ビター・ヴァレンタインデー



byドミ



「マジシャンとしての修行をして、独り立ちしたいから。アメリカに行く」

年の瀬が押し迫った、ある日。

学校帰りに、土手道を歩きながら、幼馴染の黒羽快斗がそう言った。
中森青子は、目を見開いて、その言葉を聞いていた。

「そ、そう……快斗なら、きっと、小父様に負けない、一流のマジシャンになれるよ!」

青子は、内心の動揺を押し隠して言った。

黒羽快斗と中森青子、周囲からは、夫婦だの何だのと揶揄されても。
高校3年にもなって、ただの幼馴染でしかない。


青子としては、快斗が渡米する事に関して、何を言える筈もなかった。

アメリカになんか、行かないで。
青子も、連れて行って。

二つの言葉が、青子の内をグルグルと渦巻く。

けれど、それは、口に出せない。



成績の良い快斗が、なかなか進路希望を出そうとしないので、担任の教師がやきもきしていたのだが。
それは、こういう事だったのかと、青子は思う。

「だ、大学は、行かないの?」
「いや。あっちの大学を受験するよ。向こうの大学は9月始まりだから、渡米して半年は浪人生活だけどな!」

そう言って快斗は、ニカッと笑った。
英語には全く不自由しない快斗だし、その気になれば、難関と言われる大学にも余裕で行けるだろう。

大学に行くとなると、最低、4年間は、アメリカにいる事になりそうだ。
卒業してからも、暫くは、あちらにいるかもしれない。


快斗と離れ離れになるのは寂しくてたまらないけれど。
快斗にとって青子は、ただの、幼馴染でしかない。
マジシャンの修行をして、一人前になりたいという快斗に、何を言う権利も、ないのだ。


「頑張って!青子、応援してるから!」


そう言って、青子は、精一杯の笑顔を作った。




   ☆☆☆




黒羽快斗は、自室で深い溜息をついていた。

アメリカに行く事を決めたのは、青子に言った理由もあるが。
それよりもっと大きな理由が、怪盗キッドの活動範囲を広げたいというものだった。

日本国内だけで活動していたのでは、いつまでもパンドラを見つけられないような気がしたのだ。


既に、ホッパー奇術団の代表であるジョディ・ホッパーには連絡をして、仕事のつても頼んである。
アメリカの大学は、入学より卒業が厳しく、かなり真面目に勉強しなければならないが。
学業とマジシャンとしての仕事と怪盗キッドの活動の全てを、きちんと行って行く積りである。

大学卒業後は、日本に帰って、本格的にマジシャンとして身を立てて行く積りだ。
その時、怪盗キッドをまだ続けているかどうかは分からないが、もし、廃業していないのであれば、世界中を興行して回りながら、キッドとしての活動を続けて行けるだろう。


そこら辺の計画は、ほぼ完璧に立っているが。
問題は、青子だ。

快斗は、夏季休暇を取らず、3年で大学を卒業する積りである。
それでも、3年半は、日本を離れなければならない。

長い間青子と離れた事がなかったので、それが耐えられるかどうかという事が、ひとつ。

そして。
もうひとつのもっと大きな問題が、青子とはまだ、幼馴染であるという事だ。


アメリカに行く前に、キチンとした関係になりたいとは思うが、快斗は、告白する事が出来ないでいた。


告白して、青子が受けてくれるかどうかは、分からない。
上手く行くような気もするし、ダメなような気もする。
そこは正直、告白してみなければ分からない事だ。


快斗がためらっているのは、「上手く行くかどうか分からない」からではない。
青子に対して、大きな秘密を抱えているからだ。


快斗は、青子が嫌う犯罪者だ。
青子の父・中森警部が、長年追っている盗人でもあるし、正義感が強い青子には、とても許せる存在ではないだろう。

青子を騙したままで告白するなんて、とても出来ない。
かと言って、青子に、怪盗キッドの正体を告げる事は、なおさら出来ない。


青子が自分の事をそういう対象として見ていてくれているのか。
たとえ、そうであったとしても、いつまでもその気持ちが変わらないでいてくれるのか。
その保証は、どこにもないけれど。

快斗としては、怪盗キッドとしての役目を終わらせ、青子への秘密がなくなったその時に、青子に告白しようと考えている。


ただ。
3年半も傍を離れていたら、青子にコナかける男達がいても、それを退ける事も出来ないし。
青子に虫がつく可能性は、限りなく高そうに思える。


けれど、いずれはマジシャンとして独り立ちする為にも、パンドラを見つける足掛かりを作る為にも、アメリカに行くという事は、必要な事だと思っていたから。
快斗は、アメリカ行きを決めたのだった。

