天然未来予想



By 柚佐鏡子様



 工藤新一は麗らかな陽気を感じながら、窓際の席でうつらうつらと舟を漕いでいた。

 前日も夜遅くに事件で呼ばれた彼は、図らずも−−−と言っても彼にとってはよくあることだったが、夜を徹しての捜査に加わり、気づいた時にはもう夜が明けていた。
 ようやく帰宅した後、思い出したように押し寄せてくる疲れと面倒くささで学校をサボってしまいたいという衝動に駆られながらも、結局は一睡もしないままに登校して。
 自慢の(?)襟足をしっかと掴まれて闇の世界へ引きずり込まれるような、そんな強烈な眠りの誘惑をねじ伏せて、辛うじて授業だけは受けているものの、さすがに休み時間までは睡魔に勝てず、こうして机に突っ伏して、浅く寝入ってしまうのだ。
 肝心の授業内容は右から左だし、こうまでして学校に来る必要があるのかと時々思うこともあるが、単純に高校を卒業するための出席日数の問題もあるし、それより何より、朝は蘭が迎えに来てくれるのに、「疲れたから行かない」などという選択肢はないだろう。蘭も一緒に休んでくれるんなら、話は別だけど。
 まあ、それだけじゃない。
 ここに来れば、クラスの仲間と会ってバカなことをやったり、それなりに勉強したり、あるいは普通に教師に怒られたりもする。いくら世間では日本警察の救世主などともて囃されていても、今の自分の本業は“高校生”なんだと、ともすると事件だけにのめり込んでしまいがちな自分に、自然と本来の立場を思い出させてくれるのだ。
 別に学校に来る必要はなくても、学校に来る“意味”は十分にある。
「オイ、起きろよ工藤!」
 ホラな。事件で疲れた名探偵にも、こうやって遠慮なしに話しかけてくる奴もいるし…。

「ホラホラ起きろって!おまえも書けよ」
「あぁ?…何をだよ?」
 寝ているというのにゆさゆさと肩まで揺さぶられるそのしつこさに根負けし、渋々顔を上げた新一に、親しいクラスメイトの会沢は突如として1枚の色紙を突きつけた。
「…なんだ?これ」
「何って、礼ちゃん先生の結婚祝いの色紙だよ!おまえ聞いてなかったのか?」
 “礼ちゃん先生”というのは、このクラスの副担任の女性教師である。今年教師になったばかりの新人先生で、生徒達とは歳も近く、まだ初々しくて可愛い女性なので、“礼ちゃん先生”などと呼ばれて(特に男子生徒に)親しまれているのだ。
 しかし、その手のことにはまるで無関心な新一は、
「へ?あの人結婚すんのか?」
と、初めて知ったと言わんばかりに聞き返した。
「だからさっき田代が言ってたろ、みんなで色紙に寄せ書きして渡そうって!おまえって人の話全然聞いてないんだなー」
 半ば呆れた様子の会沢の皮肉は完全にスルーして、とりあえず無言で色紙を受け取り、おもむろに色紙にメッセージを寄せようとした新一だったが、
「なんだよ、まだひとりしか書いてねーじゃん。…ん?『大好きでした、結婚が嫌になったらいつでもオレの所へ来て下さい、待ってます。会沢』…って、何考えてんだ、オメーは!」
と、思わず声をあげた。
 どういう妄想(?)によるものか、思春期特有の惚れっぽさを持つ会沢が、彼女に対して実はかなり真剣な恋心を寄せていたことには薄々気づいていたものの、さすがにこのメッセージはないだろうと、
「結婚祝いに不吉なこと書くなよな」
と、半目で見遣る。
「何が不吉なもんか。オレの偽らざる真心を書いたまでだ!」
「だからって、書いていい場と悪い場ってもんがあんだろーが。ちょっとは偽れよ!」

