花盗人



byドミ



花は、苗から育てましょう。
人が育てた花は、どんなに綺麗に見えても、決して手折ろうとしては、いけません。


   ☆☆☆


「志保君、おはよう」
「おはよう、博士」

私はいつも通り、博士に朝の挨拶をする。

私の名前は、阿笠志保。
元々は、宮野志保といった。

私は、ある組織の科学者だった。
組織に姉を殺された私は、死ぬ積りで、自分で作った薬を飲んだところ、体が縮んで、子供の姿になった。

子供の姿の間、私は灰原哀と名乗っていた。
私が作った薬で、同じように体が縮んでしまった工藤新一君は、江戸川コナンと名乗っていた。

色々あったけれど、最終的に彼と私は協力して(勿論、2人だけではなく、多くの人の協力を得て)、組織を倒し。
そして、解毒剤を作り、元の姿に戻った。

戦いが終わり、完全に解放された今。
私は、阿笠博士の養女になっていた。

アメリカで、スキップして既に大学も卒業している私だけれど、阿笠博士の「皆と一緒に学校生活をした方が良い」との強い勧めで、帝丹高校に編入する事になった。

年齢から言えば、工藤君達の1学年上。
でも、色々な理由から、私は、工藤君や、工藤君の幼馴染で今は恋人である毛利蘭さん達と、同じ学年に入る事になった。

コーヒーを淹れ、パンをかじっていると、玄関で呼び鈴の音がした。
博士が玄関まで行き、暫く経つと、蘭さんがダイニングに顔を出した。

「志保さん、おはよう!」

満面の笑顔で、声をかけて来る。
その眩しさにちょっと目を細めながら、私は言った。

「あら・・・おはよう、蘭さん。どうしたの?」
「うん、今日は志保さんと一緒に行こうかなって思って」
「・・・工藤君は?」
「知らない、あんな人!」

蘭さんの表情が変り、ツンとそっぽを向く。

あら。
また、喧嘩しちゃったのね。
って言うか、私は2人の喧嘩の原因となった事件を、多分知っている。

まったく、しょうのない人達。

私達は、肩を並べて家を出た。
私は通りすがりに、ちらりと工藤邸を見上げる。
蘭さんはそっぽを向き、敢えてそちらを見ないようにしていた。

工藤君は、きっと間違いなく、窓から私達2人の姿を見ている筈。
私は何も悪くないわと言いたいところだけれど。
他の事ならともかく、蘭さん絡みで彼のご機嫌を損ねるのは、得策でない事を、私は経験的に知っている。

フォローの為と言う訳でもないが、私は、隣を歩く友に声をかけた。

「蘭さんは、幸せね」
「ななな、何が言いたいの、志保さん?」
「些細な事でも、遠慮なく喧嘩できる相手がいるって、幸せな事だって思うわよ」

私が言うと、それまでつんとしていた彼女の表情が、申し訳なさそうに変わる。

「・・・そうね。わたしって・・・贅沢だよね・・・」

すぐに、こういう風に反省出来るのが、彼女の良いところよね。
心優しく、他人の痛みに敏感な彼女は、想像力も豊かだから、こういう風に釘をさすと、自分が如何に恵まれているのかって事も、すぐに理解する。

もうちょっと、その想像力を、肝心の相手に働かせたら良いと、思うのだけど。
それが出来ない辺りが、意地っ張り・・・と言うより、好きな相手の事になると途端に判断力が鈍るのは、彼と共通する点だわよね。

「蘭さんが、怒ってる理由。当ててみましょうか?」
「えっ!?」

私の言葉に、蘭さんが振り返る。

「蘭さんが、新1年の男子に告白されて、工藤君が機嫌を損ねたから、でしょ?」
「し、志保さん、何でそれを・・・!?」
「そりゃ、工藤君が不機嫌になっても、無理ないと思うけど?」
「だ、だって!新一ったら、頭ごなしに怒るのよ!わ、わたしが浮気でもしたみたいに!」

蘭さんは、顔を真っ赤にして怒っている。
彼女としては、一方的に告白されただけで、やましいところは何もないのに、工藤君が一方的に怒ったと、腹を立てているのだ。
まっすぐな彼女らしいなと、私は内心苦笑いした。

「そうね。彼って、ホント、横暴よね」
「え?」

私が言うと、今迄工藤君に対して怒っていた筈の蘭さんが、途端に表情を変える。

「そんな事ないよ!新一は意地悪そうに見えて、ちゃんと優しいし。滅多な事で、頭ごなしに怒ったりなんか、しないもん」

意地っ張りで、天の邪鬼なところがあるけれど、独占欲が意外と強い蘭さんに対しては、変に工藤君を庇った発言をするより、むしろ、けなした方が良い。
その方が、蘭さんも少し冷静にものを考えられるようになる。

私は最近、そのテクニックを学習して身に着けていた。

「そうかしら?自分は好き勝手やってるクセに、蘭さんが他の男に微笑むだけで、怒るなんて。まるで、蘭さんの事を、モノ扱いじゃない?」
「ち、違うもん!新一は・・・好き勝手なんかやってないし!それに、それに、わたしを怒ったのは、あれは・・・」

私に対して、抗議し始めた蘭さんは、ちょっと涙目になった。

「わたしね・・・告白されるって分かってたら、行かなかったよ」

ああ。
やっぱり、蘭さん、気付いてなくて。
純粋に後輩の相談に乗る積りで、呼び出し先に向かったんだわね。

工藤君が思わず怒ってしまったのも、そこ。
蘭さんがあまりに、そういう事に疎くて、警戒心がないから。
だから、心配だったのよね。
まあ彼って、確かに独占欲は強いけど、だからって、単なる焼き餅で「蘭さんを」怒ったりはしないもの。
相手の男が、どういう目に遭うのかまでは、保証しないけど。

「だってわたし・・・今まで、告白された事も、ラブレターを貰った事もないし。まさか、そんな事があるなんて、夢にも思ってなかったんだもん・・・」

打ち萎れた蘭さんに、わたしは向き直る。

「あなたに告白した子は、新1年生だったから」
「えっ?」

蘭さんは、顔をあげ、怪訝そうな顔をした。

「蘭さん。あなたが今迄この帝丹校内で、言い寄られた事がなかったのは、何故だって思う?」
「そ、それは・・・わたしが」
「本気で、もててなかったなんて、まさか、思っていないわよね?」

