love photograph



By 柚佐鏡子様



和葉のお守りは予想外の傷害事件とその解決を経て、無事に手元に戻ってきた。
 遠い昔の大切な思い出と、最愛の人の写真とを封じ込めたそのお守りには、身の安全のみならず、若干スローペースなふたりの恋路までも守ってくれるご利益があったようで。
 自分の写真に子どもじみた落書きが施されていたことに痛く機嫌を害し、それこそ子どものようにいつまでも文句を言い続けている平次にはほとほと閉口したが、お守りの中に彼の写真が入っていた本当の理由を申告するくらいなら、今はただ勘違いしてもらっていた方がよっぽど気が楽だと和葉は思う。
 取るに足りないケンカはちょっしゅうだし、もともと平次は、そんな些細なことを根に持ったりするタイプではないので、そのうち忘れてくれるだろう。


 さて、事件も無事に解決し、一行は毛利探偵事務所へと帰宅の途に着いた。
 もはや何の躊躇もなく、当然のように毛利家を東京の常宿と定めている大阪の高校生探偵とその幼なじみだったが、そうかと言って、(平次はともかく)和葉としては、遠慮のかけらもないわけではない。

「ごめんな、蘭ちゃん。東京に来るたび毎度毎度お世話になってしもて…」
「いいっていいって、そんなこと気にしないで?わたし達だって大阪に行った時は、服部君や和葉ちゃんにお世話になってるんだし」

 そんな会話を繰り広げながら、毛利家に泊まるときには共通の寝室として使わせてもらっている蘭の部屋に入り、荷物を下ろすと、和葉は真っ先に机の上に置いてある写真立てを手にとって、

「こんにちは、工藤君。またお邪魔してます!」

と、元気よく話しかけた。

「もぉ。和葉ちゃんったら、また新一の写真に挨拶なんてして…」

 眉尻を下げて苦笑いするも、蘭は、敢えてそれをやめさせようとはしない。
和葉のこの行為はもはや習慣と化していて、今更改めさせることはできないと、正しく悟っているからだ。
 蘭の机の上には、新一が姿を消した日にトロピカルランドで撮った、新一と蘭のツーショット写真が飾ってあった。
 まさかこれ以降、会うことはおろか、ろくに連絡もとれない状態が続くことになるなんて知るはずもなかったふたりが、写真の中で笑い合っている。
 初めてこの写真を見たときの和葉の反応は、

「へー…これが噂の工藤君?なんやカワイイなぁ」

だった。
 新一のことを「カワイイ」と称する女の子は、年上女性を除いてはあんまりいないと蘭は思う。
 だいたい、マスコミなどで一般に知れ渡っている新一像というのは、妙にキザでカッコつけな部分が強調されていて(というか、探偵をやっている時の新一は、普段はどうあれそういう人物に変身してしまうので)、それに対する人々の印象も、必然的に「カッコイイ」とか「クール」とかいうものが多く、下手すると「渋い」なんてのもあるくらいで。
 けれども、平次は大阪ではかなり有名らしいし、大阪においては彼の存在大きくして、新一の活躍ぶりも東京ほどには報道されていないのかもしれず、否、それ以前に、和葉にとっての名探偵は服部平次ただひとりだけだから、他の探偵のことなど知る必要もなく、知ろうともしなかったのだろうという蘭の推理は、当たっていないはずはない。
 そういった意味では、余計な情報を何も耳に入れず、ただ1枚の写真でしか新一を知らなかった和葉の第一印象は、案外真実に近いのかもしれない。
 たしかに、色黒で眉も濃く、りりしい顔立ちの平次と比べれば、新一はどちらかと言えば童顔の部類だし、あまつさえ悪戯っぽい笑顔を浮かべてピースサインなんか出している姿は、正しく「カワイイ」以外の何者でもないという事実に思い当たった時、蘭は、今まで意識していなかった新一の一面を改めて知った気がした。
 そして、さらりとそういう真実に辿り着ける和葉の感覚に、素直に驚いたものだった。


 あれから和葉は、2度ほど新一と会う機会があった。
 と言っても、新一は姿を現す度に何故か必ず体調が悪そうで、すぐ倒れたりするので、今のところ親しい間柄になったと言える状況でもない。
 それでも、

