my wish



By 春陽様



 問題集の問題をすべて解くと、シャーペンを机にコロンと転がした。
 
 ぼんやりと窓の外を見ると、水色の絵具を空一面ぶちまけたような青空が広がっていた。空調のため、窓を閉め切っているが、蝉の声が漏れ聞こえてくる。
 だが、蝉の声よりも、カツカツとシャーペンの音の方がうるさい。

 ガラス一枚向こうには、夏が広がっているのに。オレは窮屈な部屋の中、ただひたすら問題集を解いている。バカらしくなってくる。
 こんなとろこにいるくらいなら、外に出て、あちぃと文句垂れていた方がずっといい。

 だがそうはいかない。
 
「工藤、終わったのか? じゃあ、次はこれだ」

 窓の外を見ていたのが見咎められ、監督の教師から、別の問題集を渡された。
 ため息をたっぷり吐いてから、シャーペンを持ち直し、問題集のページを開いた。





 休憩の時間になり、オレはようやく席から立ち上がることができた。凝り固まった身体を思いっきり伸ばす。
 オレと同じように、身体を伸ばしている奴が何人もいる。疲れただの、もう嫌だの、愚痴も聞こえてくる。そうは言っても、みんなここから逃げるわけにはいかない。

 一週間の夏合宿だからだ。学力向上のための夏合宿。学年ごとに予定される夏合宿で、全員参加ではなく、希望者のみ。しかし、オレと同じ部屋にいる奴らは事情が違う。オレも他の奴らも強制参加者だ。一学期にテストで赤点を取ったもの、出席日数が足りないものは強制参加させられる。

 だが、オレは足りなかったわけじゃない。ギリギリ足りていた。だからオレは別に参加しなくてもよかった。

 合宿所は山間で、携帯電話がつながらない。
 もし、警察から捜査依頼があっても、行くことができない。

 そんなオレがどうして参加しているのか。

 それは担任からの提案からだった。
 この合宿に参加したら、二学期以降出席日数が多少足りなくなっても考慮する、ということだった。

 この合宿は一週間みっちり勉強するということで、学校の評価が高いらしい。誰だって夏休みは遊び倒したいはず。そんな中、一週間拘束されるのだから、当然だろう。
 内申書の評価をよくしたいものはこぞって参加する。それにこれに参加しておくと、夏休みの宿題を早々に済ませることができる。一石二鳥というやつだ。

 一週間の拘束が嫌で参加しないものと、一週間で宿題が終わるならと参加するもの。学校の生徒は真っ二つに別れる。

 クラスメイトも参加するものとしないものは半々だった。
 幼なじみの毛利蘭は宿題が早く終わるのならと参加しているらしいが、その親友の鈴木園子は遊ぶ予定がぎっしり詰まっているとかで参加していない。

 それはオレが合宿に参加することを決めた後に聞いた。

 だが、周りはそう思わなかったらしい。クラスメイトがこぞってにやにやしていた。オレの参加と蘭の参加は偶然。だけど、蘭が参加すると知って。心がほんの少し浮き足だったのは誰にも内緒だ。

 しかし、オレは強制参加者――赤点を取ったものや出席日数が足りないもの――のくくりに入れられたため、蘭のカリキュラムとまったく違う。合宿に参加して数日が立ったが、蘭の姿を一度も見ていなかった。
 合宿所の周りは山で、近くに民家一軒ない。もちろん、店もない。

 そして、携帯電話も繋がらず、息抜き要素がない。生徒のストレスは溜まる一方だ。唯一の楽しみは食堂の飯。ここの飯はレストランにしても充分やっていけそうなくらいうまかった。

 今日の昼食はオムライス。サラダにスープもついている。オムライスにかかっているデミグラスソースの香りが食欲をそそる。チキンライスにとろとろの卵が乗っていた。どれも満足のいくおいしさだった。

「噂は聞いていたけど、本当にきついな」

 飯の後、隣に座った奴がぽつりと呟いた。確か、隣のクラスの奴だ。
 テーブルにはオレとそいつだけだったから、オレに言っているんだろう。返事は期待されていないだろうがとりあえずしておいた。

