衝撃



by槇野知宏様



 私の一人息子である新一と結婚してから、親友の妃英理は小五郎くんとの別居生活にピリオドを打った。

『蘭がいなくなったら、杜撰な生活を送りかねないからね、あの人は。だから戻る事にしたのよ』

私にそう報告した英理ちゃんだったが、言葉の端々から嬉しさがにじみ出ているのを私は感じ取っていた。

『英理、やっと小五郎くんとヨリを戻したのね・・・おめでとう』

そう言って私は英理を祝福したのだった。



 それから二年が経過したある日―――東京・米花市米花町二丁目にある大きな洋館の前に私たちは佇んでいた。
自覚があるのかどうかは置いといて、私たち四人は一般的に言う有名人である。
私の夫で推理小説家の工藤優作、高校時代の友人で私立探偵の毛利小五郎くんに彼の妻である弁護士の英理。
私たちが都心の真ん中あたりをうろついていれば、間違いなく周囲を人垣に取り囲まれ、サイン攻め、握手攻めにあうのは確実だ。
しかし米花町界隈でそんな事はなく、たまに通り過ぎる通行人が軽く会釈するか、一言二言と声をかけるだけである。

昔は自分の居住地、現在は新ちゃんの居住地兼探偵事務所となっている建物を見て、優作は呟いた。

「久しぶりの我が家。ロスに住居を移しても、ここに帰ってくれば懐かしさを憶えるな。どうかね、有希子?」
「確かにそうだけど、優作みたいに郷愁を覚えるほどではないわね」
「それは有希子が一人で毎回のように帰ってくるからでしょう?」

 英理の指摘に私は頬を膨らませた。

「何よ、その言い方?そりゃあ英理は毎日のように亮治くんや葵ちゃんに会えるからいいけど、私なんか年に二回しか会えないのよ?」
「あのね、私だって仕事があるから毎日会えるわけないでしょ。毎日会えるとすれば・・・この人ぐらいでしょうね」
「おい英理、何でオレを見るんだよ?オレだって孫に会いたいのを我慢して仕事してるんだぜ?」
「そうなんだ・・・ふぅん・・・じゃ、この間は何なのかしらね?浮気調査にかこつけて亮治くんと葵ちゃんの顔を見に行ったそうじゃない」
「ぐっ・・・な、何の事やらサッパリ分からねえなぁ」

この時点で小五郎くんの目は泳ぎまくっている状態。歴戦の弁護士たる英理、新ちゃんを凌ぐ推理力を持つ優作、そして女優として数々の役をこなして来た私たちが怪しむのは当然だろう。

「無駄な足掻きは止したら良いんじゃなくて“眠りの小五郎”さん。蘭から電話があったのよ、孫を甘やかすのは止めてくれ、ってね・・・どーいう事かしら?」
「な、何もしてねーよ。ただ、おもちゃ買って持って行っただけじゃねーか」
「新一くんが言うには、一つの部屋がおもちゃに占領された、と、聞いたけど?」
「そ、そういう英理だって、ここへ頻繁に来てるそうじゃねーか?」
「それは蘭や新一くんから頼まれるからでしょっ!あなたと違って仕事が終わって行ってるんだから」
「ほぉ・・・語るに落ちたな“法曹界のクィーン”さんよ。オメーの秘書の栗山さんから話は聞いてんだよ。最近、昼休み帰ってくるのが遅いんですけど、何か知りませんか、ってな」
「な、何の事かしら?話が読めないんだけど」

表面上は平静を装っている英理だけど、その顔から冷や汗が流れているのを私たちは見て取った。この夫婦のこういった状況を抑えるのは私たち夫婦の分野だけど、私としては納得出来ない。

「小五郎くんも英理もずる〜い。何よ、自分たちだけ良い思いして」
「三人とも落ち着きなさい。こんなところでケンカなんかしたら、ご近所の迷惑・・・」

毎度の事ながら優作が三人を宥めていると、後ろから呆れ果てた声が私たちの耳に響く。

「・・・何やってんだよ、父さんたち?」
「・・・お父さんたち、何やってるのよ?」

後ろを振り返ると、そこにいたのは乳母車に双子を乗せて買い物帰りの新ちゃんと蘭ちゃん夫婦だった。



 場所は変わって、工藤家のリビング。

「ったく、父さんたちも来るなら連絡しろよな。何度、同じ事言わせりゃ気が済むんだよ?」
「新一の言う通りよ。心配してくれるのは有難いけど、私たちはちゃんとやって行けますっ」

我が子を抱いた息子(嫁)にそう言われて、優作は平然としているけどを私たちは何も言えず身体を縮こませる。

「まあまあ、私たちも孫の顔を見るのが唯一の楽しみなんだから。新一も蘭くんもそこのところは理解してくれないかね?」
「あのな。孫の顔を見るのが唯一の楽しみ、って、全員まだ四〇過ぎたばっかだろーが!何、年寄りじみた事言ってんだよっ!」

