名探偵の素顔



By飛香里様



やっかいな事件を片付けてからひと月余り。
朝は迎えに来た蘭に急かされながら登校し、放課後は彼女の部活が終わるのを待って一緒に下校する、
そんな以前と変わらない穏やかな日々が戻ってきた。
違うのは帰り道、探偵事務所の階段の下でそっと蘭を抱きしめて甘いひと時を過ごすことだ。
その日もいつものように彼女を送って家の前まで来た時、
一階のポアロから現れた人物を見て蘭が立ち止まった。

「あれ、あの人…?」

向こうも気付いたらしく笑みを浮かべながら近付いて来る。

「君、小五郎さんとこの蘭ちゃんだろ? 俺、誰だかわかる?」
「じ、潤ちゃん? 小奈島の潤ちゃんね? 懐かしい! すっかりカッコよくなって」

年齢は二十代前半、俺より少しばかり背が高く
ハスキーな声のそいつが出してきた手を握って蘭がはしゃぐ。

「蘭こそすげー美人さんになっちゃって見違えたよ」
「潤ちゃんったら…でもその口調は変わらないのね?」
「はは、無駄なことはしない主義なのサ」
「蘭、知り合いか?」

見知らぬ奴と楽しそうな蘭が気に入らなくて俺は口をはさんだ。

「うん、小奈島に住んでる潤ちゃん。私、小学生の頃に夏休みにお父さんの仕事で小奈島の知り合いの家へ行ったことがあったでしょ?その時お隣に住んでいてよく遊んでもらったのよ」

そういえば小ニの時、おっちゃんが蘭を連れてひと月くらい遠くの島へ行ってたよな。
その年は俺もちょうど親父の取材旅行とやらに同行させられて
ひと夏、蘭とは会えずじまいだったんだ。
─ちっ、俺が蘭のいない最悪の夏休みを過ごしていた時、こんな野郎が側にいたのかよ…。

「そうだったのか。初めまして、僕は工藤新一で…」

蘭の手前、営業用スマイルを顔に貼り付けて挨拶しかけた俺をそいつは素っ頓狂な声でさえぎった。

「く、工藤新一?! もしかしてあの高校生探偵の?!」
「え、ええ、まあ」
「潤ちゃん、知ってるの?」
「当然だろ、有名人だぜ?日本警察の救世主とまで言われた名探偵に生で会えるなんてラッキーだな。俺は蘭の幼馴染の火野潤です。よろしく!」

─な、なんだコイツ? 蘭の幼馴染はこの俺なのにいきなりしゃしゃり出てきやがって。
だいたい家族や同性の友達以外で蘭を呼び捨てにしていいのは俺だけなんだよっ!
それとなく釘をさしてやろうと口を開きかけた時、ポアロからおっちゃんが出てきた。

「潤、待たせたな。バイトのねーちゃんがレジに慣れてなくてよ…」
「あ、ただいま、お父さん」
「おぅ、蘭。帰ってたのか。何だ、また探偵ボーズも一緒かよ。てめー、最近蘭に近付きすぎだぞ」

財布をポケットにしまいながら歩いてきたおっちゃんは、俺に気付くと冷たい視線を向けた。

「もう、お父さんたらまたそういうこと言う」
「学校の帰りに送って来ただけですよ。最近はこの辺りも物騒だから」
「だったらもう用は済んだだろ? とっとと帰りな」
「はいはい、じゃあな、蘭」
「うん、また明日ね」

背を向けて帰りかけた俺の耳に三人の楽しげな声が聞こえてくる。

『潤ちゃん、晩御飯はうちで食べるよね?』
『いいのかい?』
『いいに決まってるだろ。俺が言うのもなんだが蘭の手料理はうまいぞ。ついでだから今夜は泊っていけよ』

─お、おっちゃん、いきなり何言い出すんだよ?!
思わず足を止めて振り向くと、蘭やおっちゃんに続いて毛利家に入って行く火野が
俺をちらりと見て勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
─あの野郎っ。



