10.虹のかけら
(エースヘヴン開設10周年記念短編)



byドミ



「あ、快斗!ホラ、虹だよ!」
「ああ。虹か……」
「すごーい!見て見て、快斗、おっきいよ!すごいキレイ!」
「……」

青子が指差す空を、オレは、斜に構えて見ていた。

「なあ、青子。知ってっか?虹は、空中の小さな水滴の集まりが、プリズムの働きをして、日の光を七色に変えるだけの幻だって」
「何よお!そんな事、バ快斗に言われなくたって、分かってますよおだ!でも、キレイなものはキレイなんだから、良いじゃない!あんなにキチンと七色で大きく見えるって、貴重なんだよ!」


子供の頃には、分かっていなかった。
確かなものなんて、何もないんだって事。


親父が死んだ時に思い知った。
一時、空にかかっている虹と、マジックで見せる幻と、人の命と、どれも儚いものなんだって。


親父が死んだあの日も、空には大きな虹がかかっていた。
あの時からオレは、尚更、虹が大嫌いになった。




   ☆☆☆



「快斗〜、今度、鉱物展があるんだって、行こうよ〜!」

青子が突然、誘って来た。

「んあ?鉱物展?オメー、化石だの隕石だの何だのに、興味ねえだろ?」
「青子は、鉱物全般に興味があるワケじゃないけど、お手頃値段の宝石とか貴石とかアクセサリーとかも、展示されるんだよ〜」
「は?単純に展覧会かと思えば、即売会かよ……」
「良いじゃん、快斗、最近、宝石に興味持ってるでしょ?行こうよ〜」

青子の言葉に、ドキリとする。
元々、宝石に興味なんかなかった。
怪盗キッドという稼業をするようになって、興味を持つようになっただけだ。

黒羽快斗という一介の高校生は、昔も今も、宝石に興味を持っている訳ではない筈なんだが。
こいつ、お子様のクセに、時々妙に鋭くて、驚かさせられるんだよな。

正直、鉱物展なんて行事で、ビッグジュエルのようなお宝が展示されるとも思えねえ。
全く気乗りはしねえが。

「嫌なら良いよ〜。紅子ちゃん誘って……」

青子の言葉で、腹が決まった。
紅子のヤツ、最近、何でだか、妙に青子に肩入れしやがってるが。
青子には、あんな得体の知れねえ魔女と、あんまりお近付きになって欲しくねえ。

まあ、男を誘われても困るけどな。
お子様青子のクセに、誘われたら鼻の下伸ばす男も、それなりに居たりするんだ、これがまた。

「だ、誰も、嫌とは言ってねえだろう!」

そうして、鉱物展とやらに一緒に行く事が決まったのだった。



   ☆☆☆



「良かったじゃん、青子!デートね、デート!」
「恵子、そんなんじゃないってー」
「黒羽君ってさー、青子が実はもてる事も知らずに、危機感なさ過ぎだよねー、ちゃんと捕まえとくよう頑張らないと!」
「もてるなんて、そんな事ないよ、青子、快斗に言われる通り、お子様だし〜」
「そんなの、快斗君が分かってないよ!ちゃんと、奢って貰いなよ?せっかくだからこの機会に、宝石、買ってもらったら?」

昼休み、木の上で昼寝をしていたら、ウチのクラスの女どもの会話が、耳に入って来た。
勝手な事ばかり言ってんじゃねえよ、ったく!

デートとか、そんなんじゃねえっての!
……まあ、青子が実はもてるって事は、知っちゃいるけどな。

「ダメだよ。たとえ、快斗が恋人でも、青子、快斗に宝石買ってもらうなんて事、出来ないよ」
「何で?」
「だって、快斗の家、母子家庭だもん。小母様は働いてるし、小父様が残した蓄えも、それなりにあるみたいだけど、まだ働いてない快斗に、そんなお金、出させられないよ〜」
「んもー、青子って、クソ真面目なんだから!」


オレは、複雑な気分で聞いていた。
青子は、真面目というより、相手の事を考える女だよな。
男には貢がせて当たり前という、他の女どもとは、一線を画した所がある。


オレは、青子の事、お子様扱いしているけれど。
本当の所を言うと、バカにしているワケじゃなくて、青子にはいつまでも、純粋な優しさを持っていて欲しい。
何て言うか、ヘタに大人になって、普通のつまんねえ女に堕ちて欲しくねえっていうか……。
ヘタに大人びて、他の男の気を引いて欲しくねえっていうか……。

ああ、わーってるよ。
オレの立場は、ただの幼馴染なのに、あいつに勝手に期待して我がもの顔をする資格なんか、ねえって事はな!