それでも、青子と長く離れる事、そして、もしかしたらその間に、青子が他の男と恋人同士になるかもしれないという事、それは耐え難い事だった。


自分で決めた事とは言え、快斗の苦悩は深い。



   ☆☆☆



それからも、快斗と青子は、今迄通りに過ごしていた。
いつも一緒に登下校する。
クリスマスはさすがにみな受験生なので、昨年のようにクラスの皆でバカ騒ぎする訳にもいかなかったが、中森邸で行われた、推薦などで進学先が決まっている者中心のささやかなパーティには、快斗も参加してマジックを披露した。

初詣は青子と2人で行き、お守りを授かって青子に渡した。
センター試験の時は、青子を送って行った。

2人でいる時は、青子は終始、笑顔で。
快斗は、青子が快斗に幼馴染としての親しみを感じていても、寂しいとは思ってくれてないのかと、アメリカ行きは自分で決めた事なのに、逆恨みに似た感情を抱いたりもした。


青子の笑顔を見ながら、暫くの間、これも見られなくなるのかと思うと、胸が締め付けられる。
怪盗キッドという秘密さえなければ、今すぐにでも青子に告白して、もし青子が応えてくれたら、待っていて貰うのに。


快斗の担任は、「アメリカの大学に行く」と言った快斗に、最初は驚き、けれど応援してくれた。
母親の千影は、父の残したお金はまだあるから、快斗の好きに使って良いと言った。

今はまだ、稼ぐよりも使う方が多いだろう。
怪盗稼業では、別にそれでお金を得る訳ではなく、むしろ莫大なお金を使う方が多いので、尚更である。
頑張って、少しでも早く、マジシャンとして収入をあげられるようになりたいと、快斗は考える。


帰国した時には、必ず、マジシャンとして一人前に稼げるようになるんだ。
そしてその時、たとえ青子に男がいても、ダメ元でプロポーズしよう。


快斗は、そういう風に決意していた。
だからと言って、それで心が完全に落ち着くかと言えば、そうは行かないのだった。



そして。

2月に入ると、またも、鈴木次郎吉からキッドへの挑戦状が送られて来た。

「元気だよな、あの爺さん……」

次郎吉が今回用意したのは、アイオライト。
ウォーターサファイアとも呼ばれるもので、宝石的価値はあまり高い方だとはされていない。
しかし、石の色合いや状態が良く大粒であれば、宝石的価値が高くなるのは、他の石と同じである。

次郎吉が準備したアイオライトは、大粒で色合いが美しい事もさる事ながら、キャッツアイ効果もあるもので。
菫色がかった淡いブルーの石にキャッツアイ効果があるのは、それは幻想的な美しさで、「ナラシンハの瞳」という名がつけられている。

ナラシンハとは、ヒンズー教の神であるヴィシュヌの化身の一つで、頭部がライオンの姿をしている。
産地がインドである為、そのような名がつけられたものらしい。

多分、パンドラである可能性は低かろうと思うが、その幻想的な美しさを考えれば、絶対違うとも言えない。


「ここは、挑戦に乗るとしますか。日本での最後の仕事になるかもしれねえしな」

快斗は、もしそれがパンドラだったら、キッド稼業から足を洗い、青子に告白も出来るなとか、どこかで考えながら、その挑戦を受ける事にした。


そして。
鈴木次郎吉が、「ナラシンハの瞳」を米花シティホテルに展示すると予告して来たのは、2月14日。
世間では、バレンタインデーとして賑わうその日であった。
というか、ホテル側も、バレンタインデー効果に更に、キッド効果で客が増える事を期待して、鈴木次郎吉相談役の提案に乗ったのである。


高校は既に、自由登校になっている。
とは言え、日本の大学を受験する訳ではない黒羽快斗は、基本的に暇なので、毎日登校していた。
青子も、受験する大学を絞っているので、大抵毎日登校している。

今日も、2人、肩を並べて、家路についていた。

「あ、あのね、快斗……今度の、14日なんだけど……」
「んあ?平日だろ?どうかしたのか?」
「あ、あの……快斗の家に、遊びに行っても良いかなって……」
「ん?オメー、今、受験準備で忙しいんじゃねえのか?」
「そ、そうだけど、ちょっとだけ、息抜きに……」
「ああ……わりぃ、その日はちょっと用事があって。15日じゃダメか?」
「そ、そう。でも、その日、学校には来るよね?」
「いや、ちょっとそれも……」