その夜は蘭と火野のことが気になってほとんど眠れなかった。
蘭を疑う気持ちなど毛頭ないが、あいつは男に対して警戒心がなさすぎる。
─いくら空手が使えても油断している時に力づくで押さえ込まれたら…。
そんな考えが頭の中を渦巻く。
すぐにでも確かめたかったが、翌日は蘭が日直で先に登校し、
休み時間もクラスメートに邪魔されてまともに声もかけられなかった。
─まあ、今のところ表情も普段と変わらないし、動きにも不自然なところはなさそうだが…。

「新一、どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

昼休み、ようやく二人きりになれた屋上で蘭は箸を動かす手を止めて俺の顔を見る。

「あ、いや。なぁ蘭、あの火野って奴、昨日はお前の家に泊ったのか」

空になった弁当箱を袋に入れながらなるべくさりげない風を装って尋ねる。

「そうよ。お父さんが潤ちゃんにお酒の相手をしろってうるさくて」
「じゃ、火野はおっちゃんの部屋で寝たんだ」
「ううん、私の部屋よ」

─なんだとぉ?!

「だ、大丈夫だったか?」
「大丈夫って、ああ、部屋のことね? 布団を敷くスペースくらいはあるわよ」

─誰がスペースの話をしてるんだよっ。
「で、布団敷いたら二人とも何もしないですぐに眠ったんだよな?」

─わ、馬鹿。俺、なんて質問してるんだよ?!

「それが潤ちゃんたらなかなか眠らせてくれなかったの。私も初めてだったんだけど気がついたら夢中になっちゃって」

─初めて? 夢中? まさか蘭のやつ、やっぱり火野の野郎と?!
いや、こいつに限ってそんなことは…。

「蘭、お前本当に…」

その時、昼休み終了を知らせるチャイムが鳴りだした。

「いけない、職員室に次の授業の資料もらいにいかなきゃ。あ、今日は園子と買い物に行く約束してるから私、先に帰るね」
「お、おい、蘭!」

彼女は俺の声も聞かず弁当箱を持ってあたふたと屋上を去っていった。



結局、肝心なことは聞けないまま午後の授業が終わり帰ろうとすると、
校門の前に火野が立っている。

「やぁ、工藤君、待ってたよ」
「蘭なら先に帰りましたよ」

親しげに手を上げる火野にそっけなく言う。

「知ってる。さっき同級生に聞いたよ。でも俺はキミにも話があってね。良かったら米花駅まで一緒に行かないか? どうせキミの家は駅の向こうなんだろ」

少し躊躇したが、蘭とのことを問いただすため俺は奴に付き合うことにした。



「それで、話って何ですか?」
「その前にこれ、蘭に渡しておいてくれないかな」

火野が手にしていた紙袋を差し出す。

「何です?」
「ジェンガだよ。見たことあるだろ?タワー状に積み上げたブロックを一本ずつ抜いて上にのせて、タワーを崩したら負けってヤツ。ゆうべ、酔い覚ましに蘭を誘ったらあの子すっかりハマっちゃってさ。またやりたいって言ってたから新しいのをプレゼントしようと思って」

─待てよ、それってまさか…?

「そのジェンガって蘭の部屋でやってたんですか?」

昼休みの蘭とのやりとりを思い出しながら俺は尋ねる。

「ああ、そうだよ」
「その後は何を?」
「夜中だったから疲れてすぐに寝たけど。それが何か?」
「い、いえ、別に! ならいいんですっ」

慌てて首を振る俺を見て、火野はニヤリと笑みを漏らす。

「工藤君、キミ、もしかして変なこと想像してないか?」
「変なことって…」
「例えば─そうだな、俺が無理やり蘭を押し倒したとか」
「な、な、な、何を馬鹿なことをっ!」

頭にカーッと血が上って来るのを感じながら必死で否定する。
火野はそんな俺を見てクスクスと笑いだした。

「大丈夫、そんなことしてないって。俺は同性を襲う趣味はないんでね」

─へ?!
奴の言葉にキョトンとする。

「それ、どういう…?」
「俺、こう見えても一応、女なんだよ」
「は?!」

─う、うそだろ?!