私が機先を制すと、蘭さんは黙った。
この様子だと本気で、「単にもててなかった」という、大きな勘違いをしているみたい。

私は肩をすくめた。
この先の答は、蘭さんが自分で見つけた方が良いかと思う。

「し、新一ね。あれで案外、本気になって怒るって事、滅多にないの・・・なのに。ねえ、志保さん、新一がまだ怒ってたら、どうしよう・・・?」

あ、やっぱり。
蘭さんってば、工藤君が怒ってるんじゃないかってビクビクして、それで逆切れ状態だったのね。

「良いんじゃない?まだ怒ってるんだとしたら、そんな分からずやは、放っておいて」
「・・・わたし、謝って来る」

もう学校も近付いているのに、蘭さんは、工藤邸に向かって取って返した。
このまま、工藤邸まで向かえば、さすがに遅刻になるかもしれない。
でも。

遠くに、工藤君の姿が見えた。
やっぱり、つかず離れずで、私達を追って来たのね。


きっと蘭さんは、工藤君を目の前にすると、やっぱり素直に謝りにくいだろうって思うのよ。
でも、今回は、工藤君の方が何とか上手くやってくれるだろう。
蘭さんの本音を聞けた事だしね。

私はそっと、襟の裏に隠していた探偵団バッジのスイッチを切った。
今迄の、蘭さんと私の会話は、工藤君に聞こえている筈。
これは、貸しにしとくわよ、工藤君?



遠目に見た雰囲気でも、2人は何とか、仲直りしてそうだった。
私はふっと息をつく。

そして・・・私の傍らを通る新一年らしい女子生徒達が、2人に鋭い視線を向けているのに気付いた。


蘭さんに惚れる男子生徒達も厄介だけど。
それ以上に厄介なのが、工藤君に惚れる女子生徒達だ。

その気持ちが工藤君にストレートに向かってくれるのなら、別に問題ない。
工藤君が、蘭さん以外の女性に見向きもしないのは分かり切っているし、ストレートに告白されればストレートに断るのは間違いないから。

だけど、工藤君に懸想する女生徒達の矛先が蘭さんに向けられたら・・・。


私はそっと、2人を鋭い目で見ている女生徒達を、伺い見た。
私の気分はすっかり、「花守」だった。



   ☆☆☆



私は、博士達の勧めもあって、あまり気乗りしなかったが、クラブというものに入っている。
スポーツ関係は、苦手じゃないけど、日本の運動部の体質がどうも好きになれないので、文化部を選んだ。

少しでも、私の興味が持てるものをという事で、化学部にしたのだけれど。
予想していた事とは言え、普通の高校生が化学で出来る事・分かっている事は、おままごとの範囲みたいなものだ。
あんまり興味も持ってないのに、部活どれかに入らなきゃと、所属している人もいるし。

でもまあ、それなりに親しくなった人もいるし、それなりに面白い。

女子達は、文化祭展示物準備の為に、一応真面目に実験をしながら、様々なお喋りをする。
恋バナも多い。今日はたまたま男子がいないから、余計に「女同士のお喋り」になっていた。


「志保先輩って、誰か好きな人は、いないんですかあ?」
「・・・そうね。少なくとも、この高校にはいないわね」
「え〜〜!?勿体ないなあ!そんなに綺麗なのに!狙ってる男子も、多いんですよ!?」
「そうかしら?別に、アプローチ受けた事もないし。私って、可愛げないし、それに、皆からしたら年上だしね」
「それは、あれですよ〜、高嶺の花って思われて、興味あるんだけど、声かけられないって言うか。ねえ?」
「うんうん、志保先輩って、話してみたら、結構親しみ持てるんだけど〜。何て言うか、自分から話しかけるのが、単に苦手なだけなんですよね〜。で、取っつきにくいって思われてるだけなんじゃないかなあ?」


歩美ちゃんを相手にしている時も、こんな感じだったけれど。
お節介に、ぐいぐいと押して来る、彼女達のような存在は、嫌じゃない。むしろ、心地良い。
私は、自分の中にある思いがけないものに、日々、驚かされる。
そういった意味でも、部活に参加する事を強く勧めてくれた、博士や・・・蘭さんに、感謝している。


1年女子の一人・関根麻衣子さんが、頬を染めて、言った。

「あたしね、手が届かないかもしれないけど、憧れてる人がいるんですよ」
「あ〜!麻衣子の好きなのって、高校生探偵の工藤先輩でしょ!?無理無理、悪い事言わないから、止めときなさいって!」

2年女子の一人・高野咲さんが、間髪を入れず口を挟み、2・3年女子一同が、それに頷く。

「1年生は、まだ、工藤君と毛利さんの事、分かってないからねえ。仕方ないとも思うけど」
「・・・分かってますよ、2人が付き合っている事位!」
「いや、そういう事じゃなくって。ねえ?」

咲さんの言葉に、2・3年女子は皆頷き、1年女子は納得が行かないような表情になった。


成程ねえ。
この帝丹高校に編入してさして経ってない私にも、何となく分かっていたが。
工藤君と蘭さんの絆を、長い事見ている人達は、2人の絆に圧倒されて、横恋慕なんてしようという気もなくなるのだ。
けれど、新一年生には、まだそれが分からないから。
安易に蘭さんに憧れたり、工藤君に恋したりしてしまうのよね。


「多分、毎年、今の時期は、こういう事が繰り返されていたんじゃないの?」
「志保先輩。よく分かりますね」
「私も、帝丹高校では新顔だけど。その前に、あの2人とは、嫌というほどお付き合いがあったからねえ」
「え!?そうだったんですか?でも、何で?」
「・・・まあ、詳しい事は、口外するのを止められてるから、言えないんだけど。工藤君が帝丹高校を休学していた間の事件絡みでね」
「ああ、なるほど〜!あたし達とは別方向で、あの2人の絆を見せつけられちゃった訳ですね〜」
「そういう事に、なるかしら?」

納得顔で大きく頷く咲さん達2、3年女子とは対照的に、麻衣子さん達1年女子は、すごい不機嫌顔になった。


「志保先輩。ご自分を誤魔化すのは、よしたらいかがですか?」

麻衣子さんが、慇懃無礼とも思える、殊更に丁寧な口調で、言った。

「・・・何の事かしら?」
「毛利先輩に敵わなくって、工藤先輩に御分が失恋したからってえ、そんな綺麗事を言うのは、偽善だって思いますよ」

女同士の世界では、こういう事も有り得る。
私は、感情を絶対表に出さないようにして、黙って麻衣子さんを見詰めた。
いきり立ったのは、咲さん達2、3年の女子だ。

「麻衣子!志保先輩に失礼でしょ、謝りなさいよ!」
「だって!みんなして、どうして毛利先輩の肩ばかり持つんですか!?」
「肩を持つとか、そういう事じゃなくって!あの2人はね!」
「・・・咲さん。麻衣子さん達も、いずれ、分かる日が来るから。今は仕方ないわ」