「本当に何もないんだもんな。オンナノコとは全く別の宿舎だし、ヤローばっかりでつまらん。楽しみが一個もない」
「……そうだな」
「ああ、そういえば。一個あったな、楽しみが」

 何かあったか? 考えたが何も思い浮かばなかった。

「最終日に参加者全員で打ち上げやるんだよ。センセ不参加だから、多少のことは目をつぶってくれる。といっても、夕飯作ってキャンプファイヤーするだけなんだけど……」
「それのどこが楽しみなんだ?」

 オレには何の魅力も感じなかった。何が楽しいのかさっぱりわからん。

「参加したオンナノコと仲良くなれる」
「は?」
「拘束されていた一週間からの解放感から、キャンプファイヤーをきっかけに付き合う奴らが多いんだと」

 やっぱりどうでもいい。オレには関係のない話だ。この時はそう思っていた。

「そりゃ工藤は関係ないだろうよ。だけど、彼女のいない奴らはけっこう期待しているんだぜ」

 オレが関係ないと言われるのは、蘭のことを言っているんだろう。クラスの奴らはオレらが付き合っていないことを知っているが、他のクラスの奴は勘違いしているのが多い。オレと蘭はただの幼なじみでしかない。不本意だが、男女の関係としては希薄なものだ。
 否定するのが面倒くさいから放っておこう。適当に相槌を打っておいた。

「オレは期待してないけどな。ただクラスの奴らと賭けしててさ」
「賭け?」
「そう。うちのクラスの委員長なんだけど、モテるくせに彼女がいないんだよ。だけどこの合宿で告白するっていう噂なんだ。だからそれで彼女ができるかできないかで」
「ふぅん……」

 隣のクラスの委員長はどんな奴だったかな。記憶を掘り起こして、ようやく顔を思い出せた。オレは一度も話したことがない。

「できるが多いけど、オレは大穴狙いで、できないに賭けたよ。工藤も賭けないか? オッズが高い方が盛り上がる」
「……いや、遠慮するよ。そいつのことあんまり知らないし」

 人の恋路は放っておいてやれよと思ったが。そのくらいしか楽しみがないのが哀れで。オレは放っておくことにした。





 最終日、カリキュラムは午前中で終わると、先生から打ち上げの説明があった。

 夕飯を作る班とキャンプファイヤーの準備をする班に分かれるらしい。くじ引きの結果、オレはキャンプファイヤーの準備をする班になった。
 蘭はどちらの班になったのだろうか。少しだけ、気になった。

 班に分かれて準備をはじめる。
 集まった人の中に、蘭はいなかった。別に用があるとかじゃなかったが。少しだけ、がっかりした。 

 キャンプファイヤーの準備というのはは、木を組んで、会場設営する。重いものを持つことが多いのに、班に女子が半分ほどいる。ほとんど男子がすることになるだろう。
 オレはため息をついて、準備にとりかかった。

 班の中で、木を組む班と会場設営する班に分かれた。オレは会場設営する班に入った。
 折りたたみ椅子を合宿所から持ってきて並べる。男子に持ってこさせて、女子に並べてもらう。それが済むと、次は机。これも同じように、男子が持ってきて、女子に並べてもらった。

 暑いなか、動いたせいで、汗が身体を流れる。シャツでは間に合わないほど流れ出た。身体の水分を保つため、スポーツドリンクをまめに飲む。先生らも熱中症や脱水症状が怖いのか、スポーツドリンクは自由に飲んでいいように用意されていた。

 みんなで飲んでいたものがなくなったから、オレは取りに行くことにした。
 木を組む班の近くを通った時。女子の話し声が耳に入った。

「委員長の好きな人って、この合宿に参加してるって噂でしょ」
「そうなの。どうやら2Bの子らしいの。2Bの参加者って誰がいたかな」

 彼女らの話に通り過ぎようとしていた足が止まる。2Bというのはオレのクラス。この合宿に参加しているクラスメイトを全員把握しているわけじゃない。だからすぐ思い浮かんだのは蘭の顔だった。