「なんだと〜、おまえ探偵のくせに偽証を勧める気か〜?」
 そうやってふたりで騒いでいると、それを目聡く見つけた女子学級委員の田代に、
「ちょっとふたりとも!ふざけてないで、ちゃんと書いてくれたの?」
と怒られてしまった。
 オレのせいじゃないのに…と内心苦笑しながら、ハア、と、相槌とも溜め息ともつかぬ声を発した新一が、
「オレ後でいいや。会沢の後に書く気しねーし…」
と答えながら色紙を返そうとすると、
「ダメ!工藤君は事件とか言ってすぐいなくなるじゃない!だから今のうちにちゃんと書いといてよ」
と、かえってうるさく言われ、つい思わず、
「めんどくせぇ…」
などと呟いてしまった。
 その呟きを聞き漏らすはずもない田代女史は一気に不機嫌になったが、不機嫌顔から途端に何か思いついたような顔つきになって、
「いいわよ。そういうこと言うんなら…」
と、少し後方で園子とお喋りに興じている蘭に、
「らーん!ダンナさんがクラス活動に協力してくれなーい!」
と大声で呼びかけた。
「ケケッ、奥さんにチクられてやんの」
 面白そうに笑う会沢の頬を腹立ち紛れにひっぱりながら、
「…んなんじゃねーよ」
と短く否定するのが精一杯の新一達のところへ、いつものように“ダンナじゃないって言ってるのに…”などとブツブツ言いながらも近寄ってきた蘭(と園子もいるが、新一の視界には入っていない)は、彼の手にしている色紙に気づいて、ふわっとした笑顔を浮かべた。
「ねえ、それって礼子先生にあげる色紙でしょ?一緒に書こうよ、新一!」
と、さも当たり前にペンを渡してくるので、
「おう」
と、新一も自然の動作でついそれを受け取ってしまい、そこでようやく、自分に向けられた“さっきまでは後でいいとか言ってたくせに〜”という無言のツッコミとニヤけた視線に気づくも、もはや手遅れ、せめて冷やかされないようにと気づかないふりでやり過ごして、
『ご結婚おめでとうございます。 工藤新一』
と、ただシンプルな祝辞を書く。
「工藤って頭いいわりには、こういう時、全然芸がないよなー」
 いちいち茶々を入れてくる会沢に、
「テメーみたいなこと書くよりはマシだろ」
と答えると、近くにいた中道まで、
「『すぐに後に続く予定なので、結婚生活の極意を教えて下さい!』とかさ、いろいろあんだろー?工藤の場合!」
などと、余計な口を挟んでくる。
「うっせーんだよ、オメーらは!」
 相変わらずしょうもないことで騒ぐ新一達だったが、とりあえず色紙にメッセージを書いてさえ貰えればそれでいいのか、今度は田代も別に怒りはせず、
「でもさー、礼子先生ってまだ23歳なのに、結婚早いよね?」
などと話し始めた。
「そうだそうだ!人生まだまだこれからだってのに!」
 相変わらず未練がましい会沢が、妙に熱いリアクションを示すと、
「別に早くもないんじゃない?うちのお母さんなんか20歳で結婚してるし」
と、蘭が言う。
「へー、すげーな。毛利って早婚の家系なんだ?」
 答えた会沢としては、特に何の気なしに相槌を打っているだけのつもりだが、
「…別に家系は関係ねーだろ」
 −−−それすらも気にくわないらしい男が約1名いるようだ。
「うちの親も20歳で結婚してるし、そんなに早婚でもねーよ」
 そうは言いながらも実際問題として、蘭とはなるべく早いうちにそういう段階に進みたいと勝手な計画を立てているこの男。今のような“気の置けないお友達”状態で足踏みしているようでは、親と違って自分達だけが早婚の波に乗り遅れ、そうこうしているうちに突然現れた別の男に蘭をかっさらっていかれるのではないかという不安や焦りが襲ってくる時もある、工藤新一16歳。なかなか多感なお年頃である。
 けれども、そんな彼の胸中には一切頓着しない、というか、むしろ煽って楽しんでいるとしか思えない行動ばかりを繰り返している園子は、わざとのようにこんなことを言い出した。
「でもさ、新一君のお父さんは大学生の時に推理小説家としてデビューしたんでしょ?『藤峰有希子』だって、結婚する頃には女優としての地位をすっかり確立してて、すごい人気だったのを振り切って引退したって聞いてるし」
 だから、
「やっぱり普通の人だったらそうはいかないと思うけどなー?仕事とか生活の目途が立たないと、なかなか結婚には踏み切れないと思うわよ」
という彼女のコメントも、財閥のお嬢様にしては一般的な生活観の一面をよく理解していると言えるのだろうが、
(オレだって一応探偵でデビューしてるって…)
なんて言い返そうものなら、
「じゃあ探偵で生計立てて、蘭のひとりやふたり(?)いつでも養っていけるわねー!」

