それはまるで夕立のように



By 春陽様



 ふぅとため息に似た息を吐いた。

 鳴らない携帯電話をじっと見つめる。

 あとで電話する。そう言い放ち、彼はわたしを置いて行ったのは昼間。
 そして、今は日付が変わる少し前。明日は学校がある。待っても待っても携帯電話は黙ったまま。

 夜更かしはできない。携帯電話が気になるけれど、わたしは布団の中に入った。

 携帯電話を顔の横に置く。携帯電話が鳴ったらすぐに反応できるように。

 ゆっくりと訪れてきた睡魔に意識を委ねる。意識が切れる瞬間、過ったのは彼の顔。

 いつも、いつも。振り回されるのはわたし。
 わたしだって、彼を振り回したい。

 振り回して、振り回して、振り回して。
 あの人のココロ全てをわたしでいっぱいにしたい。わたしのことだけを考えていてほしい。

 わたしのことだけを。





 ギラギラと地上を照らす太陽。肌にまとわりつくじっとりとした空気に夏の匂いがした。

「んもうっ! 真さんったらひどいんだから!」

 女心がわかっていないの、と園子は怒り嘆いた。
 でも、彼女は怒っていない。怒っているフリをしている。同じオンナだからわかる機微。
 
 わたしは親友の園子とカフェにいた。時間があるなら話を聞いてほしい、と園子に呼び出された。
 アイスコーヒーを啜り、わたしはまぁまぁと園子をたしなめた。

 園子のボーイフレンドである、京極真さんは修行と称し、よく出奔する。
 どこに行くのか、いつ戻ってくるのか。言わずに行ってしまうため、園子はいつも怒り嘆く。

 今日もどうやら、一旦修行から戻ってきていたらしいが、また行ってしまったらしい。

「いつもいつも。振り回されてばかり」

 園子の悲しそうな顔に、自分のことのように胸が苦しくなった。
 好きな人に振り回される。わたしと同じ立場にいるから彼女の気持ちがよくわかる。

「園子……京極さんならすぐにまた戻ってくるわよ」
「わかってる。わかってるんだけど……」

 わかっているけれど、言わずにはいられない。そんな園子の気持ちもよくわかる。
 だって、わたしも同じだから。

 彼の一挙一動に振り回されるのはいつもわたしだけ。彼はいつも飄々としている。わたしだけが彼を好きみたい。わたしだけが彼に夢中みたい。

 そんなこと彼には言えない。だって悔しいもの。わたしだけがこんなにもやもやして、こんなに想いを募らせて。
 わたしだって彼を振り回したい。彼を夢中にさせたい。

 ふぅっとため息が零れた。

「あぁ、むしゃくしゃする。いつだって想っているのはわたしばっかりなんだもの」

 むしゃくしゃすると言いつつ、園子の声は少し悲しげ。本当にむしゃくしゃしているわけじゃない。ただ、もやもやした想いをぶつけるところがなくって。思ってもいない言葉が口を出てしまった。そして、出してしまった言葉に後悔した。そんなところだろう。

「そうね、男って勝手よね」

 わたしの言葉に園子は目を見開いた。わたしが同意したのが意外だったんだろう。

「蘭、どうしたの。何かあった?」
「わたしも園子と似たようなものよ」

 連絡すると言っていたくせに。結局彼から連絡はなかった。次の日、彼は学校に来なかった。
 彼がどのような状況にいるかわからないから、わたしから連絡することが躊躇われた。

 今までだって似たようなことが何度もあった。そのたびに、心配するけれど。彼は何でもなかったように、連絡するって言葉も忘れたように、数日後連絡するんだ。

「ああ、そういえば。新一くん、昨日は学校休んでいたわね」

 園子が納得したようにうんうんと頷いた。

「よしっ! 今日はぱぁっと遊ぼう。奴らのことなんて今日は忘れましょう」

 わたしは苦笑しつつ、頷いた。





 その次の日、新一は何事もなかったように学校へ来た。きっとわたしに言ったことなんて忘れているんだろう。
 悔しいけれど、元気そうな彼の姿を見たら、もやもやしていた想いが少し消えた。

 なんて単純なんだろう。わたしは自分に呆れた。

 今日は部活がないため、授業が終わるとすぐに帰る準備をした。
 園子は部活があるらしく、わたしは一人で帰る。

 下駄箱で靴に履き替えると、すぐ側で下駄箱を開ける音が聞こえた。

 振り返ると、新一だった。

「帰るのか?」

 新一は下駄箱から靴を出した。
 目を合わせてしまったら、少しだけ残ってるもやもやした想いが完全に消えてしまう。昨日のことを許してしまう。
 それが嫌で、わたしは目を合わせないように俯いて、うんと返事をした。

 パタッと靴を置く音。そして、その靴と一緒にひらひらと落ちてきたモノがわたしの目の前に落ちてきた。

 白い封筒。それには工藤新一さまと書かれていた。
 それを拾い、新一に渡そうと顔を上げると、同じような封筒をにやにやと眺めていた新一がいた。

 その封筒達が何なのかすぐに悟ったわたしは、拾った封筒を彼に押し付けた。

 彼が持っている封筒はきっとラブレターやファンレター。
 それをにやにやと眺めているのがとても腹立たしい。

 彼が封筒を受け取ったのを確認すると、わたしは玄関を飛び出した。

「蘭!?」

 彼の声が聞こえたけれど、わたしは振り向かなかった。





 普通に歩いているつもりなのに、足に力が入る。ずんずんと足早に歩いている自分に気づいて、はたと立ち止った。
 彼に素直に想いを伝えられる子たちがうらやましくて、封筒を喜んでいる彼が腹立たしい。

