もうひとつの邂逅
By 柚佐鏡子様
博士の家から帰ってきてみると、玄関には見覚えのある靴。
(…ああ、園子のヤツが来てるのか)
コナンは持ち前の推理力ですぐに理解した。
学校も冬休みに入り、空手の練習もない蘭は、園子と買い物に行くのだとか言って朝から張り切って出かけていったが、おおかた買い物を済ませたその足でここへ戻ってきて、お菓子でも食べながら更にダベっているのだろう。
(しっかし、アイツらは本当に仲がいいよな)
と、コナンは思う。
ガキの頃から毎日学校で会っていて、家に帰ってからもくだらねー長電話でいつも盛り上がってんのに、休みの日までよく喋ることがあるなー、と呆れる一方、そういう自分が、
“確かに毛利はかわいいけど、物心ついた時から終始一貫して毛利毛利で、なんでほかに目移りしねーのかなー”
などと思われていることを、彼は知らない。
ともかくも、子どもらしさをアピールしようと身につけた処世術で、
「ただいまー」
と、コナンはいつものように元気よく帰宅の挨拶をするが。
園子がそれ以上に大きい声で喋っているので、コナンの挨拶などかき消されてしまった。
しかも園子の会話の内容と来たら−−−
「いや〜、それにしてもびっくりしちゃったわよ。蘭ったら道の真ん中で男の子と見つめ合ってるんだもん!」
(なっ、何ィ!?)
コナンの耳が警察犬のシェパードのようにピクンと動く。
「もー…いいじゃない、その話は終わりにしよ!」
蘭は蘭で、少し照れたような顔をして話を終わらせようとしている。
滅多に見せないハニかんだ表情をしている蘭の様子を見て一気に不機嫌になり、居間の入り口につっ立っているコナンに気づいた彼女は、
「あっ、おかえりコナン君。早かったね」
と彼の心中も知らずに笑いかけ、手洗いとうがいをしておいで、一緒にジュースでも飲もうよ、などと、すっかり保護者モードに戻って話しかけてくるのだった。
「ねえ、さっきのって何の話?」
前後の流れも著しく無視してコナンが質問すると、蘭は、
「べ、別になんでもないわよ。コナン君はそんなこと気にしなくていーの!」
と、恥ずかしそうに、しかしさりげなく自分を蚊帳の外に置こうとするので、これ以上の追及は難しいだろうと考え、
「ねえ、何の話?」
と、今度は話したくてウズウズしていそうな園子の方に振ってみると、よくぞ聞いてくれましたとばかりに、予想どおり鼻息荒く割って入ってきた。
「何の話って、蘭の“運命の恋・第2章”の幕が開けようとしてるって話よ!」
「もー!コナン君に変なこと吹き込まないでよ!」
照れる蘭の傍ら、コナンはひきつりながら、
「…第2章ってどういう意味?」
と呟いた。
「それがさぁ!今日、私、家を出るのがちょっと遅くなっちゃって、急いで待ち合わせ場所に行ってみたらさ〜、蘭が男の子とラブラブに見つめ合っちゃってたのよ〜。無言でふたりの世界つくちゃってさ〜」
「ラ、ラブラブ?ふたりの世界?…誰と?」
眉間の皺が深く刻まれ、子どものくせに鬼の形相を呈しているコナンの鼻先にビシッと人差し指を突きつけ、
「前に渋谷で会った新一君のそっくりさん!あんたも覚えてるでしょ?」
と断言した園子は、突然夢見るようなとろんとした目つきになり、指と指を組み合わせて、うっとりと語り始める。
「ある日突然、理由も告げずに居なくなってしまった恋人…寂しさの中、偶然に出会ったひとりの男の子…彼はなぜか愛する人に瓜二つだった。運命に導かれるように惹かれ合うふたり…やがて思いは通じ、幸せな日々が続く。しかし、ふたりの仲を引き裂くかのように、元恋人が戻ってくる。再び燃え上がる愛、しかし今の恋人を裏切ることも出来ない…ふたりの男性の間で揺れ動く乙女心…」