とかなんとか、また何を言われるやら分かったものじゃないと、敢えてダンマリを決め込む新一だった。
 彼が何を考えているかなんて、女子高生・推理女王でなくてもすっかりお見通しなので、
「あーら?何か言いたそうね、新一君?」
などと、少し人の悪い笑いを浮かべて園子が言うと、
「鈴木があまりにももっともらしいことを言うから、工藤は怪しんでんだよ」
「そーそー。いつもは『大恋愛の末に駆け落ちしたーい♪』みたいなことばっか言ってるくせに、これは絶対悪いモンでも食ったに違いない!犯人は生牡蠣だ!とかさ。さっすが名探偵!」
などと、彼女の普段のイケイケぶりを知っている男子達に逆にからかわれ、
「うっさいわねー!わたしがもっともらしいこと言うと、何か問題でもあるわけー?」

と、ジト目になりながらも。
「だーかーら!わたしが言いたいのは、真面目な人に限って、生活のこととか親のこと、相手の仕事、自分の仕事…そういう余計なことばっかりいろいろ考え過ぎちゃって、身動きとれなくなりがちなのが現実なのよね、ってこと!でもさ、どうせたったひとりの人としか結婚できないんなら、そーゆーの全部脇に置いてでも、自分の恋を貫きたいじゃない!」
 園子は彼女なりの真摯な意見を披露するのだった。
 結局いつもと同じ展開とはいえ、大財閥の令嬢などという、本当はある種不自由な立場を考えてみれば、彼女がそういう夢を思い描くことは、それこそよっぽど“もっともらしく”てしんみりした話のはずなのだが、そこはそれ、園子一流のハイテンションなノリが功を奏しているためか、じめじめした雰囲気が漂ってくることもない。
「まあ…たしかに園子の言うことも一理あるよね」
 蘭も笑いながら園子説を補強する。
「実はわたしの両親も学生結婚で、お母さんが弁護士になったのは、わたしが生まれてからなんだよ。そりゃあ準備が整ってからに越したことはないけど、そーゆーのって案外どーにかなるものなんじゃないかな?って思うし」
「へー!蘭のお母さんって子育てしながら勉強してたんだ?すごいねえ!」
 子育てなんか全く関係のない今の状態で、高校の勉強をするのでさえ面倒なのにと(それを言っちゃあオシマイだが)、蘭の母親の話に素直に嘆息する仲間達のうち、ただひとり新一だけが、
(自分が勤勉すぎるから、だらしないダンナを許せないんだよ、あの人の場合…)
と、声には出さずに的確なツッコミを入れていた。
 ずいぶん長い間会っていなかったから(というか、苦手なので故意に避けているという節もあるが)、“蘭の母親は性格と料理が怖い人”という幼い頃のイメージしか頭に残っていない新一だったが、それでも、こんなふうに友人達の前で両親の結婚話なんかを披露しているところを見ると、“適当に妥協するくらいなら家を出た方がマシ”という選択肢を選び、親しくしていた有希子にすらも頼ろうとしなかった英理の潔癖さ・ある種の潔さを、今では蘭も自分なりにプラスに受け止めているらしいことに、少し安心したりもして。
 幼い頃、両親の別居にあれほど強いショックを受けたのに、ただ一言も寂しいなどとは零さなかった代わりに、蘭は一時期母親の話を一切しなくなってしまっていたから、彼としても子どもだてらに、「もしかすると蘭は一生誰とも結婚しないのかもしれない」などという極端な発想をして、いろいろと気を揉んだものだった。どうしてそんな心配をしたのか、それは「自分が蘭と結婚したいから」だということを自覚するのには、さすがの名探偵も幾ばくかの年月を要したというのはまた別の話で。
 その想いを打ち明けるにはまだ早すぎて、今はただ、一番近くで蘭を見つめているのが精一杯の普通の高校生でしかない新一の傍らで、クラスメイト達の他愛もない結婚談義は続いている。
「でも共働きって大変そうだよねー。なんだかんだで家事とかは奥さんがすることになっちゃいそうだし」
「その分、男も責任重大だよ。結婚して女房子どもが出来れば、自由気ままに自分のしたいことばっかりもするわけにもいかないしな」
 彼らは高校生なりのイメージと、偏った結婚観を披露しながら、ただ思いつくままに問題提起をしているだけなのだが、
「そっかなー?家事も、慣れればそんなに苦にならないと思うよ。結局は誰かがやらなきゃいけないんだし」
「うちの親なんか息子ほったらかしで、いつも勝手なことばっかやってるぜ?今だって外国にいるし。ま、その分オレも自由にやらせてもらってるんだけどよー」
 …どうも発想がズレている男女が1組いるようである。
 片や母親のいない生活を10年も続けている主婦代わりの女子高生。
 片や並みの大人以上に社会貢献を果たしている高校生探偵。
 双方が一風変わった親を持ち、世間一般の“当たり前”からは大幅にかけ離れているが、彼らの発想にはかえって妙な現実感が備わっている上、他の追随を許さない連帯感が漂っていて、それが“夫婦”とからかわれる所以であることに気づいていないのは当人達ばかりだ。
「じゃあ毛利は、若いうちはできるだけ遊びたいとか思わないで、相手が決まれば即行で結婚を意識するタイプか?“他にもっといい人がいるかも…”なんつー迷いは一切なくて?」
「迷いっていうか…まあ、そういうのって迷うような問題じゃないと思うし」
 蘭の脳裏に浮かぶのは、ケンカばかりしていたけれど、若くてラブラブで、いつも一緒だった頃の両親の姿だったり。
 長く別居してはいるものの、両親はそれぞれに自分のことをとても愛してくれていて、口で何と言うかはともかく、“結婚なんてするんじゃなかった、子どもなんてつくるんじゃなかった”なんていう発想は一切持っていない。それは彼女にとって救いであり、未だ完成していない幼い恋愛観の基盤でもある。
「じゃあ工藤君は、結婚に不安とか全然ないの?“これでオレの将来も決まったな”とか思わないで、子どもには嬉々として探偵術を教えたり?ってことは、やっぱり子どもは男の子か」
「それは別にどっちでも…つーか、探偵じゃなくても、自分の好きなことやりゃーいいと思うし」
 新一の脳裏にあるのは、どこへ行くにもまとわりついてきた幼い頃の蘭の姿だったり。

