旧暦ならともかく、新暦の7月7日は、日本では梅雨の真っ最中。
空を見上げても、星を見る事すら叶わない場合が、多い。



天の川に架ける橋



byドミ



工藤新一、8歳。
世の中にはまだまだ、知らない事が沢山あるけれど、将来はシャーロック=ホームズのような名探偵になるべく、日々、探究を惜しまない、小学2年生。

そして、新一には、何よりも誰よりも大切な女の子が、いた。
毛利蘭。
新一の幼馴染で、クラスメートの女の子。

いつから、蘭が新一の特別になったのかなんて、記憶にない。
物心ついた時には、すでにそうだったから。


小学生になってから、蘭には仲良しの女の子ができた。
同級生の鈴木園子だ。

新一は蘭の中で、園子と同列であるのだろうと、思う。
蘭の中で、男の子と女の子は、等しく友達で、区別なんてない風だった。


新一にとって、蘭と共にいる事は当たり前の事だったし、蘭にとっても、多分そうだろうと思う。
けれど、蘭にとってその相手は、「新一だけではない」のだった。

新一が蘭に向ける想いと、蘭が新一に向ける想いとには、違いがある。
新一は幼いながらに、その事を正確に洞察していた。


蘭に対して、園子が新一と同列だというのは、多少癪に触らないでもなかったが。


「しゃあねえよなあ。おんなのこなら」

新一は心中で呟いて、自分を納得させていた。


蘭にとっての一番は、父親と母親で。
それから、新一を含む友人たちだった。

夫と喧嘩し、蘭を置いて家を出て行った蘭の母親・英理の事は、苦々しく思っていたけれど。
蘭にとっては、誰にも替えられない、たった一人の母親だ。

オレがずっと傍にいるから、ずっと、蘭の傍で蘭を守るから。
新一は内心で誓うが、それを蘭に告げても何の慰めにもならない事、今の新一では母親のいない寂しさを埋めてあげられる存在ではない事は、重々わかっていたので、口に出していう事はなかった。


いつか、いつか、きっと。
蘭の中で、特別な存在になろう。
そして、ずっと蘭と一緒に、蘭を守って生きて行こう。

何一つ勝算があった訳ではなかったけれど、新一はずっと、その気持ちを温め続けていた。


友達という枠で、女子が蘭と仲良くなるのは、良いとして。
蘭に近づくのが男子であった場合、話は別だ。

新一は、贔屓目ぬきに、蘭は同級生女子の中でも、特別、可愛いと思う。
蘭に好意を寄せる男子は、決して少なくない。

ただ、小学低学年男子では、好きになった女の子に素直に接する事が出来る子は殆どおらず、蘭と、クラスメートの枠を超えて仲良くなれる男子はいなかったので、新一としては安心していられるケースが、殆どだった。


ここ最近、新一にとって気になる相手が出来た。
この場合の「気になる」は、「蘭に好意を寄せている男子」を指す。


その男子、坂本大介というのだが、1年生の頃から、頬染めて蘭を見詰めているのには気付いていた。
それでも、1年生のは見ているだけだったから良かったが、最近は蘭にちょっかいを掛けるようになって来たのだった。

大介は、蘭をいつもからかって苛めているので、蘭と仲良くなる心配は、ない。
でも、「だから安心」という訳にも、行かない。
蘭は強い方だと思うが、それでも、男子のからかいや苛めで、心傷付く事はあるだろう。

英理がいなくなってからの蘭は、余計に、傷付き易くなっていたし、蘭が泣くような事になるのは、新一としては、絶対に我慢できない事だ。

大介が何かとちょっかいをかけて来るようになってから、新一は登下校をする時、なるべく蘭と二人だけというシチュエーションは避け、園子や他の女の子と一緒になるようにし、新一はさりげなく蘭と少し離れて歩くようにしていた。
蘭の事を、蘭の前では、「蘭」と呼ぶが、大介の前では意識して「毛利」と呼んでいた。
新一自身は、からかわれても囃し立てられても、何ともないが、新一に対して友情以上の感情がない蘭には、からかわれる事はおそらく辛いだろう。

常に、つかず離れずの距離にいて、蘭が傷つくような事があれば、何とかして守ろうと、考えていた。


七夕が近づいた時。
小学校で飾られる笹竹につるす為に、クラスで短冊を作った。
蘭が、短冊に書いた願い事は、「お母さんが早く帰ってきますように」というものだった。

新一は、胸を突かれた。
何とかして、蘭の願いを叶えてあげたいと、思った。

そして。
例の大介も、蘭の書いた短冊の言葉を、見ていた。


案の定、帰り道で、大介は蘭をからかって来た。
ここで変に嘴を庇おうとすると、大介がムキになって、余計に蘭が傷つくような結果になりそうだ。
なので、新一はその場では何も言わなかった。