「けどアタシ、ちょっとでも工藤君に会えてよかったと思てん。今度工藤君から連絡あったら伝えといてな。平次の“お姉さん”の遠山和葉が、1回ゆっくり喋りたい言うてたって」

と屈託無く笑う和葉に、蘭はどこか救われたような気持ちになっていた。
 けれども、だからと言って、その後部屋に立ち入るたびに、

「工藤君、こんちは!」

とか、

「最近元気でやってはる?」

と、わざわざ写真に声をかけるようになった彼女には、さすがの蘭も訝らざるを得なかった。
 和葉が新一に好感(好意、でないところもポイントだけど)を抱いてくれているらしいのは嬉しいし、それに、肌身離さずお守りを持ち歩いているくらいだから、普通の人よりは信心深いというか、物質に思い入れを込めるタイプなのだろうとは思うけど、写真に話しかけるという感覚は、蘭にはちょっと理解し難い。
 だって、新一の写真に話しかけても、写真は何も答えてくれない。

『オメーやけに楽しそーだな。何かいいことあったのか?』

とも、

『んな何度も同じこと言わなくても、わぁってるって』

とも言ってはくれない。
 まして、

『蘭、知ってるか?ホームズの事件簿にもこーゆーのがあってよ…』

なんて得意げに切り出したりなんかしない。
 そんなふうに、新一らしい言葉は何一つ語ってくれなくて、写真というのは一瞬の笑顔の切り取ったまま、永遠に無言を貫いているだけ。
 今の蘭はそれが怖い。
 話しかけても何も反応も返ってこないのが普通という状況が、たまらなく怖いのである。
 そして、だからこそつい、ある縁起でもない発想にさえ取り憑かれてしまうのだ。

「なんか、そうやって写真に話しかけてるとさ…」

 蘭はたった一度だけ、微かな苦笑いとともに、こんな呟きを漏らしたことがあった。

「新一…もう死んじゃってる人みたいじゃない?」

 いない状態が当たり前の人−−−その究極の形は、故人だから。

「そんなことないよ!?」

 和葉は勿論、そんな蘭の発想を大声で否定した。

「だって蘭ちゃん、いつも工藤君が見守ってくれてる気がするて言うてたやん?それやったら、アタシも蘭ちゃんの新しい友達としてシッカリ挨拶しとかんと、って思うただけやもん!」

 怒ったように必死でそう言い募り、

「蘭ちゃんがそないな弱気なこと言うんやったら、もっと真剣に工藤君にお願いしとかなアカンね!」

と強く言って、それ以降、

「工藤君、今どこにおるん?今度はいつ帰ってくるつもんなん?」

とか、

「早う帰ってこんと、蘭ちゃん他の男にとられてまうで?」

とか、いっそう熱心に(?)写真に話しかけるようになったのだった。
 それは自分を励ますための思いやりの行動なのだと、蘭はずっと思っていた。
 熱心に写真に話しかける和葉の元気と明るさに支えられて、新一がいない寂しさも薄らいでいくような気がしていたから。
 だけど、ただそれだけではなかったことに、今日、蘭は気づいてしまった。
 彼女のお守りには、愛しい幼なじみの写真が入っていることを知ってしまったから。
 あのお守りはただのお守りじゃない、彼女にとっては“平次の分身”“平次そのもの”なのだ。
 平次は、新一のように行方不明になっているわけじゃないけど、事件を追って後先考えずに危険に飛び込むところは新一と一緒、いや、新一以上みたいだ。
 そんな彼に、いつもいつもついていけるわけもなく、和葉は常々あのお守りを平次と思って、懸命に語りかけているのだろう。

『平次、今どこにおるん?』
『平次、また危ないことに首つっこんどんとちゃうやろね!』
『平次、早く無事に帰ってきてや…』

と。
 だから、彼女が新一の写真に語りかけるのは、彼が故人のような存在になっているからなんかじゃなく、まさに新一が生きていて、いつもどこかで探偵活動をしている証拠。
 いなくなって久しい新一。一時はあんなに騒がれていたのに、世間が彼のことを忘れてゆくのは早い。
 けれども、新一のことを全く知らなかった和葉こそが、今では一番新一の存在を確かなものとして扱ってくれているなんて、なんだか不思議な話だけど。
 でも、それも素敵な話だと蘭は思う。
(ね、新一。新一もそう思わない?)
 その日、幼なじみがいなくなってから初めて、蘭は彼の写真に問いかけることができた。



(終)




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