アムリッツァ撤退戦の全て




by槇野知宏様





 銀河帝国軍のジークフリード・キルヒアイス中将が率いる別働部隊によって後背を衝かれ、味方艦隊が総崩れになる光景をメインスクリーン越しに黙ったまま見つめている。
あらゆる状況を想定する事は人間には限界や不可能がある。完璧な人間なんて一人もいない、と今更ながら思い知らされた自由惑星同盟軍が誇る若き名将・工藤新一中将であった。

「味方は総崩れです」
「どうなさいますの、提督?」

 艦隊参謀長の白馬探准将と副参謀長の小泉紅子大佐の言葉を聞きながら司令官が答えたのは、ただ一言だった―――撤退はまだ早過ぎる、と。
新一は副官の毛利蘭大尉に第五艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将へ通信回線を開くよう命じた。
その命令は実行されて、通信パネルにビュコックの姿が映し出される。齢(よわい)七〇になる老提督の顔には疲労の色が浮かんでいるが、眼光は闘志を失っていない。
彼は第一三艦隊の中で戦闘行動に耐えられない艦艇、病院船、工作艦等の補助艦艇をビュコックの指揮下に入れて、一緒に撤退させて欲しい、と要請した。

『その件は了解した。新一たちは・・・まさか!?』
「ビュコック提督の予想通りです。我が第一三艦隊が殿(しんがり)を務めますので、提督は各艦隊の命令系統を再編しつつ、イゼルローンへの撤退の指揮をお願いします」

 何か言おうとしたビュコックに対して新一は、自滅や玉砕はオレたちの趣味じゃないので、と言った。

『分かった、貴官たちに任せよう。みんな、死ぬんじゃないぞ』

 通信を終え、軽く息を吐いた新一に探が歩み寄って声を掛けた。

「では味方が安全な宙域まで離脱できるまで、僕たちで帝国軍を食い止めるしかないですね」
「それだから残ったんだよ」

 参謀長との会話を終えた新一は傍らで心配そうに自分を見つめてる蘭に、心配するな、と告げ、二人のオペレーターに声をかけた。

「鈴木大尉、桃井大尉。敵の攻撃が激しい部分はどの辺りだ?」

 新一の声に主任オペレーターの鈴木園子大尉と副オペレーターの桃井恵子大尉が各種戦術コンピュータ等で弾き出した結果を上官に報告する。

「敵艦隊は半包囲陣を敷こうと凹形陣に移行しつつあります」
「現在、帝国軍右翼部隊がイゼルローンへ後退する味方に猛攻を加えています」

 それを聞いた新一は頷くと更に命令を付け加えた。

「服部と黒羽に敵右翼部隊に猛攻を加えてイゼルローンへ撤退する味方の援護を実施。本隊と佐藤、高木両准将の部隊で敵中央、左翼部隊を牽制する。毛利大尉、回線を繋いでくれ」

 やがて通信パネルに四名の将官が映し出される。
一人は同盟軍内でもただ一人の前線部隊指揮官であり、艦隊運用の達人、と言われる艦隊副司令官の佐藤美和子准将。
一人は美和子に次ぐ艦隊運用の手腕を持ち、第一三艦隊の艦隊防御指揮を任されている第一分艦隊司令の高木渉准将。
一人は第一三艦隊の中で最強の破壊力を持ち、ダイナミズムに富んだ用兵を得意とする第二分艦隊司令の服部平次准将。
一人は速攻やゲリラ戦術を主体とした用兵を得意とし“奇術師(マジシャン)”の異名を持つ第三分艦隊司令の黒羽快斗准将。

 新一は四名に状況等を手早く説明した。
同盟軍の双璧、と謳われる平次と快斗のコンビネーションで敵右翼部隊を翻弄しつつ、戦況の状態によっては逆攻勢を仕掛けて敵の動きを鈍らせる。
敵中央部隊と左翼部隊に対応するのは新一が直率する本隊と美和子、渉が率いる部隊で牽制が主任務であるが、敵の動向次第によっては任務も変化するであろう。
特に、同盟の双璧、と言われる平次と快斗に比べるのは酷ではあるが、美和子と渉のコンビは互いの欠点を補いながら、長時間の戦闘に耐えられる技術を持ち合わせていた。
 同盟軍宇宙艦隊の中で、最強、と謳われる第一三艦隊の強みは司令官である新一の戦術指揮能力の高さもそうだが、中級指揮官の技量も群を抜いて高いのである。
通信パネルに映っている四名の顔には絶望感の欠片など微塵も浮かんでいない。あるのは、やられた分は倍にして返す、という不敵な表情だ。