その日は学校を休んで、朝から準備にかかりたかった。
青子が、目を伏せて立ち止まる。

「青子?」
「……わかった。じゃあ、いい」

再び顔をあげた青子の目には、涙がいっぱいに盛り上がっている。
快斗は、慌てた。

「あ、その、もしあれなら13日とかは?」
「いい!14日じゃなかったら、意味がないもん!」
「青子?」

青子は、泣き笑いの表情で、言った。

「ごめん。青子のワガママだから。快斗は、気にしないで」
「青子っ!」


青子が、涙を流して駆け去って行く。
一体何なのか、快斗には見当がつかなかった。



そして、2月14日。
青子の事が気になりつつも、今は、仕事に専念しなければと、快斗――いや、キッドは、米花シティホテルに向かった。


鈴木次郎吉と中森警部の裏をかいて、首尾よく宝石を盗み出した。
あまりのあっけなさに、拍子抜けしたほどだ。

白馬探は、欧州に行っているし。
既に復活している高校生探偵が邪魔をするのではないかと思っていたが、今回、彼は全くノータッチだったようである。


そして、盗んだ宝石を月にかざす。
今夜は、雲が全天を覆っていたが、その瞬間は奇跡のように、雲の間から月が姿を現したのだった。


「……まだ、キッドは止められねえな……」

キッドは苦笑いを浮かべる。
幻想的なアイオライトキャッツアイも、パンドラではなかった。


そして、宝石を返そうと、ハンググライダーの方向を変えた時。
米花シティホテルのレストランで食事をしている、工藤新一と毛利蘭の姿を見た。


レストランのボーイに変装して、2人に近付く。
すると、突然、工藤新一が席を立ち、蘭の前に庇うように立ちはだかって、睨みつけて来た。
そして、低い声で言う。

「オレ達に一体何の用だ、キッド!」

完璧な変装だった筈なのに、何故、この男に気付かれてしまったのか。
蘭が、目を見開いて、2人を交互に見る。

「……きっとあなたの邪魔が入るだろうと思っていたのに、それがなかったから、気になっていたのですよ」
「今日という日だけは、オメーの相手をしている余裕はねえんだよ!」
「今日という日……?名探偵、あなたの誕生日も、そこの彼女の誕生日も、今日ではない筈ですが……?」
「嫌味な野郎だな。今日が何の日か、知らない訳でもあるまいに」

新一の嫌そうな表情に、本気で知らなかったキッドは、眉をひそめた。
そして、数日前の青子の様子を思い出す。

「今日は、一体、何の日なんだ!?」
「はあ?」
「教えてくれ!」

目を白黒させる工藤新一に、キッドは、なりふり構わず迫っていた。




   ☆☆☆



青子は、自分が作ったチョコを前に、涙を流していた。

月並みだけれど、ハート型に流し固めたチョコに、名前を書いて、飾りをつけて。
箱に入れたが、蓋をしないままに、置いてある。

快斗の手に渡せない事がわかっていて。
それでも、作らずにいられなかった。



快斗が、行ってしまう前に。
ダメ元で、バレンタインのチョコを贈って告白しようと、考えていたのに。

快斗は、去年、バレンタインデーの事を知らなかった。
多分、その流れで、今年も知らないままなのであろう。

このまま、離れ離れになって。
快斗はもてるし、きっと、幼馴染の色気のない女の事なんか忘れてしまって、素敵な恋人を作るのだろうと、青子は思う。


たとえ失恋するにしても、せめて、気持ちは伝えたかった。
けれど、今日という日を逃すと、もう、告白する勇気は出せそうにない。


「快斗……快斗ぉ……」

今夜、父親である中森警部は、留守である。
怪盗キッドが、鈴木次郎吉の挑戦を受けて、今夜米花シティホテルに現れる筈だからだ。


ふと。
カーテンが揺らぎ、冷気が入って来たのを感じて、青子は顔をあげた。

ベランダの窓を開けてそこに立っているのは、怪盗キッド。


「な……キッド!?今夜は、米花シティホテルで、宝石を盗んでいる筈じゃ!?」
「……あれは、求めるものではなかったので、返しました」
「も、求めるもの!?」
「青子嬢。あなたは、私がただ警察をからかって遊んでいるだけの愉快犯だと思っているようですが、違います。ずっと、追っているモノがある。それを、探しているだけです」

キッドが、ずいっと迫って来たので、青子は思わず後退る。
考えてみれば、こんなに間近でキッドを見たのは、初めての事だ。

青子は、ドキドキして来る。
不安だけではない何かが、心の中を支配する。

ふと、キッドの目が動いて、テーブルの上を凝視する。
そこには、快斗にあげる筈だったチョコレートが乗っている。

キッドがそちらに手を伸ばした。
そして、その箱をひょいと抱え上げる。


「ちょ……何するのっ!?青子のチョコ!」
「To Kaito……?あなたの幼馴染の少年に、あげる積りだったのですか?これっていわゆる、本命チョコというヤツですか?」
「キッドには、関係ないでしょ!?返して!」