私が、場を収めようとして言った言葉が、余計に麻衣子さんの怒りに火を付けたものらしい。

「志保先輩、そんな事言って、逃げるんですか!?志保先輩は、工藤先輩を追って、この帝丹高校に来たんじゃないんですか!?」
「そう思いたいのなら、勝手に思って置きなさい」

私は、もう相手にしていられないと、その場を離れた。
帰り支度をしていると、咲さんが声をかけて来た。

「志保先輩、ちょっとお茶して帰りません?美味しいケーキ屋さん、見つけたんですよ」

私は快くお誘いを受ける事にした。
咲さんを含めて、数人の2、3年女子と一緒に、喫茶コーナーがあるケーキ屋に向かう。
そこは、ケーキもコーヒーも美味しくて、心なごんだ。


「あの・・・志保先輩、気を悪くしてないですか?」
「ああ。さっきの事?あの程度で一々気に病んでたら、身がもたないわよ」
「麻衣子も、根は、悪い子じゃないと思うんですけど・・・」
「・・・恋愛絡みで人が変わるケースは、嫌と言う程見て来たから。平気よ。それに、あなた達のように、慰めてくれる人だって、いる訳だし」

あの程度の事は、本当に全然平気だ。
だって私は今、独りぼっちではないのだもの。

「あそこで言ったら、絶対誤解されると思ってたから、黙ってたけど。私が工藤君に心惹かれたのは、事実だしね」
「ええっ!?」

私の言葉に、咲さん達が仰け反った。
あら、そんなに意外だったかしら?

「でも、それは・・・彼女達の言ってるのとは、少し違う意味で、だけど」
「ああ。友達として好きって、そういう事ですよね!ビックリしたあ。でも確かに、今の麻衣子にそんな事言ったら、欺瞞だ偽善だって、言われそうかなあ」
「・・・あの2人って、正式にお付き合いをする前から、夫婦の風格があったでしょ?」
「うん、そう、そうですよね!みんな、夫婦扱いしてましたもん!」
「あの2人を見ていると、感じるのは。強い絆だけじゃなくって。お互いがお互いを、魅力的な男と女に、育て上げたんだなって事なのよね」

そう。
私が心惹かれた工藤新一という人格は。
彼が幼い頃から、蘭さんと関わり合う中で、育って行ったのだった。

それが分かった時、私の中に生まれていた疑似恋愛感情は、終わりを告げたのだ。


   ☆☆☆


蘭さんと工藤君の、ちょっとした諍いのきっかけを作った1年男子は。
何をどう勘違いしたのか、まだ諦めてなかったようだ。

告白事件の数日後、私は蘭さんから頼まれ事があった。


「何ですって?私に、ついて来て欲しい?」
「うん。園子と、志保さんと、2人に来て欲しいんだけど。駄目?」

蘭さんが、やや上目遣いで私に頼み事をした。

「ああ、もう。私、工藤君を敵に回したくなんかないわよ」
「??何で、新一が志保さんの敵に回るの?」
「今のところ、彼の焼き餅の相手は、男性に限られているけどね」
「ええっ!?まさか、新一が志保さんに妬いたり?まさかあ!志保さんも、真面目な顔して案外冗談好きなんだから」

蘭さんがそう言って笑ったけど、あながち冗談でもない。
わたしは、軽く息をついた。

「で?蘭さんに告白した男が、断わられたのに諦め切れず、また話をしたいってんでしょ?一旦振ったのに、それが分からないようなおバカさん、ほっときゃ良いのに」
「うん。だけど、キチンと話さなきゃ、逆に変な風に勘違いしそうで」
「じゃあ、それこそ、工藤君を連れてけば良いじゃないの」
「うん、そうも、思ったんだけど。やっぱり、それはやらない方が良いような気がして」
「工藤君にやり込められたら、その男が可哀相だから、かしら?」
「そうじゃないの。そんなんじゃないの」

蘭さんはそれ以上、語ろうとはしなかった。


呼び出しは学校の中だし、蘭さんは腕に覚えがあるから、相手が力ずくでどうこうしようなんて事は、まずない。
蘭さんが心揺れる事も、有り得ない。

だから、1人で行っても問題はないのかもしれないけれど、またもや横恋慕男と2人切り、なんて事が知れたら、工藤君の機嫌が急降下するのは、目に見えている。
だから、蘭さんは私と園子さんに付き添いを頼んだのだろうと、私は踏んでいた。


   ☆☆☆


「もう1回、2人きりで会って、新一君をやきもきさせても良かったのに」

同行した園子さんは、キヒヒと笑いながらそう言った。
彼女は、江戸川コナンと灰原哀の秘密を知る、数少ない友人の1人。
一応、灰原哀だった時から面識はあるけど、どうも今一、どう接したら良いのか分からない相手だ。

けれど、蘭さんと3人でいる場合には、上手い事蘭さんが緩衝材になって、私も園子さんと話が出来る。

「あなたも悪趣味ねえ」
「だって、蘭の事でやきもきする新一君って、見てて面白いんですもん」
「・・・園子さんって、工藤君の事、嫌いなの?それとも、敵意を持ってるの?」

私が言うと、園子さんと蘭さんの足が止まり、2人とも目を丸くして私を見た。

「どうして?きらってなんかないし、敵意もないわよ」
「でも、じゃあ、何で?」

園子さんと私とのやり取りに、蘭さんが苦笑した。

「園子は、単に面白がってるだけよ。昔っからね」
「そうそう。だって、新一君ってばさ、子供の頃から小憎らしい位、何があってもすました顔して全然動じないのに、蘭絡みだと顔色も表情も面白い位変わるんだもの」

私は奇異な思いを抱いたが。
蘭さんの表情を見ている内に、何となく、納得してしまった。

多分だけど、他の人が相手だったら、工藤君がからかわれたら、蘭さんは本気で怒るだろう。
けれど、園子さんにだったら、新一君をおちょくられても、蘭さんは笑って見ていられる。