「そうねぇ……あの子とかあの子も2Bよね。それに、蘭ちゃんも」

 足が止まった。
 委員長が蘭に告白。その時蘭はどうするだろう。蘭は好きじゃない奴から告白されても受けないだろう。でも、蘭がそいつのことを好きだったら?
 蘭の周りの男子の中では、オレが一番近い存在だと自負している。だが、それだけ。付き合ってないのだから、蘭が告白されても、オレは何も言えない。ただ見ているだけしかできない。

「委員長に告白されたら誰だって受けちゃうわよ。ああ、委員長に彼女ができちゃうなんて。できる前に告白したらどうかな」

 女子は後ろにいるオレに気づくことなく話を続ける。

 ――委員長に告白されたら誰だって受けちゃうわよ。

 その言葉がオレの心にぐさっと刺さった。





 女子の会話が別のことに切り替わって、ようやく自分の目的を思い出した。早く飲み物を持って行って、準備を済ませなくては。
 頭にこびりついた、委員長と蘭のことを振り払うように、キャンプファイヤーのことを考えた。

 飲み物が入れてある、業務用の冷蔵庫は合宿所にある。
 オレはすっかり忘れていた。合宿所に戻る途中に、夕飯の準備をする班がいることを。

 人が座っている背中が見えて、何をしているんだろう、とじっと観察する。
 どうやら、野菜の皮むきをしているらしい。座っている人の脇にじゃがいもが転がっているのが見えた。

 何をしているのかわかると興味を失くし、人が集まっているところを避けて合宿所に向かおうと方向を変えたところで、知っている声が聞こえてきた。

「いたっ!」

 その悲鳴に近い声は、間違いようがない、蘭の声だった。急いで声がした方を見て、息が止まった。横を向いた蘭は指を押さえていた。指を切ったらしく、指から真っ赤な血が溢れていた。傷口が深いらしく、流れ出る血が手を伝う。

 ったく、何やってるんだよ。縫うほどの傷じゃないが、早く治療した方がいい。蘭の側に駆け寄ろうとした、オレの足がとまった。蘭の隣に座っていたのは噂の委員長だった。
 委員長は蘭の手にハンカチを巻きつけると、それを上から握り締めた。頭にカーッと血が上る。冷静さを失くしたオレは急いで二人の側に向かう。
 
「何やってるんだよ」

 オレの声に、蘭はこちらを見て、驚いている。
 蘭をじっと睨み、まだ手を握ったままの奴も睨んだ。そいつはじっとオレを見返してきた。だからオレも負けないように、さらに睨んだ。

「……指を切ったのよ」
「そんなの見たらわかる。オレが言いたいのは……」

 どうして委員長が蘭の隣に座って、手を握っているんだ。
 血を止めるためだとわかっていても、黙って握られている蘭に腹が立った。

「え? 何が言いたいのよ」

 蘭の言葉は素っ気なかった。それがオレを余計に腹立たせた。
 
 そこから、自分が何を口走ったのか。正直あまり覚えていない。
 ぼーっと作業していたんだろうとか。迷惑だとか。ひどいことを言った、と思う。怪我をした蘭を労わる言葉なんてひとつもなかった。

 蘭は唇を噛みしめ、グッと何かを耐えていた。
 しまった、言いすぎた。と気づいた時にはもう遅い。一度言ったことは戻せないし、頭に血が上ったままのオレは、謝ることもできなかった。

