つかのまの夢




By 柚佐鏡子様



「コナン君、無事だったのね!」

 ぐったりと疲れ果てた様子で日本の毛利探偵事務所に帰還したコナンを出迎えた蘭が、泣かんばかりの勢いでそう叫び、彼の小さな体を思い切り抱きしめたのは、つい数時間前のこと。
 顔がそっくりだという偶然が呼んだ騒動で、今回浅からぬとなった縁となったヴェスパニア王国のミラ王女の戴冠式が済んだ後、小五郎とふたりで帰国した彼女だったが、ルパン三世に“盗まれた”はずのコナンが待てど暮らせど戻ってこないので、それはそれは気を揉み、心配のあまり何も手に付かない数日間を過ごしていたのだ。

「もしかしてあの人達は本当は悪い人で、コナン君が攫われちゃったんじゃないかって心配したんだからね!」

 もはや泣いているのか怒っているのか分からないテンションで、意地になってせっせとコナンの世話を焼こうとする蘭に対して、

(っていうか、最初に攫われたのはオメーだろ…)

と突っ込むこともできず、

「ご、ごめんね蘭姉ちゃん。心配かけちゃって…」

 ただただ謝り続けるコナンだった。
 しかし、良くも悪くも普段から事件ばかりが多発する生活に慣れているためだろうか。最初は動揺を押さえきれなかった彼女だが、申し訳なさそうに何度も謝るコナンが、疲れた様子ではあるものの、どこにも大きなケガもなく無事であることを確認すると、次第に落ち着きを取り戻し、どうやってここまで戻ってきたのか、途中で危ないめに遭わなかったか、などを、今度はこまごまと尋ね始めたのだった。

「−−−それでコナン君は、あのフジミネコさんの知り合いの船で送ってもらったんだ?」
「う、うん。その方が早く日本に帰れるって聞いたから…」

 江戸川コナンがパスポート申請など出来る立場ではないことは上手く伏せておいて、

「すっごくカッコイイ船だったから、ボク船を見るのに一生懸命で、蘭姉ちゃんに連絡するの、つい忘れちゃってたんだ。ごめんなさ〜い!」

などと、能天気な話に変換しておく。

「忘れちゃってたって…。全くもー!子どもなんだから…」

 子どもに対して「子どもだ」と指摘するのもなんだか変な話だが、それでも、ずいぶん気苦労した分、何か言わずにはいられなかっただけなのだろう。これが最後のお小言だとばかりにそう叱った後には、

「でも、その知り合いの船って、どんな船だったの?もしかして豪華客船か何か?わたしも乗りたかったなー!」

と、いつもの優しくてミーハーな蘭に戻っていた。

「ま、ま−ね。すごく大きくて、変わった形の船だったよ…」

 誤魔化すような苦笑いで答えるコナンは、内心では、

(ったく、ひとの苦労も知らねーで…)

と、人知れずボヤく。
 彼女が心配するのは分かり切っていたから、本当なら連絡のひとつも入れたい気持ちはあったのだ。けれど、そもそも潜水艦の中から容易に地上に電話など出来るはずもなく、それ以前に、不二子の脅迫(?)を振り切るのに精一杯だったため、艦内の特別電話を使わせてほしいなんて申し出ようものなら、代わりにどんな交換条件を出されるかと恐ろしくて、とても言い出せなかった、というのが真相であって。
 ともかくも、いろいろな意味で疲れ果てたコナンが、

「じゃあボク、お風呂に入ってもう寝るから…」

と、居間を引き取ろうとすると、突然蘭が立ち上がって、

「待って。わたしも一緒に入るから」

とさらりと言った。

 この数日、不二子の絡みつくような艶声で何度も耳にしたそのセリフが蘭の声で聞こえてきた時には、さすがのコナンも過労による幻聴かと疑ってしまったが。

「さ。じゃあ入ろっか、コナン君」

 蘭は何事もなさそうな顔をして、コナンの服を脱がそうとし始めたので、

「ちょ、ちょっと待ってよ、蘭姉ちゃんっ!かっ、勝手に触らないで…!」

と、慌てて後方へ飛び退く。
 コナンにとって想定外の、このオイシイ展開が嬉しくないわけでは決してないのだが。

(な、なんで蘭が、こんな積極的に…!?)