青子に告白したら、もしかして、恋人同士になれるかもしれねえけど。
何かが、オレの心にブレーキをかける。

怪盗キッドという秘密を抱えているからか?
幼馴染としての関係にピリオドを打つのが怖いのか?
それも、確かにあっけど……他に何かが、引っ掛かっている気がして、仕方がない。


ともあれ、せっかく、青子とお出かけするんだ。
オレなりに、鉱物展について、調べてみた。

まあ、日本全国年がら年中、様々な鉱物展が開催されてるもんだ。
早い話、宝石を含めた「鉱物マニア」が集うところだな。
青子は、パワーストーンだの宝石だのに、人並の興味はあるだろうけど、わざわざそんなとこに出向く程、好きだとも思えないんだが。


調べている内に、青子が誘って来た鉱物展の会場は、オレが次に狙っているオパール「虹の架け橋」が展示される会場に、ごく近い事が分かった。
それならそれで、色々とやり易い。

犯行予定日は、青子と出かける日の夜に決めた。



   ☆☆☆



鉱物展は。
まあ、ぶっちゃけ、それなりに面白かった。

沢山の、鉱物や宝石を扱う店が、一同に会しているのだが。
宝石店であっても、ハッキリ言うと、店長が趣味でやってるとしか思えねえ、マニアックなところが殆どだ。
スタッフも、客も、「石と鉱物を愛しちゃってます!」オーラがムンムンで、正直、ついて行けねえ。

けど、様々な鉱物や宝石の原石なんかが展示され、説明書があるのは、なかなかに興味深かった。
スタッフも、質問すれば、熱心に説明してくれるしな。

何より、宝石好きの人間であっても、金持ち独特の嫌味なヤツは、殆ど見かけなかったしよ。

と、人混みの中に抜きんでて長身のヤツから、嫌味な声がかかった。


「おや、黒羽君、それに青子さん、奇遇ですね」

げ!
白馬が、何でここに居やがるんだよ?

「お、オメー……ヨーロッパ留学中なんじゃ?」
「日本が母国ですからね、時々は里帰り位しますよ。それにしても……ここは、キッドが予告を出したオパールの展示場とすぐ近く。もしかして、キッドが下見に来るのではないかと思ってましたが、案の定……」
「えー、なになに、白馬君、キッドと会ったの!?」

青子が、目を輝かせて、白馬に迫る。
ったく、アホ子、余計な事言ってんじゃねえよ!

「ま、姿は見かけました。すぐに見失ってしまいましたが」

白馬は、意味ありげな目付きで、こちらを見やがる。
ったく、嫌味な野郎だぜ!

「まあ、この鉱物展自体は、キッドが興味を示しそうにない、マニアックな催しだよね。僕は意外とこういうの好きだけど」
「ホント?白馬君、お坊ちゃまだから、こういうのには興味ないって思ってたよー」
「僕は探偵だから、好奇心を常に大事にしているんだよ」
「そっかあ。白馬君は、探偵だから、かあ。偏見で決めつけて、ごめんねえ。快斗は、マジシャンだから、あんま色々な事には、興味持たないんだよねー」


青子が楽しそうに白馬のヤローと会話しているのを見て、ムカムカして来る。
別に、青子は、白馬を褒めてる訳でも、オレをけなしている訳でもない。
なのに、バカにされている感じがして、腹が立って来る。

「おっと。黒羽君、そんな怖い目で見ないでくれたまえ。別に、デートの邪魔をしに声をかけたワケじゃないのでね」
「で、デートって、そんなんじゃ……」

少し赤くなってモジモジしている青子に、またムカムカする。
青子の言葉は、いつものノリで、別に、白馬に勘違いされるのが嫌という訳ではないのは、分かり切っているのだが。

苦笑して手をあげ去って行く白馬の後ろ姿に、オレはちょっと、違和感を感じた。
最初に出会った頃のアイツは、青子に少し興味を示している風だったが、今のヤツからはそれが感じられない。
ま、ライバルは少ない方が……って、青子はそんなんじゃなくてだなあ!

