武と夏江のある一日



By 谷本篤史様



籏本武とその妻夏江二人で切り盛りされている、北海道の小さな牛の牧場。
夏の風がさわやかな季節のこの牧場から、きょう、武が身支度をして、でかける。

武は玄関でドアの方を向き、靴を履きつつ言った。
「夏江、それじゃあ刑務所にいる一郎に面会と、紙と鉛筆の差し入れに行ってくるよ」
妻・夏江は不審を抱くような表情をして低めの声で言った。
「ねえ武さん、いつも思ってたんだけど、毎月毎月律儀に面会に行くなんて、ずいぶんと一郎さんの肩を持つのね。彼は武さんに罪をなすりつけようとした男なのに」
武は振り返って微笑みつつこう言い返した。
「おかしいかい?」
夏江は今度は声のトーンを1オクターブあげてさらに真剣な顔で尋ねた。
「ともすれば武さんの人生をめちゃくちゃにしたかもしれない男なのに、どうしてあんな男の世話を焼くの?」
武はやおら立ち上がり夏江に顔を近づけ、口角を上げニカッと笑い、夏江のあごを軽く右手でふれて言った。

「同じ女を愛した男だから・・・・じゃダメかい?」

夏江は顔を赤らめ、小さな声で
「そういうことなら・・・・わかるわ」
武は夏江のあごから手を離し、
「よかった。わかってくれて。ま、そういうことだ!行ってくる!」
武は背筋をまっすぐ伸ばし、堂々とした歩きぶりで出かけていった。

ひとりになった夏江はまだ顔を赤らめつつ
「今度は、私が面会に行こうかな・・・
・・・さ、牛たちの様子を見に行きましょ」
そういってそそくさと牛小屋の方に行った。



終わり



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