 そりゃあ、蘭はコナンのことをただの子どもだと思っているから、面倒をみるくらいの気軽な気持ちで抱っこしたりおんぶしたりする。その延長で一緒に入浴したことがないとは言わないが…でもそれは、温泉宿へ行ったりよその家の泊まったりする“イベント時”に限られていて、普通に家で過ごしている時には、わざわざ一緒に風呂に入ったりすることはなかったのに。

 今日の蘭と来たら、

「もう!逃げてないで、おとなしく脱ぎなさいったら!」

などと言いながら、さては不二子の変装かと思うくらいの勢いで迫って(?)くるのだ。

「や、やめてよ、蘭姉ちゃん…!」

 困惑のあまり予想外の抵抗を示すコナンの態度に、少し寂しさを感じてしまったのか、

「なによもー…。コナン君はわたしと一緒にお風呂に入るのがそんなに嫌なの?」

と、蘭が追及の手を緩めると、

「そそそんなわけないよ!」

 何故かそこだけは大声で正直に否定するコナンだった。

「べ、別に、蘭姉ちゃんがどーしても言うなら…ボクは全然構わないけど…。ただ、蘭姉ちゃん、普段ウチじゃ“一緒に入ろう”なんて言わないのに、どーしてかなー、って思って…」

 目を点にしつつ、顔を真っ赤にしながらゴニョゴニョと喋るコナンに対して、蘭は腰に手をあてて、きっぱりハッキリと、こう答えた。

「どーしてって、コナン君の体を調べるためよ!」
「え゛…?」

 まさか本当に不二子なんじゃ…などという疑念は、けれどもすぐに消える。
 次の瞬間、コナンはまた彼女に抱きしめられていて−−−それは帰宅当初の興奮状態でなされたのとは違い、深い慈愛に満ちた抱擁だったのだけど−−−そしてコナンは、自分を抱きしめる蘭の腕が小刻みに震えていることに気づいて、ハッとした。
 穏やかながらも悲しみに彩られた掠れ声で、蘭はコナンに囁きかける。

「…ねえコナン君?お願いだから、もうあんな無茶はしないでね?」
「蘭姉ちゃん…」
「わたしを助けようとして飛行機に乗り込んできてくれたのは嬉しいけど…。でも、もしコナン君の身に何かあったら、わたしは…どうしたらいいの?一歩間違ったらコナン君が凍死してたかもしれないって聞いた時は、心臓が止まるかと思ったんだよ…?」

 誰よりも大切な幼なじみは、突然いなくなってしまうし。
 入れ替わるようにしてやってきた、この小さなナイトまでも失うようなことがあったらと想像してみるだけで、一体どうすればいいのかと途方にくれてしまう。
 だけど、弱い心でそんなことをあれこれ憂えているよりは、蘭は自分に出来ることで新一を助け、コナンを守っていこうと決意している。
 だから。

「コナン君の体が心配なの。凍傷の様子も見たいし、これから、お風呂は毎日一緒に入ろうね」

 満面の笑みで語りかける蘭の瞳には、一点の曇りもない。

「血行をよくするために、わたしがお風呂でマッサージしてあげるから!ね?」

 一方のコナンはというと−−−

(毎日一緒に風呂…?マッサージ…?って、裸で……!?)

 つい想像してしまったが最後、軽い凍傷で血行が悪くなっていた人間とは思えないほどドクドクと鼻血を出し、出血多量のあまり気が遠くなって、バタンと後ろ向きに倒れ込んでしまった。
 次に気がつくまでの短い間だけは、出血多量による貧血の心配も、後々正体がバレた時の恐怖も、全て忘れて楽しい夢をみることが出来たのだろう、気絶したコナンの顔には、なぜか笑顔が浮かんでいたという。



(終)




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