これが、蘭さんと園子さんの信頼と絆。
そして、園子さんと工藤君との間にある(一種の)友情でもある。

「成程ね。これが、幼馴染の絆ってものなのかしら?」

私は、独り言のように呟いた。

そういった話をしている内に、蘭さんが呼び出された体育館裏に着いた。


「毛利さん!来てくれたんですね?」

現れたのは、見た目は純朴そうな、やや小柄な少年だった。

「あの。お気持ちは嬉しいけど。あのお話は、お断りした筈よ」

蘭さんが、言い聞かせるようにそう言った。

「ええ、でもボク、納得出来なくて。断りの理由が理由だったから」
「理由?わたしは新一とお付き合いしているからって、あれ?」
「そうです!そんなの、理由になりません!」

少年は、蘭さんの手を握ろうとした・・・らしい。
蘭さんが、気配を察してさり気なく一歩下がったので、少年の手は空を切った。

・・・普通、恋人がいると振られたら、それで引き下がるのが当たり前なんじゃないのかしら?
純朴そうだけど、思い込みが妙に激し過ぎるのかもね、この子。

「恋人がいるってのは、充分過ぎる理由になると、思うけど?」
「ええ。相手が、まともな人だったらね」
「新一は、まともじゃないとでも?」

さすがに蘭さんの顔色が変わったのだが、どうやらこの少年、全くそれに気付いてないようだ。

「いや、彼はそりゃもう、帝丹高校の誇る高校生探偵ですから、素晴らしいです。サッカーの名手だったようだから、運動神経も優れている。そして、顔も良い」
「・・・で?その新一君のどこが悪いって訳なの、少年?」

怒りを秘めているせいか口を開く事も出来ないでいる蘭さんに変わり、園子さんが、どこか面白そうな口調で代わって問うた。

「そんな、三拍子も四拍子も揃った男だから、当然女にもてる。だから、毛利さんをちっとも大切にしてないし、いつも泣かせてる。こんなに素敵な毛利さんなのに、彼は自惚れ屋で、愛が足りないんです」

工藤君と蘭さんとの事を、どういう風に聞きかじったのか。
とんでもない事を口走ってくれるわね。
園子さんは、面白がっているし。
私は多分、傍目にも呆れた顔をしているだろうと思う。

蘭さんは、俯いて、怒りを我慢しているようだ。
工藤君の事を他人からどうこう言われて(しかも今回のはよく知りもしない言いがかり)、何も感じないでいられる蘭さんじゃないものね。

けれど少年は、蘭さんの雰囲気にも全く気付かず、熱弁を振るう。

「僕には、何もありません。勉強もスポーツもそこそこだし、顔も十人並み。だけど、僕には、溢れんばかりの愛があります!この気持ちだけは、絶対に、工藤先輩になんか負けない!」

何故だろう。
今、愛という言葉が、水素ガスよりも軽く感じられてしまった。

「ボクは、ずっと毛利さんの傍にいて、大切にします!絶対に、泣かすような事はしません!」

蘭さんが俯いたままに口を開いて、低い声で言った。

「・・・うん、そうだね。確かに、あなたがわたしを泣かせる事は、ないと思う」

おめでたい少年は、パアッと顔を輝かせて、蘭さんに飛びつかんばかりになった。

「じゃあ、ボクとの事、考えてくれるんですか!?」
「わたしを泣かせる事が出来るのは、新一だけなの」

顔をあげた蘭さんには、怒りの色はなく。
静かな決意を込めた眼差しで、少年を見詰めた。

「毛利さん?」
「誰が何と言おうと、わたしは、新一以外の人とお付き合いする気は、絶対にないから。ごめんなさい」

それだけ言って、蘭さんは背を向けた。

「ま、待って下さい!ボク、納得出来ません!」

追いすがろうとする少年の肩を、園子さんがポンポンと叩いた。

「振られる側の納得は、必要ないのよ、少年」
「で、でも!泣かせる男が良いなんて、毛利さんはマゾなんですか!?」

どこまでも鈍感な少年に、私は爆弾を投げた。

「女はね。大切で大好きな相手の為じゃなきゃ、泣かないのよ。今の蘭さんの言葉は、工藤君の事を如何に愛しているかって告白な訳」
「そういう事。君、新一君をやり込めるには、役不足だったわねえ」
「園子さん、それを言うなら、役者不足よ」
「へっ?そうだっけ?」

園子さんと私は、ポカンと口を開けたままの少年を置き去りにして、蘭さんの後を追った。


蘭さんの今の態度と表情で、分かった事があった。
蘭さんは、「工藤君の為に」2人で会うのを避けたのではなく、蘭さん自身が、工藤君以外の男と2人きりには、なりたくなかったのだろう。
そして、工藤君に同行を頼まなかったのは、あの少年と対峙する事で工藤君に不愉快な思いをさせたくなかったんだ。

それにしても、工藤君の愛が少ないなんて、どこをどう取ったらそう思えるのだろう?
2人の想いの深さと絆の大きさは、半端なものじゃないってのに。

蘭さんが泣くのは、工藤君への想いがそれだけ深く大きいから。
蘭さんは、優しいが強い。
彼女の涙は、思いやりの涙か、愛する者の為に流す涙か、どちらかだ。
工藤君以外の男では、蘭さんが泣く価値もないのだ。


   ☆☆☆


「わりぃけど、オレには蘭がいっから」

別に、聞きたかった訳じゃないけど。
何の因果か、本当に偶然、立ち聞きする羽目になってしまった、告白現場。

告白しているのは、おそらく新1年女子の1人で、告白されているのは工藤君だ。

「あたし、工藤先輩に憧れて、猛勉強して帝丹に入ったんです!幼馴染ってだけでずっとそばにいた毛利先輩に、この気持だけは絶対負けません!」
「・・・わりぃな。オレは、たとえ蘭がオレに目もくれず、完全に片思いだったとしても、蘭だけが好きなんだ」

その言葉、本人に面と向かって言ってあげなさいよ。
まあ、「幼馴染」だって言い張ってた昔と違って、他の人に堂々とそれを言うだけでも、進歩なんだろうけど。

そして、工藤君と蘭さんって、こういう「曖昧にせず誠意を持ってきちんと断る」ところも、共通しているのよね。


ただ、蘭さんに振られた男は、だからと言って工藤君にぶつかって行く事はまずしないけれど。(怖いんでしょうね)
工藤君に振られた女の子は、蘭さんに向かって行く事がある。