 消えたはずのもやもやがまた溢れ出てくる。苦しくて、息ができない。

「毛利」

 振り向くと、野球部のユニホームを着た同級生だった。

「今帰りか?」
「うん」

 強張っていた顔が少し緩んだ。

「すっげぇ怖い顔して歩いてたけど何かあったのか?」
「えっ、わたしそんな怖い顔してた?」
「ああ」

 なんでもないの、と苦笑した。

「毛利が帰るのが見えたんでさ。この間のお菓子のお礼をちゃんと言ってなかったから、追っかけてきた。ありがとうな」
「気にしないで」

 調理実習で作ったお菓子が大量に余ってしまったから、同級生に配った。そのお礼をわざわざ伝えに来てくれたらしい。

「うまかったよ。みんな喜んでたから」

 味見はしたから、味の保証はあったけれど、そう言ってもらえるとやっぱり嬉しい。

「これから部活?」
「ああ」
「わざわざありがとうね。がんばってね」

 ああ、と同級生は片手を上げて運動場の方へ駆けて行った。

「蘭」

 同級生と話している間に、新一が追いついてきたらしい。
 わたしは小さなため息をつくと、なに、と振りかえった。

「さ、さっき何を話してたんだ」

 わたしの睨みに少し怯んだらしい、新一は躊躇いがちに聞いてきた。
 素直に答えたくなくて、わたしは彼を無視して歩き出した。

「蘭」
「……調理実習で余ったお菓子をあげたから、そのお礼をわざわざ伝えに来てくれたの」

 彼が追いかけてくる音が聞こえて、わたしはさっきの質問の答えを伝えた。

「調理実習ってなんだよ。知らねぇけど」
「当たり前でしょ。新一は事件だ何だっていなかったもの」

 新一がいたら、新一にあげていた。心の声は彼に伝わることなく、わたしの心に留まったまま。

「残しておけばいいだろう」
「いつ帰ってくるかわからないじゃない。連絡ひとつしないくせに。この間だって……」

 溢れ出そうな不満を咄嗟に塞いだ。止められるうちに止めておかないと、一度噴出したら、もう止められない。

「この間ってなんだよ」

 ああ、もうそれ以上言わないで。せっかく止めているものが噴き出してしまう。

「……何でもない」

 ぐっとお腹に力を入れて抑え込んだ。

「何でもないじゃないだろ。思っていることがあるんなら言えよ」
「ないって言っているでしょう」

 新一はわたしの腕を掴んで離さない。振りほどいて走り去りたいのに。そうさせてくれない。

「この間はこの間よ! あとで電話するって言ったくせに。電話しなかったくせに。いつ帰ってくるかわからない人のために、お菓子を残しておいたって、ダメにしてしまうじゃない。それより、食べてもらった方がいいわ!」
「あっ、そ、それは……家に帰ったのが遅かったんだよ」
「どうせ、忘れてたんでしょう」

 気まずそうに、新一は目を逸らした。思い当たったらしい。

「いつもいつも……事件って。わたしが心配してることなんて気付いてないんでしょう。戻って来たんなら戻って来たって。その一言でもいいのに」

 ああ、一度噴出し始めたわたしの想いはもう止まらない。言いたくないことまで言ってしまう。

「帰って来たと思ったら、新聞にでかでかと載って。騒がれてでれでれして。バカじゃないの」

 バカなのはわたし。これじゃあただの八つ当たり。

「なっ! オレがいつでれでれしたんだよ! おめぇこそ、うまかったとでも言われたんだろ。そんなのお世辞に決まってんだろ。へらへらしてんじゃねぇか。」
「わたしがいつへらへらしたのよ!」
「さっきだよ!」
「してない! 新一こそしてたでしょう!」
「してねぇよ!」

 胸が苦しくて、目の奥がつんと痛い。目がかすむ。涙が出る一歩前。
 新一が掴んでいる腕を離してほしくてもがいた。

「帰るから離して!」
「っ、待てよ!」

 滴が頬をかすった。上を見上げると、空は灰色の雲に覆われていた。ゴロゴロと雷の音が遠くから聞こえる。
 落ちてくる滴がぽつぽつと増えたと思ったら、それはすぐに雨に変わった。

「濡れちゃう。離してよ、新一」

 新一は黙って、わたしの腕を引いた。
 新一に連れられるまま走ると、すぐ側にあった小さな公園の東屋にわたしを連れて行った。

 ここでしばらく雨宿りするつもりらしい。

 わたしはバッグから使っていないタオルを新一に渡した。

「蘭が先に拭け」
「わたしはもう一枚持ってるから大丈夫」

 さんきゅ、と新一は小さくお礼を言うとわたしが渡したタオルで濡れた腕を拭いた。
 わたしももう一枚タオルを出して、濡れた腕や顔を拭った。

 東屋のベンチに座って、空を見上げた。

「すぐに止むだろう」

 うん、とわたしは頷いた。
 さっきまで言い争っていた手前、新一を目を合わせることができない。

 灰色だった空が少しずつ明るくなる。もうすぐ雨が止む。 

「悪かった。連絡しないで悪かったよ」

 新一がわたしの隣に座った。

「ううん、わたしもごめん」

 ようやく素直になれた。ふっとお互い照れくさそうに笑んだ。

 すべて吐き出したおかげか、もやもやしたものは無くなった。そして、温かい想いだけが残った。

「今度はちゃんと残しておくから」
「ああ」

 雨が止み、空に虹がかかった。

「帰るか」

 わたしは、うん、と返事をして新一の後を追った。



FIN…….




戻る時はブラウザの「戻る」で。