2.いいひとに逢えたね
(エースヘヴン開設10周年記念短編)



byドミ



あれは、確かに恋だった。

あの人は、わたしの中を吹き抜けて行った風。
追いかけても届かない虹。

思い返すと、涙が溢れるだけだけれど。
でも、逢えて良かった。
温かなものがわたしの胸を満たす。

思い出すと、切なさと寂しさが、こみ上げて来るけれど。
でも、逢えて良かった。
あの人を、わたしは忘れない。


あれは、確かに恋だった。



   ☆☆☆



わたしは、杯戸高校に通う女子高生。
人並みに、友達とのお喋りが好きで、アイドルに憧れて、恋を夢見て、でも初恋もまだの、そんな女の子。


わたしは、いつも電車で通学してる。
その、運命の日も。
いつもと変わらない、満員電車での、通学だった。


いつも混雑している電車の中で、何となく、お尻のあたりに違和感があった。

混んでるので、人のカバンや何かが当たるのはよくある事だったし。
最初は、何かが偶然触っているのかと思ったけれど。
それが、もぞもぞと動いて、ゾッとした。

明らかに、意志を持ってわたしのお尻をまさぐっている!

全身に、嫌悪感がはしった。

そちらを見ると、スーツを着たエリート風サラリーマンらしき男の人がいた。
顔は別の方を向いているけど、つり革に捕まってない方の手は、わたしの方に伸びている。
わたしがその人を睨むように見ても、その人は、素知らぬ顔のままだ。

わたしは、勇気を振り絞って、その人に言った。

「あ……あの……!止めて下さい」
「……」

その男の人は、わたしを一瞬だけ、ジロリと見た。
けれど、また目を反らして、素知らぬ顔をする。
わたしのお尻に蠢く手は、そのまま。


「や、やめてって、言ってるじゃないですか!」

わたしは、さっきより強い声で言った。
必死なので、多分、真っ赤になっているだろうと思う。

なおも、知らぬ顔を通そうとするその人に、わたしは、怖さより怒りが勝っていた。

「誰かー!この人、痴漢です!」

叫ぶと、さすがにその男の人は顔色を変えた。
その時、電車が次の停車駅に着き、その男の人はわたしを引っ張ってそこに降りた。

たまたま、そこで降りた人達の多くは、先を急いでいるが、何人かは立ち止まってわたし達の方を見た。
すると、その男の人が、すごい剣幕で、わたしに向かって言った。

「お前、ヤツらの仲間だな!」
「えっ……?」

ヤツら?
仲間?
わたしは、訳が分からず、呆然とする。

「俺が痴漢?その証拠は、どこにある?」
「しょ……証拠?」

そんなもの。
あるワケ、ないじゃない。

ただ、わたしが、この人に触られてたって事実を、知ってるだけなんだもん。

「無実の人を痴漢呼ばわりして、脅して金を巻き上げてるヤツらが、最近、東都環状線に出没するって話だ!」
「そ、そんな……!」

思いがけない切り返しに、わたしは頭が真っ白になった。

「それ、ホントなんですか?」
「僕は、それ、聞いた事がある。高校の制服を着た大人しそうな女の子が、やってるらしいってさ」

わたし達を見ていた人から、声があった。

「ええ。ホントですよ。私の同僚にも、被害に遭ったヤツがいましてね」
「……そんな!わたしは……!」

わたしは、そんな事、してない!
仲間なんかいないし、痴漢呼ばわりなんかじゃないし、それに、本当に本当に触られたのよ!

わたしは懸命に、言おうとするのだけれど。
言葉が喉につかえて、上手く伝えられない。

「来い!係員に、突き出してやる!」

その男の人に腕を掴まれて、わたしは動けない。
そして、誰かが呼んだのか、駅係員がこちらに向かって来た。

そ、そんな!

何で、何で、痴漢された揚句に、恐喝犯呼ばわりされなきゃいけないの!?
でも、男の人があんまり堂々と言い張るから、周りの人は皆、その人の方を信じてしまってる。

わたしは、足がガタガタ震えだした。
思わず、涙が溢れる。
でも、周りの人は皆、冷たい目でわたしを見てる。
きっと、嘘泣きだって、思いこまれてるんだ。

このままだと、わたし、恐喝犯にされちゃう!
被害者なのに!


その時だ。
凛とした涼やかな男性の声が、その場に響いた。


「待って下さい!その女の子は、恐喝犯なんかじゃない!」


そちらを見ると、帝丹高校の制服を着た男の子が1人、立っていた。
綺麗な顔立ちで、すらりとした立ち姿は、何故か、黒豹を思わせる。
帝丹高校のネクタイスーツの制服を、あそこまでカッコ良く着こなしている人は、滅多にいない。
制服とはいえスーツなのに、足元はバスケットシューズを履いていて。それがまた、とても似合っている。

そういう場合じゃないっていうのに、わたしは思わず、胸がときめくのを感じていた。


その場にいる人達の目が、その男の子に集中する。

その男の子が、ゆっくりとわたし達に近付いてきた。
その目が射抜くように鋭く、男の人に注がれる。
さっきまで、わたしを威圧するように見ていたその人が、焦った様子で目を泳がせている。

