――――君 を 傷 つ け て も ・・・



By 神崎りえる様



いつも不安で堪らなかった。

鏡に映る自分の姿に溜め息をついて・・・。
この姿が蘭の目には映っているのだと。
そう、何度も思い知らされて。
子供の振りを続ける、その身に隠された工藤新一の影をいつか蘭に知られるのではないかと。
そう思うと溜まらなく不安で、仕方なかった。

いつになったら元の姿に戻れるだろう。
いつになったらこんな生活から抜け出せるだろう。
いつになったら、蘭の涙を見ずにすむ日が来るだろう。

苦痛ばかりじゃない。
子供に混じって遊びまわる自分の現状を情けなく思いながら、それでもどこかでそんな生活に救われてる。
蘭の傍で毎日を過ごせる。
彼女の顔を毎日見ることが出来る。
笑顔も、笑い声も独り占め出来るくらい近くにいる。
そして見る度に胸が痛くなる蘭の涙も・・・知ってる。
小さな幸せは数え切れない程あるのに、現実に返った途端ひどく虚しくなった。
結局は苦痛でしかない虚像の日々。

あとどれ程の時を、俺はこの姿で過ごさなければならない?


タイムリミットは24時間。
そう告げられて、一日だけ工藤新一の体を取り戻した。
24時間、まだ時間はある。
そう、時間はあるはずだった。
それが何故・・・。

何度経験しても慣れることのない、この激痛。
痛みに耐える声を抑えられずそれが悲鳴に変わった。
高熱に侵され身体中の血液が沸騰しているんじゃないかと思う。
「ぐ・・・っ」
荒い呼吸を繰り返しながらなんとか身体を支える腕に力を込めた。
鏡の前に立つ自分の姿がまだ、『工藤新一』を留めていることを確認して少しだけ安堵する。
それでも残された時間が僅かであることを無視することは出来ない。
時は迫っていた。
骨が徐々に溶けていく感覚が全身を駆け巡る。
視界が霞み始めた。
ああ、本当に、時間がない・・・。
それまで身体を支えていた腕も力尽きて崩れ落ちる。
ガタンっ!
派手な音を立てて床に倒れ込んだが、その衝撃すら気にならないほど今俺を襲う痛みは凄まじかった。
「新一!!」
薄れゆく意識の中で・・・確かに、そんな蘭の声を聞いた気がした・・・。


な、んで・・・?
お前がここにいるんだよ。
それに・・・なんて顔してんだ。
真っ青だぜ?
おまけに涙まで浮かべやがって・・・。
俺のいちばん苦手な顔だ。
泣くなよ。
泣くな。
お前に泣かれるのが、いちばん堪えるんだよ。

「蘭・・・」

そう発した声がすでに工藤新一のものでないことなどすぐには気づかなかった。
それ程までに聞き慣れてしまった自分のもう一つの声。
「し・・・んいち・・・・?」
蘭の心配そうな声が耳に届く。
「あぁ・・・」
「大丈夫?」
「なんとか、な。生きてるよ」
掠れた声で答えて、ようやく気づく。
幼くなった自分の声に。
はっと我に返ったように蘭の膝に置かれていた頭を持ち上げる。
突然起き上がった拍子にまだだるさの抜けきらない身体からはすぐに力が抜け落ちた。
よろけた俺を慌てて蘭が抱き留める。
「ダメ!まだ動いちゃ・・・っ」
あぁ。また。
コナンに戻っちまった。
しかも迂闊なことに。
その瞬間を、蘭に見られた。
今まで必死に隠してきた最大の秘密。
蘭にだけは知られたくなかった、知られてはいけなかった秘密。
だけど今さらどんな嘘を塗り固めても既に手遅れ。
工藤新一でいられるタイムリミットが同時に蘭に秘密を守り通せるタイムリミットだったなんて。
これが俺に用意されていたシナリオだったのか・・・?