 早くその手を離せよ!
 そう口走りそうになった、オレを止めたのは、今まで黙って聞いていた委員長だった。

「毛利さん、血が止まらないみたいだ。コテージに急ごう」

 委員長は蘭の手を握ったまま、片方の手で蘭の背中を押した。その手に押されるように、蘭はオレに背を向けた。

「ちょ、ちょっと待てよ!」
 
 背中を向けた蘭の頑なな様子に、オレは焦る。
 待てよ、話はまだ終わっていない。それに、どうしてそいつが蘭を連れていくんだ。治療に行くなら、オレが連れていく。

 一歩踏み出したオレを止めたのは、また、委員長の言葉だった。

「君の言っていることは正しい。でも正しくない」

 実体のない、言葉という銃弾を胸に撃ち込まれた。
 彼の銃弾は、オレの胸に大きな風穴を開けた。呆然としている間に、二人の背中はあっという間に見えなくなった。

 オレは何てことを言ってしまったんだ。

 ちらちらと見られる視線に気づかず、オレはいつまでもその場に立ち尽くしていた。
 
 蘭を責める前に、言うべきことがあったのに。
 オレは感情に任せ、とんでもないことを言ってしまった。高ぶった感情のままでは謝ることもできなかった。自分で自分が嫌になる。自己嫌悪する。

 蘭は俯いたまま、一度も振り返ることがなかった。

 いつも周りを気遣う蘭なら、他の子に抜けると声を掛けるはず。なのにしなかった。その理由に気づいたとき、オレはさらに自己嫌悪に陥った。

 蘭は振り向くことができなかったんだ。背を向けた蘭の肩が微かに震えていた。

 蘭を傷つけてしまった。
 謝りたいけれど、許してくれるだろうか。愛想を尽かしたと言われたらどうしよう。

 つい数時間前までの自分なら、何があっても蘭はオレを見放すことはない、と。それが当然のことだと思っていた。

 でも今は自信を持つことができない。

 オレはすっかり自信を失くし、臆病になってしまっていた。





 いつまでも戻ってこないオレを心配して、班の奴が様子を見にきた。そいつが見つけたのは呆然と立ち尽くすオレだった。

「工藤どうしたんだ? 具合悪いのか?」

 様子がおかしいとすぐに気づいたのか、心配そうに声を掛けられた。

「あ、ああ……少しな。わりぃ、ちょっと休むから、飲み物を先に持っていってくれるか。すぐに戻るから」

 そいつはわかった、とすぐに冷蔵庫の方へ向かった。

 蘭たちは養護教諭のいるコテージに行った。そこに行くべきなのはわかっている。けれど足が動かない。いつまでも立ち尽くしていたから、夕食を作る班の人らに訝しげにじろじろと見られる。居心地の悪さを肌で感じたが、どうにも動けずにいた。

「まだそこにいたんだ」

 明かにオレに向かって言われた言葉に、オレは顔を上げた。委員長が立っていた。
 きょろきょろと視線を動かしてみたが、彼以外に立っていなかった。蘭はどうした?

「……蘭は?」

 気まずくて、こいつを直視できない。オレはちらっと視線を送ると、すぐに逸らした。

「コテージで休んでるよ。怪我の方は大したことないようだけど……君は彼女に怪我よりひどく彼女を傷つけたんだ。そのことを覚えていた方がいい」

 こいつに言われなくても、わかっている。他人に指摘されると、どうも素直に受け止めきれない。

「大きなお世話だ」

 じろりと目の前に立つ奴を睨んだ。

「彼女、泣いていたよ」

 ぎくっと身体が震えた。泣いているだろうなとは思っていたが、それをまた指摘された。今度は腹が立った。泣かせてしまった自分を棚に上げて、蘭はどうしてこいつの前で泣くんだよ、と。

「このまま何もしないと、彼女が離れていく日は近いだろうね」

 自分でわかっていることをさらに言われると、胸に開いた穴がさらに広がる。さっきからこいつはオレの傷をさらに抉ることばかりいう。

 ああ、そうか。コイツの意図がわかった。蘭はこれ以上傷ついたんだ。オレはこいつの言うことを黙って受けるべきなんだ。
 なんだか笑えてきた。それなのにオレは素直になれなかったり、腹を立てたり。どこまでも自分勝手だった。

「悪かった。オレは自分勝手だった。オレが全部悪いんだ」

 自分の身勝手さに気づいて、オレは目の前の奴に素直に謝れた。高ぶっていたものも少しずつ落ち着いて行く。

「……気づいたのならいいよ」

 委員長はふっと笑った。

「あ、あのさ……ひとつ聞いてもいいか?」
「何?」
「い、いや……噂で、委員長の好きな奴が……」
「ああ、2Bにいるって噂だね。そんなのただの噂だよ。毛利さんじゃないから、安心して」
「ちっ、違っ! そんなんじゃ……」

