ビーチサイドで
By 柚佐鏡子様
その日、ビーチにはかわいい2人連れの女子高生がいた。
ひとりは真っ赤なハイビスカスのビキニで、細身なのに出るところは出たダイナマイトバディな彼女。
長い黒髪をなびかせているその様子は夏だというのに涼しげで、清潔な色気さえ感じさせるくらいの美少女。
もうひとりはショートボブでゼブラ柄のビキニの彼女。大胆なカットの水着は思い切りの良い性格を反映しているようで、元気いっぱいにハシャいでいる。
彼女の方もなかなかのスタイルの持ち主だ。
ふたりとも明るい水着が真夏の青い海に映えることこの上ない。まさに浜辺の天使である。
念のためにしばらく様子を観察してみたが、幸い男と一緒というわけでもなさそうだ、というわけで。
よっしゃ、これを狙わない手はない!と、喜び勇んで歩み寄るナンパ男が2人。
「ねえねえ、彼女達!よかったら一緒に冷たいものでも食べない?ご馳走するよ!」
まるで旧知の間柄であるかのごとく馴れ馴れしく話しかけると、
「え?ホントですかー!?」
なーんて好感触な反応を見せるボブカットの子に対して、
「え・・・でも、悪いですし・・・」
と躊躇するのは黒髪の子。
「そんなこと全然ないって!ここで会ったのも何かの縁だからさ、一緒に楽しもうよ!」
そんな、絵に描いたようなナンパの常套句が飛び出すと、困ったような曖昧な笑顔を浮かべて、
「・・・ねえ、どうしよう?園子」
「いーじゃない!行こうよ、蘭!結構イイ男じゃん©」
などと小声で相談しているようだ。
と、そこへ---
「どこ行くの、蘭ねーちゃん!」
コナをかけようと思っていた黒髪の女の子の左手が、不意に誰かの右手にしっかりと繋がれた。
「ん・・・?」
その手の持ち主を確認しようと追いかけていった視線の先には、小さな男の子。
眼鏡の奥の目は鋭すぎるくらい鋭く、子どもとは思われぬ極悪顔でナンパ師達を睨みつけているのだった。
(いつのまにこんな子どもが・・・)
出鼻をくじかれて内心舌打ちするも、すぐに態勢を立て直すのがナンパ師のナンパ師たる所以。
まあいいかとばかりにヘラヘラした笑顔を浮かべて、
「なんだい、この子。キミ達の連れ?」
と、手慣れた様子で切り返す。
「もしかしてキミの弟なの?」
「えーと・・・まあそんなようなものでして」
わざわざ『預かっている子』などと言うのも話がややこしくなりそうなので、蘭は適当に話を合わせておいて、
「どーしたの、コナン君」
と膝を折り、さっきまで子どもらしく砂の城を作っていたはずの彼の顔を、まじまじと覗き込んだ。
膝を折ったことによって彼女の胸の谷間が強調され、それが目の前でこれでもかとばかりに存在を主張するので、コナンはついドキマギしてしまうが、今の自分は子どもの姿だったことを思い出し、意識したらかえって変に思われると、どうにか自分を落ち着かせる。
「あ、あのね・・・ボクなんだか疲れちゃったから、あそこで休んでていい?」
そう言って指差したのは、遠い---かなり遠方にある、人でごった返しているフルーツパーラー風の休憩所だった。
「ダメよ、ひとりであんな遠くまで行っちゃ。迷子になったらどーするの?」
思ったとおり、すぐにダメだという蘭。
「大丈夫だよ、ボク蘭ねーちゃんほど方向音痴じゃないし」
「もー、失礼ねえ!それに方向音痴じゃなくてもダーメ!あんなに人が多いとこにひとりで行っちゃ危ないよ?変な人もいるかもしれないし・・・」
(その『変な人』とやらに捕まってんのはオメーだろ・・・)
どーしてこう警戒心が薄いのかねコイツは・・・と、内心溜め息をつきながら、
「大丈夫だよ!じゃ、ボク行ってくるから!」
と、元気よく駆け出そうとすると。
「待ってコナン君!それならわたしも一緒に行く」
素直な蘭は、簡単な罠にすぐ引っかかってくれる。
「ごめんなさい、また今度・・・」
“今度”なんて決してないことは分かっているが、角を立てないように彼女はそう言ってナンパ男達に丁寧に謝り、
「行こ、コナン君」
と、彼の手をとった。
