聖なる夜は君と



By 白石早苗様



黒い闇に包まれながら、白く、触れたら融けてしまう粉雪が降って来る。

聖夜に訪れた訪問者は、枕元にプレゼントを残して去って行く。

12月24日はクリスマスイヴ。

夜空に瞬く程の美しい星空。

そんな夜空を、1人の少女が頬を涙で濡らしながら歩いていた。

辺りは甘いカップルで賑やかだ。


「…寒………」


少女は一言呟くと、買ったばかりの赤いコートのポケットに凍える両手を入れた。

少女の吐息は白い。

少女の名前は工藤蘭。

先月に籍を入れ、結婚式は来年の春を控えていた。

クリスマスイヴの街中はカップルばかりだが、たまに声をかけて来る男性もいる。


「ねぇ、彼女1人? だったら俺と遊ばない? ほら、手ェ寒いでしょ? 近くにいい店あるから連れてってあげるよ」


「お姉さん1人? 美人だね〜彼氏は? 喧嘩でもした?」


蘭が1人で街を出歩くと、こういった誘いが後を絶たない。

ましてやクリスマスイヴともなれば誘いは引っ切り無しに訪れる。

隣に蘭の想い人・工藤新一の姿があれば、声をかける男性などいない。

が、今の蘭は1人なので、誘われては断っての繰り返しだった。

度々、しつこく肩まで抱いて無理矢理連れて行こうとする男もいるが、蘭は振り切って逃げて来た。

「新一……」

蘭は空を見上げながら愛する人の名を呟いた。

瞳(め)には涙が今にも零れ落ちそうな程溜まっている。

つい先ほどまで隣に居た人。

しかしある理由から喧嘩になり、蘭が工藤邸を飛び出したのだ。

ある理由。


聖なる夜、この世でただ1人愛する人と共に夜を過ごしている時、彼が「ちょっとコンビニ行って来るわ」と妙に余所余所しく言い、彼女を1人ぼっちにしその場を後にした。

それだけなら怒らない。

だけど見てしまったから。

蘭は見てしまったのだ。


40分が経過し、新一の身に何かあったのではないかと心配になり、蘭は買ったばかりの赤いコートと、マフラー、そして左手の薬指に誕生石の“エメラルド”を光らせながら工藤邸を走って飛び出した。

深々と白い雪が降る中、蘭は走ってコンビニまで辿り着いた。

はあはあと息を切らせながら、蘭を瞳に映る信じがたき光景。

コンビニのお菓子売り場にいる2人の影。

1人は新一だとすぐに理解出来た。

もう1人…赤茶色の髪の毛……。

何処かで見た顔。

―――宮野志保―――

蘭の頭の中に響いてきた名。
そうだ、志保さん。

2人は笑いあいながら、時には新一が呆れながら話をしていた。



何となく、姿を現す気になれず、蘭はそのままとぼとぼと工藤邸へ向かった。

傘も差さずに飛び出した為、頭やコートは白い雪が積もっている。

蘭は凍える手で雪を払うと、新一の為に作ったクリスマスケーキを冷蔵庫から取り出した。

いつもは買うけれど、今年は籍を入れた記念にと、蘭が手作りした。

蘭はナイフを取り出し、ケーキを取り分けた。

勿論、新一の分も。

2人分では多いので、4つに切り、お皿に乗っけた。

その時、タイミングよく新一が帰宅した。

信じてないわけじゃないけれど、偶然会ったんだろう。

気にする事ない。

そう言い聞かせながら蘭は笑顔で新一が顔を出すのを待った。


「あったけ〜!!」


新一は部屋に入るなり叫んだ。


「おかえ……」


“り”と言う前にもう1人―――志保も一緒に入って来た。

「…何で志保さんが―――??」

「あぁ、コンビニで偶然一緒になって、連れて来たんだ。博士、発明に今忙しくて、部屋から出て来ないらしいし、ほら、蘭の作るケーキ、2人じゃ余(あま)んだろ? だからどうかなと思って」

蘭は頭を固い鈍器のような物で殴られた気分になった。

私は新一と一緒に…と思って作ったのに。

「……いい」

「え?」


新一はよく聞えなかったらしく、耳を傾けている。

折角……

蘭は泣くまいと思い、涙を必死で堪えながら叫んだ。

「もういい!! 新一のバカッッ!!」

蘭は今度こそ、何も着ずに飛び出した。

バタン!