 相当におてんばだった彼女は、さながら“小さな探偵助手”といった風情で、今にして思えば多少なりとも危険な遊びも平気でやっていたものだった。そんな子ども時代の彼女は、新一にとって自由と平和の象徴であり、だからこそ、彼女自身の意思でいつも自分と一緒に過ごしてくれていたことが、優しい郷愁となっているのだ。
 そして「新一、新一」という思い出の中の呼びかけは、いつのまにか「パパ、パパ」に変わってゆき、傍らで微笑んでいる彼女そっくりの母親はというと−−−
 が、そこで実に嫌なことに、
「新一が女の子〜?やめといた方がいいんじゃないの〜?」
と、成長した当の本人は、ジト目でこんなことを言い出す。
「女の子って難しいんだよ?新一デリカシーないから、『お父さんのバカ!もう話しかけないで!』とか言われちゃったりするんだよ、きっと」
「…勝手に決めんなよ。オレは家族を大事にする男なんだ」
 楽しい妄想にいいところで水を差され、仏頂面で言い返す彼に、
「とかなんとか言っちゃって、どーせ事件とか言ってろくに家にも帰ってこないんでしょ?娘の誕生日とか平気で忘れてるわりには、娘に好きな人ができたりしたら、頭ごなしに反対するタイプだよね、新一って」
などと、蘭はつい知ったようなことを言ってしまう。その上、
「んなことねーよ。…別に積極的に賛成する必要もねーとは思うけど」
「ホラやっぱり!」
と、なぜだか得意げなのである。
 第三者が見ればスマートな印象の彼も、どうしてか蘭の中では「歳をとったら頑固オヤジになる」という漠然としたイメージがあって、それは近頃では、彼女にとって固定化した新一像のひとつとなりつつあった。推理好きが高じて普段から必要以上に理屈っぽいところのある彼が、いくつになったところで急に娘心を解するような人物になるとは思えなかったし、それに、蘭には最近、なぜだか新一が妙に父の小五郎に似ていると感じる瞬間が多々あって。あんなに全然違うのに、どうしてあのふたりが似ているなんて思うのか自分でも全く不思議で、具体的にどこがどう似ているかなんて説明できるはずもなかったけれど、それでも、そのせいで余計に“新一=頑固オヤジ”のイメージが濃くなっていることくらいは自分で分かっていたから、
(新一は幼なじみで、今までずっと一緒だったから、もう家族みたいなものだし…)
 当座の回答としてこんな言い訳を用意して、自分自身を納得させていたのだ。
 この時の蘭の答えも別に間違ってはいないのかもしれないが、より正確に言うと、彼らには『蘭を愛し、いつでも蘭の一番近くにいたいと思っている』という共通点と、その想いの時間軸が過去と未来に向かっているという相違点がある、ということを彼女が知るに至るのは、もっとずっと先の話で。
 新一に彼女ができたらどうしようという目先の想像に苦しむことはできても、彼の結婚生活までを妄想して嫉妬に狂うほど、蘭の精神構造は成熟してはいないらしく、今はただ、からかいの一材料として、
「新一に理不尽に反対されたら可哀想だから、ちゃんと対抗できるように、新一の娘には小さいうちから空手教えといてあげよっかな」
などと笑ってみせると、
「げ…いいよ、そんなの。空手はいいから料理でも教えといてくれれば」
 最近とみにパワーアップした蘭の蹴りを思い出し、あんなのが家にふたりも居た日には…と、咄嗟に青くなる新一。
「どーしてよー?探偵の家族は変な人に狙われる可能性が高いから、何か格闘技のひとつも身につけといた方がいいって、お父さんも言ってたよ」
「そりゃそーだろーけどよ…。でもいいんだよ、オレは自分の家族くらい自分でちゃんと守るから」
