ある朝の光景



by槇野知宏様



 カーテンの隙間から日差しが差し込み、その眩しさにオレは布団を引き上げた。
そんなオレの鼻腔に炊き立ての飯、味噌汁そして卵焼きなどの匂いが流れ込む。
普通だったら食欲中枢を刺激して目覚めに一役買っているのだろうが、それ以上にオレは眠りたかったし、気分が不快だった。
なぜなら、昨日まで米花市内のホテルのディナーショーに駆り出され、最終日の昨日はホテルのお偉いさんの酒席に付き合わされたのである。
いちおう二〇歳を超えているため飲酒はできるが量が飲めるわけが無く、二日酔いという体たらくだ。
来週も鈴木財閥のパーティーとやらに招待されてるし・・・人気者はつらいぜ、ホント。

「今日は昼まで寝よう・・・起こしたヤツは中森警部に、コイツは我が家に不法侵入した泥棒です、と、言って突き出してやる」

とんでもない事を呟いて布団に包(くる)まってたら、部屋の外から足音がしたと思うと部屋のドアが乱暴に開けられる。

「こらっ、バ快斗。さっさと起きなさいよっ!」
「おい、アホ子・・・オレが忙しかったのを知ってるだろ?今日は学校休みなんだから安らかに眠らせてくれ」
「安らかに眠らせてくれ、って、意味すごく違うと思うんだけど?」
「ゆっくり時間をかけて眠らせてくれ、って、言ってるんだよ!」
「快斗言ったじゃない、子供が生まれる時は傍にいてやる、って」
「ああ・・・んな事言ったような気がするけど、今日じゃねーだろ?」
「青子は今日が予定日なんだよ?そういう事を言うとお仕置きしちゃうからねっ」
「予定日は人間様が決めた事であって、実際のところは子供の機嫌なんだよっ!」

オレの意見を無視して青子は布団を強制撤去すると、うつ伏せ状態のオレの腰に座るとキャメルクラッチを敢行する。
通常時の青子の体重はそれほどでもないが、出産直前のそれは相当なものだから腰が悲鳴を上げ始めた。

「ギブだっ、ギブアップ・・・お、起きるからオレから下りろっ」

嫁さんが寝起きの悪いダンナを起こす方法なんぞ数あれど、まだ我が家は可愛いと思う。
蘭ちゃんなんか工藤にエルボー(肘)を炸裂させ、和葉ちゃんはハリセンで平ちゃんをぶん殴り、佐藤警部に至っては高木警部補に関節技のフルコースだそうな。
何で、んな事知ってるかって?アイツ等から散々聞かされるんだよっ。もっとも連中にとっては、脳が活性化されるからちょうど良い、らしい。
三人の話を聞いた時は、コイツ等の頭の中ってどーなってんだ、と、思ったけど、オレにしても青子との言葉のやり取りで脳が活性化されている事は認める。
のっそりと緩慢な動作で起き上がりベッドの端に腰掛け、横目でテキパキと部屋を片付けていく青子を見てオレは慌てた。

「青子、部屋はオレが片付けるから良いよ」
「ダメ。青子が言っても快斗やってくれないから」
「あのな、オメーは自分の状況を分かってんのか?」
「別に大丈夫だよ。激しい運動をしているわけでもないし」
「だから、万が一ってのがあったらどーすんだよ?」
「もう快斗ったら心配性なんだから・・・じゃ、ちゃんと自分で片付けてね?」
「へいへい」

痛む頭を押さえながら青子の後についてダイニングルームへと向かうと、朝食を終えて茶を啜っている母さんに声を掛ける。

「おはよ、母さん」
「あら快斗、おはよう。二日酔いは大丈夫なの?」
「大丈夫なわけねーよ。今日は昼まで寝てようと思ってたんだぜ?」
「あなたもいい年なんだから、青子ちゃんに迷惑かけちゃダメよ」
「わーってるよ・・・で、何でオレだけお粥なわけ?」

青子と母さんの前には普通の朝飯があるのにオレの指定席にはお粥が置かれている。ま、二日酔いの朝はマトモに朝食が摂れるわけがないから有難いのだが。

「母さん、気が利くなあ」
「あら、それは青子ちゃんが用意したのよ。2日酔いの朝にはこれが良い、って」
「へえ・・・さすが中森警部の娘だけの事はあるじゃん」
「あのねえ“Cross−Wizard”と、世間で言われてるマジシャンと何年付き合ってると思ってるのよ?」

“Cross−Wizard”とは、天才を超越した魔術師、と、いう意味で、この場合、天才、と、言うのは親父を指す。
オレ自身h,親父を超えた、とは思っていないのだが、マスコミってヤツは無責任で困ったものである。

「“Cross−Wizard”ねえ・・・人の気も知らずに大層な異名を付けてくれるぜ」

そう口にすると、オレは湯気の立つお粥を荒れた胃に流し込んだ。


朝飯を食べ終わったあとで、オレは一人で食後の後片付けしている。ホントは面倒くさいのだが“西の学生探偵”と、いう異名を持つ反面教師がいたので手伝っているというわけだ。

「んで、実際のところ、どーなんだよ?」

洗い物をしながら椅子に座って紅茶を飲んでいる嫁に声を掛ける。

「何が?」
「何が?じゃなくて、出産の兆候は出てんのかって聞いてるんだよ」
「普通だよ。たまに北斗(ほくと)がお腹を蹴っ飛ばしたりしてるけど、痛みはあまりないし間隔も開き過ぎだから」

北斗とは青子のお腹の中にいる子供の名前だ。今のご時世、エコー写真で性別が分かるようになっている。
最初は、何かの影が間違って写ったんだろ、と、思ったものだが、検診毎に見せられる写真には付いてるものが付いてるわけで・・・
性別の判断については、有り難みも無い、と、いう意見もあるが、性別が分かっていれば何事にも即座に対応出来る、という意見があるのも事実だ。
ま、父親からすれば、北斗が元気に生まれてくれれば一番良いんだけどさ。

「おい北斗、一つ言っておくけど、元気に生まれてこいよ」

青子のお腹を優しく撫でてやると、オレの言葉を理解したかのように北斗がお腹を蹴飛ばした。

「あ、北斗が動いたよ、快斗」
「それなら今日か明日辺りにでも生まれてくるかもしれないな」

そう言って青子と二人で顔を見合わせて笑った。




終わり



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