reason
By 春陽様
最近、身体の調子が変。
食欲はある。睡眠も足りてる。普通に学校に行って、勉強して、部活して、家に帰って家事をして。どこが? って思うでしょ。
心臓が、おかしいの。
急にね、ぎゅっと締め付けられたり。ちくちく針を刺したみたいに痛んだり。呼吸ができなくなったり。
これって、不整脈?
病院に行った方がいいのかな。とりあえず、図書室行って家庭の医学でも読んでみようかな。
ああ、それとも彼に聞いてみようか。幼馴染で物知りな彼に。
すっきり晴れ渡った、空。
きらきら降ってくる、陽射し。
わたしは眩しげに空を仰いだ。
学校指定のバッグにたっぷり入った、教科書とお弁当に帯で結んだ胴着で両手は塞がっていた。重さはさほど感じないが、かさばる。
通学路は学生で混み合う。荷物を人にぶつけないよう気をつけながら、学校へと向かった。
前方に見慣れた後姿を見つけ、わたしは駆け足で近寄った。
「新一、おはよ」
「……はよ」
眠そうにあくびをかみ殺しながら、彼は挨拶を返した。
「しっかりしなさいよ。昨日は何してたの?」
ただ朝が弱いだけか、夜更かしばかりするためか。彼は、朝いつも眠たげな顔をしていた。
「ああ……衛星放送で欧州のサッカーの試合見て、読みかけの本読んで」
話しているそばから、またあくびをこらえている。
わたしはあからさまにため息をついた。
「もう! いつも言ってるでしょ。学校がある日は夜更かしやめなさいって」
「しょうがねぇだろ」
しょうがないって何よ。
彼の家族は今留守らしく、家には彼ひとり。そういうときは決まって、夜更かししているようだ。
「どうせ授業中寝るんでしょ。いい加減にしなさいよ」
彼が眠そうな日はたいてい授業中机に突っ伏して寝ている。
「うるせぇな。いいだろ、別に蘭に迷惑かけてるわけじゃねぇんだから」
前方にクラスメイトを発見した彼は、先に行くと横をすり抜けていった。
「あっ! ちょっと、待ちなさいよ」
聞こえているはずなのに、彼は立ち止まらなかった。
好きでうるさく言っているわけじゃない。家にひとりだと大変だろうからと口を出していたら、最近ではうっとうしがられていることに気付いていた。
でも……放っておけない。だって、だって……。
「おっはよー、蘭」
肩を叩かれ、振り向くと園子が立っていた。
「おはよう、園子」
「どうしたの? 立ち止まったりして。工藤君と話してたみたいだけど、奴が何か言った?」
「ううん、違うの。わたしがまた余計な事を言ってしまったみたい」
「奴の事なんて放っておきなさい」
「でも……頼まれたんだもん」
「頼まれた? 誰に」
「新一のお母さん」
――蘭ちゃん、しばらく家を留守にするから新ちゃんのことよろしくね。
彼の母親にそう頼まれた。頼まれたから。
「頼まれたんだもん」
繰り返すのは確認するため。そう、頼まれたからだもん。言い訳めいてるけど、本当のこと。
彼にうっとうしがられてもいい。わたしは彼の様子を見るという役目があるんだ。
でも、彼にそっけない態度を取られるたび、胸に重石がのっかかったみたいに重くなる。苦しい。
「蘭、あんまり気にしないの。工藤くんの母親も軽い気持ちで言ったんだろうしさ。蘭は自分の家のこともあるんだから、これ以上抱えたら負担になるだけよ」
「うん……」
「そういえば! 数学の予習してきた?」
それで、話題がそれた。園子に返事をしながら学校へ向かった。
「なんだか騒々しいわね」
教室の前の廊下。隣のクラスから女の子の大きな声が聞こえた。
「返して!」
「少しくらいいいだろ」
廊下に面する窓から教室をのぞくと、男の子がノートを高々と持ち上げている。それを女の子が取ろうと、男の子の身体の横でぴょんぴょん跳ねていた。クラスメイトはおもしろがっているのだろう、離れて彼らの様子を見ていた。
「だめ、まだ途中なの。それに……宿題は自分でするべきよ」
女の子の手がもう少しで届く、というところで男の子はひょいっとノートを後ろ手に回した。
「返してよぅ……」
女の子の困った声に、震えが混じる。涙を必死にこらえているようだ。
「やりすぎよ。まったく、ガキね。あの子にちょっかい出したかっただけなんでしょうが、女の子泣かしちゃマズイわよ」
隣で教室の様子を見ていた園子がつぶやいた。
「やめさせてこなきゃ」
「今、蘭が出て行ったらあの男の子余計後に引けなくなるわよ。蘭が出て行くことないわ」
園子の言うこともわかる。
男の子は、女の子の泣きそうな様子に戸惑っている。すでに後に引けなくなっている。返すべきか、返さないべきか、本人すらも迷っているところに余計なことを言ってしまうと男の子は意地になるだけだろう。
「うん、でも……」