「快斗!あそこ、虹の石だって!行ってみよ!」

突然、青子に引っ張られて、オレは人混みをかき分け、そちらに向かう。
そして……「虹の石」とやらを見た。

まあ、それは確かに、虹色の光沢を放ってはいたが。
青子は、目に見えてガックリしている。

展示してあるのは、和名で正式に「虹の石」と呼ばれるものだが。
ゴツゴツした、何とも無骨でグロテスクな石だ。
針鉄鋼や燐鉄鋼の、表面が酸化して虹色光沢を呈しているのを、そう呼んでいるのだ。

「そりゃ、確かに、虹色光沢だし、見ようによっては綺麗だって思うけど……でも……虹の石って……詐欺……」

青子は、目に涙をうっすらと浮かべて、言った。

オレは、何となく、分かった。
青子は、「虹の石」を探して、ここに来たんだ。


「……まあ、正式に、虹の石という名前じゃねえにしても、虹色をした石は、他にも沢山あるさ。ラブラドライトとか、オパールとか……」
「う、うん!そうだね!」

青子が、気を取り直したように顔をあげて、言った。

その後、会場内を色々と見て回った。

綺麗な遊色が出ているオパール、ラブラドライト、それなりに綺麗なものも多く、青子は歓声を上げた。
まあ、すげー綺麗で大きいものは、値段も良いのは、どの宝石でも同じ事で。
オレ達の目を引くような綺麗な石は、とても高校生の身に買えるような代物ではなかったが。


でもまあ、綺麗なものを見るだけでも満足だったのか、青子は、結構楽しそうにしていた。
オレも、それなりに知識は得たし、オパール「虹の架け橋」の会場付近の下見も出来たし、まずまず収穫があったと思う。



そして……その夜、オレは、オパール「虹の架け橋」を盗み出しに行った。



   
   ☆☆☆




オパールで、ファセットカットをしてあるものは、数少ない。
そのままで研磨するか、カボッションカットにしてあるか、どちらかだ。

虹の架け橋は、その、珍しいファセットカットが施してある。
元々の石の形状を活かしてあるのだと思うが、普通のファセットカットではなく、全体的に弓なりで細長い形状をしている。
まるで、ホンモノの虹のように。

透明度がとても高く、母岩をつけずにファセットカットしても、きらびやかな七色の遊色がハッキリと見え、それでいてこの大きさ……成程、希有な宝石だ。

青子が見たらきっと、その美しさに感嘆するだろう。
青子だったら、手元に置いたり自分の身を飾ったりするより、広く公開展示されて皆がその美しさを堪能出来る事を、喜ぶだろう。

しかし、オレがこの宝石を盗むのは、もしもパンドラだったら壊す為だ。
青子……オレは残念ながら、宝石への愛など、一片も持ち合わせてねえんだよ。

とは言え、オパールは、エメラルド程に割れ易くはねえが、ダイヤやクリソベリル(アレキサンドライト・キャッツアイなど)やコランダム(ルビー・サファイア)に比べ、ずっと脆いのは確かなので、慎重に取り扱う事にする。


警官の1人を怪盗キッドと勘違いさせて、大騒ぎになっている現場を後にして、屋上に出て。
月の光にかざしてみたかったが、今夜はあいにくと曇り空。

とりあえず、「虹の架け橋」を懐に入れたまま、その場を離れようとしたら。


「おわっ!?」

マントの端が、屋上の何かの突起物に引っ掛かり、ハンググライダーがまともに開かず、いきなり落っこちそうになった。
何とか体制を立て直し、ヘロヘロと飛んでいると。

「うわあああっ!」

近くから狙撃されて、ハンググライダーの骨組みが壊れ、更に落ちて行く。
見ると、鉱物展が行われていたビルの屋上に、長身の人影が見えた。

白馬、あのヤロー!
殺す気か!?