工藤邸にはドアが閉まる音が寂しく響いた。

「お、おい待てよ蘭!!」

新一が慌てて追いかけようとした時、志保が新一の腕を掴んで止めた。

「宮野!?」
「行っちゃ…駄目よ……」

新一は、今は何を言っても蘭は聞いてくれないと判断し、静かに椅子に座った。

「どうしたってんだよ…!?」
新一は頭をクシャッと掻き毟ると、悔しそうに呟いた。

「相変らず女心が分かってないのね、工藤君」

志保はぼそっと呟いた。

「はあ?」


「よく聞きなさいよ、工藤君。第一に、テーブルのケーキは4つに切り分けられていて、ケーキが乗っててフォークも乗っているお皿は2枚。私がここに来る事は知らなかったわけだから、当然これは工藤君と蘭さんの分よね? そして第二に、毎年クリスマスケーキを買っていたはずなのに、今年は蘭さんの手作り。理由は、今年に籍を入れた記念、でしたよね? そして第三に、貴方はコンビニへ行くと40分も家を空けた。心配性で優しい蘭さんなら、すぐ家を飛び出し、貴方を探しにコンビニへ向かったはず。そこまで言えばもう分かるかしら?」

「―――だから何だよ?」

「呆れた。だから、蘭さんは貴方が出て行った後、40分も経ったけれど来ない貴方を心配になり、コンビニへ向かった。でも、肝心の貴方は私と話し込んでいた。仕方なく家に戻った蘭さんは、2人で食べようとしていたケーキを取り分け、貴方が来るのを信じて待っていたのよ? なのに貴方は私を連れて上がってくるし。蘭さん傷ついたわよ、きっと」

新一は俯いたまま、何も答える気になれなかった。

聖なる夜に傷つけた大切な女性(ヒト)。

「俺行って来る!!」

新一はコートを羽織り、マフラーをし、蘭の分のコートとマフラーを持ちながら玄関までこれでもかというくらいに全速力で走った。
残された志保は寂しそうに笑うと、新一のであろうケーキの苺を齧(かじ)った。

甘酸っぱい。
これが恋の味。



「お姉さん1人ィ? だったら一緒に飲まない? あっ、未成年でも大丈夫だってぇ! ほらほら、向こうに俺の友達(ダチ)もいるからさ!」

22歳くらいだろうか。

しつこい男は中々のイケメンで、園子が好きそうなタイプだった。

男は無視する蘭の肩を抱き寄せた。

「は…離して下さ…!?」

続きの言葉を発する事ができなかった蘭。

男の唇が蘭の唇にあと数ミリだった。

「あ、や…だ…っ!」

蘭は必死に抵抗したが、男は離そうとしない。
距離は縮まり続ける一方。


が、次の瞬間、男の頭目掛けて何が早いものが飛んできて、ぶつかった。

「いってぇ〜!!! ゴラァァ! 誰だぁぁ!?」

男はすごい剣幕で辺りを見回した。

「テメーこそ人の女に手ェ出してんじゃねーよ!!!」

低いテノールの声。

この声は。

「新一!!」

街灯に照らされながら映ったのは1人の男。

「チッ!」

男は吐き捨てるように呟くと、仲間と裏路地へ入っていった。

蘭は新一が居た方へ振り返った。

「蘭! 大丈……」

「新一ぃ!!」

“夫(ぶ)”と言わない内に蘭は新一に抱きつくと、わんわん泣き出した。

色んな感情が交えている涙。

新一は何も言わずに、蘭を強く抱きしめた。

そうすると蘭も強く返して来る。

喧嘩したこと等すっかり忘れて。

「落ち着いたか…?」

新一は蘭を腕の中に閉じ込めたまま問いかけた。

「ん……あ、あのさ、新一……私……」

蘭が先ほどのことを思い出したように切り出した。

すると新一は今まで以上に、蘭を強く、だけど硝子のような物を扱うように、抱きしめ、呟いた。

「バーカ…謝るなよ、俺が悪(わり)ぃんだからさ。宮野と一緒に居んの見たのか?」

核心を突く新一の発言に、蘭は戸惑いながらも話し始めた。

「うん…遅いと思ってコンビニ行ったら、新一と志保さんが話してて…なんか嫌だった、胸が苦しかった…」

蘭の言葉を聞いた新一は、ヤキモチを焼いて貰って嬉しい気持ちより、蘭を不安にさせた悔しい気持ちで一杯だった。

「…キスして」

突然の発言に新一はギョッとした。

体を少し離して蘭を見ると、蘭は目に涙を浮かべてて唇を指差した。

「怖かったよ…」

蘭は離された体をもう一度新一に寄り添って抱きしめた。

「守ってやれなくて…ごめんな?」

新一は蘭の頬に手を添えて、耳元で囁(ささや)いた。

そして蘭のふっくらした唇にそっと口付けた。

甘い、甘い口付けを……。

寒過ぎる真冬のクリスマスイヴ。

だけど2人の空気だけ、熱かった。



聖夜。



蘭に訪れたものは、この世で一番愛してる、新一からの口付けだった。

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