蘭さんは、簡単に潰れてしまうような、弱い女性ではないけれど。
それでも、工藤君に横恋慕した女達の様々な苛めや攻撃に、全く傷つかない訳には行かないだろう。

工藤君は、出来る限り蘭さんを守ろうとするけれど、限界はある。
不愉快な話だけど、女の陰湿さは時によって、工藤君の洞察力をはるかに上回るのだ。

ただ、蘭さんには、その仁徳で多くの味方もいるから。
クラスメート達や空手部の仲間達を中心として、女子の中にも味方が沢山いるから。
本当に大変な目に遭う事は、滅多にないようだけどね。


ただ、今は、工藤君と蘭さんの絆をよく分かってない新1年生が多いから、色々と頭の痛い問題も起こり易くなっているだろう。
今回のように「工藤新一に憧れて帝丹に入った」と、臆面もなく言いだす女子生徒は多い、らしい。

工藤新一に憧れる1年女子の一部で、アンチ毛利蘭みたいな雰囲気が出て来るのではと、私は危惧していた。
嵐にならなきゃ、良いけど。


   ☆☆☆


「あ!志保さん!」
「・・・園子さん、どうしたの、こんなとこで?」

私が化学部の部室に入った時、他の部員はまだ殆ど来ていなかった。
その代わりのように、およそうちの部活とは縁の無さそうな顔があったので、私は驚いた。

「テニス部は?」
「ちょっと遅れて行くわよ」

園子さんの表情から、私に何か相談したい事があるのだろうと、分かった。
そして、園子さんが私に相談となれば、蘭さんの件であろう事は間違いなく。
更に、おそらく1年女子の工藤君への横恋慕絡みであろう事も、想像がついた。

私は、ちらりと周りを見回した。
1年女子がいると、ちょっと拙いから。
そして、男子と、女子は2、3年生しかいないのを確認する。
けれど、この場で細かな話をするのは拙いだろう。

「・・・お互いの部活が終わる頃に、待ち合わせて、お茶して行かない?」

園子さんも察したのだろう、特に異を唱える事なく頷くと、すぐに出て行った。

そのすぐ後、入れ替わるように、1年女子が部室に入って来た。
麻衣子さんは、私の顔を見ると、明らかに視線を逸らした。

嵐を起こすのは、この子かもしれないという予感がした。


文化祭展示の為に、実験を進める。
サボりがちだった男子部員も、今日は真面目に務めている。
気が急くのとは裏腹に、部活が終了した時は、辺りが薄暗くなっていた。


私は急いで女子テニス部の部室へ向かった。
運動部は、文化部に比べ、常から遅くまで活動しているし。
たとえ早く終わっても、園子さんも今日は、絶対待っているだろう。

「志保さん」

園子さんは、着替えを済ませて、私を待っていた。
促されて外に出て、学校近くのファーストフード店に落ち着き、軽食と飲み物を頼んだ。
少し落ち着いた頃合いを見て、私は声をかけた。


「蘭さんに、何かあったの?」
「へっ!?蘭の事だって分かる?」
「そりゃあまあ。あなたが私に会いたがるなんて、他に考えようがないしね」

園子さんは、手に持っていた飲み物をトレーに置いた。

「あのね。蘭もハッキリとは言ってくれないんだけど。どうやら、新一君に横恋慕してる何人かの女子に、呼び出し食らってるみたいなの」
「・・・工藤君に、相談したら?」
「それも、考えたんだけど。蘭に恨まれそうだし、それに、新一君じゃ上手く事態を解決できるかどうか」
「信用ないのね、彼」
「そういう意味じゃなくて。新一君って、事件の解決はそりゃ得意だろうけど、女の恋の恨み関係を処理する能力があるのかどうか、よく分からないし。この先、蘭への苛めが陰湿化したら、それもイヤじゃない?」
「・・・気持ちは分かるけど。私だってそういうの、得意じゃないわよ」
「うん、でも、女同士の方が、まだ話が出来るかもしれないって思って。どうも、呼び出しは何人かでらしいし、こっちも数が多い方が良いかと思ったの。志保さんだったら度胸あるし頭良いし、歳の甲で何とか出来るかなって。他に頼める人いないのよ、お願い!」

信頼されているのか何なのか。
藁をも掴む思いなのは、確かなのだろうから、私は園子さんの話に乗る事にする。

それに、多分、その話には化学部の麻衣子さんが関わっていそうな気がしたから。


   ☆☆☆


その二日後。
土曜日の夕方、私は園子さんと共に、帝丹高校屋上出入り口の扉の陰にいた。

今日は、高校の授業は休みだが、体育系の部活は行われているし、文化系の部活や、催し物を行うクラスは、学園祭の準備があるしで、結構な数の学生達が登校していた。

けれど、夕方になり、さすがに殆どの学生は帰宅した学校の屋上で。
蘭さんは、数人の1年女子から、取り囲まれていた。

「蘭も、こんな事、律儀に応じる事ないのに」

小声で園子さんが言った。
私も同感だ。
人が良いにも、程があると思う。

勝手に横恋慕してきた人達の呼び出しに応じる義理が、どこにあるって言うの?


2人して、屋上の扉にピタリと張り付き、何を話しているのか、必死で聞きとろうとするが、いかんせん、距離があり過ぎる。
業を煮やした私は、眼鏡をかける。

え?
目が悪いのかって?違うわよ。

これは、阿笠博士が発明し、かつて工藤君が江戸川君だった時に使っていた、アイテムのひとつ。
既に、発信機を蘭さんのカバンに取りつけてあるから、後は受信機のスイッチを入れるだけ。

ゴソゴソしている気配に気付いた園子さんが振り返り、口を開けた。
声を出しそうになっているのを察し、慌てて私は園子さんの口を押さえ、予備の眼鏡を彼女に渡した。
身ぶり手ぶりで意味が通じたようだ。園子さんも、私と同じように眼鏡をかけて、盗聴を始めた。



「・・・幼馴染なのを良い事に、いつもベッタリ傍に張り付いているから。他の女性と親しくなる機会も奪っちゃってるんですよ」
「工藤さんは、日本警察の救世主、ううん、今や『世界の工藤新一』でしょ?なのに、狭い世界に縛り付けちゃって、良いんですか?」


蘭さんと向き合っている女達のたわごとを聞いていると、頭が痛くなって来た。
どうして、ああいう風に自分に都合のイイ理屈を、こねくり回せるのかしら?

