2004年工藤新一お誕生日記念小説〜1〜

レモンパイ



byドミ



工藤新一が目を覚ました時、家中に香ばしい香りが漂っていた。

「・・・!!」

新一は自室のベッドからガバッと起き上がる。
時計を見て、現在時刻がまだ9時前である事を知り、次いで今日は休日である事を思い出した。

「蘭と何か約束してたっけか?」

新一は考えるが、どうも思い出せない。
蘭との約束があったのに、考えても思い出せない事など、まず有り得ないので、特に約束などなかったのだろうと思う。
けれどこの香りの原因が蘭だという事だけは確信していた。


新一は急いで着替えを済ませ、顔を洗う。
休日なので取り合えずポロシャツとジーパンというラフな格好にする。
このまま出かけてしまっても、余程ノーマルな場所でない限りは特に問題ない。

階下に行くと、やはり彼の愛しい少女が居て、何やら忙しそうに楽しそうに作業をしていた。

「あ、新一、起きたの?ちょっと待っててね、もう少しで支度が終わるから」

エプロンを付けた蘭の姿に新一は目を細める。
蘭はどんな格好も似合うが、エプロン姿も格別可愛らしい、と思う。
勿論、約束などなくても時間が空いているのなら愛しい少女と2人で過ごせるに越した事はない。

そう言えば、と新一は思い出す。
せっかくの休日、事件さえなければ蘭と過ごしたいと言った新一に対し、蘭は、大会もそう遠くないし、空手部の練習があるから無理だと言ってなかったろうか。
蘭が訳もなく部活をサボるとも思えないので、予定が変わったのか何かだろうと思い直す。
せっかく今日蘭と一緒に過ごせるのなら、事件など起こらないで欲しいと、流石の名探偵もちょっと考えていた。

「オメーさ、鍵、どうしたんだ?」
「ん?阿笠博士に借りたよ。いけなかった?」
「いけなくはねえけど」

新一は、最近やっと一応恋人同士と言える仲になったこの幼馴染の少女に、まだ渡す事の出来ないで居る合鍵を、ポケットの中で握り締める。

『下手に渡すと、下心ありと思われかねねーよな。そりゃ、いつかは、って気持ちはあるけどよ・・・。でなけりゃ蘭の事だ、張り切ってオレんちの家事をしに通って来っかも知れねえ。それはそれで・・・嬉しいけど蘭に家政婦させてえ訳じゃねえし』

「どうしたの新一、突っ立って?もうすぐコーヒーが出来るから、座って」

蘭に促され、新一は我に返った。

「あ、ああ・・・」

新一がダイニングの椅子に腰掛けると、淹れたてのコーヒーの香りと、目覚めた時から感じていた香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。

やがて蘭がキッチンからコーヒーと共に運んで来たのは、焼きたてのレモンパイだった。
新一はふと違和感を覚える。
朝っぱらからケーキとコーヒーと言う組合せは、蘭の普段の言動とはそぐわない。
それを言うならそもそも、合鍵を使い朝から新一の家に上がり込んで、勝手に料理を作っているのも解せない事ではあったのだが。

ダイニングから独立しているキッチンをちらりと覗くと、サンドイッチと卵料理、サラダ、スープといった、ちょっと贅沢な朝御飯の準備がされている様だ。
新一の頭の中の疑問符は増えるばかりであった。

蘭は新一の向かい側に腰掛け、新一がレモンパイを切り取って口に運ぶのをじっと見詰める。

「どう?美味しい?」
「ああ、うめーよ」

蘭に問われてそう答えながら、新一は『コナンの時の方が素直に言えてたな』と少し自嘲的に思った。

客観的に見て蘭は料理上手であろう。
が、新一に取っては、蘭が作ってくれるものなら何でも美味しい。
蘭の料理には小手先の器用さだけではなく、食べる相手への真心が篭っている、と思う。


「レモンパイって、新一の好物なんだよね」

蘭にそう言われて、新一は思わず飲みかけのコーヒーでむせる。
そう言えばすっかり忘れていたが、帝丹中学時代の先輩・内田麻美がそう言った事があった。
あの時新一はコナンの姿だったので、わざわざそれを否定するのは気が引けたし、それに他の事で頭がいっぱいでそれどころじゃなかったのだ。
まあ別にレモンパイが特に好物と言う訳ではないが嫌いな訳でもないし、蘭が作ってくれるレモンパイはおいしいので、まあ良いかと思っていたら、蘭の口からとんでもない言葉が飛び出した。

「内田先輩は知ってたのよね、新一の好物がレモンパイって。私、子供の頃から新一と一緒に居たのに、気付かなかったな・・・」

蘭の寂しそうな口調に、新一はこれは拙いと思った。
女心には疎い新一も、蘭が「内田先輩が知ってる事を自分に教えてくれなかった」と、とんでもない誤解をしているのに気付いたのだ。
新一はともかくも蘭の誤解を解こうと、フォークとスプーンを置いて真面目な顔で蘭を見詰めて言った。

