桜切る馬鹿─



By 飛香里様



「蘭、具合はどうだ?」

軽いノックの音と同時に新一が寝室に入って来た。

「まだ少し咳が出るけど朝よりずっと楽になったよ」
「熱は?」

言われて蘭は体を起こし、さっきナイトテーブルに置いたばかりの体温計を彼に手渡した。

「37度2分か。大分下がったな」
「これなら少しくらい外に出ても大丈夫よね?」

ベッド脇に腰を下ろし、水銀が示す数値にホッとした表情を浮かべていた新一は蘭の言葉にたちまち眉を吊り上げる。

「あ? 何言ってんだ? まさかこの体で花見に行きたいなんて言うんじゃねーだろうな?」
「だって体ももうだるくないし、いいお天気だから暖かくしていれば…」

言いかける彼女を新一は「ダメだ!」とさえぎった。

「確かに今日は晴れてるけど風が結構冷てーんだよ。無理して外に出たらせっかく治りかけてるのがぶり返しちまうぞ」
「でも予報だと明日からしばらく雨なんでしょ? 今日を逃したらお花見できなくなっちゃう。せっかく楽しみにしてたのに…」
「気持ちはわかるけどさ、風邪引いちまったんだからしょうがねーだろ。花見はまた来年連れて行ってやるから、今年はこれで我慢しな」

俯く蘭の頭をなでながら手を取り、桜の花をのせた。

「言っとくけど無理やり摘んだんじゃねーぞ、テラスに花ごと落ちてたんだからな」

慌てて付け足された彼の言葉に蘭はぷっと吹き出した。

「新一ったらまだ覚えてたの?」
「忘れるかよ。確か幼稚園の年長だっけ。お前が寝込んだって聞いて、背丈ほどもある桜の枝を持って見舞いに行ったら『きれいに咲いてる桜の木を折っちゃうなんてひどい!』って大泣きされてさ」

新一が大げさにため息をついて見せると蘭は肩をすくめた。

「ごめんね。あのあとお母さんに叱られたわ。『桜を折ったのは良くないけれど、病気のあなたをなんとか喜ばせようと考えてわざわざ持ってきてくれた新一君にいきなりあんな言い方はダメでしょ』って」
「俺も帰ってから父さんに言われたよ。『"桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿"という言葉があるのを知ってるかい?』ってね」
「何それ? 初めて聞いたわ」
「梅は切らないと枝が伸びて花が咲かなくなる。でも桜は切り口から菌が入って枯れることがあるからむやみに切るなってことさ」
「結構デリケートなのね、桜って」
「そうだな、考えたらおまえに似てるかもな」

感心していると不意に自分のことが出てきて蘭はキョトンとした。

「え? どこが?」
「たくましそうに見えて、意外と繊細で傷つきやすい面もあるところがさ」
「ちょっと、たくましいって何よ」

ムッと膨れる彼女の肩を新一は笑いながら抱き寄せる。

「それに綺麗で誰からも愛されるところもな。手折ってしまった以上、枯れちまわないように一生大事にするからな、奥さん」

途端に蘭の膨れた頬は桜色に染まったのだった。



≪終≫



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