非常階段は知っていた



By霧島のぞみ様



 「わあ…懐かしいね!!」
 「そだな…えーと…何年ぶりだ?」

 授業中の帝丹中学校。
 各教室では静かに授業が行われているみたい。
 グラウンドの方でも、体育の授業でクラス別対抗リレーや、球技などが行われている。

 「…で、元空手部のOB会はどこであんだ?」
 「えーとね…部室棟の2階だって」
 「ふうん…じゃ、あっちだな」
 「そうだね。…あ、見て、あんな所に花壇ができてるよ!?」
 「ホントだな。へえー…」
 「昔は焼却炉だったのにね…」
 「ああ。ほら、今は大気汚染とかダイオキシンとかあるからさ、焼却炉ってのはだんだん無くなってっからな」
 「そうなんだ…。でも、花壇ができただけで雰囲気が変わるんだね」
 「だな」

 久々の母校は、懐かしいけど、何と言うのか…ちょっと見ない間に雰囲気が変わってしまっていて…。
 何だか不思議な気分。
 新一も同じようで、二人で当時の記憶を辿りながら、部室棟へと向かっている。


 今日は、今の空手部とOBOGとの交流会…いわば同窓会がある。

 招待状をもらって、新一に話したら、新一も付いて来てくれると言う。
 『でも…時間かかっちゃうかもしれないよ?』
 『オレも、帝丹中に行ってみたいからさ。サッカー部とか気になるし。…どーせその日は暇だし、オメーが終わるまで適当に時間潰してっから。オレの事は気にすんなって!』


 ぐるぐる廻って部室棟の前に来た。
 きっと部室棟表の入り口には人がいるだろうけど、裏口のこの辺りは人気もなくひっそりとあの頃のままだった。
 「懐かしいー!…変わってないんだね、この辺は」
 「ああ、そうだな。あの頃のままみてーだな」
 「そう言えば、勝手に使っちゃいけない非常階段を、この部室棟を使っている人だけは、時々こっそり使ってたんだよね…」
 「そうだったな…」

 ふと、中学生のころの思い出が蘇った。


XXXXX


 あれは…確か中学2年生の春…。

 掃除時間にたまたま通りかかると、この非常階段の所で、男子たちが騒いでいた。
 「あ、来たぞ、誰だ!?」
 「おい、毛利だぜ?」
 「…どーするよ?」
 「そうだよな、願ってもない機会だけど、もしバレたら後が…」
 何のことを言っているのかわからず、私は軽い気持ちで声をかけた。
 「?…どうかしたの?」
 男子たちは顔を見合わせて困った様子だったけど、そのうちの一人が思い切ったように、手にした青いゴミ箱を私に差し出してきた。
 「悪い、毛利!…このゴミ箱を、2階のサッカー部の部室まで持って行ってくれないか?」
 「え…?」
 「いや、俺たち部室のゴミ捨てに焼却炉に行ったんだけど、ちょっと用が出来ちゃって部室に戻れなくなったんだ…」
 言われてみれば、新一と同じサッカー部の男子たちだった。
 私も同じ部室棟の1階にある空手部室に行くところだったし、サッカー部室なら新一も居るかもしれないし…。
 まあついでにちょっと新一の顔を覘いてやってもいいかな…と思い、引き受けることにした。
 「わかったわ。いいわよ?」
 右手でゴミ箱を受け取って非常階段を上がろうとした時…。
 ひょいと急に右手が軽くなった。

 「オレが行ってやるよ」
 「新一…!?」

 いつの間にか、新一が私の預かったゴミ箱を持って、すたすたと非常階段へと向かって歩いていた。
 「ちょ、ちょっと…」
 「どーせ、オレ、今から部室に行くところだし…その代わり、昨日の件はこれでチャラにしてくれよな?」
 「昨日の件?…ああ、昨日の教科書の話?」
 「そ。オレの所為で、おっちゃんに怒られちまったんじゃねーのか?」

 昨日…。
 新一は学校に教科書を忘れたために宿題ができないからと、私の家に教科書を借りに来たんだっけ。
 雨が激しくて、雷も鳴り始めていて、たまたまお父さんの帰りが遅い日だったから、一人で心細かった私は内心嬉しくて。
 新一のおかげで、お父さんの帰りまで一緒にご飯を食べたり、宿題をしたり、話をしたりできて私は楽しかったんだけど…。
 だけど…お父さんは帰って新一の顔を見るなり、「人ン家に留守の間に勝手に上がりこみやがって」と不機嫌で…。
 「そんなこと言わないでよ!」と私とお父さんが口論になってしまい、新一はそのことを申し訳なく思っているみたいだった。

 お父さんの不機嫌も朝には直っていたから大丈夫だよ…って言ったんだけど、やっぱり新一は気にしてるのかな。
 だったら、ここは素直に受けていた方がいいのかな?

