いいひとに逢えたね〜同人誌改訂版〜



byドミ



あれは、確かに恋だった。

あの人は、わたしの中を吹き抜けて行った風。

追いかけても届かない虹。



思い返すと、

涙が溢れるだけだけれど。


でも、逢えて良かった。



あの人を、わたしは忘れない。



(1)出会い

わたしの名前は、長月ひろみ。杯戸(はいど)高校に通う一年生女子。人並みに、友達とのお喋りが好きで、アイドルに憧れて、恋を夢見て、でも初恋もまだの、そんな女の子。

わたしは、いつも電車で通学してる。運命の出会いがあったのも、いつもと変わらない、満員電車での、通学だった。


いつも混雑している電車の中で、何となく、お尻のあたりに違和感があった。
混んでるので、人のカバンや何かが当たるのはよくある事だったし。最初は、何かが偶然触っているのかと思ったけれど。それが、もぞもぞと動いて、ゾッとした。
明らかに、意志を持ってわたしのお尻をまさぐっている!全身に、嫌悪感がはしった。

そちらを見ると、スーツを着たエリート風サラリーマンらしき男の人がいた。顔は別の方を向いているけど、つり革に捕まってない方の手は、わたしの方に伸びている。わたしがその人を睨むように見ても、その人は、素知らぬ顔のままだ。

わたしは、勇気を振り絞って、その人に言った。

「あ……あの……!止めて下さい」
「……」

その男の人は、わたしを一瞬だけ、ジロリと見た。けれど、また目を反らして、素知らぬ顔をする。わたしのお尻に蠢く手は、そのまま。

「や、やめてって、言ってるじゃないですか!」

わたしは、さっきより強い声で言った。必死なので、多分、真っ赤になっているだろうと思う。なおも、知らぬ顔を通そうとするその人に、わたしは、怖さより怒りが勝っていた。

「誰かー!!この人、痴漢です!!!」

叫ぶと、さすがにその男の人は顔色を変えた。その時、電車が次の停車駅に着き、その男の人はわたしを引っ張ってそこに降りた。
たまたま、そこで降りた人達の多くは、先を急いでいるが、何人かは立ち止まってわたし達の方を見た。すると、その男の人が、すごい剣幕で、わたしに向かって言った。

「お前、ヤツらの仲間だな!」
「えっ……?」

ヤツら?仲間……?
わたしは、訳が分からず、呆然とする。

「俺が痴漢?その証拠は、どこにある?」
「しょ……証拠?」

そんなもの。あるワケ、ないじゃない。
ただ、わたしが、この人に触られてたって事実を、知ってるだけなんだもん。

「無実の人を痴漢呼ばわりして、脅して金を巻き上げてるヤツらが、最近、東都環状線に出没するって話だ!」
「そ、そんな……!」

思いがけない切り返しに、わたしは頭が真っ白になった。

「それ、ホントなんですか?」
「僕は、それ、聞いた事がある。高校の制服を着た大人しそうな女の子が、やってるらしいってさ」

わたし達を見ていた人から、声があった。

「ええ。ホントですよ。私の同僚にも、被害に遭ったヤツがいましてね」
「……そんな!わたしは……!」

わたしは、そんな事、してない!仲間なんかいないし、痴漢呼ばわりなんかじゃないし、それに、本当に本当に触られたのよ!
わたしは懸命に、言おうとするのだけれど。言葉が喉につかえて、上手く伝えられない。

「来い!係員に、突き出してやる!」

その男の人に腕を掴まれて、わたしは動けない。そして、誰かが呼んだのか、駅係員がこちらに向かって来た。

そ、そんな!
何で、何で、痴漢された揚句に、恐喝犯呼ばわりされなきゃいけないの!?でも、男の人があんまり堂々と言い張るから、周りの人は皆、その人の方を信じてしまってる。

わたしは、足がガタガタ震えだした。思わず、涙が溢れる。
でも、周りの人は皆、冷たい目でわたしを見てる。きっと、嘘泣きだって、思いこまれてるんだ。

このままだと、わたし、恐喝犯にされちゃう!触られたのに、痴漢されたのに、被害者なのに!!

