春はもう少し先(1)



byドミ



―― side新一 ――


高校1年も終わろうとする2月14日。

工藤新一は、朝から、警察の要請があり、事件現場に赴いていた。
今日はバレンタインデーであるということを思いだしたのは、事件を解決して警視庁に寄った時である。

大勢の婦警たちからチョコレートを押し付けられて、新一は目を白黒させた。
ディゴバなど、結構高級そうなチョコの包み。
新一は、「婦警さんたち、義理チョコの準備は大変だな……お金が掛かってるだろうな」と、考えていた。

今日新一が警視庁に来るなんて知らない婦警たちが新一のためにチョコを用意していたなんて考えられないので、婦警たちが新一に押し付けたチョコは、たまたま男性警察官たちに配ろうと思って持っていた義理チョコに違いないと、新一は思っていたのだ。
実を言うと、工藤新一が事件を解決して警視庁に来るという情報は、早くから警視庁内に回っていたため、新一ファンの婦警たちが仕事の合間を縫って買い出しに行っていたというのは、新一の知らない事実であった。

高校生探偵としてメディアに取り上げられるようになった新一は、ファンレターや贈り物を沢山もらうようになったが、直に会う機会が多くなった婦警たちの中に「本気のファン」が居るとは予想していなかった。


山ほどのチョコを押し付けられて辟易していた新一の脳裏に浮かんだのは、幼馴染の少女だった。

『蘭……今年もきっと、オレにチョコを用意してくれてただろうな……義理チョコを……』

中学生になってから、蘭は、新一に「義理チョコ」をくれるようになった。
蘭本人から聞いたので、義理なのは確かだ。
蘭にとって新一は、園子など、周囲の友人たちと同列の存在なのだろうと、新一は思う。
きっと今年も、蘭は新一に義理チョコを準備してくれているだろう。
ただ、今日は学校に行けなかったから、もう、もらう機会がないかもしれないが。

たとえ義理であっても、蘭からのチョコを貰いそびれたことは、すごくもったいない気がして仕方がない。


結構時刻が遅くなったので、新一は、高木刑事に送られて帰宅した。
車の中で高木刑事が話しかけてくる。

「工藤君……警視庁の婦警たちにも君のファンが沢山いるみたいだね」
「え?たまたま今日がバレンタインデーだったから、義理チョコをくださっただけでしょう?」
「いやいやいや。僕たちはもらってないから……」
「……ああ、警察には男性が多いから、上司とかが優先なんでしょうね……」
「ああ……まあ、僕ら下っ端にまでは、回ってこないよね」

高木刑事は、えらい人たちだって婦警からのチョコを貰ったりなどしていないことを知っていたが、敢えてそこまで口にしなかった。
工藤新一は、高校1年生にしては深い洞察力があるが、女性から寄せられる好意には案外疎かったのである。

新一は、大通りに面したところで下ろしてもらった。

「家の前まで送らなくて良いのかい?」
「ええ……ちょっと野暮用がありまして……」

新一が車を降りたすぐ先に、毛利探偵事務所が見えて、高木刑事は、昨年新一が飛行機の中で事件を解決して見せた時、隣の席に愛らしい少女が居たことを思いだしていた。
昔、目暮警部の部下だった毛利という刑事が、警察を止めて探偵になったという話は、目暮警部から聞かされていた。
飛行機で会った少女は、確か、毛利探偵の娘だったはずだ。

「なるほど、野暮用ねえ……」

弱冠16歳にして、探偵として大人顔負けの活躍をしている工藤新一は、年齢相応の顔も持っているようだ。
婦警たちの好意に全く気付いていないあたり、どうやら一途にあの少女を想っているらしい。

「頑張れ、青少年」

そう言いながら高木刑事は、チョコを貰う当てもなく、独り身の侘しさ・寒さが身に染みていた……。
彼自身にも1年後には春が訪れていることを、まだ予想もしていないのだった。


新一は、毛利探偵事務所を見上げる。
事務所の灯りは消えているのが、3階の毛利邸にも灯りがついていない。

蘭は空手部の部活があるので、まだ帰宅していないようだ。
毛利探偵は、調査に出かけているのか、それとも飲みにでも行っているのだろうか?

