ある家族の食卓の情景



by槇野知宏様



 自分が奏でるタイピングの音が人気が少なくなった部屋に響く。
両手指でパソコンのキーボードを叩き、両目はパソコンの右隣にある捜査資料とディスプレイの往復・・・三〇分近くこれの繰り返しやから結構キツイんや。
ようやく終わらせて大きく背伸びをしたところに横から湯呑みに入ったお茶が差し出されて、そっちの方向へ顔を向けると両手に湯呑みを持った大滝ハンの巨体が立っとった。

「捜査一課が誇る鬼警部に茶ァ入れさせるなんてスンマセンなぁ、大滝ハン」
「何言うとるんや。“鬼”と言われとんのは平ちゃんやろ?」

大滝ハンから湯呑みを受け取って茶を飲む。そらコーヒーとかもええんやろうけど、オレとしてはやっぱ日本茶が一番やな。

「おおきに。ごっつ美味かったで」
「“鬼平警部補”から合格点が貰えるとは光栄の至りや。オレも平ちゃんトコの茶坊主くらいは務まりそうやな」

“鬼平警部補”
東京に“鬼平総監”ことオトンが警視総監として赴任しとるからオレはそう呼ばれとる。

「そら無理やで、大滝ハン。ウチと職場で飲むんは別モン、と、オレは思とる。それに和葉の入れた茶に勝てる人間はおらへんわ・・・ま、昔から和葉の入れる茶を飲んどったからな」

最後に弁解じみた事を言うたが、大滝ハンはニヤリと笑うたけど言葉は何も発しとらん。もっとも心ん中で何と言うとるやら分からんけど。

「午後イチの傷害事件の報告書、どこまで出来たん?」
「それなら今しがた終わらせたばかりで、あとプリントアウトして明日ん朝に提出するだけやな」
「相変わらず、平ちゃんは仕事が早いなあ。どや、帰りに一杯行かへんか?」

その言葉に食指が動きかけたんは事実やが、出勤前に嫁ハンに言われたセリフが脳裏を過ぎる。

『ほな、行って来るで』
『あ、今日は早よ帰って来てな。夕食は平次の好きなテッチリやから』
『ええこっちゃ。この季節のテッチリは美味いさかいなあ』

 急な事件が入ったんやったら文句言わんのやろうけど、約束反故にして、飲みに行く、なんて言うたら、ハリセンのエジキになるんは目に見えとる。
和葉のヤツ、どこであんなん覚えたんやろ?アイツのハリセン攻撃は目に見えへんし、ビンタ食らうより痛いんや。

「大滝ハン、悪いけど今日は止めとくわ。和葉から、早よ帰って来い、って、厳命されとるんや」
「それやったらしゃあないな。それにしても犯罪者から、鬼平、と、畏れらとる平ちゃんも和葉ちゃんには勝てんみたいやな?」
「我が家の血筋みたいなモンや。オトンかてオカンには逆らんし」

ついでに言えば近畿管区警察局長を務めとる遠山のオトン、工藤を筆頭とする知り合い連中は揃いも揃うて嫁に頭が上がらへん。

「そういうワケやから今夜は遠慮させて貰うわ。大滝ハンも飲んでばかりおったら嫁ハンにシバかれるで?」
「こいつは平ちゃんに一本取られたわ。ほな、お疲れさん」
「お疲れさんでした」

大滝ハンと言葉を交わして帰途につく。府警から家までは距離約二五キロ―――時計を見れば一般的な終業時間とバッティングしとる・・・道混むんは間違いないやろな。



 予想通り渋滞に巻き込まれた挙げ句、精神的にヘロヘロになって帰宅する。

「今、帰ったでーっ」

そう言って引き戸を開けると同時に鼻腔へ、テッチリの煮える魅惑的な匂いが流れ込んできた。
東京方面じゃ【ふぐちり】の事を【テッチリ】っちゅうんやけど、頭の【てつ】は鉄砲の鉄から来とる。
何でかというと河豚には毒があって「当たったら死ぬ」ことから、河豚のことを【鉄砲】―――つまり【テッチリ】とは【鉄砲ちり鍋】の略っちゅうことや。
昔はオカンのが一番やって思とったけど、今は、和葉のが一番や、と、確信しとる。
ダンナ好みの味ゆうたら時間をかけて学び取るモンやけど、和葉の場合はガキん頃からオカンに料理のいろはを叩き込まれとるから、オレ好みの味、を、作れるんやろな。
んな事を考えて上がりに足をかけた時、奥から嫁ハンが姿を現した。

「平次、お帰り」
「ただいま。もう出来とんのか?」
「アンタが帰ってくる時間を読んどったから、ちょうど煮え上がった頃や。平次、ヨダレが垂れとるで?」

和葉の指摘に慌てて袖で口元を拭ったんやが、そんな痕跡は一つもあらへん。

「おい和葉、仕事から帰宅したばっかの亭主をコケにすんのは止めえや」
「煮え上がった、言うたら、ヨダレが垂れそうな顔しとったんは事実やからしゃあないやん」

その言葉に憮然としながら食堂兼リビングへ向かう途中、目的地から子供たちの騒ぎ声が聞こえてきた。

「お父ちゃん帰ってくるまで箸つけるなってお母ちゃん言うてたやん。アンタ、お母ちゃんにシバかれるで?」
「白子一個くらい食ったってバレやせんわ。それにハリセン怖くてつまみ食いが出来るかっちゅうねん」