青子が手を伸ばしても、キッドはひょいと飛びのいてしまう。
そして、あろう事か、キッドはそのチョコをパクリと齧ったのであった。

「きゃあああっ!何するのよ!酷い!快斗にあげる筈だったのにっ!」
「……もうすぐ、14日は終わってしまいますよ。もう、この日の内に、幼馴染の少年にあげる事は、出来ないんじゃないですか?」
「だからって、だからって!あなたなんかに……!」
「わかりました。では、お返しします」
「えっ……?」

青子は、キッドにグイッと抱き寄せられた。
そして、唇が塞がれる。
ぬめぬめしたものが青子の口の中に侵入して来て、それと共に、ほろ苦い甘さが口の中に広がった。


キッドに抱きしめられ口付けられていると気付いたのは、数瞬の後。
キッドの胸に当て、押しのけようとしていた筈の手は、そのまま、キッドのシャツを握り締める。


不思議だった。
青子にとってはファーストキスで。
大嫌いだった筈の男に、青子の意思を無視して、無体な事をされている筈なのに。
全然、嫌な気持ちにはならない。
それどころか、甘い痺れが体中を突き抜ける。


キッドの口付けは優しく激しく甘く。
何よりも、青子への気持ちが伝わってくるような気がした。


その中で、青子は、ある確信を持っていた。


青子の頭が朦朧となった頃。
キッドはようやく青子を解放し、その頬に軽く口付け、耳に囁いた。

「では、青子嬢。また伺います」



キッドが去って行った空を見上げながら、青子は自分の唇に指で触れた。


「バ快斗……」


青子がそう呼んだ事を、おそらく、キッドは知らないだろう。



   ☆☆☆



奪ったチョコレートを抱えて家に帰って、キッド――いや、黒羽快斗は、ズンと落ち込んでいた。
快斗として、青子に会いに行く筈だったのに、部屋に忍び込む時に気付かれてしまうヘマをやらかし、青子が快斗宛のチョコを作ってくれていた事を知った嬉しさのあまり、キッドのままで青子の唇を奪ってしまうとは。

青子が作ってくれたチョコレートは、シッカリ全部、快斗の胃袋に収まったけれど。
青子には、それが通じてない筈だ。


そして、15日の朝。
朝、青子が快斗を迎えに来た。
青子は、快斗にチョコレートをあげられなかった上に、キッドにチョコと唇を奪われて悔しがってるのではないかと思ったのに、何故か、ものすごく上機嫌だった。


「青子。何か、良い事でもあったのか?」
「うん!青子ね……恋しちゃったみたい」
「は?こ、恋……っ!?お子様青子がっ!?」
「悪かったわね、お子様で!」
「……一体、誰なんだよ、相手は」
「怪盗キッド」
「……は?」

青子が幸せそうににっこり笑ったので、快斗は絶句する。
悔しがっていないのは幸いかもしれないが、快斗としては、内心、複雑極まりない。

「お、オメー……あんなに、キッドの事、嫌ってたクセによ……」
「そうねえ。でも、恋は理屈じゃないし」
「お、おいっ!青子っ!」
「キッドのホワイトデーのお返しが、楽しみだわ」


快斗は、目を白黒させた。

自分で自分に嫉妬する羽目になろうとは、何というバカバカしい展開だろう。
けれど、全ては自分が蒔いた種、自業自得。


『こんな事になると分かっていたら、早くに、秘密を打ち明けて置くんだった……』


今更、怪盗キッドと黒羽快斗が同一人物ですなんて告げたら、それこそ青子を怒らせそうだ。
肩をガックリ落とし、とぼとぼと歩く。

青子が、肩をすくめて舌を出している事も知らずに。




そして。

「ホワイトデーとは何ぞや」と教えを請いに、名探偵の自宅に押し掛けた怪盗キッドは、名探偵が恋人をベッドに誘おうかという間が悪いところに遭遇してしまい、サッカーボールと空手技の洗礼を浴びてしまった。
が、何とかホワイトデーの意味を聞き出す事には、成功したようである。




<ビター・ホワイトデーに続く>



++++++++++++++++++



<後書き>

突然、思い付いての、突貫工事。
まじっく快斗原作準拠、快青のバレンタインデーです。

当初はもっと、シリアスダークなお話になる筈だったのに、何だかギャグ?おかしいなあ。何故、こんな事に。
ホワイトデー編でも、収集はつかず、誤解とすれ違いが、ますます増大する事になるかと。
でも、いずれは、ラブラブハッピーエンドになる予定です。


新蘭は、出す積りはなかったんですけど、舞台が舞台(アルセーヌのある米花シティホテル)だったもので、キーボードが滑ってしまいました。

何となく。
このお話、昔漫画で描いた「幻影の魔術師」を練り直したような感じになったなと、思います。
戻る時はブラウザの「戻る」で。