星ありて静淵に旗を掲げる




by 槇野知宏様




 自由惑星同盟軍第一三艦隊第三分艦隊の旗艦である戦艦「メリクリウス」は第二分艦隊旗艦「トリグラフ」と同時期に建造された戦艦である。
鹵獲された帝国軍艦艇をベースにして建造されており、そのフォルムは他の同盟軍艦艇にない美しさを持っている。
従来よりも高速に、という用兵側からの要求を取り入れた結果、高速巡航艦並みの機動性と旋回能力は得たは良いが、攻撃力及び防御力は他の艦隊旗艦クラス中最も低いものとなってしまった。
建造当初は試験艦的な扱いであったが、工藤新一少将を司令官とする第一三艦隊が編成されると「メリクリウス」は第三分艦隊司令、黒羽快斗准将の旗艦として納まったのである。


 「メリクリウス」艦内にある中部A(アルファ)応急員待機室。
応急員待機室は艦が被弾した際に応急修理を担当する兵員が詰めている場所であり、艦内には九ヶ所配置されている。 通常航行時であれば、当直員が待機したり、訓練の際のブリーフィングの場と化す。
艦隊司令部から第一級臨戦態勢が発動されてからは老練なベテラン曹長が若い兵員たちに戦闘時の心構えを説いていたのだが、そこへひょっこりと姿を見せたのは分艦隊先任参謀兼副官どのだった。
挨拶代わりの敬礼を行い、先任参謀兼副官―――中森青子大尉(だいい)―――は曹長と言葉を交わす。

「お忙しい時に申し訳ありませんが、快斗・・・じゃなかった司令を見ませんでしたでしょうか?」
「司令でしたら一〇分前までいらしたのですが、残念ながら入れ違いのようですな」
「もう快斗ったら・・・見つけたら許さないんだからっ」

ぷりぷりと怒る先任参謀を見ながら苦笑しながら曹長はこう言った。今頃は艦橋か司令私室でしょう、と。

「教えて頂いて有難うございました」
「早くしないと、また司令と入れ違いになりますよ?」

礼を言って待機室を後にした青子を見る曹長を始めとする兵員の目は好感さが滲み出ていた。



 その頃、青子が探していた分艦隊司令はというと、司令私室でのんびりとお茶タイムに興じている。
旧一四一二駆逐艦戦隊からの部下である給養員から貰った(せしめた)ケーキを、ひょい、と、つまんで口に入れる仕種は“奇術師(マジシャン)”の異名を持つ勇将とはかけ離れていた。
まあ、この点に関しては艦隊司令官と第二分艦隊司令も同様である。

「仕事の後に甘い物を食べる・・・これが良いんだよなぁ」

指についたチョコレートクリームを舐め取りながら悦に耽っている快斗の耳に、私室のドアが開く音が聞こえるのと同時に二〇年近く聞き慣れた声が鼓膜に響き渡った。

「バ快斗っ、どこに行ってたのよっ!!!」

士官学校の同期生にして自分の部下、そして幼馴染みである青子の怒鳴り声であり、彼女の手にはモップが握られていたりする。

「何でしょうか、先任参謀どの・・・それにそのモップは一体?」
「快斗が変な言い訳をしたら制裁しようと思って」

いちおうポーカーフェイスで通常とは違う声で応じたのだが、彼女はそれを無視して快斗の目の前にモップを突き出す。
やれやれ、と、言って苦笑した“奇術師”は突き出されたモップを右手で避けると青子に顔を近づけた。
距離にすれば二〇センチそこそこであるが、もし司令私室に何も知らない部下が入ってきて、この光景を見たら司令と先任参謀が愛の語らいをしているようにしか見えないだろう。

「青子。オメーは任官以来、ハイネセンから一歩も動いてねえ。だがオレは任官してから前線勤務ばかりだ。これは知ってるよな?」
「それは知ってるけど、それが戦闘直前に行方不明になるのとどう関係あるの?」
「戦闘直前になると、匂いを嗅ぎたくなるんだよ」
「匂いって、何の?」

快斗と言葉を交わしていた青子は目の前にいる幼馴染みの目が、彼女が目にするものと全く変わっている事に気づいた。
彼女が知る快斗の目は活力に富んでいるのと同時にイタズラ小僧を思わせる光を帯びているが、目の前にいるに幼馴染み兼上司の目は冷静かつ不敵な光湛えた瞳。

「戦闘の匂いさ。コイツを嗅がねえとマトモに戦闘指揮が執れねえんだよ」

通常であれば艦内を徘徊して、将兵の緊張感などから匂いをキャッチ出来るものだが、重要な戦闘となると艦内だけではなく、宇宙服と命綱を装着して艦外に出て戦闘予定宙域の匂いを嗅ぐ。
無論、宇宙服を着ているため直接匂いが嗅げるワケでもないし、戦場の匂いとやらが普通の人間に分かるはずもない。
彼の同期で艦隊参謀長を務める“絶対零度のカミソリ”と言われる御仁から“獣じみた嗅覚を持つ”と称される快斗は、嗅覚だけでなく他の感覚を最大限に利用して戦闘に臨む。
いち早く戦場の雰囲気に慣れ、自分に与えられた兵力を自由に動かして味方の作戦展開を有利にし、勝利に貢献する―――これが“奇術師”と呼ばれる黒羽快斗の用兵であり、真骨頂でもあった。

「・・・と、言うワケさ。青子にオレのクセを黙ってたのは誤るけどな」

そう言って彼女が被っているスコードロンハットを―――ケーキを持ってなかった―――左手で取ると、同じ手で青子の髪を優しくかき回す。
ハイネセンでの快斗はというと“セクハラと甘い物が大好きで、お魚が大嫌い。大きな子供と同じ”と青子は彼女の友人たちに語った事がある程、自由気ままに過ごすお調子者、という感がある。
しかし目の前にいる男は“大きな子供”ではなく“戦場の奇術師”のオーラを全身から溢れさせていたが、その目は青子の知る“大きな子供”であった。

「一人で宇宙空間って、危なくないの?」
「そりゃ危ないさ。だけど宇宙空間に出て暗闇に浮かぶ星を見てると、危険な事すら忘れるんだな、これが」
「暗闇に浮かぶ星、の件を聞くだけじゃロマンティックなんだけどね」
「青子、ロマンティックって・・・ま、いいか。何なら今度連れてってやるよ。何ならオレが後ろから抱きかかえててやるぜ?」
「最初の部分は良いけど、最後はダメだからね。快斗ってすぐセクハラするから」

へいへい、苦笑した快斗の耳に卓上のコンピュータが発する甲高い音が入る。
音からして呼び出し音と確信した快斗がキーボードを操作すると、ディスプレイにオペレーターの顔が浮かんだ。

「どうした?」
『司令宛てに連絡が入っております。私室にお繋ぎしても宜しいでしょうか?』
「構わないよ・・・で、相手は誰だ?平ちゃんか?それとも白馬か?」
『いえ、工藤司令官閣下ご自身です』
「・・・分かった。ありがとう」

オペレーターとの会話を終え、快斗は僅かながら舌打ちをする。

『工藤のヤツ・・・嫌がらせかよっ』

そう思ったものの表情には出さず、彼の友人である上司がディスプレイに現れる短時間の間に青子に声を掛けた。

「青子。さっきの件だけどな、ハイネセン帰還中だったら何時でも連れてってやるから、宇宙服と命綱だけは準備しとけよ?」



終わり




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