が、乙女モードはここで終わり、
「なーんちゃって!ドラマティックだと思わない!?ね!?ね!?」
と、ひとりで興奮してキャーキャー言っている彼女に、
(韓流ドラマじゃあるまいし…)
いつものこととはいえ、辟易ぎみなコナンと蘭だった。
「でもあの人って、そんなに新一兄ちゃんに似てたかなあ?ボクにはそんなふうに見えなかったけど…」
ちょっと似ているくらいで、よその男と見つめ合われたんじゃーかなわないとばかりに、コナンが不機嫌そうに呟くと、
「うん!近くで見ても、とってもよく似てたよ」
その不機嫌具合を逆撫でするかのように、蘭はどことなく嬉しそうな顔をしながら、
「声まで新一にそっくりでね、ホントびっくりしちゃった」
などと言うので、
「声って、あんた彼と喋ったの?」
と、今度は園子が驚いたように聞き返した。
「何喋ってたのよ?名前とメルアドくらい聞いた?蘭もすみに置けないわねー!」
「もう…違うってば!彼が『君はオレの知り合いの女の子にすごく似てる』って言うから、あなたもわたしの幼なじみにそっくりですよって…、そういう話をしてただけよ。その後すぐに園子が来たし、彼も誰かに呼ばれて行っちゃったから、名前なんか聞くヒマなかったし…」
蘭の答えを聞いて、いかに名探偵であっても、まさかそれが真実だとは露知らず、
(ハッ、なーにが『知り合いに似てる』だよ。要は体のいいナンパじゃねーか)
などと、余計にイライラするコナン。
一方の園子は、
「ねえ、それってもしかして…」
と、急に目を輝かせ始める。
「怪盗キッド様だったんじゃない!?」
「「ハアァ〜〜??」」
コナンと蘭は呆れ果てて、同時に言い返した。
「なんでそこにキッドが出てくるのよ?」
「だってキッド様、前にも新一君に変装して蘭にちょっかい出してたことあったじゃない。きっとキッド様、ちょっと蘭のこと気に入ってんのよ!いいな〜!ずるいわよ蘭、自分ばっかりー」
事実は小説(漫画?)よりも奇なり。
園子のミーハーな憶測さえ真実であることなど当然知るはずもない名探偵は、むしろ、すっかり忘れていたあの時の出来事(注:映画『銀翼の奇術師』より)を思い出し、ますますムッとして、子どもらしく(?)ムキになって反論するのだった。
「あのときはスター・サファイアを狙ってたから、警備をかいくぐるためでしょ?キッドだって意味もないのに新一兄ちゃんに変装したりしないよ」
と言うより、しないで欲しい、しないことを願っている、というのが偽らざる本心なのだが。
あんなに本人そっくりになりきる奇術師に、方々で工藤新一として迂闊な行動をされては、こっちはたまったもんじゃない。生きていることが世間に知られるのもまずいし…それに、全く嬉しくないことだが、初めて会った時からアイツが妙に蘭のことを気にしているのは確かだ。アイツが狙っているのは、あくまでも宝石だけだと思いたいんだが。
「そうそう。コナン君の言うとおりだよ」
ありがたいことに、当の蘭もコナンに賛同してくれる。
「あの人新一にすごく似てたけど、近くでよく見たら、やっぱり新一じゃないってことくらいはすぐに分かったよ?そんなすぐ他人に見破られるような変装、キッドがするかなあ」
「そっかあ、キッド様じゃなかったんだぁ。残念〜」
そう言って悔しがっていたかと思えば、園子はまた何かを思いついたようで、
「ってことは、もしかして…」
と、顎に手を置いた。
「やっぱりあれ、新一君だったんじゃない?」
「だから新一じゃないんだってば!すごく似てるけど違う人で…」