 委員長はにやりと笑んだ。その笑みが癪に触って、思わず否定する。

「少しくらい素直になった方がいいと思うよ」

 大きなお世話だと思ったが、黙っておいた。

「毛利さんはもう少ししたら戻ってくると思うけど、今はそっとしておいた方がいい。君は班に戻って準備の続きをしたらいい」
「で、でも!」

 早いところ蘭に謝りたかった。それで言ったことは消えることにならないけれど、弁解するなら早い方がいい。

「お互い少し頭を冷やした方がいい。今会うと、また意地を張ってしまうよ。キャンプファイヤーの時に話したらいい。その時にはどちらも頭が冷えているはずさ」

 ここで、コイツに逆らったら意地を張っていることを証明してしまう。ここはコイツに従った方がいいようだ。オレは渋々頷いた。





 準備をしていても考えるのは蘭のこと。
 ちゃんと戻ってきただろうか。傷は本当に大丈夫だろうか。今すぐにでも会いに行ってしまいそうになる衝動をぐっと抑えた。

 できあがったカレーを組まれた薪を囲んで食べた。
 カレーがつぎ分けられるとき、遠くから蘭の姿を見ることができた。指に巻かれた真っ白な包帯が痛々しい。

 もう少し、もう少し、落ち着いてから蘭と話すんだ。

 蘭に許してもらえなくても、何度だって謝るんだ。蘭なら、しょうがないわね、と許してくれると期待して。

 暗くなってから、薪に火をくべた。
 勢いよく燃える薪で、辺りが明るくなる。火を見ると、周りの奴らのテンションが明らかに上がった。オレは苦笑して眺めつつ、蘭の姿を探した。

 蘭の後ろ姿をようやく見つけたが、蘭は人の群れから離れようとしていた。どこに行くんだ?

 これからフォークダンスを踊るのか、オクラホマミキサーが鳴り始めた。
 オレは近くにいたクラスメイトに先に合宿所に戻ると言ってから、蘭の後を追った。

 蘭の後をすぐに追ったはずだが、合宿所までの一本道に蘭の姿はなかった。
 一本道を逸れると、街灯がなく、暗いけもの道だ。軽い気持ちで道を逸れると、帰り道がわからなくなる可能性がある。それなのに、蘭はどこに行ったんだ?

 ゆっくりと合宿所の方へ歩いて行く。蘭の痕跡を探すように、ゆっくりと。

 カサカサと草が擦れる音が道を外れたところから聞こえた。何か動物がいるのか? でも、そうじゃないという予感がした。わかりにくいけれど、分かれ道があった。この分かれ道を歩いて行くと、川があるはずだ。もしかしたら、蘭はその川にいるんじゃないだろうか。

 オレは足元を確認しながら、分かれ道へと入っていった。

 しばらく歩くと、木々の間から、光るものが見えた。何の光りだろう。その光りを目指して、オレは先に進んだ。
 少し歩くと、木々に遮られていた視界が、急に開けた。

 光っていたのは、星を映した、川のきらめきだった。キラキラ光る水と戯れる蘭の姿がそこにあった。
 呼吸を忘れるほど、彼女の姿に見入った。蘭はキラキラと光っていた。とてもキレイな様子に、しばらく立ちつくした。

 ずっと見ていたかったが、オレは目的を思い出した。オレは蘭と話をするためにここにいるんだ。
 もし蘭がすぐ近くにいたとき、驚かさないように、気配を消し音を出さないようにして歩いてきた。でももうそうする必要はないだろう。遠慮なく草をかき分け、河原に入った。

 音ですぐに気づいた蘭がこちらを見ていた。よほど驚かせてしまったらしい。顔が硬直している。

 どうしたの、と蘭に問われ問い返した。
 おめぇこそどうしてここにいるんだ、と。蘭は気分転換に来たんだといった。キャンプファイヤーに参加する気になれなかったのは、やっぱり昼間のことが原因か。