「まーったく・・・。せっかくイイ男がゲットできそうだったのに、どうしてこの子はいちいち邪魔してくるのかねえ」
呆れたようにそう言って、パッションフルーツジュースを飲む園子に、
「もー。しょーがないじゃない、コナン君が疲れたって言うんだから」
と蘭は笑って答える。
「ひとりで休ませときゃいいでしょー?」
「そーいうわけにはいかないわよ。コナン君、まだ子どもなんだし」
そう言ってコナンの方に目をやると、彼は桟敷のゴザの上で目を閉じて横になっていた。
「あら、寝ちゃったの?」
蘭の瞳はとても高校生とは思えないくらい母性に溢れていて、どこまでも優しい。
コナンの体にタオルケットをかけてやって、
「本当に疲れてたのね」
とその寝顔に微笑む。
しかし、コナンは本当に寝ているわけではなかった。
「疲れた」と言ってここへ連れてきた手前、少しは疲れたふりをしていなければならないと思って横になっていただけなのに、思いがけず穏やかな瞳で見つめられて、今更会話に加わるのが気恥ずかしくなってしまったというのが真相で。
それに、図らずも長引いてしまっている子ども生活の中で、『子どもの行動はわざとらしいくらい分かりやすい方がかえって信用される』ということをコナンは学んでいたから、内心ドキドキしながらも図々しく寝たふりを続けていた。
「それにしても、よっぽど蘭がナンパされるのが嫌なのねー、このガキンチョ」
ジュルジュルとお嬢様らしからぬ音を立ててストローに吸いつきながら、
「いっぱしに蘭のナイトのつもりでいるみたいだし?」
とジト目になる。
「あら、別に間違ってないじゃない?コナン君はわたしが危ない時、いつも助けてくれるもん」
「あんたのナイトは新一君でしょーが」
「か、関係ないわよ、あんなヤツ!」
蘭がいつもの強がりを言うのを薄目を開けて聞きながら、コナンは1年前の夏を思い出していた。
蘭とは、子どもの頃はもちろん、高校生になってからも一緒に海に行く機会があった。
スタイルのいい蘭は水着になると普段よりいっそう人目をひくので、新一がちょっと目を離したスキに、何度となくナンパ男につかまっては話しかけられていたのだが、そんな奴らのことはお構いなしに、
「蘭!なにやってんだよ」
と不機嫌全開で呼びつける。
「あ・・・ごめん新一!」
謝りながらも、彼女は明らかにホッとした表情をしていて、それは、第三者の視点からすれば、“やっと彼氏が迎えに来てくれて助かった”顔にしか見えないのであった。
「なんだ、男連れだったのか。残念」
チェッ、と舌打ちしながらナンパ男は去っていく。そんなことの繰り返し。
「オメーも、ああいうのは適当にあしらってさっさと断れよ。いちいち相手してたらキリないだろ」
そう言って少し叱ってみても、
「適当にって言ったって・・・」
と、困ったような顔をされるばかりで。
あのころは蘭の無垢さと男に対する無防備さが心配で、歯がゆくて、でも、蘭にはいつまでもそういう無邪気な部分をなくして欲しくないと、矛盾したことばかりを考えていたけれど。
一方では、そんな蘭の純真さを守るのは自分の役目だと、なぜか当然のように思い込んでいた。
いや、今にして思えば、そういう建前を守ることで、つかず離れずの幼なじみという恵まれた環境を変えたくなかっただけかもしれないが。
ダダをこねたり疲れたと言って寝たふりをしたり、そんな余計な苦労をしなくても、(事実はどうであれ)ただ彼氏づらして蘭の名前を呼ぶだけで、男の方から勝手に退いていってくれた。あのころはただそばにいるだけで、彼女のナイトでいられたのに。
(それが今じゃーこのザマだもんな・・・)
カッコつけなところは小さくなっても健在な彼は、寝たふりをしているにもかかわらず、それを忘れて思わずそっと溜め息をつく。
その様子を見た園子は、
「ちょっと蘭、この子ったら寝ながら溜め息なんかついてるわよ」
と呆れたように言った。
「夢の中でも蘭がナンパされてて怒ってんのかしら?」
「まっさかぁ!」
と蘭は笑うが。
“夢”じゃなくて“回想”だという違いだけで、園子の意見が実は当たっているというのもコナンにとっては痛いところだ。
