magical mouse



By霧島のぞみさま



 「パソコン?…オレがオメーに教えるのか?」
 「うん、そうなの。基本的な操作がわかれば大丈夫かな…って思うんだけど…ダメ?」
 「いや、オレは全然構わねーけど…でも、どうしたんだよ急に?…パソコン買うのか?」
 「そうじゃないの。インターネットのニュースのホームページで、お母さんがインタビューされた記事が載ってるって聞いたから、見てみたいなって…」
 「へー…じゃ、今からやってみっか?」
 「うん!」


XXXXX


 「…で、この画面に出てきているカーソル…つまり矢印をこのマウスで動かして、実行したいこのコマンドのところに持ってきて…」
 「こう?…あ、あれ?」
 蘭は眉間に皺を寄せて、真剣にディスプレイ上でくるくると動き廻るカーソルを見つめてマウスと格闘している。
 「や、そうじゃなくて…もっと少しずつゆっくり動かした方がいいんだけど…」
 「少しずつゆっくりだね?…わかった…」
 オレのアドバイスに、初心者の蘭は今度はゆっくりゆっくりそっとマウスを動かし始めた。
 「…あ、いや…そんなにゆっくりじゃ、このコマンドに矢印が辿り着くまで日が暮れちまうぜ…?」
 真面目な顔で慎重にゆっくりとマウスを動かしている蘭が可愛くて、思わず含み笑いをしてそう告げると、蘭は真っ赤になりオレを軽く睨んだ。
 「もうっ!…初めてなんだから、よくわかんないんだもん…真面目にやってるのに、からかわないでよ」
 想像通りの拗ねた表情がまた可愛くて、オレは上機嫌で蘭を覗き込む。
 困って拗ねた顔のまま、上目遣いの蘭。
 正直言って、蘭のこういう表情にもオレは弱いと思う。
 「……」
 「…新一?」
 「あ、悪りい、でもオメーがあまりに思ったとおりの顔をしてっからさ…」
 「思ったとおり…って、あー、わかった、間抜けな顔だとか思ってるのね」
 …どうして、こう、いつもいつも、面白いように誤解すんだよ、コイツは…。
 「思う訳ねーだろ?」
 こんなに可愛い表情してんのに…。
 しかし、そんな本音が本人には届かないようで、蘭はぷーっと頬を膨らませて、ムキになってオレに宣言してきた。
 「いいわよ、見てなさい、すぐにこんな矢印くらい上手く動かせるようになってあげるから!」
 「お、本気になったか?」
 「なによ、最初から本気だもん」
 「よし、いいぜ?…じゃ見ててやるよ」
 そんなムキになった顔も可愛くて、オレは鼻歌交じりで、お手並み拝見…とばかりに、カタンと音をたてて椅子をもう一つ蘭の隣に持ってきた。
 背もたれ側を手前に向けると、組んだ両腕を背もたれに載せてその腕に顎を載せ、蘭を見つめる。
 「要はさっき新一が言ってたこのコマンドに矢印を持っていったらいいんでしょ?」
 「その通り」
 「簡単だもん」
 「…ほお」
 「えい!…あれ」
 「……」
 蘭は強気で一生懸命マウスを動かしているが、加減が難しいようで、カーソルはくるくると動き回るばかり。
 なかなかコマンド上には静止しない。
 「えい、えいっ!」
 「……」
 あんなに家事や料理なんかマメに器用にこなすのに、何でこんな単純なマウスの操作は不器用なんだか…。
 でも、こういう不器用なところも、すぐムキになってしまうところもオレには蘭らしく思えるし、不器用なりに一生懸命なところもこいつのすげーところだよな…と思う。
 「えい!」
 何度かコマンド上を往復するうちに、ようやくぴたりとカーソルが目的の場所に止まった。
 
 「…あ、止まった!!」
 「お、上手く止まったじゃねーか!」
 「ちゃんと見た?新一?」
 「ああ、見た。よかったな」
 「ね、すぐに動かせるようになったでしょ?」
 「そうだな…。まあ…普通は1〜2回で出来るようになるんじゃねーかと思うけどな…」
 「…何か言った?」
 蘭がジロッとオレを見た。
 オレは上機嫌なまま、ディスプレイを指差して続ける。
 「よし、じゃ、今度はこのまま、マウスの左ボタンをダブルクリック…つまり、2回カチカチと押してみて…」
 「2回だね…わかった…」
 「そしたら、ブラウザが立ち上がって、インターネットに接続可能な状態になっから…」
 「…ん?…2回押したけどダメだよ?」
 「ちょっと間が空き過ぎたんじゃねーか?…もっと早くやってみろよ」
 「えいえいっ!」
 「…そりゃ早すぎだって」
 「えいっ!…えいっ!」
 「うーん…遅すぎ…」
 「えいえいっっ!!」
 「……」
 蘭は頑張って何度もマウスをクリックしているが、タイミングが合わないのか、どうも上手くいかないらしい。
 そんな蘭の十分に魅力的な表情に一頻り見惚れたオレは、見るに見かねて、すぐ後ろから声を掛けた。
 「…力でどーなるってモンじゃねーぞ?」
 「わ、わかってるわよ」
 「貸してみろよ」
 「でも…」
 「タイミングだけ見本みせてやっから」
 「う、うん」
 蘭の右手ごと掌で包み、マウスをカチ、カチ…とクリックしてみせる。
 「設定変えてもいいんだけど…普通このくらいのタイミングでいいんだよ」
 「わかった。カチ、カチ…ね?」
 ディスプレイに砂時計が現れて、ブラウザが立ち上がった。
 「あ、すごい、動いた…」
 「ちなみに、これで、ここのアドレスバーにURLを入力すれば、そのサイトを閲覧できるぜ?」
 「あ…そ、そうなんだ…ふうん…」
 「ちなみに…」
 オレは蘭の右手に自分の右手を重ねたまま、マウスを動かして見せた。
 「ほら、こういう風に…」
 すす…ゆっくりと動かして見せる。
 「慣れてくれば、目的の所にこの矢印を持っていくことが出来るようになるって」