「ほら、これが証拠」

上着の内ポケットから保険証を取り出して見せた。
確かにカードの上の方に『氏名 火野潤  性別 女』と記載されている。

「なんなら胸も触ってみる? これでもちゃんとあるんだよ。ま、蘭ほどじゃないけどね」

少年のようないたずらっぽい目を向ける。

「あ、い、いや。遠慮しておきます。そんなことしたら後で蘭に回し蹴り食らっちまう」
「ははは、確かにあの蘭ならやりかねないか。でも、キミって意外と普通の高校生なんだな」
「え、何が?」

急な話題の変化についていけず目をぱちくりさせる。

「さっきから見てるとヤキモチ妬いたり、慌てたり、驚いたり…。新聞に載ってたポーカーフェイスのクールな名探偵と同一人物とはとても思えないな」
「すみませんね、実物は未熟者で」

少しムッとして言うと、火野は軽く首をすくめた。

「あ、ゴメン、気に障ったかい?実は俺、工藤新一って顔と頭がいいのを鼻にかけてるだけの生意気で嫌な奴だと思ってたんだ。蘭のこともどうせ遊び半分なんだろうって」

─なんか、ひでー言われようだな…。

「あの子がそんな奴に騙されるなんて耐えられなくてさ、いい加減な気持ちなら蘭から手を引けって説得するためにこの街へ来たんだよ。でも、キミのその様子じゃ余計な心配だったな。安心したよ」
「ひょっとして、男のフリをしていたのは俺の反応を探るためですか?」
「いや、これは癖みたいなもんさ」
「癖?」
「俺、ずっと男に囲まれて育ったから言葉も行動もすっかり男っぽくなってね。言っとくけどアタシだってちゃんと女言葉も話せるのよ。でもアタシが使うとオネエ言葉に聞こえるってみんな嫌がるの。ひどいでしょ?」

突然、女言葉に切り替わり、俺はつんのめりそうになった。
─はは…確かにこいつが使うと寒気がするぜ…。

「ま、今回はこの"癖"のおかげで名探偵のかわいい素顔も見られたし良かったかもな」
「か、かわいいってあんたな、人を何だと…おい、聞けよ、コラ」

俺の反論など全く聞かずさっさと切符を買うと、何事もなかったように振り向く。

「じゃ、俺は帰るから。蘭やおじさんによろしく。いつか蘭と小奈島にも遊びに来いよ。待ってるぜ? 未熟でかわいい名探偵クン」
「誰が行くかっ!」

─いつか本物の名探偵になってあんたのその減らず口を塞いでやるからなっ。
駅の階段を上っていく火野の後姿をみながら俺は心の中でつぶやいた。


≪終≫






作者様後書き

新一と蘭をくっつけるため、私が書く新一は蘭に対してかなり積極的ですが、
原作の彼は元の姿に戻ってもなかなかそういった行動は取れないだろうと思います。
健全な男の子らしく知識は豊富だけど、いざとなると
心臓をバクバク言わせながらどもってしまう…みたいな(笑)
蘭は蘭で毎日一緒に登下校できるだけで満足して、キスの先なんて考えもしないだろうし。
でも、そんな二人の前に突然、恋愛経験豊富な大人の男性が現れたら?
そしてそれが新一は面識がないが、蘭の古い知り合いだったら彼はどうするだろう?
そんな空想から生まれた話です。
カッコいい、気障な新一の話を期待していた方、ゴメンナサイ(^^;)

オリキャラ〈火野潤〉くんのモデルは最初、男装の麗人ということで
「ベルサイユのばら」の〈オスカル〉でした。本当です。
でも銀翼のテレビ放送を見たせいか、途中で少しキッドが入って来てしまいました(笑)


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