いたたまれない気持ちになり、つい寝返りを打って誤魔化そうとすると、蘭が優しくタオルケットをかけ直してくれた。
そうしてコナンの寝顔を見つめると、小さく微笑む。
「あら、なーに?その微笑みは。なんかラブラブって感じだけど」
揶揄するように園子が言うと、蘭は否定するでもなく、
「そーよー」
と、大きく伸びをしながら答えた。
「だってコナン君ってかわいいんだもん!」
わたし、コナン君のことがかわいくてかわいくてたまらないだもん、と、それはそれは眩しい笑顔で言うのだ。
(バーロ、なにが「かわいい」だ・・・)
心の中で毒づきながらも、どんな形であれ彼女に好かれていると思うだけですぐに機嫌がよくなるのがこの男の特性であって、コナンはわずかに頬を染めた。
一方、あまりにも屈託なく“かわいい”と本心を語る親友に、この小さなナイトにそっくりな彼女の幼なじみに対しても同じくらい素直になればいいのに、と、つい園子は思ってしまう。
そして、
「まー蘭はもともと子どもが好きだし、ひとりっ子だから、コヤツのことが弟みたいに思えてかわいいのも分かるけどさ」
と、ここで急にニヒヒと笑って、
「でも、コヤツも蘭に惚れてるみたいだから、あんまり気を持たせたら可哀想よーん?」
などと言い出した。
(オイオイ、何言い出すんだ、このアマは・・・!)
焦るコナンを尻目に、
「そーんなわけないわよ!コナン君優しいけど、わたしとじゃ歳が違いすぎるもの」
と、笑って取り合わない蘭。
そりゃそうかとは思いつつ、そうもアッサリ否定されたのではコナンも少し寂しくなる。
園子は園子で、
「アラ、愛があれば年の差なんて関係ないって!最近は芸能人なんかでも年下がブームじゃない。この子、ちょっと生意気だけど結構見所ありそうだし、新一君に似てるから、将来は蘭が好きなタイプになってくれそうよ?それに、なんたって蘭のことが大好きだから、一生大事にしてくれそうだしさ!どう?あんな薄情な探偵なんか待つのやめて、いっそ本格的に乗り換えてみるっていうのは」
などと、相変わらず勝手なことを言っているし。
「もう!乗り換えるとか変なこと言わないで!」
「あら、じゃあもしかして二股?蘭ったらやるぅ~♪」
「園子!」
照れて半分怒り出す蘭に、ニヤニヤしながら、
「分かってるって!冗談よ、冗談。蘭は物心ついた時から新一君ひと筋だもんね!可哀想に、このガキンチョは結局フラれちゃうのかあ」
結局はからかいたいだけの園子だった。
「もー、ひとりで勝手に納得しないでよね!わたしは別に新一なんか・・・!!」
「しっ!大声出さないの。ガキンチョ起きちゃうよ?」
園子にそう言われて、アッ、と、蘭は自分で自分の口をふさいだ。
(園子・・・オメーの方が声大きいっつーの。ま、最初から起きてるけどな・・・)
寝ているはずなのに、今度は自然と眉間に皺が寄ってくるという表情豊かな(?)コナンを見遣りながら、
「でもねー」
と、蘭は少し声量を抑え、口調を変えて話し始めた。
「わたし、コナン君のことがかわいくて仕方ないから、ついつい甘くなっちゃうんだよね。甘いばっかりじゃダメだって分かってるんだけどねー」
「そっかなー?蘭はいつもよく面倒みてると思うよ。蘭じゃなきゃ、なかなかここまで出来ないと思うけど」
と、案外真面目な口調で園子は言う。それはいつも思っていることだし、いつも感心していることだからだ。
阿笠博士の遠い親戚とはいえ、要するに突然現れた赤の他人であるところの江戸川コナンという子を家で預かり、せっせと世話を焼いている親友の蘭。
家にひとりじゃ置いとけないからという理由で、園子と会う時にもしばしば連れてくるようになってから、どれくらいがたつだろう。
決して聞き分けの悪い子じゃないし、むしろ並みの大人より賢かったりもするのだけど、それがかえって蘭を心配させるタネになっていて。
「危ないからやめてって言ってるのに、いつもひとりでどこか行こうとするし、ちょっと目を離すとすぐ事件に首つっこんでるし」
コナン君、わたしの言うこと全然聞いてくれないんだもん、と、拗ねたふうに言う彼女。