不機嫌そうに吐き捨てた新ちゃんは目の前にあるコーヒーに手をつけるが、抱いている娘を見る目は優しい父親の瞳(め)をしている。

「ふぅん、新ちゃんも父親の顔になって来たわねえ・・・で、どうなの?」
「何がだよ?」
「もう立ちあがったり、喋ったりしてるんじゃないの?」
「もう二人とも立ったり、片言だけど喋れるけど・・・あれ、英理さんや小五郎さんは知ってるはずだぜ?」
「英理さんや小五郎さんは知ってるはず、ですって・・・ちょっと二人とも、何でそういう大切な事を言ってくれないのよっ」
「有希ちゃん、無理言わないでくれよ。オレだって知ったのは最近なんだぜ?なあ、英理?」
「そうよ。私だって最近知ったんだし、新一くんたちから有希子のところに連絡は行ってると思ったわよ」

私の抗議を受けた二人の声に私は息子夫婦に視線を転じる。

「新ちゃん、蘭ちゃん・・・説明してもらおうかしら?」
「ロスに知らせる前に、連絡なしで帰国する方が悪いんだよ」
「お義母様、連絡が遅れたのは誤ります・・・それにお義母様たちの事だから、連絡無しで帰国すると思ったものですから」

新ちゃんもだけど、蘭ちゃんも可愛いのよねえ。昔から、この二人は将来は結婚する、と、思ってたしね。蘭ちゃんの言葉で私は機嫌を直す。

「ホント、蘭ちゃんって優しいのね。誰かさんと違って」
「悪かったな、優しくなくてよ。ほら、お前の祖父ちゃんたちだぞ」

新ちゃんと蘭ちゃんが抱いていた亮治くんと葵ちゃんを床に下ろすと、二人はソファや机の縁を掴りながら、ゆっくりと私たちの方へ向かって行く。
この時、私はデジカメを持って来ていない事を激しく後悔したが、携帯電話の撮影機能を利用して可愛い孫の撮影に専念していた、その時・・・

「「じーじ」」
「「ばーば」」

この一言に優作と小五郎くんは嬉しさを前面に押し出したものだが、私と英理は固まってしまった。

「新一、お母さんたち固まっちゃったわよ?」
「ばーば、と、言われたのが、相当ショックだったんじゃねーか?」
「ったく、孫が出来た時点で覚悟してろよ。今のご時世、珍しい事じゃねーだろ」
「まあ、有希子も英理さんも見た目じゃ四〇越えてるとは思えないからね」

他人事みたいに話す新ちゃん、蘭ちゃん、優作、小五郎くんだけど、私の耳にはその言葉は入らず、別の事を考えていた。

『新ちゃんが親になった時点で覚悟してたけど・・・この間、取材を受けた婦人雑誌の記者から、引退から二〇年以上経つのに、現役の時と全然変わりませんね、と、言われたのに・・・』

私たちを見つめる一二個の瞳・・・その視線に気付いた私と英理は互いに頷き、有無を言わさず新ちゃん(蘭ちゃん)を二階へ連行する。



 現在、新ちゃんと蘭ちゃんの置かれている状況・・・寝室で正座させられている。その目の前には仁王立ちした私と英理。

「何か、子供の頃を思い出すよな」
「そうね」

ヒソヒソと会話を交わす新ちゃんと蘭ちゃんに、英理と一緒に鋭い眼光を向けると沈黙してしまった。

「何で、こういう状況になったか分かる?新ちゃん」
「まさか、亮治たちに、ばーば、って、呼ばれた事の腹いせじゃねえだろーな?」
「新一くん。私たちはまだ、ばーば、って、呼ばれるほど歳は取ってないわよ・・・ねえ、有希子」
「英理の言うとおりよ。私たちはまだ若いんだからっ」
「あのねえ、お母さんたち。お父さんたちだって受け入れてるじゃない」
「蘭の言う通りだよ。のご時世、四〇過ぎて祖父母になるのは珍しくねーんだから」

瞬間、私たちは二人の頭上に約二〇年振りのゲンコツが振り下ろす。

「「良いこと?今後一切、亮治くんと葵ちゃんに、ばーば、とか、お祖母ちゃん、と呼ばせないようにっ!!!」」
「「なっ、何だそりゃあ(何よそれっ)・・・無理に決まって・・・」」
「「問答無用っ!!!」」

再度、私たちは新ちゃん夫婦の頭上にゲンコツを落とした。


その後、亮治くんと葵ちゃんは、新ちゃんたちの教育のお陰で、私たちの事を、有希子さん、英理さん、と呼ぶようになった事になった。




終わり



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