 オレと顔を合わせても逃げようとしない蘭に少しだけ期待する。オレと話す気はあるんだよな。
 蘭に近づいて、じっくり観察する。逃げなかったのは戸惑っているからか? 俯いていた蘭は突然視線を上げた。見ていたのがバレてしまうと慌てて逸らした。

 まずい。逸らすつもりはなかった。
 また何か余計なことを言ってしまう前に。オレは、蘭に一番言いたかったことを言おうと決めた。きつく拳を握り締めて、頭を下げた。

「「ゴメン」」

 オレと蘭、二人同時に頭を下げて謝罪の言葉を口にした。

「え!?」

 どうして蘭が謝るんだ。悪いのはすべてオレなのに。

「今日はあんな言い方して本当に悪かった。オレ、イライラしてて。蘭に八つ当たりした。本当に悪かった」

 オレはは、ゴメン、ともう一度頭を下げた。

「やめて。頭を上げて。わたしが悪いの。新一の言ったことは正しいよ。もし大きな怪我だったらキャンプファイヤーできなかったと思う。刃物を持ってたんだから、わたしがもっと気をつけるべきだったの」
「それでも言い方が悪かった。もっと言い方があったはずだし、迷惑なんて思ってもいなかったのに、言ってしまった。本当にゴメン。蘭のこと、一度だって迷惑って思ったことない」
「ほ、本当?」
「ああ、本当だ」

 オレの気持ちが少しでも伝わるように、蘭の瞳をじっと見返した。
 
「よかった」

 蘭の声が震えていた。やっぱり迷惑と言われたことを気にしていたんだな。本当に申し訳なく思った。

「……許してくれるのか?」
「当たり前でしょう。わたしも悪かったんだもの」
「よかった」

 本当にホッとした。
 蘭が許してくれたことも、また笑顔を見せてくれたことも。
 蘭もオレと同じように気にしていたのだろうか。謝って許してもらえるだろうかと不安になって、許してくれるまで何度だって謝ろうと思っていてくれたりしたんだろうか。
 
 そう思うと、また嬉しかった。





「あ、新一! 流れ星!」

 オレ達は川辺に座り、満天の星空を眺めていた。星座に関する話を蘭はおもしろそうに聞いてくれた。話の途中で、蘭が星空を指して叫んだ。

「ああ? どこだ?」

 ちょうどおもしろくなりそうなところで中断されて、少しおもしろくなかった。

「あの辺に見えたんだけどな……あっ、あった!」

 蘭が指したところを見ても、オレは見つけられなかった。

「願い事唱える暇もなかったよ」
「当たり前だろ。流星が発光している時間は一秒前後だからな」

 蘭はもう一回探そうと、夜空をくまなく探す。けれど見つけることができなかった。

「蘭、そろそろ戻るぞ。キャンプファイヤーも終わる頃だ」

 蘭は諦められないのか、渋々立ちあがった。

「ほら、手を出せ」

 その様子を苦笑しながら見て、オレは蘭に手を差し出した。いつもなら恥ずかしくてできないが、今日はできそうな気がした。

「え?」
「帰り道は暗いから危ないだろう。転ばないように手を引いてやる」

 ほら、ともう一度手を差し出すと蘭はそろそろと手を伸ばした。手を握られ、オレはぎゅうっと握り返してやった。
 蘭のぬくもりが嬉しくて、顔が勝手ににやける。 

 ゆっくりと蘭とふたり、来た道を戻る。
 暗い道を戻る途中、オレは気になっていたことを蘭に訊ねた。

「なぁ、蘭。流れ星を探して、何を願うつもりだったんだ?」
「……教えない。教えたら効力なくなりそうだもの」
「なんだよ、それは」

 オレは蘭の願いが聞けなかったことを少し残念に思ったが、それを知られたくなくて、呆れたように呟いた。

 オレの願いが蘭と同じならいい。でもこの願いは蘭に言えない。だからこっそり願おう。

 オレの願いは、ただひとつ。
 ――蘭と、ずっと一緒に居れますように。



FIN・・・・・・.




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