「・・・・・・何も・・・聞かないんだな」

蘭の顔が見えないように、彼女の膝の上で背中を向けてぽつりと呟いた。
小さくなった自分の手のひらを目の前まで持ってきて、それを確認すると握り締めた。
蘭が汗の浮かんだ額に張り付いてしまった俺の髪を優しく梳いていく。
「・・・・・・見たんだろ?俺がコナンになる所」
「・・・うん。ごめんね・・・」
「どうしてお前が謝るんだよ」
「新一の秘密だったんでしょう?」
「・・・もう、秘密でもなんでもないさ・・・」
「でも新一は隠してたんでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「だから私は何も聞かない。聞きたくないって言ったら嘘になるけど・・・」
「なんで・・・」
「え?」
「どうして俺を責めないんだ」
蘭のあまりにもあっさりした答えに耐え切れず、俺は身体を起こすと捲くし立てるように叫んだ。
「なんで責めないんだよ。責めてくれよっ!どうして、そんなにあっさり受け入れられる?」
蘭が驚いた顔をして俺を見つめてくる。
自分が何を口走ってるのかも分からず俺はらしくなく、とにかくわめき散らした。
「お前、騙されてたんだぞ?!分かってんのか??それがどういうことか!」
「新一こそ・・・どうしてそんな、今にも泣き出しそうな顔してるの?」
「な、に言って・・・俺はっ!」
「知ってたよ」
「え?」
「私、知ってたよ。コナン君が新一だって。なんとなく、気づいてた」
「じゃあ、どうして・・・」
「何も聞かなかったのかって・・・?」
そう言って蘭は苦笑する。
「・・・・・・・あぁ」
突然の告白に気を削がれ、なんとなく気まずくなる。
顔を合わせずらくなった俺は蘭に背中を向けて座り込んだ。
「・・・新一が話してくれるのを、待っていたかったの」
落ち着いた声で答える蘭の声が、胸を突く。
微かに動く気配を感じた数瞬の後。
背中を丸めた俺の身体を後ろから蘭の腕が抱き留めた。
「ねぇ、新一。自分を責めたりしないで・・・。 騙されてたってあなたは言うけど、そんな風に思ったことなんて一度もないから」
何を言ったらいいのか分からなくて、俯いたまま俺は蘭に身を任せる。
「私は、新一が傍に居てくれたっていうその事実だけで。嬉しかった・・・」
こんな小さな身体で、蘭に抱きとめられて。
慰められてこれじゃ、どっちが守られてるんだか分からない。
だけど蘭の言葉が、一つ一つ心に染み込んでいって・・・。
もう何も言えなかった。
「新一の苦しみを理解してあげることは出来ないけど、疲れた身体を休める場所ならいつでも提供してあげる。だからもう私のことで傷つかないで・・・?新一の方が辛そうだよ・・・」
散々俺のことで泣いてたくせにいざとなったらこんなに強い。
俺は、きっと蘭のこういう所に惹かれたんだろう。
だから何がなんでも、自分を偽ってでも蘭を守りたいと、そう思ったのかもしれない。
「それに人の痛みなんて他人が分かるはずない。
それを分かりきったように言うのは傲慢でしかないよ・・・。だけど分かりたいって思うのも本当なの。だってそれはね、・・・私が新一のことが大好きだからなんだよ・・・?」

俺も・・・お前のことが好きだから。
だから、守りたいって思ったんだよ。
涙を知ってたけど。
何度も泣く処を見ては胸を痛めたけど。
それでも黙っていたのは自分の弱さをひた隠しにしながらただただ蘭を守りたかったから・・・。

俺はお前にバレた時のことばかり心配して。
不安で溜まらなくて。
お前に責められると思うと苦しくて。
それで逃げてばかりいたのに。
お前はこうやってどんな俺でも全部受け入れてくれる。
それで尚、その場所をいつでも用意して待っていてくれる・・・。
こんなに暖かい気持ちを与えてくれる人間を、他に知らない。
これ以上の存在、きっと他を探したって見つからない。
「蘭・・・」
「なあに?」
「・・・サンキュ・・・」
俺の言葉に蘭が柔らかく微笑んだ気がした。


今はこれだけの言葉しか語れないけど。
近いうちに、きっと全部話すよ。
君を傷つけても嘘を突き通すことが君を守ることだと思って今まで嘘をついてきたけど。
そんなものじゃなくて。
今度は本当に。
江戸川コナンなんていう偽りの俺じゃなくて。
工藤新一として、蘭を守るよ。
この先にどんな未来が待っていたとしても。

傷つけずに済むならそれがいちばん良かった。
だけど君を傷つけても、君を守りたかった。
その気持ちを証明するために・・・。



End


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