その時だ。
凛とした涼やかな男性の声が、その場に響いた。

「待って下さい!その女の子は、恐喝犯なんかじゃない!」

そちらを見ると、帝丹高校の制服を着た男の子が一人、立っていた。
綺麗な顔立ちで、すらりとした立ち姿は、何故か、黒豹を思わせる。帝丹高校のネクタイスーツの制服を、あそこまでカッコ良く着こなしている人は、滅多にいない。制服とはいえスーツなのに、足元はバスケットシューズを履いていて。それがまた、とても似合っている。

そういう場合じゃないっていうのに、わたしは思わず、胸がときめくのを感じていた。

その場にいる人達の目が、その男の子に集中する。その男の子が、ゆっくりとわたし達に近付いてきた。
その目が射抜くように鋭く、男の人に注がれる。さっきまで、わたしを威圧するように見ていたその人が、焦った様子で目を泳がせている。

この痴漢男!相手が、自分より強いと見たら弱っちくなって、自分より弱いと思うと、さっきのように、居丈高になるんだ。

そして。
帝丹高校の制服を着た彼は、まだ、わたし達と同じ高校生なのに。大の大人にも負けない、相手を圧倒する空気を、纏っていた。

「あなたは、その女の子に触れた。偶然や事故ではなく、ハッキリとした意図を持って、触りまくった」
「な、何!?」
「その女の子の言いがかりなどではなく、紛れもなく、あなたが痴漢。それが、真実です」
「な、何の証拠があって……!」
「証拠、ですか?」

男の子は、くっと、口の端を上げて笑い、懐からスマートフォンを取り出した。そして、画面操作して、男の人につきつける。
その画面を見せられて、男の人は、ひっと声を上げた。そこに映っていたのは紛れもなく、男の人がわたしのお尻を触っている場面だった。

「き、貴様は一体……?」
「工藤新一。探偵さ」
「お、お前が……!」

その男の子……工藤新一さんは、不敵な笑みをたたえて、男の人を見た。周囲からどよめきが起こる。

「おお。あの、有名な……」
「日本警察の救世主と言われている……」

え?
え!?
ええっ!!?

わたし、全然、知らなかったけど。彼って、有名人だったの?

「先程、あなたが話していた、無実の男性を捕まえて痴漢呼ばわりした挙句、脅して金を巻き上げるグループは、本当の話だった。僕は元々、その恐喝グループを捕まえて欲しいと依頼を受けて、張っていたんです。でもまあ、そちらは、半時間ほど前に捕まえましたけどね。で、僕自身がそのまま登校しようと、たまたまこの電車に乗っていた所に、あなたが痴漢行為をしている現場に、出くわしてしまったという訳です」

いつの間に呼んだものか、背広を着た人が現れて、警察手帳を示して来た。男の人はガックリうなだれて、連れ去られて行く。

男の人にとっては、不運な出来事。でも、わたしにとっては、とてもラッキーな出来事。
触られたのは気持ち悪かったけど、工藤さんが颯爽と現れて助けてくれたのは、とても素敵な出来事に思えた。凛とした声で告げられる、彼の言葉すべてが、まるで音楽のように、耳に心地良い。

「君。大丈夫?」

工藤さんが、心配そうにわたしを覗き込んで言った。わたしの心臓は、大きく音を立てて跳ねる。

「ごめんな。不快な思いをしてただろうに、すぐに助けなくて」

工藤さんは申し訳なさそうに言った。わたしは、首を横に振った。
痴漢に遭った事を知られたくないって人も、いるだろうから、迂闊にその場で言えないって事もあるだろうし。あの男の人がどう出るか様子を見てたって事も、あるだろう。
わたしは、濡れ衣着せられそうだったのに、助けてもらっただけで嬉しい。

彼は、「じゃあ」と言って去って行った。わたしは、お礼を言う事すら忘れて、ボーッと立ちつくしていた。

わたしの目からは、知らず、涙がこぼれた。突然、訪れた初恋。あの人は、風のようにわたしの心をかき乱して、去って行った。


   ☆☆☆


「ひろみ、どうしたの?ボーッとして?」
「あ……」

クラスメートの大島敦子に声かけられて、わたしは我に返った。
工藤さんに会ったあの日から、わたしはずっと、あの人の事ばかり考えてる。

「ごめーん、敦子、ちょっと考え事してたー」
「いいけどさー。今度、わたしのデビュー戦の時、応援の約束してくれてるの、忘れないでよー」

敦子は、空手部に入ってる。中学から続けている為か、まだ一年だけどレギュラー入りし、来月の、帝丹高校空手部との練習試合で、出る事が決まっているのだ。

クラスメート達と会話してても、わたしの心はすぐ、彼、工藤新一さんの元へ飛ぶ。
また、会いたい。その姿を見て、声を聞きたい。あわよくば、言葉を交わしたい。

お付き合いをしたいとか、そんな大それた事は考えてなかった。ううん、考えられなかった。

夜は夢で姿を見て声を聞いて、それだけで幸せになる。彼の事を思い浮かべるだけで、胸がきゅううんとなって、涙が溢れてくる。

今まで、こんな気持ちになった事はなかった。生まれて初めてのトキメキ。
これが、恋するって事なのね。たった一度、会っただけだけど。タレントやアイドルに憧れる気持ちとは、まるで違う。

あれから、電車の中で、彼の姿を探してみるけど、見かける事はない。そうね、わたしの通学範囲で見かける帝丹高校生って、そんなに多くないし。彼はあの時、痴漢詐欺事件の捜査が終わって帰るところだったって、言ってたもの。
今まで、一度だって、見かけた事なんてなかったし、きっと、彼の普段の通学路じゃないんだ。出会えた事が、偶然の幸運、とびきりの奇跡だったのよね。

「キャー、カッコいい!」
「工藤新一でしょ、それ!」

クラスの中で聞こえた声に、わたしの耳はダンボになった。

週刊誌を囲んで、何人かが騒いでる。わたしも、覗き込んでみた。
確かに、彼だ。彼って……週刊誌に載るような、有名人だったの?