「今までやられた分は利子を付けて返して貰わないとね」
「そうですね。金融業者も真っ青になるくらいの高利子をふっかけましょうか」
「佐藤准将、高木准将。それは言い過ぎじゃ・・・ないですね」
「敵は数が多いさかいな、もう勝った気でおるんとちゃうか?」
「なら帝国軍に戦争をいうヤツを徹底的に教育してやる。それじゃあ・・・行くぞ!」
「「「「了解!!」」」」
 
 それは“第一三艦隊の退(の)き口”と称され、同盟軍だけでなく帝国軍でも激賞される凄まじい撤退戦の始まりを知らせる言葉であった。



 その頃、帝国軍総旗艦「ブリュンヒルト」の艦橋内は勝利に沸いている。

「一〇万隻の追撃戦は初めて見るな」

 帝国軍の総司令官で“常勝の天才”と称されるラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の声は弾む。
総司令官の言葉に総参謀長パウル・フォン・オーベルシュタイン准将は表情を変える事なく散文的に反応した。

「旗艦を前進させますか、閣下?」
「いや、止めておこう。ここで私がしゃしゃり出たら、部下の武勲を横取りするのか、と言われるだろうからな」

 無論、それは冗談であったが、ラインハルトの心理的余裕を示すものであった。
帝国軍の各指揮官も最高指揮官と同じ気分を多少は持っていた。しかし追撃を始めようとした瞬間、同盟軍の殿を務める第一三艦隊の猛攻を目の当たりにする。
前進と後退を繰り返す艦隊運動をしつつ、各艦隊の先頭部に過密な集中攻撃を加える。それ故、前進が鈍化しただけでなく、局地的ではあるが数に勝る帝国軍が劣勢に陥る宙域さえ出て来る始末だった。
 ラインハルトが指揮する中央部隊と左翼部隊への攻撃への攻撃も激しいが、それ以上に右翼部隊に対する攻撃は苛烈さを極め、右翼部隊を任せられている指揮官たちを歯噛みさせた。
帝国軍へ局地的に火力を集中し、兵力を分断して指揮系統を混乱させ分断した敵を更に痛撃する。味方の退却を援護しつつ自らも後退のタイミングを窺っているのだ。

「やるな。実に良いポイントに砲火を集中して来る」
「あれは第一三艦隊のようですな」
「またしても工藤新一か!」

 叩き付けるような言葉を発したラインハルトだったが、全艦隊に両翼を伸ばして半包囲態勢を執るように命じた。
帝国軍の動きを見た新一は敵が半包囲態勢を執る事を察知した。味方の残存部隊はビュコックの指揮の下、イゼルローン回廊へ急速後退中である。
ここで自分たちも撤退しようものなら、第一三艦隊はおろか撤退する味方までも勝利の味を覚えた帝国軍によって追撃、殲滅されてしまうのは明らかだった。
玉砕や自滅といった言葉を悲壮美として、それに陶酔する気分は新一たちには無縁であった。ただ彼は味方の退却を援護しつつ、自らも後退の隙を窺っている―――それも常識を覆す方法で。
 一方の帝国軍の包囲陣も完全とは言い難いものがある。それは包囲陣の一角を担うフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト中将率いる“黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)”艦隊だった。メインスクリーンと戦術パネルを交互に見たオーベルシュタインはラインハルトに警告を発した。

「閣下。キルヒアイス提督でも誰でもよろしいが、ビッテンフェルト提督を援護すべきです。敵の指揮官は包囲の一番薄い箇所を狙っているのは明らかで突破されかねません」
「卿の言う通りだな。それにしてもビッテンフェルトめ、アイツ一人の失敗で、いつまでも祟られる!」