でも今は、白馬に関わってる余裕もねえ。

オレは、地上すれすれを飛んだ後にハンググライダーを切り離し、再変装して地上を走る。
その地上を走っている間も、躓いたりぶつかったり……結構トラブったが、何とか追手を振り切って逃げおおせた。


まだまだ未熟なオレは、親父のようにスマートに事を運べねえ。
世間では気障な怪盗として妙に神格化されているが、実際の所は失敗ばかりで、ちっともカッコ良くなんかない。

怪盗キッドは、泥棒であると同時に、マジシャンだ。
裏でどんなにカッコ悪くても失敗しても、常にポーカーフェイスで、それを決して気取らせねえ。

……とは言え。
今回は何だか、いつもより、大変だったような気がする。



雲の切れ間から、満月が姿を現し。
オレは、「虹の架け橋」を月にかざして見た。

文字通り、虹のような美しい光彩を放っているけれど。
その中に、赤く光る別の宝石の姿は見つけられなかった。


この宝石を返す事は決まったが。
さて、どうやって戻したら良いものやら。
盗み出した時のトラブルを考えると、返す時の大変さが思いやられ、頭が痛くなってしまった。



   ☆☆☆



「黒羽君、あなた……とんでもないものを、懐に抱えてますわね」

次の日、学校に行くと、同級生の魔女・小泉紅子がオレを見るなり、顔をしかめて言った。

「なーんの事かなあ、紅子ちゃん」
「……偉大なる宝石は、時として、人間の手に余る力を持つという事を、ご存じないのかしら?若くても怪盗キッドは、並の人達より強い力を持っていて、なまじの宝石には負けないと思いますけど、今、そこにあるモノは、正直、キッドの手にも余るものだと思います事よ」
「怪盗キッド?一体、何の話をしているんだか」

この魔女に、怪盗キッドの正体がバレている事は、先刻承知だが。
オレ自身がそれを認める訳には行かず、空っとぼける。

「オパールは、幸せを運ぶ石ともされておりますけど、魔力を持つとも言われておりますのよ。このワタクシですらも、手にするには慎重にならざるを得ない程にね。胴体からは、なるべく離して置いた方が良いので、指輪向きの石ですわね」
「オパールが一体何だって言うんだよ?」

大粒のオパールを、懐に入れているオレとしては、心臓に悪い話だが、ポーカーフェイスを続ける。

「集中力を散らしてしまう事もあるとか。特に、イライラしている時には良くないですわね、今の黒羽君のように」
「えー?オパールって、あんまり良くないんだ?」

青子が突然、話に割り込んで来たので、オレは焦って椅子から転げ落ちそうになった。
こいつ、いつから話を聞いてたんだよ?

「青子、オパールは虹の石って感じで、希望に満ち溢れているみたいで、好きなんだけどな」
「そうですわね。良くも悪くも、パワーに溢れている石ですわ。でも、オパールは、青子さんには、まだ早いと思いますわよ」
「確かに、青子、子どもっぽいし……」
「別に、そういう意味ではなくて。ワタクシ達、まだ高校生でしょう?オパールは力が強過ぎて、10代の子どもが身につけるのは良くないと言われてますの」
「そ、そうなんだ……」
「まあ、心配なさらなくても、そこまでパワーが強いオパールは、目玉が飛び出るほど高くて、とても庶民の手の届くものではありませんしね」
「うん、まあ、そうだね」

紅子が青子を見る目が、妙に優しい。
紅子のヤツ、最初の頃は、青子をお子様とバカにしていた風だったのに、最近、好意を持って近付いているようなんだよな。
まあ、バカにされるよりは良いかもしれねえが、オレとしては、何だか、複雑な気分になる。
おそらく、青子に対して、変な魂胆は持ってねえだろうとは、思うんだけど。
この女、どこまで信用出来るのか。


ただ、オパールに関してのコイツのウンチクが、的外れとも思えない。
思えば、逃走する時に色々トラブったのも、懐にあるコイツの所為かも、しれないと思う。

ここ最近はいつも、中森警部宛に郵送している宝石だが。
今回、それを躊躇してしまうのは、何故なのか?

逃走時のトラブルが尾を引いているのもあるが、この宝石を中森警部宅に送りつける事で、青子や中森警部を、とんでもないトラブルに巻き込みたくないという気持ちも、あったのだ。

「しゃあねえなあ。リスクは高いが、元あった場所に戻すか……」


オレは、「虹の架け橋」が展示されてあった会場に、危険を冒して、戻す事にしたのだった。



   ☆☆☆



展示場は、不思議な位、守りが手薄で静かだった。
もはや、守るものがないからという事だろうか?

