初夏の風を追いかけて



by槇野知宏様



 私たちの間を吹き抜ける五月の風―――春の柔らかな風とは違った涼しげな風だ。
各家々の植木の若葉が太陽の日差しを遮り、その間から零れる日光が複雑な模様を地面に投げかける。
平日の昼前なので道路を走る自動車も少なく、時折聞こえる鳥のさえずりが耳に心地よい。

「なあ、蘭?」
「どうしたの、新一?」

私の隣を歩いている新一の声に私は彼の方に顔を向けた。

「疲れてないか?休憩して行こうぜ?」
「大丈夫よ。もう、心配性なんだから」

そう言って私が笑うのも無理はない。買い物で家を出てからずっとこんな感じなのだ。

「でも、体に響いたらどうすんだよ?やっぱり車使った方が良かったんじゃないのか?」
「近所の商店街で買い物するだけなのに車なんか出す必要ないでしょ?」
「そりゃそーだけど、長い事歩いてると身体に障るしれねーだろ?」
「まだ家を出てから一〇分しかたってないでしょ?そんなに度々休んでたら買い物済ませる前に日が暮れちゃうじゃない」
「そいつは分かってんだけさ・・・蘭だけの身体じゃねーんだから無理すんじゃねーぞ」

最後の方は私だけに聞こえるほどの囁きだけど、その声から彼の優しさ溢れんばかりに出ている。
慈愛に満ちたその視線の先には私のふっくらとしたお腹―――その胎内には新一と私の子供が二人宿っているのだ。



 彼と結婚してから一年以上経過して授かった小さな生命(いのち)
妊娠が分かった時の新一の喜び様はなかったけど、更に検査などで子供が二人、しかも男の子と女の子だと分かった時の両親、義父母のそれはすごかった。

「何〜っ、双子だとぉ・・・ま、苦労するかもしれねえけどな、泣き言言ってくるんじゃねーぞ」
「あなたも私や有希子と同じ道を歩くなんてねえ・・・蘭、新一くんと二人三脚で頑張りなさい」
「蘭ちゃん、双子ですって?キャーッ、キャーッ、キャ〜ッ!!!心配事があるなら、私が駆けつけてあげるからね」
「蘭くん、おめでとう。これからは苦労するかもしれないけど、君たち夫婦ならやっていけるから自信を持ちなさい」

この四人の言葉を私から伝え聞いた新一は苦笑しながら言ったものだ。

「ま、それぞれの為人(ひととなり)らしいコメントだな。どーせ四人とも、子供が産まれたらウチに入り浸るのがオチだろうぜ」



他愛もない会話を交わし、手を繋いで道を歩く。互いの頬に感じる風が気持ち良い。道行く人の挨拶に応えながら、歩いていると新一が声を掛けてきた。

「ふと思ったんだけど、今年はベビーラッシュだよな」
「え?」

彼の発した言葉の意味を理解するのに数秒を要した。

「・・・そうよね。和葉ちゃんに始まって園子」
「黒羽、白馬んちに続いて高木刑事のところもだからなぁ」

友人が立て続けに妊娠・出産なんて例は殆どないだろうが、これはれっきとした事実。
しかも和葉ちゃんも双子で園子に至っては三つ子なのよねえ。子供生まれてからも周囲が賑やかになりそうだわ、ホント。

「それにしても和葉ちゃんが二人で園子が三人か。他の家も双子だの三つ子だのだったら・・・想像するのも怖いな」
「この間、和葉ちゃんと電話で話したんだけど、調べてもらったら私と同じだって」
「同じって、まさか・・・」
「うん、男の子と女の子が一人ずつだって。和葉ちゃんが言うには、お互い将来は気ィつけなアカンで、だって」
「何だよ、その、将来は気ぃつけなアカン、ってのは?」
「決まってるじゃない?互いの子供が将来、父親みたいな推理バカにならないようによ」

そうかよ、と、一言呟いて憮然とした表情でそっぽを向く新一を見て私は苦笑した。
周りからは完全無欠と思われる新一も少し子供じみたところがあって、私から見れば昔とちっとも変わらない。
ま、そういうところが彼の良いところなんだけどね。私に痛いところを衝かれた新一は別の話題を持ち出す。

「で、園子んトコはどーなんだよ?」
「それが男の子一人に女の子二人だって」

はぁっ?という表情をした新一だったが、自分の髪を勢いよく掻き回した後、こう言ったものだ。

「やれやれ・・・これで我が家は親子二代に渡って園子んちに掻き回されるんだろうなぁ」
「何言ってるの。三人揃って鈴木(旧姓:京極)さんみたいな性格かもしれないじゃない」

そう言って互いの顔を見たのだが、どちらともなく吹き出してしまった。

「・・・三人揃って鈴木さんの性格っつーのも想像できねえよ」
「・・・一人や二人くらい園子の性格を受け継いでてもおかしくないわよね」
「さすがに三人揃って園子の性格を受け継いで・・・ま、男の子は父親に似るって言うから大丈夫だろ」
「そうなると、我が家の男の子も新一みたいになりかねないんだけどね、ダンナ様?」

悪戯っぽく言って新一の方に視線を向けると、彼の両目に苦笑の色が輝く。

「こいつは一本取られた。さすがオレの奥さんだよ」

そう言って肩を竦めると、新一は私の手を握り締めた。

「新一、どうしたの?」
「ん?こうやって手を繋いでたら、子供の心音ていうか声が聞こえるような気がしてならねえんだよ」
「何言ってるのよ?家じゃ毎日のように私のお腹に耳を当ててるくせに」
「別に良いだろ?違う角度から新たな発見ってのもあるからな」

何か言ってる事が探偵みたいなんだけど、私の気の所為なんだろうか?



 やはり家から商店街までの往復はキツイものがある。
赤ちゃんの体重を三.二キロ前後と想定して、二人分だから約六.四キロ前後。
それに胎盤、羊水、脂肪などが加わるので、一〇キロ近い重りを身体に纏っている計算だ。
買い物袋は新一が持ってくれているのだが、汗が額から頬を伝って流れ落ちる。

「蘭、ちょっと休憩して行くぞ」

じっと私の顔を見ていた新一が私の腕を引っ張り、近くの公園に連れて行ってベンチに座らせた。

「ちょっと新一?私、早く帰って昼食の準備しないといけないんだけど?」
「バーロ。そんなに汗かきやがって・・・メシは逃げやしねーよ」

いつの間にか買ってきたミネラルウォーターのペットボトルを頬に押し付けられ、その冷たさが火照った頬に気持ち良い。

「蘭の状態は理解してるんだぜ、オレは。疲れてたり、苦しい時は遠慮なくオレに言えよ」
「うん、ありがと・・・新一」

隣に座った新一がハンカチで私の汗を拭いてくれる。さりげない優しさが嬉しい。

「予定日は来週末だったよな。出産の時はオレも立ち会ってやるよ」
「別に良いわよ。新一だって学業やら仕事があるんだから」
「蘭の出産日は勉強も仕事も休む。オメーが苦しむんなら、オレも一緒に苦しんでやるさ・・・それが夫婦ってもんだろ?」

そう言って肩を抱き寄せる彼の顔は穏やかな笑みを浮かべている。

「ありがとう、新一」

爽快な初夏の風が緑の香りと共に私たちを包むのを感じながら、私は彼の肩に頭を乗せて目を閉じた。




終わり



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