 そう言い切った彼の将来ヴィジョンは、当事者(?)には何の断りもなく明確な輪郭を描き始めているようで、今住んでいる家は目立ちすぎるから、探偵事務所をひらくとしたら仕事の拠点に別の場所を借りるか、セキュリティー強化のために自宅の改装をした方がいい。女の子ならストーカーも心配だ、なんてことを、さも当然のように提案しているし、蘭は蘭で、改装って言ったって、あんな大きな家だから結構お金がかかると思うよ。それに、そんなにストーカーが心配なら、やっぱり護身のためにも空手習わせた方がいいって、などと、所帯じみた感想を述べている−−−
 そんなふたりのやりとりをじっと見ていたクラスメイト達は、
「なあ…」
と、不意に声をかけた。
「おまえらって結婚すんのか?」
「「えっ?」」
 一瞬点目になった新一と蘭は、次の瞬間にはハタと我に返り、今までの何気ない会話が、聞きようによっては、まるで将来の打ち合わせでもしているかの如く自然に噛み合っていたことに遅ればせながら気づいて、互いに顔を真っ赤にした。
「ななな…なワケねーだろ!」
「だだだ誰が新一なんかと…!」
と力一杯否定するも、
「っていうか、今の会話はそーゆーふうにしか聞こえなかったぞ?」
「で?で?結局男の子がいいの?女の子がいいの?」
 意地悪な目をしたみんなに散々にからかわれ、むくれて、ただひたすら黙秘権行使に励む新一に対して、蘭は、
「違うってば!勘違いしないでよね!」
と、一心不乱に(?)否定しまくっていたが、あまりにもからかわれるのでちょっと作戦を変えようと思ったのか、
「で、でもまあ、新一と結婚したら、たしかにいいこともありそうね…」
などと、急に周囲の意表を突くかのような爆弾発言を投下する。
(な、なんだよいきなり…蘭のヤツ…)
 いつもいつもそうやってぬか喜びで終わっているから、彼もそろそろ学習してよさそうな頃だが、根は単純(?)な新一の機嫌が、またもや手前勝手な期待で乱高下を始める中、
「へー!ついに認めたわね!で?で?新一君と結婚したらよさそうなことってどんなことよ?」
と、園子がみんなを代表して蘭にその意味を質問した。
 それに対する彼女の答えときたら−−−
「ホラ、別居してわたしが実家に帰っても、家が近いから子どもが寂しくなさそうだし!」
 蘭としては、自身の経験から、一度結婚したら絶対に別居はしたくないという願望がある。だから、別居の時の話をする、イコール新一とそんなこと(結婚)にはならない、ということを逆説的に言いたかったらしいが、特殊事情に基づくヘンテコな喩えである反面、リアルと言えば必要以上にリアルすぎるその言い分のそぐわなさが、天然というかなんというか…思わずみんなでズッコけてしまった。
 しかしその場には、(いつものこととはいえ)まだそんな仲でもないのに周囲に冷やかされる気恥ずかしさと、あまりにも蘭に違う違うと否定される苛立たしさを抱え、なおかつ睡眠不足の上まだ人間ができていない男、工藤新一がいたのだ。
 今の蘭の天然発言がとどめになったのか、彼は突然、我慢の堰を一気に決壊させて、

「オイコラ!なんで別居前提で話が進むんだよ?オレは絶対別居なんかしねーからな!」

と大声で叫んだ。
 が、この状況下での別居拒否発言は自殺行為に等しく。
 一瞬後には、
「オイオイ、おまえらもう離婚話かよ?」
「奥さんに逃げられんなよー」
「引き留めるなら今よ!やっぱりここは土下座しかないわ!」
などなど、更に冷やかされたことは言うまでもない。

(終)

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