 ラインハルトの命令を受けたキルヒアイスは戦列を伸ばし、ビッテンフェルト艦隊の後方にもう一重の防御線を敷こうとした。



 その帝国軍艦隊の行動を戦術コンピュータで確認した園子が新一に視線を転じた。

「閣下!」

 黒色槍騎兵艦隊という退路を塞がれようとしているのだから彼女が驚くは当然といえるが、司令官は平然と言ってのけた。

「ここまでだな。全艦隊、突撃隊形第一法。艦隊の再編が終了次第、一斉に突撃する!」

 新一の命令を受けた第一三艦隊はただちに突撃隊形と形成した。
突撃隊形と言ってもいろいろあるが、艦隊が執った突撃隊形は天頂から見れば矢印の形をしていた。
鏃(やじり)の部分は新一、美和子、渉の部隊、そして矢の軸にあたる部分は平次、快斗が率いる部隊で構成されている。
 司令官の命令を受けた第一三艦隊が最大戦速で突撃を開始した―――艦艇数の少ないビッテンフェルト艦隊へ猛然と突進して、帝国軍が迎撃態勢を執ろうとしたその瞬間、針路を正面のラインハルト直属部隊に変えてへ襲いかかった。
鏃の部分にあたる新一たちが局所一点集中砲雷撃をもって帝国軍を寸断させ、高速艦艇で編成された平次、快斗率いる分艦隊が綻びが出来た敵陣へ突入して暴風が吹き荒れるかのごとく暴れまわる。
第一三艦隊の行動に慌てた帝国軍の諸将は一斉に本営を守ろうとして行動を開始するが、狭い宙域に大軍が殺到するのだから統一した指揮系統が出来なくなる可能性が高いので当然といえた―――そしてそれは現実となった。
この常道を逸した戦術行動で敵を混乱させる事が新一の狙い目であった。自分たちに殺到しようとして混乱する帝国軍をスクリーンで見ながら新一が好機を狙っていた時、快斗から緊急通信が入る。

「どうした、黒羽?」
「オレや平ちゃんの長距離雷撃可能位置に敵さんの総旗艦らしき白いフネいるが、魚雷でもお見舞いするか?」
「魚雷の無駄使いになるから不要だ。逆にそんな事したら敵の怒りに可燃物をぶち込むのと同じだから、今は放っておけ」

 同盟の歴史家や戦史研究家は、この新一の言葉を激しく批判している。
この会戦でラインハルト・フォン・ローエングラムという民主主義の大敵が斃れていれば、自由惑星同盟は存続していた、と。
後に批判を耳にした時、新一はこう言っている―――あの時は敵将を斃す事より、味方の将兵を一人でも多く祖国に帰す事が最優先事項だった、と。
 その一方、帝国の歴史家や戦史研究家は、工藤提督は千載一遇の好機を逃した、としながらも、兵力差が一〇対一という劣勢にも関わらず戦い抜いた第一三艦隊を手放しで賞賛している。
彼の目は撤退のチャンスを窺っている中、戦端を開いてからポーカーフェイスを貫いていた口元が僅かに綻ぶ。それはビッテンフェルト艦隊の動きであった。彼は少数の部隊を率いて勇戦していたが、それは戦局全体を見渡したものではなく、眼前に現れた敵に対応したものであった。
もし彼がキルヒアイスの動きに注意していれば、ラインハルトとの通信が途絶していても、新一の意図を悟って、その退路を効果的に断つ事も出来たかも知れないが、味方との有機的な繋がりを欠いている“黒色槍騎兵”艦隊は単なる少数部隊に過ぎなかった。

「艦隊を密集隊形に再編し、敵包囲陣の薄い箇所に集中砲雷撃。一点突破を図る、急げ!」

 短時間で艦隊の集結、再編成を終えた第一三艦隊は、ラインハルトからビッテンフェルトへと再度矛先を向けると、残存兵力の全てを彼の艦隊に叩きつけた。
一瞬で“黒色槍騎兵”艦隊は旗艦「王虎(ケーニヒス・ティーゲル)」以下数隻まで打ち減らされ、なおも徹底抗戦を叫ぶ上官をオイゲン大佐ら幕僚たちが必死に制止しなかったら彼らは宇宙の塵となっていたであろう。
こうして確保した退路から第一三艦隊は秩序を保ったまま次々と戦場を離脱して行く。それでも油断せずに各分艦隊が交互に帝国軍を牽制、動向や生き残った味方の収容を繰り返し、新一は旗艦を最後まで戦場に留め、帝国軍の追撃がない事を確認して漸く戦場から離脱した。
 その光景をビッテンフェルトは屈辱と怒りを湛えた眼で睨み、ラインハルトは遠くから失望と怒りに身を震わせ、帝国軍の各諸将も呆然または感嘆しながら見送る事になった。


 自由惑星同盟軍は悄然たる敗残の列を作って、イゼルローン要塞への帰途に着いている。
戦死者及び行方不明者は概算で二〇〇〇万。コンピュータが算出した数字は生存者の心を重くした。
死闘の渦中にありながら第一三艦隊だけは艦隊将兵の八割近くを生還させている。新一が率いる第一三艦隊は一万そこそこの兵力で一〇万の包囲網を突破してのけた。
“戦場の名探偵(ザ・ディテクティヴ・オブ・バトルフィールド)”と呼ばれる若者はここでも奇跡を起こした―――新一を見る部下の目には信仰に近い光があった。
 その証拠に「ヒューベリオン」が最後衛でイゼルローン回廊に入った時、先に離脱させた第一三艦隊所属の損傷艦や補助艦艇約四〇〇〇隻が司令官を出迎え、発光信号や通信回線をフル稼働させて司令官の無事を祝した。
回廊へ入った時点で第一三艦隊は警戒航行態勢から通常航行態勢へ警戒レヴェルを落として航行していたが、司令官はというと不眠不休で指揮を執り続けて私室に帰る気力を無くしていた。実は待ち人が来るのを待っていたのである。自分に近づく足音を確認して音源の方向へ顔を向けると、待ち人である幼馴染み兼副官が立っている。