わたしたちがそんな会話を交わす頃、教室では諍いが続いていた。
女の子は、目を潤ませながら、何とか男の子の手からノートを返してもらおうと手を伸ばす。
しかし、身体で交わす男の子の妨害で彼女の手は届かない。
「きゃっ!」
そうしているうちに男の子の足に女の子の足がひっかかり、床に身体を打ちつけた。
女の子は起き上がると、恥ずかしさから顔を真っ赤にして、その場にうずくまった。
「もう、許せないわ」
わたしはずんずんと教室へ入っていき、男の子の後ろ手からノートを奪い返した。
「いい加減にしなさいよ」
驚いて振り向いた男の子をキッと睨む。すぐに女の子の側により、手を貸して立たせた。
「大丈夫? 保健室行こうか」
「……ありがと」
くすん、と鼻をすする音とお礼が女の子から聞こえた。
「おい! 返せよ。オレが借りたんだぞ」
男の子はわたしが持っていたノートの端を掴んだ。
不意をつかれたため、ノートはわたしの手からするりと離れ、ノートを持っていかれた。
「返しなさいよ」
ノートを持ち、席の戻ろうとした男の子の腕を掴む。今度は離さないように強く。
「何するんだよ! 離せ!」
必死にもがくが、きつく握りしめた手ははずれない。
わたしはぐいっと男の子の腕を引っ張り、ノートを奪い返してから、男の子の腕を離した。
「ってぇな……お前、本当にオンナかよ!」
叫ぶように、男の子は言い放った。
――本当にオンナかよ!
頭の中で、何度もそのフレーズが反芻される。
男の子より強かったら、女の子じゃないの? 女の子として見てもらえないの?
ズキっと胸に棘が刺さった。
胸の奥からこみ上げてくるものを我慢するため、唇を噛んだ。
「ちょっと! あんた何言ってるのよ! 蘭に謝りなさい!」
後ろにいた、園子が男の子に詰め寄った。
「ふん! オレは本当のことを言っただけだ」
「あんたねぇ……」
「園子!」
男の子に掴みかかろうとする園子を慌てて止めた。
「何やってるんだ?」
ハッと顔を上げると、新一が教室の扉の前に立っていた。
「……何でもないよ。大丈夫?」
新一に先ほどの騒ぎを知られたくなかった。男の子に言われた言葉を知られたくなかった。
新一の視線を避けるように、うずくまったままの女の子に声をかけた。
女の子はわたしの声にうなずくと小さく、ありがと、と言って立ち上がった。
ひとりで保健室に行けるという彼女を見送ると、わたしは教室に戻った。
新一と園子が何か言いたげな表情を浮かべていたけど、見ていないフリをした。
何事もなかったように、話せる自信がなかった。
さっき胸に刺さった棘がちくちくと痛んだ。
部活を終え、帰る途中、グラウンドの前で足が止まった。
サッカーボールを蹴る、彼が見えた。
グラウンドを見回すと、他の部員はいなかった。彼は、部活動が終わってから、自主練をしているのだろう。
声をかけようかな。でも……砂埃をたてながら、一所懸命ボールを蹴る彼に声をかけるのははばかれた。
お互い放課後は部活動があるため、一緒の時間に帰ることはほとんどない。それに、クラスメイトがいる時に話しかけると、彼はいい顔をしない。
いつも不機嫌そう。
わかってる。冷やかされるのが嫌なんだ。わたしだって冷やかされるのは嫌だ。
ふぅっとため息が零れる。
結局、朝以外彼と話す機会はなかった。
たとえ、話しても今日のわたしでは言いたいことも言えなかっただろう。
ずっと元気のなかったわたしを見かねて、園子は気にすることないと何度も言ってくれた。
あの男の子の言い放った言葉が、頭から離れない。
強くなりたかった。ココロも身体も、強くなりたかった。
それは、男の子以上になんて考えていなかった。ただ、何にも揺るがないココロと身体が欲しかった。
それなのに……身体は強くなっても、ココロはこんなにも脆いまま。
ガシュッ、と何かが砂を滑る音が聞こえた。顔を上げると、ボールを足で押さえて立っている彼がいた。
「どうした?」
「……ううん、通りかかっただけ。新一、練習がんばってね」
その場を立ち去ろうと、手を振り、踵を返した。
「蘭……」
「何?」
彼に呼び止められ、振り返った。
「その……朝は悪かったな」
あさっての方向を向き、頬を指でかきながら言う彼の顔を思わず凝視した。
「え?」
「いや、気にしてないんだったらいいよ」
朝のやり取りのことを言っているのだ、とようやくわかった。
気にしてない、と言ったら嘘になる。けど、彼の一言で胸にのっかかっていた重石が少しだけ軽くなった。
「じゃあな」
「あっ……新一」
ボールをポンッと蹴り上げ、背を向けた彼に思わず声をかけた。
「えっと……あのね」
どうしよう。 彼に聞いてみようか。男の子より強かったら、女の子として見てもらえないのか、と。