「蘭、これは発想の逆転よ!つまりあれは変装した新一君だったのよ!」
(何またワケ分かんねーことを…)
もはや突っ込む気力もないコナンになど目もくれずに、園子は滔々と自説を展開する。
「正体を隠して蘭に会いに来たはいいけど、名探偵といえど変装に関しちゃ素人!女房にはすぐバレる程度の、ツメの甘い変装だったのよ」
「あのねえ…なんで新一が正体隠して会いに来るなんてまわりくどいことしなきゃなんないわけ?…ってか、別に女房じゃないし!」
「まあまあ、照れないの!でもさ、ホラ、アヤツもワケ分かんない事件にばっか関わってるみたいだから、きっと変な奴らに追われてて、表に出てこられないのよ。でも蘭に会いたい一心で、出来もしない変装までして、他人のふりしてひとめ会いに来たに違いないわ!全くぅ、泣かせるわね〜、夫婦愛よね〜」
最初は“また突拍子もないことを言い出した”と思っていたが、園子の推理がだんだん現実に近くなってきたので、コナンはなんだかそら恐ろしくなり、
「ね、ねえ!ジュース飲んでいいよね?ボク取ってくる!」
と、その場を後にした。
園子も帰ったその日の夜。
小五郎は飲みにでも行ったのか、いつのまにかいなくなっていた。近頃ではすっかり口うるさくなった娘の目を逃れるようにして黙って出て行き、何食わぬ顔で「飲みに出たから夕食はいらない」などと外から連絡を入れるのだ。
まあ、そんなことができるようになったのも、コナンがこの家に来て、娘をひとりにしなくていいという開放感を得たことによるのだろうが。
そんなふたりきりの空間で、
「ねえ、蘭姉ちゃん。昼間会ったっていう新一兄ちゃんに似てる人ってさ…」
と、コナンが話しかけたとき、
「コナン君ったら、妙にあの人のことにこだわるのね?」
蘭は優しく彼の言葉を遮った。
昼間からずっとそうだ。その人物の話題になると、蘭はどうもさりげなく距離を置こうとする、とコナンは感じていた。
自分のことを本当の弟のように扱っている蘭は、普段ならどんなことでも屈託なく話してくれるのに。まさか本当に恋の第2章が始まりそうになっていて、無自覚な恋心に逡巡しているから、自然と彼女の口も重たくなっているのじゃなかろうか、などと、あらぬ妄想に駆られて気が気じゃなく、
「蘭姉ちゃん、もしかしてその人のことが気になってるの?」
と、意を決して尋ねると、
「そりゃ気になるよ?だって新一にそっくりなんだもん」
ちょっと頬を染めて蘭は言う。
「で、でも…その人は新一兄ちゃんじゃないよね…?」
うつむきながらも、コナンは確認せずにはいられない。姿形がどんなに似ていても、たとえ怪盗キッドのように、そっくりになりかわる『別人』がいたとしても、それは所詮別人でしかなくて、蘭の心を満たすことはない。自分は、工藤新一は、彼女にとって唯一独自の存在であるということを。
「…新一兄ちゃんに似てる人が近くにいれば、蘭姉ちゃんは寂しくないの?またあの人に会いたいと思う?」
「バカね、変なこと気にしちゃって。もしかしてコナン君の言う『気になる』って、わたしがあの人のこと好きになったってことなの?」
全く、おませなことばっかり考えてるんだから、と、蘭はコナンの頭に軽く手を置いて、
「『新一』と『新一に似てる人』じゃ全然違うでしょ?コナン君なら分かるよね」
と、ふふふと笑い、優しく言い聞かせるような口調で話しかけた。
「あのね、わたしね…」
「うん?」
「コナン君のこと大好きだよ」
「えっ…あ、うん…」
そういう意味ではないことはよく分かっているが、突然愛を告白(?)されて、しどろもどろになるコナンに、
「でも、わたしは『コナン君』が好きなの。別に新一に似てるから好きなわけじゃないよ」