まあ、キッドが盗み出したお宝を、会場に直接戻しに来る事も、滅多にねえからなあ。

今夜は、月が出ている。
オレは、オパールを、月の光にかざした。
盗み出した時は残念ながら曇り空で、確認出来なかったからだ。


大いなる力が宿るこのオパールなら、もしかしてと思ったけれど。
「虹の架け橋」は、月の光を通して、虹のような眩い光を放つだけだった。


元々、「虹の架け橋」が展示してあったケースの前まで行って、オレはぎょっとする。
そこに、小柄でほっそりした人影があったのだ。

「こんばんは、怪盗キッド」


まさか、青子が、ここに待っているとは。
オレは、心の動揺を押し隠して言った。


「こんばんは、お嬢さん。私が今夜ここに来る事を、どうやって知ったのですか?」
「……紅子ちゃんから聞いて」


……紅子!
あいつ、一体、何を考えてんだ!?

紅子の力は本物の魔法、人外の力。
あくまで人の子の探偵となら、知恵を尽くして渡り合う事も可能だが、あいつの力にはまともに渡り合えねえ。

にしても、何故今回、紅子が青子に、魔法で知った事実を告げた?
何故、青子が、紅子の言う事を、聞いたんだ?


「……紅子ちゃん?さて……どなたの事でしょうか?」
「そのとぼけ方、かえって怪しいよ。だって怪盗キッドは、変装する相手の周りの事も調べ上げてるでしょ?中森警部の周囲の人間は知り尽くしているのでしょ?青子の事も、そのクラスメートの事も、全部、把握している筈だよ?」

青子の切り返しに、ぐうの音も出ない。
けれど、どんなに焦っても、オレは、ポーカーフェイスを崩す事は出来ない。

「……成程。お嬢さんのクラスメートでしたか。リサーチ不足だったようだ」

青子の眼から、涙がボロボロと零れ落ちる。
オレは、ギョッとした。


「宝石、戻すんでしょ?どうぞ」

青子が涙を零しながら、ケースの前からどいて、オレを通そうとする。
一体、どういう積りなのか、全く読めなくて、オレは混乱していた。


もしかしたら、何か、罠が待っているのかもしれない。
だけど。

青子が絡んだ罠になら、かかっても良いかもしれないと、その時のオレは思っていた。


展示ケースに、宝石を戻す。
突然、ケースから手錠が出たり、突然、機関銃が発射されたり、突然、警官隊の山が降ってきたり、というような事はなく。
何事もなく、作業を終える。


大いなる力を秘めたオパール、創造性などは高めてくれるらしいが、集中力を削がれてしまう面もあり。
正直、手元を離れて、ホッとした。



遠くで、声がする。
警備している警官達が、こちらに向かっているようだ。


「それでは、お嬢さん、これで……」

その場を去ろうとすると、青子の手がオレの服の裾をしっかりと掴む。

「あの……お嬢さん?」
「青子を、連れてって」
「それは……!」
「連れてって、お願い!」

涙ながらに上目遣いでオレを見る青子に……オレは、脆くも陥落した。
青子を振り切る位、なんて事ない筈なのに。
それが、出来ない。


オレは、青子を抱えて、ハンググライダーを広げて、外に飛び出す。
青子は、一瞬、下を見て青くなり、オレの首筋にしがみつき、胸に顔を埋めた。
たとえ特別高所恐怖症ではなくても、この高さは慣れない者にはきついだろう。


オレは、手近なビルの屋上に降り立った。
そして、青子を立たせる。
青子は、膝がガクガクと震えていた。


「一体、どういうお積りで……」

オレの言葉は、途切れた。
青子が、オレに真正面から抱きついて来たからだ。

オレは、頭から湯気が出そうだった。
愛しい女にしがみ付かれて、平静でいられる筈もない。


「かいと!」

青子が呼ぶ名に、オレの頭は真っ白になった。
否定しなければと思うけれど、舌が凍りついて動かない。


「青子はずっと、怪盗キッドは、ただの愉快犯だって、思ってた。でも……」

青子が顔をあげて、オレを見る。
そして、泣き笑いのような表情をした。

「ずっと、辛かったね・・・」


辛かったって、何が?
オレは、そんな、辛いなんて思った事は……あれ?あれれ……?


物心ついてから今迄、泣いた事のないオレが。
親父が死んだ時ですら、涙が流れ落ちる事がなかったオレが。

目の淵から、温かい滴が溢れて零れ落ちる。
青子オメー、一体、どんな魔法を、オレにかけたんだよ!?


