えてもらおう。

 よし、売店に急ごう。と、松葉杖を取ったとき、突然病室のドアが予告もなく開いた。 

「おい! 蘭はどこだ!」
「……っ!」

 血相を変えた毛利のおっちゃんが立っていた。おっちゃんの後ろには妃弁護士が柄にもなくおろおろした様子で立っていた。

「蘭はどこだ! 置き手紙を置いていなくなったんだ!」

 息が止まる。まさか蘭の行動がこんなに早いとは予想外だった。気が焦り、目が泳ぐ。

「おい、こら、聞いてんのか! お前が怪我をしたときから蘭の様子はおかしかったんだ。お前が何か言ったんじゃねぇのか!」

 おっちゃんの手がオレの襟をつかみ上げる。首が締まり、ぐっと唸る。

「ちょ、ちょっと止めなさい! 新一くんは怪我をしてるのよ」

 妃弁護士がおっちゃんの腕を離そうとするが、おっちゃんの腕はびくともしない。オレの首を絞め続ける。

「それよりも蘭が大事だ! おい、蘭はどこに行った!」
「し、知りません……手紙には何と?」

 おっちゃんの手の間に自分の手を入れ、首を少し緩めた。

「しばらく家を出ます。心配しないでください、と」

 おっちゃんに代わり妃弁護士が教えてくれた。

「お、オレが蘭を探します!」
「お前には頼らねぇよ! お前より先に見つけて、蘭はオレ達が連れ戻す」

 おっちゃんはオレを突き離すと病室を出て行った。バタンと叩きつけるように扉が閉まった後、妃弁護士が申し訳なさそうにオレを見た。

「ごめんなさいね、新一くん。無理しないで怪我を治して。新一くんに何かあったら有希子に申し訳ないわ。蘭のことは私達で何とかするから」

 じゃあ、と妃弁護士はおっちゃんを追うのか少し急いで病室を出た。

 とたんに静かになる病室でオレは改めて決心する。





 蘭。
 オレは絶対お前を探し出す。
 お前が抵抗したって連れて戻る。嫌がられても離してやるものか。




 オレは、生涯、おめぇだけを愛し続ける。
 




 計画通り、オレは看護師に見つからないように病院を出た。
 病院の前からタクシーに乗り、家に戻る。隣の家に行って、タクシー料金の立替えを頼むと、阿笠博士は驚きながらも出してくれた。

「新一、早く病院に戻るんじゃ」
「ダメだ。蘭を見つけるまで、オレは戻らない」

 だいぶ松葉杖にも慣れた。痛みは常にあるし、脂汗が出るほどのものだけど、そんなこと構ってられない。

 まず、家に戻った。探しに行くためには準備が必要だ。

 家に戻って、準備をしていると、窓辺にある鉢植えが、目に留まった。
 昨年秋に、花屋の店頭で蘭が気に入っていたから買った、ヒナギクの花。ひとつでいいと蘭は言ったが、あまりに蘭が気に入っている様子だったから、ひとつはうちに置いたらいいだろうと二鉢買った。
 もともと多年草だが、日本の夏の高温多湿に耐えきれず越夏出来ない為、日本では一年草扱いだ。

 高温多湿を避ければ越夏出来る場合もある。だから、涼しい場所に置いておいたけれど。



「……枯れている」



 夏を越えさせてみせると張り切っていた蘭の笑顔が霞む。
 蘭を捕まえられなければ、オレの恋は、オレ自身は枯れてしまうだろう。

「枯らせるかよ!」

 オレはヒナギクを一瞥し、振りきるように、部屋を出た。

「新一! 何をしてるの!」

 部屋を出ると、突然の怒鳴り声が聞こえてきた。
 母さんが涙を浮かべて、オレを睨んでいた。

「病院から連絡があって驚いたんだから。すぐ病院に戻るわよ! 蘭ちゃんのことが心配なのはわかるけれど、それは私達に任せなさい。あなたは早く怪我を治しなさい」

 死ぬほどの怪我じゃないが、歩道橋の上から落ちたとだけしか聞かなかった母さんは慌てて飛行機に飛び乗ったらしい。そして病院に着いたらオレは脱走していた。怒鳴られても仕方ない。