と、蘭は言う。
−−−ああ、この愛しいひとは、どうして『コナン』の前ではこうも『新一』への愛情を全開にしてくれるのだろう。コナンも好きだが新一も好きだなんて、今の彼にとっては最も嬉しい言葉を、こうもあっさりと与えてくれるのだろうか。
「…うん、分かった!」
さっきまでの不安は一切吹き飛び、機嫌も一気に回復したコナンは、すっかり板についた子どものふりで、
「でも蘭姉ちゃん、あの人のこと妙に隠そうとするじゃない?ボクも興味あるのに、蘭姉ちゃん、全然教えてくれないんだもん」
と、拗ねて言い返すと(注:拗ねた“ふり”ではなく、本当に拗ねている)、
「別に隠そうとしてるわけじゃないけど…。だってコナン君、わたしの知らないところで新一に連絡とったりしてるじゃない?」
蘭は、男心にかなり訴えかける、あのハニかんだ笑顔を浮かべて、
「コナン君、このこと新一に喋るかもしれないでしょ?そしたら新一、なんだか意地悪なこと言いそうな気がするんだもん」
彼女の方こそちょっと拗ねたふうに、こんなことを言うのだ。
「『キッドの変装じゃあるまいし、そんなそっくりな人間なんていやしねーっての。それとも蘭は、関係ない奴をオレと見間違えるほどオレに会いたいのか?』−−−なーんて言ってバカにされるの嫌だし」
そうだな、たしかにオレはそういう言い方をするかもしれない、とコナンは思う。
蘭の意識の中に自分の存在があることを確認できて嬉しいから、だけどそんな恥ずかしいこと、とても直接言えないから、ついそういう屈折した言い方をしてしまうだろう。
でも、蘭にとってはただ意地悪されてると感じるんだな。
そんなことはないよと、コナンという『他人』の口を借りて言うのは簡単だが−−−
(今度おっちゃんがいない時でも、久しぶりに電話してみっかな…)
なぜかひとりで勝手に照れながら、彼はそんなことを思うのだった。
一方の蘭は、どういうわけか思いつめた感さえ漂っていたコナンの表情がようやく柔らかくなったのを見て安心し、本当はこれ以上なく本人に筒抜けな状況なのも知らず、
「だからコナン君、あんまり新一にいろいろ言っちゃだめよ?新一は探偵だから、大抵のことはすぐに分かっちゃうんだけど、わたしにだって秘密にしときたいことくらいあるんだからね!」
と、コナンに念を押す。
終始頬を染めながら自分のことを話す彼女が可愛くて、
「分かってるって。でも蘭姉ちゃんって本当に意地っ張りだよねー」
自分のことは高い高い棚の上に上げて笑うコナンに、
「もー!子どものくせにからからないの!」
と蘭は言い、それからしげしげと彼の顔を見つめて、
「それにしても、世の中にはそっくりな人が3人いるっていうの、本当なんだね」
と、おかしそうに笑った。
「コナン君って、時々本当に新一にそっくりだよ?今みたいに意地悪言ったりする時は、特にね!」
「へ、へー…。じゃあもうひとりのそっくりな人って、その昼間会った人?」
「うん。だってホントにそっくりだったんだもん。あの人も、新一やコナン君みたいに意地悪言ったりするのかな?やっぱりもうちょっと話してみたかったかも…。またどこかで会えるかなあ?」
「ら、蘭!…姉ちゃん」
無邪気な蘭にまたもや不安を募らせたコナンが、
(やっぱ、今日のうちに電話しとこ…)
と、決意を新たにしたことは言うまでもない。
その日の夜遅く。
「新一?ずいぶん久しぶりじゃない。どうしたのよ、こんな時間に。事件は?」