「そりゃ仕方ないんじゃない?この子、誰かさんと一緒で事件体質みたいだし」
「え?誰かさんって誰?うちのお父さん?」
「それもだけど、あんたのダンナよ。新・一・君。彼も、たまに姿を現したかと思ったら、いっつも事件絡みじゃない」
「そんなとこまで似なくていいの!コナン君はまだ子どもなんだから、危ないじゃない」
そう言って、蘭は心配そうに目を細めた。
「本当はわたしがもっと厳しく注意してあげなきゃいけないんだろうけど・・・」
「言ったって大人しく聞くような子かねえ?」
園子は胡散臭げにコナンを見遣るが、
「でもまー、コヤツもなかなか健気だから。いつも蘭を危険から守ろうとしてるし、心配はかけても、最終的に蘭を悲しませるようなことはしないでしょ。子どもでも、そのくらいのことはちゃんと分かってるはずよ?」
と、悔しいけれど本当のことを言ってやる。
そうすると、
「そっか・・・そうだよね」
蘭にもようやく笑顔が戻ってきた。
そんな彼女を見て、園子は、ほらね、と思う。
蘭がナンパされると噛みつかんばかりに威嚇する。
いつも蘭の周りをさりげなくウロウロしつつ様子を窺っていて、ピンチになれば絶妙のタイミングで助けに入る。
蘭に心配をかけるようなことばかりしているけど、結局は蘭に一番信頼されている。最終的にはいつも彼女を笑顔にする。
(どっかにもいるわよね、そーゆー男)
園子が、それがまさか本人とは思わず、目の前に寝そべっている小学生の本来の姿を思い出しながら、
「しかしまー、蘭もここまで来るとコヤツのお母さん同然よねー」
と、今度はわざとふざけて、
「でーは奥さん?それ以外に息子の教育問題で何かご心配なことは?」
と、街頭インタビュー風に架空のマイクを差し出しながら尋ねると、
「うん、ある!」
と、蘭は大真面目に言い出した。
「ほーほー。と、言いますと?」
「この子、陰で時々わたしのこと『蘭』って呼んでるみたいなの」
「へー、生意気なヤツ!」
園子は呆れ、街頭インタビュー口調にするのも忘れて目を見開く。
「普段は『蘭姉ちゃ~ん』なんて言ってベタベタ甘えてるくせに、この歳でもう二重人格ってわけ~?」
「分かんない。けど、『蘭ねーちゃんの聞き間違いだよ』とか変な言い訳しちゃって、何度注意しても全然直さないのよねー」
うーん。なんだかちょっと話題がヤバくなってきたぞ・・・と思いながら、コナンは寝たままソロソロと音も立てずにふたりから後ずさっていた。
気をつけなくてはいけないと思ってはいても、蘭に危険が迫っていたり、あるいは服部平次と夢中になって推理のことを話している時など、ついついそういう呼び方をしてしまうことが、コナンにはよくある。
それでも、コナンが中学生くらいの思春期のガキなら、面倒をみてくれている憧れのお姉さんを陰で呼び捨てにしていても、それほどおかしくはないのだが、何せまだ小学生のチビだというのに、表と裏で呼び方を変えるというのは、たしかに変としか言えない。
推理の基本は『通常と違うことを見つけること』だ。
蘭が甘やかしている・甘やかしていないの問題ではなく、同じ『生意気』でも、コナンのそれが小学生として『通常の』生意気ではないことに気づかれたらヤバイのだ。
だが、『コナンの教育問題』という気がかりが、面倒見のいい蘭にとっては思いのほか強力な目眩ましとなっているらしい。
「うちで預かってる間にダメな子になっちゃったりしたら、外国にいるコナン君のお父さんとお母さんに申し訳ないもんね。うん、やっぱりこういうことは
何回も言って、ちゃんと覚えてもらおう!」
空手部で鍛えた彼女の論点は礼儀作法に気をとられ、今のところ微妙にずれているようだ。
一方の園子の論点はというと。
「全く!勝手に蘭の彼氏気取りなとこまで誰かさんそっくりね、侮れないヤツ!」
腰に手を当てて、そう“的確な”感想を述べた瞬間、コナンは不自然に大きな寝返りを打って、桟敷から砂の上に落っこちた。
(終)
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