園子が怒り、蘭は園子を宥め。
だけど、蘭が涙ぐんでいる事に、新一は気づいていた。


蘭を何とかして慰めたいと思うが、自分が言葉をかけるのでは力不足だという事は、解っていた。
蘭が傷ついているのは、大介の言葉自体にではなく、英理が帰って来ない事に対してなのだから。


蘭の涙が止まり、笑顔になる為には、英理が、蘭の元に帰るのが、一番良い方法なのだ。
さて、その為にはどうしたものか。


新一は考えた。
そして、思いついたのが、蘭が短冊を吊るした笹竹を、英理に見てもらうという事だった。

けれど、どうやって?
忙しい英理は、小学校までわざわざやって来ないだろう。
なので、英理の住むマンションまで、笹竹を持って行く事を考えたが。
その為には、どう考えても1人では無理で、協力者が必要だった。

蘭をにくからず思っている大介を担ぎ出すのが、一番良策に思えたが。
その為には、どうしようかと、また考える。


ふっと、新一は、昨年の七夕の時に、撮った写真を思い出していた。

初めて浴衣を着た蘭と、二人で撮った写真。
まだ、英理が毛利邸にいた頃で、蘭の笑顔に一点の曇りもなく。
新一は、どさくさ紛れに、その写真をくすねて持って帰っていた。
商店街で撮ってもらった写真で、現物はその一枚しかなく、データも残ってはいない筈だ。

蘭の背後には、蘭の浴衣姿に見とれている大介の姿も写っていた。

愛らしい蘭の写真。
隣で照れのあまり仏頂面している自分の方はどうでも良いが、浴衣を着て可愛い姿の蘭の写真を、手放したくはない。
背景の大介だけを切り取って、完全なツーショット写真で保存して置きたい位だ。

けれど、この写真の時と同じ、蘭の輝くような笑顔を、取り戻したかった。
写真よりも、蘭本人の方が、ずっとずっと大切だ。


新一は、写真の、蘭と自分の間に、鋏を入れた。
わずかに、手が震えた。



背景に大介が写っている蘭の浴衣姿の写真をあげる事を条件に、新一は大介の協力を取り付け、学校からこっそり笹竹を持ち出して、英理のマンションまで持って行った。
その短冊に書いてある願いは、英理の心を動かし、七夕の日に、英理は毛利邸へ帰って行った。

結局英理は、その日の内に小五郎と喧嘩し、また家を出て行ってしまったのだったが。
それでも、蘭に笑顔を取り戻す事には、成功したようだった。



その後、大介が蘭に謝って来た時は、新一は素知らぬ顔をしながら、蘭の為には喜ぶべきだとわかっていたけれど、大介が蘭に接近するかもしれないと思うと、内心、穏やかでなかった。

しかし、それから間もなく、大介は転校して行った。
新一は正直、ホッとした。

同時に、1年の頃は蘭を見ているだけだった大介が、2年生になって蘭にちょっかいを掛け始めたのは何故なのか、素直に謝って来たのは何故なのか、わかる気がしていた。

大介に、蘭の写真をあげてしまった事は、蘭の為に仕方がないと思っていたけど、全く悔いがなかったかと言えば大嘘になる。
初めて浴衣を着た蘭の、鮮やかな笑顔は、今も、新一の心のアルバムに焼き付いている。



   ☆☆☆



新一が英理に蘭の書いた短冊を見せ、英理が家に帰るように仕向けた事を、新一は、ずっと蘭には黙っていた。
元々、決して、蘭の気を引く為にやった事ではなかったし。
実際、それを蘭に言ったとしても、蘭は「お母さんが自分から戻って来てくれたんじゃなかったんだ」と、かえってガッカリさせるかもしれないと、思ったからだ。


ずっと後になって、コナンになってしまった時に知ったのだが、蘭はそれを、中学生の時に、母親から聞かされていたらしい。



雨が降っている。
今夜は七夕だが、空は厚い雲で覆われている。

残念ながら、今年は、織姫と彦星は会えないようだ。


恒星は、太陽と同じ、ガスの塊に過ぎない事は、解りきっているけれど。
夜半、目が覚めた新一は、ひっそりとベッドの上で起き上がり、窓を閉めていても聞こえて来る雨音に、そういう埒もない事を考えていた。