新一は、階段下のところで壁に寄りかかって、蘭の帰宅を待った。
ほどなく、制服姿の蘭が見えて、新一の胸は高鳴った。


「し、新一……?」
「よ。蘭」

新一は、寄りかかっていた背中を離した。

「ど、どうしたの?突然、わたしのところに……」

蘭の、戸惑うような声。

「あ……まあその……」

蘭からのチョコが欲しくて待っていたとは言えず、新一は歯切れ悪く言葉を出した。
新一が紙袋を沢山持っているのを、蘭が咎めるような(と新一は感じた)視線を向けた。

「なんかチョコをいっぱいもらっちまって……」
「新一?アンタ、事件解決に行ったんじゃなかったの!?学校サボって、何してたのよ!?」

蘭の冷たい声に、新一は慌てふためく。

「いや、ちゃんと事件は解決したさ!で、最後に警視庁に寄ったら、そこで婦警さんたちから……」
「サイッテー!」

蘭は、新一の隣をすり抜けて階段を駆け上って行った。
本当に事件を解決してきて、遊んでいたわけではないのだが、蘭は、新一が婦警たち相手に鼻の下を伸ばしていたとでも思ったのだろうか?

義理チョコでさえももらえそうにない状況に、新一はガックリ来ていた。
寂しく家に帰ろうとしたとき、ラッピングした包みが地面に落ちているのに気づいた。

ひょっとして蘭の落とし物かと思い、毛利邸に電話を掛けてみると、話し中だった。
何回か掛けてみても話し中なので、諦めて、包みを持ったまま帰宅した。

家に帰って子細に見ると、包みの中にあるのはチョコレートのようだった。
小さなハート形のチョコがいくつか詰まっている。
メッセージカードのようなものは、ついていなかった。

もしこれが、蘭から誰かへのバレンタインデープレゼントだったら……?
新一は心騒いだが、蘭が困るだろうと思い、もう一度電話を掛けてみた。
すると今度は話し中にならずに、すぐに相手が出た。

『はい、毛利で……』
「蘭?」

可愛い声は、聞き間違いようがない。

『……何の用よ?』

蘭の声は尖っていて、まだ機嫌が悪いらしい。

「あ、や、その……さっき、チョコの包み拾ったんだけどさ」
『えっ!?』
「もしかして、オメーが落としたんじゃねえかって……」
『も、もしかして……小さなハート形のチョコが、いくつか入っているヤツ?』
「あ、そうそう。やっぱ、蘭の落とし物だったんだな。しゃあねえ、今から返しに行くよ」
『え?い、いいよ、わざわざそんな……』
「けどオメー……困るんじゃないか?」

どうやら、包みの中のチョコは、手作りなのではないかと思える。
新一は、心の中に渦巻く嵐を押さえながら、言葉を出した。

『大丈夫。そのチョコ、新一のだから……』
「えっ!?」
『新一にあげようと思って、持ってたものだから。だから……』

今年も蘭は、新一宛のチョコレートを準備してくれていた。
しかも、今年は、義理チョコとはいえ手作りっぽい。

「ら、蘭……」
『あ!でも、地面に落ちたやつだよね?不衛生かな?』
「あ……や……ラッピングしてあっから大丈夫と思うけど……」
『そう。良かった……い、言っとくけど!義理!義理チョコだからね!』
「……はいはい……そんな大声で強調しなくても、わーってるって……」

わーってるよ、義理チョコであることくらいは。と、新一は心の中で言った。

『……』
「あ……や……まあ、ありがとな……じゃ……」
『ま、待って!新一!』
「んあ?」

新一が電話を切ろうとすると、蘭が引き留める。
新一は、蘭の次の言葉を待った。

『あ。その……ぎ、義理……じゃないっていうか……』
「ら……蘭……オメーまさか?」
『友チョコ!そう、友チョコよ!!!』

蘭の勢い込んだ言葉に、思わず溜息をついてしまった。
一瞬、ぬか喜びをしてしまった。
天国から地獄とは、このことだ。

「なんにしても、ありがとな。ありがたくいただくよ」
『新一。チョコの食べ過ぎでお腹壊さないでね』
「蘭以外の人からもらったチョコは、食べねえよ」
『えっ!?』

蘭が素っ頓狂な声を出した。
いけね、つい本音が出てしまったと、新一は慌てる。

『だ、だって……その……勿体ないじゃない?』

なんだ、食べ物を粗末にするなってことだったのかと、新一はまたガックリ来た。

「婦警さんたちからのチョコは、事件解決のお礼ってことらしいしさ。施設にでも寄付するよ」

蘭以外の人からのチョコは「要らない」というのが、新一の本音。
でもまあ……蘭は誰か別の男に本命チョコを上げたわけではない、今はそれで充分だ。



高校1年の両片思いの二人。
春は、もう少し先……その前に激動の冬が訪れるのだが、それはまた別の話。



Fin.





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