星の下の誓約



by 槇野知宏様



 パリにいる時、私は度々ロンドンを訪れ、彼の愛車であるBMW−MINIに同乗してイングランド及び近隣諸国(スコットランド、ウェールズ等)の景勝地を見て回ってきた。
もっとも景勝地という名の付くところは、観光客が多く、本当の二人っきりになる事はなかったと言っても良い。日本に戻って来たところで、それは同じであろう。
もっとも夏は避暑地で賑わう軽井沢も、真冬となれば閑散としている―――まして北軽井沢では尚更の事だが。
一般的に軽井沢と称される地区は北、中、南の三つに分けられる。
北軽井沢は明治以来の伝統があり、旧軽井沢、と呼ばれるが、周囲の発展度を考えたら、中、南軽井沢に軍配が上がるのは否めない。
普通、軽井沢と言えば長野県だが、北軽井沢は浅間山東麓一帯を言い、その事から群馬県に属しているのだ。
白馬家の別荘が、どこにあるのか、と言えば当然のように北軽井沢に別荘がある。
ただし一等地と呼ばれる場所ではなく、浅間山の近くにある小高い丘の上・・・その事を不思議に思った私が彼に問い質すと、こんな解答が返ってきた。

「別荘を建てた人間に聞いてみないとね・・・建てた人間と言っても、僕の曾祖父なんですが」

話によると探さんの曾祖父は財閥の長という域を超えた方だったらしく、明治の日本では珍しかった自動車に乗り、囲碁に将棋、チェスを嗜み、日本舞踊にダンス、楽器を巧みに操り、狩猟にカードゲームなど多彩な趣味を持っていた方だそうだ。
中でも当時イギリスの新聞「ストランド」に連載されていた「シャーロック・ホームズの冒険」を読みたいがため、わざわざ取り寄せていた程だという。
僕は曾祖父の血を色濃く引いてるんでしょうね、そう探さんは笑ったが、その多芸な趣味の中に天体観測があり、星の眺めが良い場所を求めて、この地に別荘を建てたそうだ。

「星の眺めが良い場所と言うのは人が集中しやすい・・・これはどこの国でも同じです」

自分だけの天体観測所が欲しかったのでしょう、と言って立ち上がると私に手を差し出す。
その意味を了解した私は黙って彼の手に自分のそれを重ね合わせた。


 別荘の二階にあるベランダへ来ると、室内の暖かさが遮断され、外気の冷たい空気が私の全身を震わせる。
僅かに震えた、と思った瞬間、暖かい布製のものが私の首から上を覆った。布からほんのりと探さんの匂いが漂い、背後を見ると彼が柔和な笑みを浮かべたまま、私を見つめていた。

「防寒対策に対する配慮が足りなくて申し訳ありません」
「これはこれで宜しくてよ。だって探さんと一体化しているみたいですから」

言葉を発する度に白い息が零れる中、彼が耳元で小さく囁く―――星が綺麗ですよ、と。
それを聞いて空を見上げると、無数の星が天空を覆い尽くしている光景が視界いっぱいに広がっている。
冬は星が一番きれいに見える季節だという事を私は知っていた。
これは星の輝きを遮る水蒸気の量が少ないうえ、他の季節に比して一等星が多いという事を。
この時ばかりは赤魔術師としてではなく、一人の女性として星を眺めていたのだが、急に身体が反転し、私は探さんを見上げる状態になった。

「せっかく星を眺めていたのに・・・あなたも随分と無粋な事をなさるのね」
「無粋と思われても構いませんよ。僕は星に目を奪われたあなたに嫉妬しただけですから」

冗談と本気が混ざった口調で話す彼の態度に思わず苦笑しかけた時、細くしなやかな探さんの指が私の顎を上に向けさせる。
気付いた瞬間、私の唇は彼の唇によって塞がれる―――その速攻に内心で呆れつつ感心はしたが。
無限と思われる静寂の中、聞こえるのは私と探さんの舌同士が奏でる妖艶な音色だけが響き、漸く唇を離した時には私の身体は外気の冷たさが感じないほど熱くなっていた。
じっと彼を見上げると、いつものアルカイックスマイルと違う艶やかさが込められた笑みが口元に浮かんでいるのを確認する。
このような笑顔を他の女性が見ようものなら即座に陥落してしまうであろうが、これを見られるのは私だけに与えられた特権。

「では、そろそろ中に戻りましょう」
「その前に一つ、お願いがあるのですが宜しいかしら?」

僕が出来る事であれば何なりと、騎士が姫に忠誠を誓うかのような物言いをする探さんに私はこう言った。

「ここは気に入りましたわ。また連れて来て頂けるかしら?」

紅子さんが気に入ったのであれば、いつでもお連れ致しましょう、そう言って彼は誓約として私の手の甲にキスをした。




終わり



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