 …と。

 蘭が感心したのか、小さく「ん…」と声にならない声を上げた。

 わ…。

 不意に間近で漏らされたその声が何とも色っぽくて、意図せずドクン…と心臓が鳴る。

 気が付けば、すぐ間近に蘭の顔があり、薄桃色の唇が濡れたように光っている。
 長い黒髪はオレの鼻先をくすぐっていて…
 触れ合っている右手から、蘭の体温が伝わってくる…

 一旦気付いてしまうと…
 時間が止まってしまったかのような、刹那。

 「し…しん…いち?」
 オレの視線に戸惑うように訊ねる蘭の声は、また一段と艶っぽく響いてくる。

 「……」
 「……」

 蘭の白く細い指が、オレの右手の指の間から覗いていて…。

 「…あ、こ、こうやって、インターネットに繋ぐことができるんだね?」
 無言の間を破って、蘭が焦った様子でディスプレイに視線を戻した。
 「あ、ああ…」
 オレも慌ててディスプレイに目を戻す。
 彼女の右手がぴくりと動いたように思えて、咄嗟に逃がしたくなくて、自分の指先に力を篭めてそのまま蘭の右手を閉じ込めた。
 「…ま、マウスの操作ってのは、何度も言うように『慣れ』だからさ…」
 「う、うん…」
 ディスプレイに目を向けて、どうでもいい事を口にしながら、オレは特に目的もないままマウスを動かして、機械的に適当なコマンドを開けたり閉じたりして見せた。
 
 その一方で、蘭に意識の全てが集中していく…。

 何となくヤバい…。
 ヤバいぞ、マジで…。

 こんなに近くで、手を重ね合っていて…
 惚れてる女とこんな状況で、そんな気分にならない方がおかしいに違いない。

 このまま重ねた手を引き寄せて、背後に振り向かせて口付けて…マウスから指をそっと引き剥がして一気に奪ってしまいたいような衝動…。

 …重ねた手を離すことが出来ない−。

 蘭−−−!

 重ねた右手に更に力を篭めて、そっと自分の方に引き寄せた。
 「蘭…」
 耳元で囁くと、蘭の身体が僅かに震えたような気がした。
 「あ……し…んいち…」
 蘭の口からまた吐息とも声とも付かない声で名を呼ばれ、もう我慢が出来ない…とばかりに、その身体を抱きしめた…

 その次の瞬間…

 「痛たたた…っ!!」
 弾かれたように、蘭が顔を顰めてオレに縋りついて来た。
 「な!?…ど、どうした、蘭!?」
 「ゆ、指が…」
 「指?」
 「攣っちゃった…あいたた…」
 オレの手の中にある蘭の右手を見ると、人差し指が攣って不自然な形に固まっている。
 「とにかく、伸ばせ、ほら…!」
 「う、うん…」

 どうやら、蘭は初めてのマウスの操作でかなり緊張していたらしい…。
 不自然な力をかけて操作していたために、指の筋肉に負担がかかり、それに加えて、オレがそのまま上から閉じ込めちまったから…。
 蘭は「指なんか攣らせちゃって…」と恥ずかしそうだったが、オレにもその責任はあるので、素直に謝った。

 ごめんな、蘭…。


XXXXX


 そして…気付けば、もう夕闇が下りてくる時刻。
 
 腕の中に抱き込んだ蘭の右手にもう一度キスを落とそうとして、ふと、その人差し指が気になった。
 「…もう痛くねーか?」
 「うん、大丈夫だよ」
 「そっか…ならいいけどな…」
 不意に湧き上がった疑問を、ついでに口にしてみた。
 「でもさ、オメー、攣っちまうまで不自然な格好でいるほど、マウスの操作を覚えて、おばさんのインタビューを見たかったワケ?」
 「…バカ!」

 蘭は軽く頬を染めて「…そうだね…新一と同じだったんじゃないかな…」とくすっと笑みを零した。

 へ…?
 同じって…
 …オレと同じ事を、まさか蘭も考えていた…とか!?

 「…な、なあ、何がどう同じだったんだよ?」
 「さあ。何がどう同じだったんだろうね?」
 悪戯っぽく首を傾げる仕草も愛しい。
 何度抱いて足りないくらい、蘭が欲しくて堪らない。
 「…今も同じって事か?」
 「さあ…どうかな…?」
 「んじゃ、今からまた確かめてみるけど…」
 「どうぞ」
 何も答えず、くすくすと笑っているそんな蘭がまた愛しくて、もう一度、そのしなやかな身体を抱きしめる。
 

XXXXX


 この日、二人の時間は緩やかに過ぎ…
 立ち上げていたパソコンは、最後までそのまま放置されてしまっていた。

 そして…
 結局、ようやくおばさんのインタビューを見る事が出来たのは、その翌日の事だった…。




FIN…….



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