「お父さんには、悪いって思うけど……」
「あお……こ……?」
「青子は、青子は、応援してるから」


一体、何がどうなっているのか、オレの頭はスッカリ、ウニで。



ただ。

青子は、怪盗キッドの正体を知った。
その上で、味方をしてくれる積りだ。

という事は、ようやく、わかって来た。


「青子……どうして……?」

青子が、黙ってオレに、可愛い封筒を差し出した。
宛名はなく、封が切ってある。

「……この前、小母様に会った時、快斗が虹を嫌ってるって話をしたら、ちょっと考え込んで、これを渡して下さったの」
「え……?」
「そ、その。小母様が仰るには、いつか快斗に、大切な女性が出来た時に、渡す積りだったって……」


青子の顔は、真っ赤になっていた。
オレも、真っ赤になる。
大切な女性……その意味するところは、如何に鈍い青子でも、解ったのだろう。


オレは、中にある便箋を取り出した。
封筒は古ぼけていたが、便箋はずっと仕舞われていた為か、そこまで古ぼけていない。

母さんとは違う筆跡の、万年筆らしいインクで書かれた文字が、綴られていた。


『 我が息子・快斗の、大切な女性へ
  この手紙があなたの元にあるという事は。どうやら私は、道半ばにして志を果たす事なく、倒れてしまったようだ。
  心ならずも、快斗に後を継がせる事になるだろう事を、許して欲しい。
  けれど、快斗は決して、私の後を継がせる為にこの世に存在している訳ではない。

  快斗の大切な、あなたへ。
  快斗が、私のように、大切な女性を残して、泣かせてしまうような事にならないよう、傍で支えて見守って欲しい。
  そしてどうか、快斗と共に、どこまでも一緒に、歩いてもらえまいか。
  過去を乗り越え、希望の虹を目指し、どこまでも遠くへ、歩いて行って欲しい。

  勝手なお願いだが、快斗の事を、どうかどうか、頼みます。  黒羽盗一 』


オレは便箋を取り落とした。
オレの目から、止めようもなく、涙が溢れて零れ落ちていく。

青子が、オレの首筋に手を回して、抱きついてきて。
オレは、青子をしっかりと抱きしめた。


「快斗。ひとつだけ、お願い」
「うん?」
「青子を、置いて、行かないで……」
「ああ……」


オレがまだまだ全然敵わない、尊敬してやまない、偉大なるマジシャン・黒羽盗一。
でも、オレは。
母さんとオレを置いて逝ってしまった件だけは、尊敬出来ないし、許せない。


子ども子どもしていて天然でニブニブで……と、いつもバカにしていた青子だけど。
本当は、とても大きな器をもってて、底なしの優しさで、オレを包み込んでくれている事を、オレは知っている。


「青子」
「なあに?」
「その代り、ずっとずっと、オレの傍にいてくれ」
「うん!」



初めて触れた青子の唇は、お互いの涙でしょっぱかった。



   ☆☆☆



オレの、18歳の誕生日に、青子がくれたのは。


「はい、虹の石!」
「へっ?」


眩い虹色光沢を持つ石をトップにあしらった、ペンダントだった。

「青子の経済力じゃ、この小さな欠片が精いっぱいだったけど……」

へへっと笑って舌を出す青子が、可愛くて、愛しくて、仕方がない。


青子がくれた石は、アンモライトの欠片。
何十億年も昔に栄えた古生物・アンモナイトの化石の中で、宝石化し、虹色光沢をもったごく僅かなものを、そう呼ぶのだ。
選ぶ時は、オレの母さんも手伝ったらしい。


「持ち主に幸運をもたらす虹の石は、数あるけれど。アンモライトは、過去に栄えたアンモナイトが、宝石としての新たな価値を得たように、過去を手放して、前に進んで行く事を後押ししてくれるの」

母さんが、そう説明してくれた。


「さぁて。次のお宝は、パララケルス王家所有の、パライバトルマリン。行きますか」


勝利の女神・青子の口付けを受けて、オレは翼を広げる。
過去に縛られる為ではなく、未来を掴む為に、オレは、怪盗キッドを続けている。



Fin.



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エースヘヴン10周年企画・10個目の短編は、まじっく快斗。
これは、元になる歌は、ありません。
私の中でテーマソングになった歌は、実はあるんですけど、メジャーじゃないし、たぶん、このサイト訪問者の誰も知らない歌です。

実はこの話も、色々、迷走しましたが(青子ちゃんがキッドの正体を知ってるかどうか、とか)、何とか落ち着きました。
いずれ、長編に書き直したいなと思っています。


2012年3月19日脱稿

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