日頃はあんなに「新一はどうしているだろう」みたいなことばかり言っているくせに、電話に出た蘭は相変わらず平静を装っていて、別段嬉しそうなそぶりも見せない。それが自分を心配をさせないための彼女なりの健気な嘘だということを分かってはいても、なんだかなあ、と思わずにはいられない変声機越しのコナンが、
「それが、今ちょっと膠着しててな」
と、決して嘘でもない答えを口に出すと。
「ねえ新一。先生がね、今のままだと進級が危ないから、せめて期末テストの追試だけでも受けに帰って来ないと本当にヤバイかもって言ってたよ?」
「…げ、マジかよ?」
「マ・ジ・よ。事件もだけど、自分の高校生活まで膠着させないようにね、新一」
いつまでも帰ってこない自分に対する意趣返しだと分かってはいても、こうも毎度毎度スリリングな情報ばかり提供されると、別の意味でも電話するのが怖くなってくる。
とはいえ、少し話しているうちに、いつものペースを取り戻すふたり。
学校生活、最近読んだ本、空手の試合結果…そうした他愛もない会話の中に、
「あ、そうそう」
さも“今思い出した”という感じで、『新一』は偽りの話題を紛れ込ませた。
「そーいやぁオレ、このまえオメーにそっくりな高校生に会ってよ」
「…わたしに、そっくり?…って何が?」
「全部。顔とか、声とか」
「…えっ!?」
蘭は暫し絶句した後、
「…新一、やっぱりコナン君に何か聞いたんでしょう?」
と、憎々しげに言い返す。
からかわれていると思って顔を真っ赤にしている様が、実際に見なくても『新一』には容易に想像できて、そのあまりの可愛さに思わず笑いそうになるのを我慢しながら、
「別に何も聞いてねーけど?コナンがどうかしたのか?」
と、何気ない口調で問うた。
「ちょっと…本当に何も聞いてないんでしょーね?」
何がそんなに恥ずかしいのか、しつこく確認してくる蘭に、
「だから何を聞くってんだよ?何かあったんなら、わざわざアイツを通さなくても、今お前から聞いてやるよ」
と、さらりと言ってやると、
「な、ないない!別に新一が聞くようなことなんて何もないから!」
今度は慌てて否定。
「あんだよ、挙動不審なヤツだな。どーしたんだよ」
「どうもしないったら…。それよりそのわたしに似てる人って、そんなに似てたの?」
「ああ。一瞬蘭と見間違えるほどそっくりだったけど、よく見ると全然違っててよ。変な感じだったぜ」
「ふーん…」
我と我が身を振り返っているのか、妙に納得したような返事をした後、
「でも珍しいね、新一が人を見間違えるなんてさ。探偵たる者、一度会った人の特徴は忘れないんじゃなかったっけ?」
と、蘭は揶揄するように言った。
「しばらく会ってないから、わたしの顔も見忘れちゃった?そんな観察力じゃ、今抱えてる事件もいつ解決できるのか分かんないわね」
寂しさを無理に押し殺して、本当は言いたくもない嫌味を言っているのが分かるから、
「バーロ。オレが蘭の顔忘れるかよ」
『新一』は、少しツッケンドンなくらいに彼女の不安を一蹴してやる。
「…でも、最初わたしと見間違えたんでしょ?」
「だから、そのくらい外見が似てた、ってだけの話だろ。だいたい、いくら似てるっつっても、その子は蘭じゃねーんだし。…ってか、蘭じゃなきゃ意味ねーし」
「……」
そこでいきなり蘭が黙り込んだので、ふと会話が途切れて沈黙が広がった。
(うわ…何言ってんだ、オレ…)
会話の勢いとはいえ、我ながら意味深発言をかましてしまったことに気づいた『新一』は、急に気恥ずかしくなってしまい、
「そ、そういやぁオレ、ちょっと調べ物しなきゃなんねーんだった。もう切るぜ?」
などと、変なところで慌てて電話を切ろうとする。
「あっ、ちょっ、ちょっと待ってよ、新一…」
「んじゃ、また連絡すっから!」