「バッカみたい。新一君は蘭に縛られてるんじゃなくて、自分から蘭にへばりついているだけなのに」

園子さんが小声で悪態をついた。
身も蓋もない言い方だけど、同感だわ。


蘭さんが、顔をあげて。
凛と通る声で言った。

「それは、新一自身が、決める事よ。わたしは新一を縛ったりしてない」

キッパリと言い切った蘭さんの言葉を、私と園子さんは、感動の面持ちで聞いた。
蘭さんはいつから、こういう風に強くなったのだろう?

蘭さんを取り囲んでいる女子達が、息を呑む。
麻衣子さんが、震えそうになる声を抑えながら、言った。

「へえ・・・毛利さんって、意外と自信家なんですね」
「自信?そうじゃないわ。わたしは、新一を信じているだけ」

蘭さんのキッパリした言葉に、また、周りの女子達が息を呑む。

「新一は、結構ワガママだから。仕事上の事でもなければ、自分が望まない関係を、我慢したりしない。
そんな新一が、わたしに好きだって言ってくれた。わたしの傍にいる事を選んでくれた。
だからわたしは絶対に、ぜ〜ったいに、自分から新一の手を放したりなんか、しないの」

蘭さんを囲む女子達は、完全に位負けしている。
けれど、引っ込みがつかない様子で、モジモジしていた。

きっと、蘭さんがくみし易い相手だろうって、侮ってたんだろうなあ。
甘いわねえ。蘭さんは、工藤君とタメ張れる位の頑固者だってのに。

優しいって事と、弱いって事とは、丸っきり違う。
蘭さんは、優しいけど、弱くはない。
あの子達、それが分かってなかったのね。



けれど。
そこで引き下がるほど、あの子達も甘くはなかった。

1年女子の別の1人が、小馬鹿にした表情で言った。


「毛利さんは、工藤さんを縛らないって、言いましたよね。だったら、工藤さんを呼び出して告白するのも、工藤さんを誘うのも、あたし達の自由って事ですよね?」
「え・・・?」

扉の陰からでは、蘭さんの表情は分からないが。
多分、困惑した顔をしているのだろう。

「そりゃ、工藤さんに振られまくるかもしれませんけど?でも、あたし達にも、告白とお誘いの自由は、ありますよね?」
「そ、それは・・・」

蘭さんが、言い淀んだ時。
隣の気配が動いたので、私は慌てた。

少し錆びついた扉が大きく音を立てて開かれ、園子さんが飛び出して、蘭さんの隣に仁王立ちになった。


「あんた達!いい加減にしなさいよ!こんな非常識な事をしておいて、権利も自由もへったくれも、ないでしょ!」
「そ、園子!?何でここに!?」

「・・・仲間を呼んでたんですね。最低」

更に別の1年女子が、園子さんと蘭さんとを見比べながら言った。
蘭さんを呼び出していた女子は、全部で5人いた。

私は溜息をついて、ゆっくりと、蘭さんと園子さんの元まで歩いて行った。

「最初から、蘭さん1人に対し5人で取り囲むという卑怯な手を使ったのは、どこの誰よ?」

私は、出来るだけ淡々とした調子で言った。
激した口調より、その方が効果がある場合が、往々にしてあるからだ。

「し、志保先輩!」

麻衣子さんが私を見て動揺したように言った。
最初、青くなった麻衣子さんだが、おそらく・・・蘭さん側に着いた私を「敵」と見なしたのだろう、ふてぶてしい表情に変わった。


「工藤君に告白する自由も、誘いをかける自由も、あなた達には、欠片もないわ」

私の決め付けに、蘭さん園子さんまで含めて、目を丸くした。

「な・・・な・・・!?く、工藤さんは、毛利さんの幼馴染で恋人だろうけど、結婚してる訳じゃなし。ただ、毛利さんが先に出会ったというだけで、恋しちゃいけないって言うんですか!?」

麻衣子さんが、私に詰め寄る。

「ただ、先に出会っただけ?本当に、そう思っているの!?」

私は、一歩も引かずに、麻衣子さん達と対峙する。
工藤君の迫力あるカリスマや、蘭さんの何もかも包み込む優しさのオーラには程遠いが、たとえ集団で来ようとも、こんな子達に気力負け・位負けする私じゃないわ。

「工藤君が、少しでも魅力ある男になったのは。彼自身の素質や努力も認めるし、ご両親の力もあるでしょう。だけど、それだけじゃない。幼い頃から、彼の傍にいて、光と愛を与え続けた存在がいた。そして、工藤新一という男を育てた。
 それが、毛利蘭という存在。ただ、子供の頃から傍にいたってだけの事じゃなくて。工藤君を今の工藤君に育て上げたのは、蘭さんの力が大きいの。それを、あなた達は、分かってない!」

1年女子の顔色が、さあっと変わった。

私が最初に、灰原哀として、江戸川コナンとしての工藤君に出会った時。
私にも、分かっていなかった。

けれど、江戸川君と蘭さんと交流する中で、少しずつ。
私がかつて少しでも心惹かれた存在は、毛利蘭という光に導かれて、あのような存在たりえたと、分かって来た。
その時、私は本当に、心の底から、2人の幸せを願う事が出来るようになった。

いずれは、この子達も自然と分かる日が来るのかもしれない。
でも、私はそこまで思いやってあげられる程、優しい人間ではなかった。

「あなた達は、よその庭に咲いている美しい花を手折ろうとする、花盗人と同じ。丹精込めて育て、ようやく美しく咲いたところなのに、花を育てた人の苦労も知らないままに、結果だけを手に入れようとしている、ずるい人間よ」

麻衣子さんが、手を握り締め、ブルブルと震わせた。
蘭さんが、ハラハラした表情で、麻衣子さんと私とを交互に見ていた。

麻衣子さんがずいっと蘭さんの方に迫ったので、私達は何となく身構えてしまった。

「でも!今迄の工藤さんは、毛利さんが育てたのかもしれないけどっ!私達、まだ若いんですよ!他の人とも色々交流したら、経験積んだら、もっともっと、素敵な工藤さんになるって思います!」