「どうしたんだ?」
「閣下。イゼルローン要塞との通信可能宙域まで時間がありますから、私室でお休みになってはいかがです?」
「あのな、二人っきりの時は形式ばる必要はないって言ってるだろ。蘭?」

 そう言って新一は蘭の腰を優しく抱き寄せる。無論、彼女から抗議の声が上がったものの無視しておく。

「これで疲れを取ってんだ。ホントは蘭の膝枕が一番良いんだけどな」
「もう新一ったら甘えん坊なんだから・・・後でコーヒー持って来てあげる」
「分かったよ。蘭」

 そう言って新一は彼女の前髪に軽く触れる―――これが第一三艦隊名物の“ラブラブ絶対宙域”(命名:主任オペレーター)であり、誰もが入る余地のない空間でもあった。


                                                                          

                                                                                      終わり





  後書き

戦闘の一部分だけクローズアップしてみましたが・・・実は以前に国営放送で見た番組から閃きました(爆)
これも、リハビリの一種、と思ってますが、書きたい家族ネタとか、忘れちゃならない「銀探伝」もあるワケでして(苦笑)
そう言えば「銀河英雄伝説」がリニューアルされるって話がありますが、ヤン艦隊はどうすんのよ、と思ってます(司令官、参謀長、副司令官が鬼籍に入られていますし 涙)



  楽しくない、役に立たない、つまらない)元ネタ(笑)

  新一くんのセリフ「帝国軍に戦争をいうヤツを徹底的に教育してやる」
 これは第二次大戦時のドイツ軍で最強の戦車兵ミヒャエル・ヴィットマンのセリフ。
一九四四年の六月にフランスの南部の村ヴィレル・ボカージュで行われたイギリス軍とドイツ軍の戦車戦。
彼は単独で偵察をしており、六〇輌の戦車を見た時に部下が「もう勝ったつもりでいやがる」に対して「じゃあ教育してやるか」と返答した(言ったかどうかは不明)
 この戦闘で彼は三〇輌の戦車を撃破したとされるが、実際は戦車一二両、軍用車輛(トラック、対戦車砲等)一五輌である(それでも凄い数だが)
連合軍のノルマンディー上陸から負け戦が続いていたドイツとしては新たな英雄が必要だったため「三〇輌の戦車を一輌で撃破」という宣伝材料にされた感もある。
戦死するまでに戦車一三八輌、対戦車砲一三二門を撃破。ティーガーT(ドイツでは有名な戦車)搭乗時の車体番号は「212」(ヴィレル・ボカージュ戦)
余談ですが、オレがハマっているアニメ「ガールズ&パンツァー」では主人公・西住みほの姉、西住まほが搭乗しているティーガーTの車体番号だったりする。


  第一三艦隊の退(の)き口
 関ヶ原の戦いで島津義弘率いる島津軍の前代未聞の撤退戦が元ネタ。
合戦の終盤(この時点で小早川秀秋は裏切り、西軍の石田三成、宇喜多秀家、小西行長は退却)に合戦開始時に一五〇〇あった兵力も三〇〇にまで激減(負傷者は後退させていた)
京都・大阪方面に通じる中山道、北陸方面へ通じる北国街道に向かった場合、間違いなく殲滅させられるだけであり、敵の意表を衝く、という点で伊勢街道を選んだものと推測する。
伊勢街道へ向かうにはどうしても東軍の包囲網を突破するしかなく、前代未聞の敵陣中央突破が開始された。
 まず東軍先鋒の福島正則、小早川、徳川家康の旗本隊と立て続けに突破され、家康の本陣の近くまで来た時に方向転換して伊勢街道へ向かって撤退を開始。
その後、家康による猛追を受け、甥の島津豊久や重臣の長寿院盛淳等を失い、漸く大阪・堺に辿り着いた時には、僅か八〇名足らずであった、とされる。
一方で東軍も島津軍の捨て奸(※すてがまり)で井伊直政、松平忠吉(家康の息子)が狙撃されて負傷後退(二人ともこの時の負傷が原因で死亡)、本多忠勝も乗馬が撃ち倒される、という惨状だった。
(※捨て奸は座禅陣とも呼ばれ、少数または一人の兵士が座ったまま追撃して来る敵を狙撃し、狙撃終了後には槍や刀で戦う戦法。主将が戦場を離脱する際の時間稼ぎであるため、生存率はかなり低い)


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