でも、もし……もし、そうだと言われたら。
朝だって、彼に肯定されたらと思うと言えなかった。
わたしが言いよどんでいると、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえた。
「工藤! もう暗くなるから、今日は終わりにしろ。片付けよろしくな」
サッカー部のコーチだった。彼は、はい、と返事をしてボールを手に持った。
「蘭、ちょっと待ってろ。オレも帰るから」
そういって、彼は部室のほうへ走っていった。
一緒に帰れるんだ。彼の後姿を見つめると、胸がじんわり暖かくなった。
彼は制服に着替えすぐに戻ってきた。
二人で、夕焼けに染まった道を歩く。
「さっき何を言いかけたんだ?」
「え、あ……うん、わたしって……わた、し……」
目の前が霞む。おかしい、と目を擦ると手に雫。ああ、わたし泣いているんだ。
「ら、蘭!? どうした?」
彼の戸惑っている声が聞こえる。でも、わたしに涙を止める術はなかった。
ひっく、ひっく、と嗚咽が止まらない。こすっても、こすっても、涙が止まらない。
ごそごそと音がしたと思ったら、頭に柔らかいものがかけられた。
「ほら、涙を拭け。このタオル使ってないから。何があったか、話してみろよ」
頭にかけられたのは、彼のタオルだった。
それは柔らかくって、彼の匂いがした。とても安心する匂い。
「あ、あのね……今日、言われたの」
「……何を?」
「お前、本当にオンナか? って。ねぇ、新一……男の子より腕っ節が強かったらオンナじゃないの? 女の子は男の子より強くなっちゃいけないの?」
「はぁ? お前が女じゃなかったら何なんだよ」
「わかんないよ、言われたんだもん」
擦りすぎて、目が痛い。
ようやく涙が止まった、目を彼に向けた。
「あのなぁ……それはその男が弱かっただけだろ。そんなのその男の負け惜しみだ。そんなの気にしてたのか?」
「そ、そんなのって……」
「蘭、お前はちゃんと女だよ。オレには女にしか見えない。それ以外に何かあんのか?」
「……ない」
刺さったままだった棘がぽろりと抜けた気がした。
新一に、わたしは女として見てもらえている。そのことが嬉しいと感じていた。
どうしてだろう。彼の一言がこんなに嬉しいなんて。
「……どうしてまた泣くんだよ」
呆れたような彼の声。そう、わたしは再び涙を流していた。
これは嬉しくて泣いてるの。
そう言ったら、彼はわけがわからないという顔をした。
その顔が可笑しくて、わたしは泣きながら笑った。
それからすぐに涙は止まり、再び二人で家に向かって歩き出した。
「ね、新一」
わたしはふと数歩先を歩く、彼に話しかけた。わたしの呼びかけに彼はちらりと後ろを振り返った。
「なんだ?」
「……うん、ご飯どうしてるのかなって思って。もし、出来合いとか食べてるんなら……わたしの作ったもの持っていこうか」
料理をしない彼は自炊などしないだろう。家で作る分を少し余分に作ればいいだけだから、そんなに手間ではないから。朝もそれを言おうと思っていたのに、彼が先に行ってしまったため言い出せなかった。
「いいよ。今日は阿笠博士んとこ行くから。蘭も気負い過ぎなんだよ。お袋が頼んだのは何も蘭だけじゃねぇし。博士が隣にいるんだから、おめぇがそんなに気を回す必要ねぇんだよ」
「そっか……余計なこと言っちゃって、ゴメンね」
わたしへの大義名分は何の意味を成さないんだと、彼に言われたようだ。
ツキン、と胸が痛んだ。先ほどの棘のような痛みとは別の痛みだった。一瞬、針で胸を刺されたような痛みだった。
「余計なことじゃねぇけどさ。おめぇが大変だろ」
視線を落としていたわたしは思わず顔を上げた。
振り向き、にっ、と笑う彼の笑顔が眩しい。どくん、と大きく鼓動が跳ねた。
「今度、作ってこいよ。博士の料理、味が濃すぎて飽きるんだ」
うん、と頷く。
彼に自分の作ったものを食べてもらえる。それがとても嬉しい。
とくんとくん、と鼓動がうるさく耳に響く。
「どうした?」
立ち止まり、胸に手を当てているわたしを彼は心配そう。
ううん、なんでもない。
誤魔化すように笑うわたしに彼は疑わしげな視線を向けた。
「帰ろう、新一」
「ああ」
わたしがにっこり笑うと、彼は安心したのか歩き出した。
彼の一挙一動にココロが痛かったり、鼓動が早くなったり。苦しかったり、嬉しかったり。
これって病気なのかな。
心配だけど、ずっと痛いわけじゃない。もう少し、様子を見よう。
わたしは彼の隣を歩くべく、歩調を速めた。
――この病気の病名がわかるのは少し先のことだった。
FIN…….
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