Yes or No



by 槇野知宏様



 昨日の事件の調書が一段落したところでパソコンから目を離す。
出勤してから事件もなく、ずっとパソコンと格闘していたので目が痛い。
引き出しから目薬を取り出して点眼し、天井へ視線を向けていると横から聞き慣れた声が聞こえる。

「美和子、一緒に昼ご飯を食べましょ?」
「何だ由美か。もうそんな時間?」

そう言いながら腕時計を見ると午後0時ジャスト。世間一般で言うと昼食&「笑っ○い○とも」の時間帯。

「何だ、って何よ?はっはあーん・・・私より愛しい高木くんと一緒にラブラブなランチの方が良かったかしら?」
「ちょっ、と由美、渉くんに迷惑が掛かるから変な事言わないでよ」

私だって渉くんと一緒にご飯を食べたいけど彼は今日非番で休みなのよ・・・って、チョット待った。
渉くん、って今呼ばなかった?ようやく私は自分が失言した事に気付く。

仕事では名字で呼んでいるけど、プライヴェートの時は互いの名前で呼び合っている―――これは二人だけの秘密。

ただ先刻の発言は部屋にいた人にハッキリと聞かれてしまった。男性刑事から羨望、そして女性刑事からは嫉妬のマナザシが私に突き刺さる。

「ありゃりゃ〜。自分からバラしちゃったわねえ」
「由美!早くご飯に行くわよっ!!」

彼女の後襟を掴んで、私はそのまま大部屋から退出する羽目になった。



 所変わって、警視庁内のカフェ。

「あれは美和子が自爆したからであって、私が責任を取る必要はないでしょうが」
「由美が悪いに決まってるでしょ!あんなところで渉く・・・高木くんの名前を出したんだから」

口論しながらランチセットを食べているが周囲には珍しくお客がいない。もっとも店員が迷惑そうな目で私たちを見てはいたが。

「別に言い直さなくて良いわよ。あなたたちが付き合ってる事くらい知ってるし」
「え、そうなの?」
「二人の態度を見ていればねえ・・・で、どこまで進んでるの?」

ナプキンで口を拭きながら由美が尋ねてきた時、私は口にしていた水を吹き出しかけた。
どこまで進んでる、って・・・な、何の事かしら?えーと、その・・・ま、まさかアレの事?
次第に全身の血液が顔に集中していくのを由美は面白そうに眺めている。

「美和子、あんた変な想像をしてるんじゃない?」
「な、何も想像してないわよっ!」

変な想像をしたからこそ照れ隠しに声を荒げてしまったが、目の前の友人はニヤニヤしている。

「美和子と高木くんが相当奥手なのは知ってるわよ。私が聞いてるのは、高木くんにプロポーズしてもらったのか、って事」
「プロポーズ?」
「付き合って二年になるんでしょ?美和子も来年は大台なんだから結婚を考えた方が良いわよ」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげる。由美もそろそろ覚悟を決めたら?」

ふと由美の方に視線を転じると、ほっとけ、と呟いてるのを確認した私は苦笑して席を立った。



「プロポーズ、結婚か・・・」

つい呟いてしまう甘い響きを持った二つの単語。渉くんと付き合って3年。彼からも私からもそんな話題は全く出ない。
彼はどう思っているか分からないが、私自身は結婚に関しては無関心というより、結婚、と、いう単語がイヤだった。

『早く結婚をして、私を安心させてちょうだい』

何かにつけて母さんから同じセリフを幾度となく聞かされているからだ。
反論しようものなら父さんの遺影の前で泣きながら愚痴を零すため、私も意固地になってるのかも知れない。