 母さんの行動は早かった。オレから松葉杖を奪うと、腕をしっかり掴んで車まで連れて行かれてしまった。

 連れ戻されても心配はしていなかった。また抜け出せばいい。要領は掴んだ。

 それから何度も脱走を繰り返したが、ことごとく失敗。オレがまた脱走しようとすることは、母さんにお見通しだったらしい。しまいには見張りをつけられてしまった。

 どうやって抜け出そうか。オレは次の計画を頭の中で立てはじめた。
 感覚を遮断し、思考に集中する。だから気付かなかった。奴の荒々しい足音に。
 
 バシンと叩きつけるように扉が開けられ、オレは情けないほど驚いた。

「よお、工藤! 怪我の具合はどうや?」

 にかっと笑いながら病室に入ってきたのは服部だった。

「困っとんのやったら、はよ、言い! このアホ!」

 服部はバシッと足のギブスを叩いた。
 身体を突き抜ける痛みに顔が歪む。

「いってぇな、何すんだよ! へ?」

 服部に叩かれたところにメモ用紙が張り付いていた。オレはそのメモ用紙を取って読んだ。住所が書いてあった。

「これは?」

 服部はしたり顔でオレを見た。その顔に少しムカついたが、それより今はメモ用紙の内容だ。

「工藤んちの隣に住んどる博士から連絡があってな。工藤が無理してねえちゃん捜しとるから何とかならんかぁって。お前の代わりに捜したったんや」

 どうやらメモ用紙に書かれている住所に蘭がいるらしい。服部のことだから確かな情報だろう。

「そこにおるらしいで。はよ、行ったり。まだ毛利んとこのおっちゃんも掴んでへん情報や。外泊許可くらい自分で取り。そんくらいの根性見せろや」

 服部はオレの背中を押すことも忘れない。少しムカついていたことは忘れよう。
 
「ああ、サンキューな、服部」
「アホ、そんなんは帰って来てからや。早う、行ったり」

 オレは松葉杖をつき、部屋を出る前、振り向かずに服部に手を振った。

 医者を強引に説き伏せ、もぎ取るように、一日の外泊許可を得た。家に戻る間も惜しい、と病院から直接羽田に向かい、飛行機に乗った。



 

 蘭がいるのは北海道だ。
 オレがコナンだった頃、遭遇した事件の関係者で、事件の後、北海道に移り住み、牧場をやっている、籏本夏江さんのところにいるらしい。

 空港につき、電車とタクシーを乗り継いで、ようやく牧場についた。

 牧場主の籏本夫妻を見つけ、頭を下げる。夏江さんはすぐにオレが誰かわかったらしい。口を大きく開け、驚いた顔をすると、すぐに笑顔になる。

「蘭ちゃんならあっちにいるわ」
「ありがとうございます」

 彼女の指す方向に歩きだす。すぐそこに蘭がいる。それだけで胸が熱くなる。捕まえたらもう離さない。オレはまっすぐ蘭を目指した。

 蘭はオレに背を向け、牛を撫でていた。

「蘭!」

 オレの声に反応して蘭がゆっくり振り向く。
 オレは松葉杖を操り、蘭の元へ急いだ。

「ど、どうして・・・?」
「バーロ。オレを誰だと思ってるんだ?蘭が行くとこぐれー、すぐに突き止めてみせるさ」

 蘭は目を潤ませている。
 オレを見ても逃げない。逃げても追いかけるが。

 なぁ、それって、期待してもいいよな。
 オレに捕まってもいいって思ってるって。

 蘭との距離をつめ、松葉杖を離す。
 蘭を強く抱きしめた。
 そして、懐かしい香りを目一杯吸い酔いしれる。



「バーロ。オメーはオレを、殺す気か?」
「・・・!だ、だから!新一を危険な目に遭わすのが嫌だからっ!」

 蘭がこぼした本音に胸打たれる。胸が熱い。

「オレが言ってんのは、怪我の事じゃねえ!毛利蘭が傍にいねえと、オレは駄目なんだ。生きてる実感がねえんだよ!」
「えっ?」

 蘭を抱き込んでいるから、蘭の表情はわからない。
 でも、戸惑っているのが伝わってきた。

「オレを殺したくねえなら、オレの傍から離れるな!」
「し、新一・・・」

 ぜってぇ、もう離さない。この腕に閉じ込めて、逃げられないようにしてやるから覚悟しろよ。
 オレは蘭との間に隙間がないように強く抱きしめた。
 首筋に当たる、蘭の頬から温かい雫を感じた。




 
 オレと蘭は籏本さんたちに事情を話し、共に戻ることとなった。

 羽田に着いて、家に帰る途中、蘭が花屋の前で立ち止まった。

「ブルーデイジー?」

 蘭が目にとめたのは、青いヒナギクだった。

 普通のデイジーは、夏の暑さを越せず一年草扱いだが、このブルーデイジーは日本の夏の暑さも越せるらしい。

「欲しいなら、買ってくか?」

 思わず聞いたが、蘭の笑顔に、それが正しかったことがわかった。
 花苗を愛おしげに見つめる蘭がどうしようもなく愛おしい。

 強さを内に秘めた、ブルーデイジーの花の可憐さが蘭の笑顔と被る。

 オレは蘭の笑顔を守るため強くなろう、と思った。



 Fin.
 



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ドミ副会長のコメント


このお話は。
元々、ドミが春陽様に進呈したお話(蘭ちゃん視点)の、新一君サイドを、春陽様が書いて下さったものです。
蘭ちゃんサイドを書いた時点で「もしも私自身が新一君の入院した病棟の看護師なら、絶対、新一君とバトってるだろうなあ」と、想像(笑)してたのですが。ああ、やっぱりなあと、笑ってしまいました。
病院の医師看護師、有希子さんに博士まで、みんなを巻き込んで迷惑掛けて、それでも「らぁぁぁん!」の新一君が大好きです。
春陽さん、本当にありがとうございました。
なお、ドミ作の蘭ちゃん視点のお話は、春陽さんのサイト「タガタメ☆」に置かせて頂いてます。

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素材提供:ひまわりの小部屋


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