『毎回々々、マサんヤツも懲りひんなぁ・・・って白子やと?あんガキ、人の大好物を勝手に・・・シバき回したる!!』

子供相手に物騒な事を考えつつ食堂に飛び込んだんやけど、今まさに白子が息子の口に入ろうとしとったところや。

「「お父ちゃん(あ、オトン)、お帰りなさい」」

和華は冷静に、礼儀は白子を鍋に戻しながら挨拶をしたのだが、現場は四人家族のうち三人がしっかりと見とったワケで―――直後、礼儀は和葉のハリセンによって撃沈。

「自業自得、無様、ドアホの三拍子やな・・・そやろ、お父ちゃん?」

娘のセリフにオレは苦笑するしかない。ま、事実やからしゃあないわな。



「やっぱ冬はオカンのテッチリや。この半生のテッサ(フグの刺身の事)が堪らへんわ」

先刻、和葉のハリセン攻撃を被ったばかりの息子は何事もなかったかのように食事にありついとる。

「マサ、テッサばっかり食べんと野菜も食べなあかんよ?」
「そんな事言うたかて、みんな食うのが遅すぎるんや。あ、この白子煮えとるから食ったろ」

そう言って礼儀が白子に箸をのばす先にある白子は、オレが鍋に入れて煮えるのを待っとったモン・・・楽しみを簡単に奪われてたまるかい。
先手を取ってオレは鍋から白子を奪い取って口に入れる―――いやホンマに美味い、これは子供に食わせるモンやないで。

「オトン、人の食おうとしたモンを奪うなんて酷いやんけ」
「やかまし。これはオレが初っ端からツバつけとったんや」
「ふざけんなや。オトンがそーいうならオレにも考えがあるわ」
「おいマサ、人ん皿からテッサを取るんは卑怯やぞ」
「食いモンの恨みは怖いんや。卑怯もヘッタクレもあらへん」
「ほぉ、ええ根性しとるやんけ。自分で言うたセリフをそんまま返したるわ」

しばらく親子の睨み合いが続いとったけど、ある事情で強制終了と相成った。

「このドアホども、食べ物の事で醜い争いをすんなーっ!!!」

立て続けに鳴り響く強烈なハリセンの音二発・・・和葉、脳に響くから顎を引っ叩くんは勘弁してくれや。
引っ叩かれた部分をさすりながら礼儀を見れば後頭部を押さえて呻いとるし、もう一人はというと何事もなかったかのように平然と食事中や。

「和華、こんな状況下で、よう落ち着いてメシが食えるなぁ」
「お父ちゃんとマサの親子マンザイにお母ちゃんのハリセンツッコミは我が家のお約束やん。一々驚いとったら何も出来ひんわ」

それにしても黒羽くんトコに似とるわ、と、呟きながら娘はお茶を飲んどる。おい和華、快ちゃんトコはハリセンやのうてモップやぞ。
茶啜っとる姿見とるとウチのオカン、そして遠山のオカンを思い出すわ。あの人たちもオレと和葉のケンカを止めもせず見とったさかいな。

『大した事あらへん、すぐに仲良うなるわ。あれは平次(くん)と和葉(ちゃん)のスキンシップやから、大人が口出したらアカン』

ケンカを止めようとしたオトンコンビに平然と言い放ったらしい―――あ、これはオトンたちの証言なんやけど。



 ちょうどテッチリの締めである雑炊を食い終わった頃、オレの携帯電話の着信音が鳴り響く。
時計に目を向けると午後八時前。この時間帯に電話をかけてくる人間言うたら府警関係者しかあらへん。東京方面の人間やったら和葉の携帯もしくはウチの電話に直接かけるはずや。

「平次、府警からの呼び出しちゃうん?」
「そうやろな。酒飲まんといて正解やったわ・・・はい、服部や」

電話を取ると、オレと和葉が予想したとおり府警捜査一課の若い刑事からや。

『服部警部補でっか?捜査一課の木村巡査です。夜分に申し訳ありまっせん』
「別に構へん。それよりも捜一(そういち)から電話っちゅう事は何ぞ事件でもあったんか?」

話を要約すると、ミナミで飲食店の店長が開店中の店ん中で何者かに殺されたらしい。犯人のヤツも府警のお膝元でエエ度胸しとるで。

「よう分かった・・・大滝ハンには連絡・・・ついとるんやな?スマンが大滝ハンに、今から直(ちょく)で現場に向かう、と、言うといてくれへんか?」

電話しとるうちに自分の中で何かのスイッチが入る―――ま、昔で言うたら後ろに被っとった帽子の庇を正面に向ける事と同じやな。
二、三の指示を与えて電話を切ると、オレの上着を持った和葉が後ろに立っとる。

「電話聞いとったけど、やっぱり府警の呼び出しやったね」
「だいたい読めとった・・・上着、おおきに」

和葉から上着を受け取った時、先刻までメシを食ってたはずの息子の姿が見あたらん事に気づいた。

「和華、マサはどこ行ったんや?」

父親の質問に対する娘の返答。

「お父ちゃんが電話しとったん聞いて、二階に帽子取りに行ったで」
「アイツ、またかいな」

誰に似たんかは知らんが、マサのヤツも現場について来る事が多い。普通やったら現場に部外者が立ち入る事は出来へんのやけど、息子は現場の受けが良いんやな。
口じゃ何だかんだ言うても内心は結構嬉しいモンや。その辺、オレも結構親バカかも知れへん。もっとも和葉はマサが現場に出張る事が気に入っとらんが。

「オトン、準備出来たで」

そう言ってリビングに現れた息子の格好は昔のオレと同じ格好や(なお、かぶっているのはタイガースの帽子 作者註)

「いつも思うんやけど、ホンマに写真で見た昔のお父ちゃんのコピー版って感じや」
「そう言えば蘭ちゃんも言うとったなぁ、うちも同じよ、って」

そんな二人を見ながら、自分らも似たようなモンやで、と、内心でツッコんだんはお約束や。



終わり




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