この人。
相手が、自分より弱いと思うと、さっきのように、居丈高になるんだ。

そして。
帝丹高校の制服を着た彼は、まだ、わたし達と同じ高校生なのに。
大の大人にも負けない、相手を圧倒する空気を、纏っていた。


「あなたは、その女の子に触れた。偶然や事故ではなく、ハッキリとした意図を持って、触りまくった」
「な、何!?」
「その女の子の言いがかりなどではなく、紛れもなく、あなたが痴漢。それが、真実です」
「な、何の証拠があって……!」
「証拠、ですか?」

男の子は、くっと、口の端を上げて笑った。
そして、懐からカメラを取り出す。

「今時の携帯は、デジカメと遜色ない写真が撮れますが、電車内では携帯の電源は切って置くのがマナーなんでね。僕はいつも、デジカメを持ち歩いているんです」

その画面を見せられて、男の人は、ひっと声を上げた。
そこに映っていたのは紛れもなく、男の人がわたしのお尻を触っている場面だった。

「き、貴様は一体……?」
「工藤新一。探偵さ」
「お、お前が……!」

その男の子……工藤新一さんは、不敵な笑みをたたえて、男の人を見た。
周囲からどよめきが起こる。

「おお。あの、有名な……」
「日本警察の救世主と言われている……」

え?
え?
ええっ?

わたし、全然、知らなかったけど。
彼って、有名人だったの?


「先程、あなたが話していた、無実の男性を捕まえて痴漢呼ばわりした挙句、脅して金を巻き上げるグループは、本当の話だった。僕は元々、その恐喝グループを捕まえて欲しいと依頼を受けて、張っていたんです。でもまあ、そちらは、半時間ほど前に捕まえましたけどね。で、僕自身がそのまま登校しようと、たまたまこの電車に乗っていた所に、あなたが痴漢行為をしている現場に出くわしてしまったという訳です」


いつの間に呼んだものか、背広を着た人が現れて、警察手帳を示して来た。
男の人はガックリうなだれて、連れ去られて行く。


男の人にとっては、不運な出来事。
でも、わたしにとっては、とてもラッキーな出来事。

触られたのは気持ち悪かったけど、工藤さんが颯爽と現れて助けてくれたのは、とても素敵な出来事に思えた。
凛とした声で告げられる、彼の言葉すべてが、まるで音楽のように、耳に心地良い。

「君。大丈夫?」

工藤さんが、心配そうにわたしを覗き込んで言った。
わたしの心臓は、大きく音を立てて跳ねる。

「ごめんな。不快な思いをしてただろうに、すぐに助けなくて」

彼は申し訳なさそうに言った。
わたしは、首を横に振る。

痴漢に遭った事を知られたくないって人も、いるだろうから、迂闊にその場で言えないって事もあるだろうし。
あの男の人がどう出るか様子を見てたって事も、あるだろう。

わたしは、濡れ衣着せられそうだったのに、助けてもらっただけで嬉しい。


彼は、「じゃあ」と言って去って行った。
わたしは、お礼を言う事すら忘れて、ボーッと立ちつくしていた。



あの人は一体、誰?

名前は、工藤新一さん。
帝丹高校生で。
探偵だって言ってた。

でも、それ以外、何も判らない。

誰?誰?
あなたは一体、誰?


わたしの目からは、知らず、涙がこぼれた。
突然、訪れた初恋。

あの人は、風のようにわたしの心をかき乱して、去って行った。


出会えた事が、奇跡のよう。




「ひろみ、どうしたの?ボーッとして?」
「あ……」

クラスメートに声かけられて、わたしは我に返った。

あの人に会ったあの日から、わたしはずっと、あの人の事ばかり考えてる。

また、会いたい。
その姿を見て、声を聞きたい。
あわよくば、言葉を交わしたい。

お付き合いをしたいとか、そんな大それた事は考えてなかった。
ううん、考えられなかった。

夜は夢で姿を見て声を聞いて、それだけで幸せになる。
彼の事を思い浮かべるだけで、胸がきゅううんとなって、涙が溢れてくる。

今まで、こんな気持ちになった事はなかった。
生まれて初めてのトキメキ。

これが、恋するって事なのね。
たった一度、会っただけだけど。
タレントやアイドルに憧れる気持ちとは、まるで違う。

あれから、電車の中で、彼の姿を探してみるけど、見かける事はない。
そうね、わたしの通学範囲で見かける帝丹高校生って、そんなに多くないし。
彼はあの時、痴漢詐欺事件の捜査が終わって帰るところだったって、言ってたもの。

今まで一度だって見かけた事なかったし、きっと、彼の普段の通学路じゃないんだ。

出会えた事が、偶然の幸運、とびきりの奇跡だったのよね。

もしも、もしも、またどこかで会えたら、どうしよう?
まず、神様に感謝すべきよね、うん。

こんなに人が沢山いる都会の中で、また会える事なんて、ある筈ないって、普通は思うんだろうけど。

でも、絶対また会えるって、わたしには思えたの。
だって、出会えたのが運命なら、再会も、運命の筈。
きっとまた、会える。


「キャー、カッコいい!」
「工藤新一でしょ、それ!」

クラスの中で聞こえた声に、わたしの耳はダンボになった。

週刊誌を囲んで、何人かが騒いでる。
わたしも、覗き込んでみた。
確かに、彼だ。
彼って……週刊誌に載るような、有名人だったの?