 「ううん。別に怒られたりはしてないし、もう気にしなくていいんだけど…。でも、ありがと。じゃ、そうさせてもらおうかな」
 「ああ。それに、またいつか教科書忘れちまったら、見せてもらわねーといけねーしさ…」
 「もう!…人をあてにしてたら、本当にまた忘れちゃうんだからね!」
 「わーってるって。……それから…」
 新一はそう言って、私に背を向けて、男子たちの方に向き直った。
 「おい、お前ら…!」
 じりじりと後ずさりをしていた男子たちの顔色が変わる。
 どうしたんだろ?…と思うと同時に、新一の声が聞こえた。
 「蘭に二度とこーいう事させんじゃねーぞ!!」
 表情は見えないけれど、驚くくらい低く迫力のある声。
 「…し、新一?」
 新一はそのまま顔を見せずに、くるりと私に背を向けてまた非常階段に向かって歩き出した。
 「…ったく…こいつの機嫌を損ねて教科書見せてもらえなかったら、困るのはこっちだっつーの!」
 どういう意味なのか…言い訳口調でそう言いながらゴミ箱を肩から後ろ手に担ぐと、新一はようやく私に振り向いていつもの笑顔を見せた。
 「じゃな、そいうことで!」
 そのまま新一は私に軽く手を上げて、非常階段を上っていった。


XXXXX


 「…そういや、そんな事もあったっけかな。…しっかし、オメー、よくそんな昔の事、憶えてんなあ?」
 新一は、ははは…と笑って明後日の方を見た。何となく顔が引き攣って見える。
 「だって、あの時の新一、なんだかすごく迫力があってビックリしたから…よく憶えてるの」
 「へ、へぇー…」
 「それに、あの後、新一に『非常時でもないのに、非常階段を上ってはいけない』って、怒られちゃったよね、私」
 「そ、そうだっけ…?」
 「そうだよ。だから、私あれから2階に行く時だって、非常階段だけは一度も使わなかったんだから…」
 「使わせられる訳ねーだろ…」
 「え?…何?」
 「いや、別に…」
 「そうそう、思い出した!…それに、あの時、新一は急用で先生に呼ばれてたんでしょ?…先に部室に行って遅くなっちゃって、後から散々叱られたって聞いたよ?…いったいそんな大切な用って、何だったの?」
 「だーっ!!…いいんだよ、もうそんな昔の事はさ!」
 「だって、思い出しちゃったら気になるんだもん」
 「だから、もういいんだって!」
 「よくないよ。新一だって、いつも気になったらしつこく訊いてくるじゃない?」
 「…そんなに知りたいか?」
 「?うん」
 私が首を捻りながらも頷くと、新一は廻りをそっと見渡してから私にニイッと企み顔で笑ってから非常階段を指差した。
 「じゃ、上ってみろよ」

 「え?…いいの?」
 「どうぞ」
 「でも、非常時じゃないのに、使っちゃいけないって言ったの新一だよ?」
 「今はいいんだよ」
 「どういう意味よ?」
 「だから、上ってみたらわかるって」
 「……」

 どういうことなのかさっぱりわからないけど、ニヤニヤ笑って私を眺めている新一には、一向に答えを教えてくれる素振りはない。
 仕方なく、私は非常階段を一段上った。
 「…上ったわよ?」
 「そのまま、2階まで上ってみろよ?」
 「2階まで全部上ったら教えてくれるの?」
 「ああ」
 「…わかった」

 そのまま階段を上る。
 折り返し地点の小さな踊り場まで上ったけど、別に変わった様子はない。
 下から吹き上げる風が、爽やかで気持ちいい。
 見渡せる景色は、視点が若干高くなるだけで懐かしいばかり。
 辺りには誰もおらず、新一は一人で少し離れた場所から、私の方を見ている。
 「何も変わったものはないよね…?」
 一人でそう呟いて、残りの階段を一気に上り終えた。

 「これで、いいの?新一?」
 私が上り終わると、新一もその後を付いて上ってきた。
 「ああ、よくわかったから」
 「は?…新一じゃなくて、私の方が知りたいのよ?」
 「淡いブルー…レースつき…ってか?」
 「??」
 
 何を言ってんのよ?
 淡いブルー?
 レース?…って…ま、まさか…?
 