隣で、身じろぎする気配がある。

「新一……?」

一旦寝付いたら、滅多な事では目が覚めない筈の蘭が、目覚めた事に新一は驚いた。

「蘭。どうしたんだ?まだ夜中だぞ」
「うん……でも、新一が……」

蘭の目が揺らぐ。
その眼差しが、新一がまた行ってしまうのではないかという不安を内包している事に気づき、新一はそっと優しく、蘭の頬を撫でた。

「大丈夫。オレは、ここにいるから」
「新一……」

不意に、蘭の眦から涙が零れ落ちる。
新一は、ギョッとした。

「蘭?」

屈み込んで、蘭を抱きしめる。
蘭も、新一の背中に手を回した。

「蘭、どうかしたのか!?」
「ううん。ただ、幸せだなあって思って……」
「は?」

新一は、少し体を起こして、蘭の顔を覗き込んだ。
蘭は確かに、幸せそうに微笑んでいる。
何かを隠した笑顔ではなく、本当に微笑んでいる。

「幸せでも、涙って流れるもんなんだね……」
「……お、脅かすなよ。オメーの涙、心臓に悪いんだからよ」
「ごめんね」
「い、いや、謝って欲しい訳じゃねえんだけど」

新一が蘭の頬に手を当てると、蘭は両手で新一の手を握り、頬を摺り寄せた。

「わたしね。新一がわたしの目の前からいなくなってしまった、あの頃の事……わたしにとって、悪い事ばかりじゃなかったって、思ってるよ……」
「蘭……?」
「新一はコナン君になっちゃって、色々大変で辛かっただろうから、新一にとっては、あれも良い経験だったなんて、言えないけど。わたしは……新一がいなくなった事で……新一がいつも、わたしにどれだけ沢山のものをくれていたのか、気づけて良かったなって、思ってる……」
「蘭……」

蘭は、窓の方に目を転じた。
カーテンが閉めてあり、外の様子が直接見えるわけではないが、雨脚が強いのは、音でわかる。

「雨……降ってるね……」
「ああ……そうだな……」
「でもね、きっと会えるよ、織姫と彦星」
「……」

蘭がそういう風に言うのは意外だった。
そして新一には、それを否定も肯定もできなかった。
どちらの言葉も、蘭を傷つけそうで、怖かったのだ。

「だって、新一が橋を架けていたもの」
「は?」
「……夢の中で、新一が……コナン君位の、まだ小さい新一が、天の川に橋を架けていたから。だから、大丈夫」

そう言って、蘭は笑った。
新一がいつも見たいと願っている、何の辛さも悲しみもない、心の底からの笑顔。

「新一は、いつも、わたしの心の天の川に、橋を架けてくれるから……」
「おい。いったい、何の話だよ?」


蘭はそれには答えず、目を閉じ、寝息を立て始めた。

「……何だ。こいつ、寝惚けてたのかよ」

新一は苦笑し、蘭の額に小さなキスを落とすと、蘭に腕枕をした格好で仰向けになった。


幼い頃から、ずっと思い続け焦がれ続け、やっと手に入れた、愛しいただ一人の女性。
これからも、ずっとずっと、生涯かけて、蘭の笑顔を守って行く。
その決意は、幼い頃から変わらない。
いや、あの頃より更に強くなっている。


新一は目をつぶり、蘭をしっかりと抱き寄せて、いつの間にか眠りに落ちて行った。





新一……小さい頃からずっとずっと……わたしに沢山の愛を注ぎ続けてくれて、本当にありがとう。



新一が眠りの中で聞いた蘭の言葉は、夢だったのか、現だったのか。



Fin.



+++++++++++++++++++++++++



<後書き>


このお話は。

名探偵コナン「MAGIC FILE3」に収録されている、映画「漆黒の追跡者」スピンオフアニメ「新一と蘭・麻雀牌と七夕の思い出」からの、妄想話です。
このアニメ、諏訪っちが「新蘭」という言葉を使った事で、「新蘭」公式認定(カップルがではなく、言葉がですよ)と、新蘭界で激震を呼んだものでもありましたね(笑)。
いつか、書こう書こうと思いながら、いつも、七夕という時期を逸してしまっていたのでした。

実は、「漆黒の追跡者」が「あった事」になっている「幼馴染の恋物語」シリーズに組み込もうかと、ちょっと考えたのですが。
あのシリーズでは、アニメと矛盾する七夕話を既に書いている為、断念しました。


前半は、アニメで描かれる子供時代の、新一サイドの裏話。
いや、新一君ってば、蘭ちゃんの為に涙ぐましい事をやってるのに、蘭ちゃんがそれを知ったのは何年も後だし、ほんと、不憫な男だよなと、思っています。
まあ、蘭ちゃんが知らないままだったよりは、マシですけど。


後半は、コナン後ですが。
夫婦新蘭でも、恋人新蘭でも、それはご想像にお任せします。


2012年7月4日脱稿
戻る時はブラウザの「戻る」で。