「えー、でも、この人って、探偵なんでしょ?犯罪の捜査なんて、超ダサダサ!」
「そんな事ないよ、そこらのタレントより断然イイ顔してるもん!」
「それに、彼の声と話し方、すっごい素敵なのよ!」

そっか。
工藤新一って、テレビとかのメディアにも出ている位に有名な、探偵で。
女性ファンが多いんだ。


実際、顔が良いのは確かだし、話し方と声が素敵だったのも、確かだった。

でも、クラスメートで工藤新一のファンって人達は、メディアで見ただけ、なんだよね。
わたしは、実際に、彼を見て、言葉を交わしたのよ。
そして、彼に助けて貰ったのよ。

何となく。
すごく誇らしくて、優越感があった。


わたしは、単なるファンじゃない。
彼に恋をしている、1人の女の子。


運命的に彼と出会えたんだもの、きっときっと、また会う日が来る筈。
そういう風に、信じてた。



けれど。
それから、わたしが彼と会える事は、なかった。

わたしは、彼の記事と写真を集め始め、密かに思いを募らせていた。
そうこうしている内に、突然、ぱったりと、どのメディアにも彼が姿を現さなくなった。

帝丹高校に知り合いがいる子が聞きつけてきた話だと、彼は、学校すら、長い事休学してるって事だった。
外国に行ったとか、本当は亡くなったとか、様々な憶測が流れ。
やがて、そういう噂も、下火になっていった。

クラスメートで、工藤新一に夢中になっていた子たちも、いつしか他のタレントに夢中になっていて。

世間を沸かせていた、高校生探偵工藤新一は、すっかり忘れ去られた風だった。

でも、わたしはずっと、忘れなかった。
夢で彼と会い、語り。
彼の写真記事を見ては、涙を流し。

そんな日々が続いて、ある日。


久しぶりに、本当に久しぶりに、彼の記事が新聞に載っていた。
それから。
また、以前のように、彼はメディアに顔を出すようになった。
暫く鳴りをひそめていた頃の事は、差し障りがあって語れないとの事だったけれど。
何となく、以前より少し大人びた彼が、そこにいた。

わたしは、嬉しかった。
また、彼の活躍が見られる。
嬉しかった。

そして、今度こそ、きっとどこかで会えるって、そんな気がしていた。

それから、一月も経っただろうか。
わたしは、休日の東都環状線で、彼を見かけた。
初めて見る、優しい眼差しと柔らかい笑顔。
その先にいるのは、長い黒髪のキレイな子。
その子の方も、はにかむような笑顔で、信頼のこもった眼差しで、工藤さんを見ている。

ああ。
そうか。
そういう事なんだね。

すごく可愛くてキレイで、優しそうな感じのあの子は、工藤さんとよく似合ってる。
それだけじゃなくて。
見てる方が微笑ましく幸せになるくらい、お互いがお互いを深く想っている事が、伝わってくる。


わたしはその夜、泣いた。
久しぶりに見ることができた彼には、恋人がいた。

想いを告げるどころか、最初の時以来、見ることすらできなかった彼。
失恋以前の事だよね。


泣いて泣いて、泣き疲れて。
でもね。
負け惜しみなんかじゃなく、嫌な想いはしなかったの。
あの女の子、本当に素敵で、彼の事が大好きだって体中から溢れてて。
羨ましいとすら思わなかった。
すごくお似合いだな、素敵だなって、感じたんだもの。



泣いて泣いて、泣き疲れた後。
心の奥にポッカリと穴が空いて、でも、同時に、何だか温かい気持ちになれて。


形になる事すらなかった初恋だったけれど、出逢えて良かったって、心から思える。


あれは、確かに恋だった。

あの人は、わたしの心を震わせて吹き過ぎて行った、一陣の風。
わたしの心を揺さぶった、空にかかる虹。


決して、手が届く事はない存在だったの。


でも、逢えて良かった。
わたしの初恋は幸せなものだったって、心から思っている。




Fin.



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「いい人に逢えたね〜新一のテーマ〜」作詞:阿久 悠  作曲:大野 克夫

アニメ中、この音楽が流れた場面って、殆ど記憶にない……果たして、使われているのかなって疑問に思う位。

この歌詞をお話にすると、どうしても、オリキャラからの新一君への一方的な想いにしか、なりえないんですよね。
名前すら出て来ないんじゃないかと危ぶみましたが、かろうじて、下の名前は出せました。

主人公を蘭ちゃんにしてパラレルハッピーエンドで書くって手もあったけど、このシリーズは原作準拠で書きたかったしなあ。
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