 「えええええーっ!?」
 パッとスカートの上から、お尻を手で隠して新一を睨んだ。
 「あ、あんた、まさか…!」
 新一は、してやったりと笑っている。
 「いつ見たのよっ!!」
 「見えたんだよ」
 「い、いつ!?」
 「たった今」
 「!…し、下から覗いたのねっ!?…悪趣味!!…信じらんないっ!!」
 「別に覗いてねーって。オレは離れてたんだぜ?」
 そう言えば、さっき新一は真下に居たわけじゃなかったんだっけ…でも…。
 「…覗いたんじゃなかったら、どうして離れてたのに見えたのよ!?」
 「覗かなくても、見えるんだよ。その踊り場で、風で一瞬ちらり…ってさ」
 「や、やだ、ホント!?」
 「ああ。強い風じゃないから、見られている方は気付かないらしいんだ。ちょうどスカートの布の重さと、風の吹き上げる強さが均衡してんだろーな。サッカー部の間では、結構有名な話だったんだぜ?」
 「!!」
 あの時、サッカー部の男子立ちが、妙にニヤニヤこそこそしてた訳が、やっとわかった。
 そして、新一が「こいつの機嫌を損ねて教科書見せてもらえなかったら…」なんて言ってた訳も…。
 「あいつらも、あれで懲りたみてーだし…」
 「ちょっと…あんたたち、まさかそーやって他の女子の…」
 「バ、バーロ!!…オレをあいつらと一緒にすんなよな!」
 新一がムッとして言い返してきた。
 「オレは噂を知ってただけで、実際に目の当たりにしたのは、今日が初めてだったんだからな!」
 「…本当?」
 「当たり前だろ!?…それに、オメー以外の女の見たって仕方ねーってあの頃から思ってたしさ…」
 「?…どういう意味よ?」
 「どういうって言われても…そのままの意味なんだけど」
 そのままって…ええと、つまり、私以外の女の子は見たって仕方ない…あの頃から…って…?

 あ…!

 「!///」
 
 も、もう…!
 なんで、そんなにさらりとこんなこと言えるのよ〜!?
 
 「あの時、たまたま職員室に行く途中で、部室棟に行く蘭が見えたから、そんな予感がして追いかけて来たんだよ」
 「わざわざ?…確かに、教科書を一番借りやすい私の機嫌を損ねることは無かっただろうけど、先生に怒られちゃって…」
 「バーロ!」
 新一が、ずいっと私を半眼で覗き込んだ。
 「教科書やオメーの機嫌がどうこうとか、怒られるのがどうこうとか、そーいう事は二の次に決まってんだろ?」
 「…え?」
 「他の奴らに、オメーのを見られて堪るかって事だよ!」
 「!!//////」

 それって…
 ああ…そうだったんだ…。

 …だから、非常時以外はこの階段使うなって言ったんだぞ?…と、新一は拗ねた顔でぶつぶつ言っている。

 そっか…そうなんだ…。
 
 なんだか…
 全ての記憶のピースが、ぱちっと綺麗に嵌った気がして、嬉しくなった…。


XXXXX


 「毛利さーん!」
 1階に下りると、部室棟の端の入り口から、OBの先輩の声がする。
 「呼んでるぜ?」
 「うん」
 新一が私の肩を抱いて、その入り口の方へと促した。
 「今行きます!」
 手を振って先輩に答え、入り口へと急ぐ。
 既に他のOBOGの先輩や同輩たちも沢山来ているようだった。
 「じゃ、オレはここで行くな?」
 新一は入り口まで来ると、私の肩を一度きゅっと抱いた後で、ぽんと背中を押すように離した。
 「うん…ありがと」
 「ぶらぶら見て廻ってっから…終わったら携帯に連絡しろよ?」
 「わかった。じゃ、後でね?」


 ふと振り向けば、あの非常階段が目に写り…
 何だか言葉にできない幸せな気持ちで一杯になって、私は空手部室へと入っていった…。


XXXXX


 …ちなみに、同窓会には蘭に告白しようと構えていたOBも何人か居たのだが…

 果たして新一の目論見どおり、会場まで送ってきた彼の姿を認めて無駄だとわかり、みな見込みの無い告白を止めたというエピソードが話題になるのは、次回の同窓会の事である…。




FIN…….




戻る時はブラウザの「戻る」で。