麻衣子さんが必死な形相で更に言い募る。
頭痛がしそうな位の詭弁だけど・・・なりふり構わず必死な麻衣子さんが、何だか、可哀相にもなって来た。

「だから!毛利先輩!工藤先輩に誘いをかけても、イイでしょ?」
「そ、それは・・・新一が決める事で、わたしが文句を言う筋合いは・・・」

蘭さんが、麻衣子さんの迫力に押されたように後じさりながら、しどろもどろに言葉を出した。
すると。


「そいつは、困るな」

涼やかな声が、その場に響いた。
その場にいる筈がない人物の声に、私達は皆、固まってしまう。

私達は、声がした階段の方向を見た。
踊り場の屋根の上にいつの間にか工藤君が立っていて。
そこから飛び降り、軽やかに着地した。

野生の猫のようなしなやかなその動きに、その場にいた全員が、見とれてしまった。
悔しいが、私までもが、一瞬、魅入ってしまっていた。

工藤君が、胸ポケットに入れたものが眼鏡である事に気付き、私は、舌打ちしたくなった。
私が蘭さんのカバンに着けておいた盗聴器に、彼はいち早く気付いていたのだろう。
そして彼も、あの眼鏡を使って、盗聴器が拾う音を聞いていたのだ。


蘭さんが、呆然としながら、問うた。

「新一!?何でここに?」
「オメーがあんまりおせーから、迎えに来たに決まってんだろ?」

麻衣子さん達一同は、今迄の会話が全て工藤君に聞かれていた事を悟って、蒼白になっていた。
工藤君は、麻衣子さん達にも、園子さんや私にも、全く目もくれず、真っ直ぐに蘭さんの元へと向かう。

「それよりさ、蘭。オレ、自信なくすぜ」
「じ、自信・・・って?」
「蘭があんまりモノ分かりのイイ事言ってっとさ。オレって実は、蘭に愛されてないんじゃねえかって、思っちまう」
「な・・・何バカな事、言ってんのよ!?」

蘭さんが、しれしれとした工藤君の言葉に、羞恥心を刺激されたのだろう、真っ赤になって抗議した。
工藤君は、蘭さんの抗議などまるで意に介さないかのように、蘭さんに近付き。
そして、あろう事か、皆が見守る中で、蘭さんを抱き寄せ、顔を近づけた。

思わず、ギャラリーから悲鳴が上がる。

「な・・・何すんのよっ!?」

けれど、工藤君の唇が蘭さんの唇に触れる前に、蘭さんの足が大きく動き、回し蹴りをかけた。
それを、工藤君は僅かな差で見切って、素早い動きで避ける。

「イイじゃねえか、恋人同士なんだからよ」
「良くないっ!こんな大勢の前で、アンタ一体、何考えてんのっ!?」

こういった会話を、蘭さんは技をかけながら、工藤君はそれを軽やかに交わしながら、交わしているのである。

ギャラリーは呆然としてそれを見守っていた。


「おほっ、白♪」
「し、新一、アンタ!一体、何見てんのよっ!?」
「あん?オレが覗いたんじゃねえ、オメーが自分から見せたんじゃねえか」
「悪かったわねっ!見たくもないもの見せて!」


麻衣子さん達は、赤くなったり青くなったり白くなったり。
それはそうだろう。
今の工藤君と蘭さんの姿は、おそらく彼女達の全く知らないものだっただろうから。


いつの間にか私の傍に来ていた麻衣子さんが、小声で言った。

「哀先輩。わたし、あの2人が何で夫婦って呼ばれてたのか、ようやく解った気がします」
「そうね。あなた達が今迄見てたのは、彼らの外面だからね・・・」
「そうそ。あの2人と付き合いが長い者は皆、バカバカしくって、誰も横恋慕なんか、考えもしない訳よ」


蘭さんが技をかけ、工藤君がそれを軽く交わすのも、じゃれ合いにしか見えない。
夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、あの2人のじゃれ合いは、それ以上のものを感じさせてしまう。

工藤君が、蘭さんの連続蹴り技をひょいひょいと交わしながら、言った。

「それより蘭。オレ、あんまり待ちくたびれて、腹減っちまったぜ」

蘭さんの連続蹴りが止まり、蘭さんは足を下げて腕時計を見た。

「え?あ・・・もうこんな時間?」

夕日は大きく西に傾いていた。

「蘭、オレ、ハンバーグ食いてえ」
「またあ?しょうがないわねえ。目玉の乗ったヤツが良いの?」
「いや、こないだオメーが作ってくれたビーフシチューの残りが、冷凍庫にあっただろ?」
「じゃあ、それをソ−スにしてかける?付け合わせは、ジャガバターとカボチャの冷製スープとサラダでいい?」
「おう、いつもわりぃな」
「でも確か、新一の家のジャガイモ、この間使いきってしまったし、牛乳も切らしてるでしょ?ちょっと買い物して帰らなきゃ」

2人は、何事もなかったかのように、仲良く「今日の夕飯」の話を始めた。

「え?何?・・・一体、何なの?」

麻衣子さんが呆然として呟いた。
他の一年女子も、皆、目を見開き、口をあんぐりと開けている。

「これぞ、3年B組名物、新一君と蘭の夫婦の会話ね!」

園子さんが顎に手を当てて頷いていた。
同じものが、昨年は「2年B組名物」で、一昨年は「1年B組名物」だった事は、間違いのない事だ。


で。
蘭さんは、段々と、周りが見えなくなって来ているようだけど。
工藤君は、最初から故意にギャラリーを無視しているのだという事は、分かってた。
この男、何を考えてるの?


「・・・蘭。ところでオメー、性懲りもなくま〜たラブレター貰っちまっただろ?」
「違うわよ。私に相談したい事があるから、来てくれって・・・って、新一、どこからその話を?」
「んなこた、どうでも良い。オメーまた、オレに隠れて告白されようとしてたな?」

話の流れがいきなり変わった。

って、いつの間に?
私は今日、蘭さんの動向を大抵聞いていて知っている積りだけど、それでも気付かなかった。
でもあの男は、その類稀な観察力を駆使しまくって、私が気付かなかった蘭さんのちょっとした声か言葉から、ラブレターの存在に気付いたんだわ。
工藤新一・・・恐ろしい男。
考えてみたら、あのジン達ですら退けた彼だもの。
彼を敵に回さなくて良かったと、つくづく思う。

蘭さんに懸想してしまう1年男子達が、憐れでならない。
彼の恐ろしさを知らないからだわよね。

「か、隠れてって・・・!そんなんじゃなくって!だって本当に、相談事かもしれないじゃない!」


はい?