「あのな、蘭。オレ、はっきり言って、レモンパイが好物って訳じゃねえ。まあ別に嫌いでもねえけど」

蘭が驚いたように目を見開いた。
その目に涙が盛り上がりかけたのを見て、新一はまた慌てふためく。

『今度は何だ!?一体何なんだ!?』
「おい!泣くなよ!何で・・・」

蘭は必死で涙が零れ落ちそうなのを堪えながら言った。

「だ、だ、だってっ・・・!新一の好物でもない物を、てっきりそうだと思い込んで、押し付けてしまったんだもんっ!」

新一は自分の失言に気付き、頭を抱えた。
今度は別の意味で蘭を傷つけたのだ。

何と言ってそれを癒そうか、必死に考える。

「あのな・・・オレ、特にレモンパイが好物って訳じゃねえけど・・・蘭が作ってくれたレモンパイは、すっげー美味いと思う」

新一は必死で言ったのだが、蘭は俯いたままだった。

「ごめん、新一・・・無理しないでいいよ・・・」

堪え切れず涙が零れ落ちた蘭の顔を見て、新一は暫し途方にくれる。

けれどふと思いついて、レモンパイを一口分フォークに突き刺すと、蘭の口に押し込んだ。

「!ななな!なにふぉ!」

蘭が真っ赤になって抗議の声を上げかけた。

「な?嘘なんか言ってねえだろ?蘭の作ってくれたレモンパイはすっげー美味ぇよ」
「馬鹿・・・」

ようやく口の中のレモンパイを飲み込んだ蘭が、泣き笑いの表情で呟いた。

「さ、蘭も一緒に食べようぜ」
「うん!」

蘭が心からの笑顔を見せたので、新一はようやくホッとした。

レモンパイを食べ終わったあと、蘭はおもむろに豪勢な朝食を食卓に並べた。
新一は思わず口笛を吹く。

「おい、蘭。いったい今日はどうしたんだよ?」
「あら、新一、まだ気付いてなかったのね」
「?何だよ」
「ハッピーバースデイ。18歳の誕生日おめでとう、新一」
「!」

ようやく新一は、今日が5月4日の休日で、自分の誕生日でもあった事を思い出した。

「あ・・・その・・・ありがとな」

照れながら言った新一に、蘭は笑いを含んだ声で言った。

「もう本当に、毎年器用に自分の誕生日忘れてるんだから。憲法記念日と子供の日に挟まれた休日なんだから、いい加減覚えそうなものなのにね」

『それはな。オレ自身の誕生日が、オレの中では優先順位が低いからだよ』

新一は心の中でだけそう呟いた。
新一には覚えなければならない事がいっぱいで、忘れてはならない事も沢山で、自分の誕生日ごときを一々意識しては居られないのだ。
勿論、「誕生日いつ?」と訊かれれば即座に「5月4日」と答える事は出来る、日付を忘れている訳ではないのだから。

「けど、オレ本当に誕生日って事忘れてたから、事件かなんかで飛び出してたかも知んねえぞ?何で約束しようって思わなかったんだ?」

その新一の問いに、蘭はちょっと微笑んで答えた。

「うん、約束してようかとも思ったんだけどね。基本的に誕生日って、その人がこの世に生まれて来てくれた事を感謝する日でしょ?なのに新一を約束で縛り付けるのって本末転倒かなあって思ったの。去年あんな事になってしまって・・・でもね、それで思ったの。お互い生きて無事で、そしていつでも会えるのってすごく幸せなんだって。だから・・・」

昨年の新一の誕生日は、米花シティビルで爆弾事件に巻き込まれ、あわやというところだった。
死と隣り合わせで、扉を隔てて蘭は新一に「ハッピーバースデイ」と告げたのだ。
それを考えるなら、新一が事件解決に飛び出して会えない事位、何て事ない。
蘭の健気な心に打たれ、新一は暫し言葉が出なかった。

『けど、そっかあ。オレ今日で18歳って事は、法律上蘭と結婚出来る年になったって事か』

新一の思考はすぐにそちらに結びついてしまうのだが、幸か不幸か、その内心の声は蘭に届いていない。
危急時でもないので、テレパシーも働かないようだった。

「新一の誕生日のケーキは、だから新一の好物にしようって思ったんだけど・・・」

蘭がまた少し悲しそうな声で言った。

「・・・まあ基本的には、甘過ぎんのや生クリームたっぷりのケーキって苦手だからよ。レモンパイは酸味があってさっぱりしてるし、チョコレートはほろ苦さがあって甘さがくど過ぎねえし、生クリームケーキよりレモンパイとかチョコレートケーキの方が良いのは確かだな。まあ、蘭の手作りだったら甘過ぎねえし、何でも美味ぇけどよ」
「良かった!」

蘭が満面の笑顔を見せ、新一はその美しさに見とれながらホッとする。
そして、意を決して口を開いた。

「なあ、誕生日って事で、頼み事して良いか?」
「ええ?誕生日プレゼントは用意してるんだよ。けど・・・どんな事?言ってみて」
「来年も再来年も誕生日にはずっと・・・蘭の手作りケーキが食いてえな」

新一の言葉に蘭はちょっと目を丸くする。

「そんな事で良いの?誕生日以外の時でも、いつでも作ってあげるけど」
「ああ、それはそれで嬉しいけどさ。毎年誕生日には蘭の手作りケーキが食いたい」
「なら・・・チョコレートはバレンタインの時に上げるから、毎年レモンパイでも良い?」

可愛らしく新一を見上げて言った蘭の言葉に、新一は頷きながら内心で苦笑していた。
新一の言葉の裏にあるプロポーズまがいの含みを、どうやら彼の愛しい少女は、丸っきり分っていない様だったからである。



Fin.



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(1)「レモンパイ」後書き


淡々としたお話で、盛り上がりも何もなく、すみません。
山なし、落ちなし、意味なしで、これが本当の「やおい」(笑)?

ところで、「ラブコナン」について一言。
工藤新一くんの好物の欄に「レモンパイ」とあったけど・・・
「そいつはちがうな」その点だけはかなり腹立ったドミでした。

2004年工藤新一お誕生日記念小説は、5つですが、同設定のシリーズもので、お誕生日当日の話はこの第1話だけになります。



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