『三〇前だからって焦ってるわけじゃないけど、ずっと朝から晩まで渉くんの表情を見て・・・そして独占したいのよね』

そう思った時に胸ポケットに入れてある携帯電話が震え、電話のディスプレイの表示にある文字が浮かんでいる。

【メールを受信しました】

とっさに頭に浮かんだのは先刻一緒に昼食を摂っていた友人だったが、メールを開いてみると彼女ではなく今日非番の彼だった。

【今日、夕食をご一緒しませんか? 高木】

周囲を見渡して誰もいない事を確認して素早く返事を送信する。

【OKよ。無論、渉くんの奢りでしょ?】

送信して即座に返ってきた彼からの返事。

【分かりました。給料日前なのでお手柔らかにお願いします 高木】

携帯電話を元の位置にしまうと職場へ直行―――さて今夜は何食べようかなあ。
さっき昼食を食べたばっかりなのに夕食を期待しちゃってる。ホントは渉くんと一緒になるのが嬉しいんだろうけど。



 退庁後、渉くんと合流して工藤くんから紹介してもらったお店で夕食。最初はお店の入口が高級そうで躊躇したけど、中に入ったらそうでもなかった。
店長さんや他のお客さんと話しながら2人で軍鶏鍋をつつく。メインの軍鶏鍋とお酒、他の品物と合わせて2人分3000円也。

「あーっ、美味しかった。渉くん、ご馳走様」
「そうですね。工藤くんに感謝しないといけないですね」

ほろ酔い気分で仲良く腕を組んで歩いてると、事件現場で目暮警部に報告する時の表情になった渉くんが私に話し出した。

「美和子さん、重大な話があるんですけど」
「別に良いけど、ここで話せる事?」
「まあ問題はないですけど、そこの公園にでも行きませんか」

そう言って渉くんは近くの公園へと足を向けるが、身体の動きがぎこちないし、彼の全身の筋肉が強張ってる。そしてもう一つ気付いた点―――それは彼がネクタイをしている事。
仕事帰りのデートなら分からないでもないけど渉くんは今日非番だった。わざわざ非番の日にネクタイをするなんて何かあったのかしら?
公園内に入ってベンチに腰を下ろすと、渉くんが途中の自動販売機で買ってきた冷たいお茶を渡してくれる。そのままベンチに隣り合って座っているけど彼は一言も発しない。

「渉くん、私に話があるんじゃなかったの?」
「あのですね・・・えーと、困ったな・・・」

そう言って話し出した渉くんだけど、それから後が続かない。

重大な話がある、と、彼からそう言われた時は、何事か、と思ったけど隣で何かを呟く・・・と、言うより普通の声で喋っている渉くん。

「あれ、オレ、何て言うんだったっけ?」
「どうしよう。何て言ったら良いんだろ」
「こういう場面で、この言葉はマズイよなぁ」
「やっぱり変化球よりストレート勝負だな」

そんな事を大きくもない声で言っていれば、由美から、鈍い、などと散々に言われてる私でも気が付くわよ。
それにしても渉くんったら、すっごく緊張してるわねえ―――彼から、重大な話がある、と言って既に三〇分経過。
彼とのデートでは待たされた事なかったから悩みに悩み抜いてる渉くんを見た瞬間、つい右手が彼のネクタイを引っ張っていた。

「なっ!?み、美和子さん・・・」
「渉くんっ!イエスかノーか、ハッキリしなさいっ!!」
「は?ど、どーいう事です?」
「質問してるのは私よ、高木巡査部長。私と結婚する、イエスかノー、どっちなの?」
「い、イエスです。間違いなくイエスです」

ネクタイを持った手を引くと渉くんの顔が近づいてくる。その耳元で私は小さく囁いた。

「渉くんがプロポーズの言葉を言ってくれないから、私があなたにプロポーズしちゃったじゃない」
「す、すみません。プロポーズの言葉は考えてはいたんですけど、すっかり忘れました・・・」
「ふふっ。渉くんのそーいうところが好きよ」

街灯の下で顔を真っ赤にさせていた渉くんが、私の手を握って真剣な表情で告げる。

「では仕切直しという事で。美和子さん、オレと結婚して下さい」
「はい。喜んでお受けします・・・ありがとう、渉くん」

そう言って私は再度ネクタイを引っ張ると彼の頬に軽く唇を押し付けた。そのキスは婚姻届に押す印鑑の代わり―――



終わり




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