私は園子さんと顔を見合わせた。
園子さんが肩をすくめて手を広げる。

蘭さんのこの天然っぷりは、蘭さんを結構よく知っている筈の者ですら、驚かされる事がある。

「1年生だから、空手をやってみたいな〜とか、でも、高校になってからだから間に合うかな〜とか、悩んでるかもしれないじゃない!」

蘭さんの言葉に、さすがに1年女子達もあっけにとられて、「ないない」と首を横に振る。

「わたしは今迄、ラブレターなんて、貰った事ないもん!だ、だから、この前、新一に怒られた時も、まさか告白されるなんて、思わなかったんだもん!」


「ええ?ウソっ!毛利さんがラブレター貰った事ないなんて、そんな筈・・・」

麻衣子さんが目を見開いて言った。
園子さんがまた、肩をすくめて手を広げ、首を横に振る。

「それが、あるのよね〜。新一君が常に蘭の傍で丹念に虫よけしてただけで」
「工藤君の虫よけに、他の全員が気付いていたのに、蘭さん1人だけが気付いてないって辺りが、帝丹七不思議の一つよね」


そうこうしている内に、工藤君と蘭さんの話は、「とにかく男子からの呼び出しは必ず工藤君に報告する事」という事で、決着がついたようだった。
普通だったら、彼氏からそこまで言われたら束縛と思うだろうが、そういう風には取らない辺りが、蘭さんの、別の意味での天然な所だ。


「でさ、蘭。オメーも、オレが女子から呼び出し食らったら、『嫌、新一、行かないで』って言って欲しいよな〜」
「ええっ?」

あら。話が工藤君の最初の言葉に、戻ったわね。

「そっちのが、公平だろ?」
「そ、そうなのかなあ?」

蘭さん、丸め込まれてる、丸め込まれてる。

「オレだって、断わるって分かってんのに、会って話をするなんて、心苦しいんだぜ。だから・・・蘭に、行っておいでなんて、言って欲しくねえなあ」
「でも、新一には、キチンと誠意を持った対応をして欲しいの・・・」
「ああ、オメーがそう言うんなら、そうするよ。だけど、笑って『行っておいで』は、ナシな」
「うん、気をつけるね」

蘭さんが神妙に頷いた。
工藤君が、蘭さんの肩をそっと抱き寄せる。
今度は、蘭さんにギャラリーが見えなくなっていたせいか、蘭さんも抗わなかった。


工藤君が、ふっと目をあげた。
そして、それまで全く眼中に入ってないかのように視線を向けようとさえしなかった、1年女子達を真っ直ぐに見た。

工藤君に抱き寄せられている蘭さんにだけは、見えていないが。
その場にいる私達皆が、工藤君の目を見て、戦慄した。

『蘭を傷付ける者は、たとえ女だとて容赦しない』

彼は、一言も声を出さず、眼差しだけでそう語った。
1年女子達が息を呑んですくみ上がったから、彼女達にも通じたのは間違いない。


やっぱり彼は、故意に蘭さん以外の者がいないかのように振舞ってたんだ。
そして、彼がこの場に出て来たのは、1年女子達への牽制。

誰かが工藤君に恋をして、告白した場合。
工藤君は、彼なりに誠意をもって、キッパリと断って来たようだ。

あくまで、工藤君に想いを寄せるだけの段階なら、工藤君はそれに絶対応えはしないものの、寛容だ。

けれど、振られた女性の恨みの矛先が、蘭さんに向かった時。
彼は、飼い猫が突然野生の黒豹に変わってしまったような変化を見せる。


私は、動けずにいる麻衣子さんの袖を掴んで引っ張った。
園子さんも、 他の1年女子の袖を引っ張る。


ここに、これ以上の長居は無用。
私達は、蘭さんに気付かれないように、静かに退散した。
屋上のドアのところで振り返ってみると、蘭さんはまだこちらに背を向けていて。
工藤君が、唇の端を上げてにっと笑った。


   ☆☆☆


「志保先輩。ありがとうございます」
「はい?」
「あたし、最初、志保先輩が邪魔しに来たんだと思ってました。でも、工藤さんから、守ってくれたんですね?」
「・・・結果的にそうなっただけで。その積りだった訳では、なかったわ」

私達は、帝丹女子高生の間で評判の、ケーキ屋の喫茶室で、お茶を飲んでいた。
麻衣子さん含め、1年女子達は、皆固まっていたけれど、美味しいケーキとお茶でようやく人心地ついたようだった。

「私はね。工藤君に横恋慕する女の子達の為に、心優しい蘭さんが傷付くんじゃないかと思って、それを阻止する為に、あそこに来たの。でも、何て言うか・・・余計な心配だったみたい」
「うん、わたしも。まさか新一君が、あそこまで気付いてるって思わなかった。だって、新一君って、女心に疎そうだって思ってたんだもん」

私と園子さんがそう言って、大きな溜息をついた。


「・・・何て言うか・・・私、工藤君を、花にたとえて話をしたんだけど・・・」
「花あ?そう言えばさっき、志保さん、そんな事言ってたけど。ヤツが花なんて、んな可愛いタマなもんですか!」

園子さんが、奇妙な顔をしてそう言った。

「だから、モノのたとえよ!彼は、蘭さんと関わる中で、他の女性からも魅力的に見える男になったって事を、言いたかっただけ」
「あ、なるほど〜。それは、何となく分かるような気がするわね」
「で、外から見る分には美しい花なんだろうけど。つい、摘みたくなって近付いた花盗人に対して、あの花は逆襲して来る。だから・・・私と園子さんは、結果的に、麻衣子さん達を、助けた事になる訳ね」


蘭さんが、水をやり、肥料をやりして育てた花は、蘭さんの為にだけ、大輪の花を咲かせ。
他の者が摘もうと近付くのを、許さない。

美しいバラには棘があるとは、よく聞くが。
工藤君は、棘どころか、毒も触手も隠し持っている、獰猛な食肉植物だ。


「まあ、他人が育てた花を欲しがるのは、止めた方が良い。そういう教訓になるのかしら?」
「・・・志保さん。それが教訓になるほど強烈な怪奇植物は、世の中に、そうそうないと思うな」


怪奇植物に逆襲されて酷い目に遭ったかもしれない、花盗人達は、蒼くなって頷いた。
多分これで、今後帝丹高校内に、花盗人は1人もいなくなるだろう。



そして。
その「怪奇植物」を完全に手懐けている蘭さんは、もしかして、この世の中で最強なのかもしれない。




Fin.



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