ガチャッといきなり切れた電話。
しばらく呆然と、ツーツーという電話音を聞いた後、
「もう…」
と呟いた蘭の顔は、真っ赤だった。
「何なのよ、急に…」
口ではそんなことを言いながら、さっきの新一がなんだか“らしく”なかったことが、気になって仕方がない。
『蘭じゃなきゃ意味がない』なんて…あんな言い方されたら勘違いしちゃいそうだよ。新一もわたしに会いたいと思ってくれてるのかな、なんて…。
ひとり勝手に照れながらそんなことを考えていると、蘭はふと、ドアの外に人の気配を感じた。
(お父さんったら今頃帰ってきたのかな?全く、相変わらずなんだから…)
一言小言を言ってやろうとドアを開けると、ドアの外には小五郎ではなく、なぜだかコナンが立っている。
「あれっ、コナン君!」
「ら、蘭姉ちゃん…!」
(ヤベッ、気配でバレたのか?やっぱ、コイツの空手はダテじゃねーな)
コナンは持っていた携帯を必死で後ろ手に隠しながら、
「どうしたの、こんなとこで。まだ起きてたの?」
と当然の質問を問うてくる蘭に、
「う、うん、まあね…」
と、しどろもどろになっていた。
「もー。何してるのよ、こんな遅くまで。早く寝なきゃだめじゃない!」
「ご、ごめんなさい。ちょっと眠れなくって…」
なんだか妙におどおどしているコナンに、ちょっと口うるさく言い過ぎたかと勘違いして、
「別に謝らなくてもいいけど…。じゃあコナン君、わたしと一緒にココアでも飲んでから寝よっか?」
と、蘭は笑いかけた。
「うん。ありがとう、蘭姉ちゃん」
「その代わり、ちゃんと歯磨きするのよ」
(オレはそこまでガキじゃねーっつーの…)
内心毒づきつつも、蘭が目に見えてご機嫌になっているので、彼も自然と笑顔になる。
キッチンでココアを入れる蘭の後ろ姿を眺めながら、
「ねえ蘭姉ちゃん、さっきまで誰かと電話してたの?」
と、コナンは尋ねた。
「え?どうして?」
「手に携帯電話持ってたから。それにずいぶんご機嫌みたいだけど…もしかして新一兄ちゃん?」
見てきたようなことを言うコナンに、
「…ねえコナン君。…もしかして、あのこと新一に言った…?」
ココアを持って振り返った蘭の顔は、真っ赤だった。
分かっているのに、
「あのことって何のこと?」
と子ども口調で知らないふりをするコナン。
「だから昼間の…新一に似てる人の話」
「いや、言ってないよ。蘭姉ちゃんが言うなって言ったから。でもどうしたの、そんな真っ赤になって」
「べ、別にどうもしないけど…ただ、新一が…」
「新一兄ちゃんが?」
「新一がね、わたしが思ってたのと同じこと言ってて…それで、嬉しかっただけ!」
蘭だって、新一に似ている男の子には単純に興味がある。なんでこんなに似てるんだろうなっていう、単純な好奇心。偶然って面白いなあと思う。
だけど、ただそれだけ。やっぱり『新一じゃなきゃ意味がない』。
(わたしも、そう思ってたんだよ)
だから。
(だから早く帰ってきてね、新一…待ってるから…)
穏やかな笑みを浮かべる蘭を見て、コナンは感じる。
いつもいつも彼女に嘘をつき続けていることに対する罪悪感を。彼女の真意を知りたくて、それでも懲りずに作り話などしてしまう自分のずるさを。
だけど、蘭。
(オレがこんなことするのも、全部…オメーが好きだからなんだぜ?)
それを自己嫌悪の免罪符にしたくはない。いつかそのことを知ってもらって、ちゃんと“蘭に”許してもらいたい…。
今は決して交差することのない想いを包み込むように、甘いココアの香りがキッチンに漂い、ふたりの夜は更けてゆく−−−
(終)
戻る時はブラウザの「戻る」で。