「えー、でも、この人って、探偵なんでしょ?犯罪の捜査なんて、超ダサダサ!」
「そんな事ないよ、そこらのタレントより、全然、イケメンだもん!」
「それに、声も、すっごいセクシー!気障な話し方、もう、たまんない!」

そっか。工藤新一さんって、テレビとかのメディアにも出ている位に、有名な探偵さんで、女性ファンが多いんだ。
実際、顔が良いのは確かだし、話し方と声が素敵だったのも、確かだった。

でも、クラスメートで工藤新一のファンって人達は、メディアで見ただけ、なんだよね。わたしは、実際に、彼を見て、言葉を交わしたのよ。そして、彼に助けて貰ったのよ。

何となく、すごく誇らしくて、優越感があった。
わたしは、単なるファンじゃない。彼に恋をしている、一人の女の子。
運命的に彼と出会えたんだもの、きっときっと、また会える日が、来る筈。そういう風に、信じてた。



(二)もうひとつの出会い


それから、一ヶ月程が過ぎた頃。
我が杯戸高校の空手部が、帝丹高校空手部を招待して、練習試合が行われる日が、やって来た。

帝丹高校と聞いて、ちょっと耳がピクッとなったけど、でも、工藤さんが来る筈、ないよね。サッカーならともかく、空手なんて縁がないだろうし、高校生探偵として活躍している彼は、超忙しいだろうし。

「ひろみ、当然、応援に来るわよね!」
「う、うん、まあ……」

敦子の迫力に、わたしはタジタジとなりながら頷いていた。
まあ、空手部に友達がいなくても、受験にも縁がない帰宅部の一年生には、母校空手部の応援は、義務のようなもんだろう。わたしは最初から行く積りだった。ただ、最近、敦子の前でもいつも上の空でボンヤリしているから、忘れてしまうんじゃないかって心配されてたみたい。
女子達は、応援に熱が入っている、というより、殺気立ってる。多分それは、京極さんが、出るからだ。
男子と女子の空手部は、当然、別だけれど、今回は、両方共が練習試合を行うらしい。
我が杯戸高校空手部は、二年生に、京極真さんって、物凄く強い選手がいるの。向かう所敵なしで、今年はまず間違いなく、インターハイを制するだろうって、言われてる。
強いだけじゃなく、眉目秀麗で背が高く、空手の技はまるで舞うように美しく、女子達の間で「蹴撃の貴公子」とあだ名され、超人気。
確かにカッコ良いって思う。でも、わたしは興味ない。だって、わたしには、工藤さんって心の恋人がいるから、なんちてなんちて!


土曜日。今日、学校は休みだけど、空手部の練習試合がある。わたしは電車に乗っていた。
ちなみに、空手部の友達は、自宅方向が違うので、一緒に電車には乗っていない。

平日ほどは混んでない車内に、わが杯戸高校生と、帝丹高校生の姿が見える。帝丹高校生達もきっと、応援に来ているんだろう。
思わず、帝丹高校の制服の中に、爽やかな立ち姿のあの人を探したけれど、勿論、見えない。

「あら、蘭。旦那、応援に来てくれないの?」

突然、少し鼻にかかったアルトの声が聞こえた。

「もう、園子!旦那なんかじゃないってば!」

返す声は、甘いソプラノ。
そちらを見ると、明るい茶髪ボブにカチューシャをはめた、勝ち気そうだけどなかなか美人の子と。長い黒髪で、クリクリした目の、すごい可愛い系美人の子が、いた。二人共細身なのに出るべき所は出ていて、とてもスタイルが良い。

そして、長い黒髪の子の方が、丸めた道着らしいのを持っているのに気付いた。たおやかで綺麗なこの人が、空手なんてやってるんだ。
今回は、男女どちらの空手部も招待されてるんだし、この長い黒髪の子が、空手選手なのは間違いない。今日の試合、参加するんだろうな。敦子と当たったりするかな?まあ、控えって可能性もあるけどね。

その二人に気をとられてじっと見ていると、突然、お尻を撫でる感触があって、ゾワッとなった。
振り返ると、そこにいたのは、強面で体格が良い男の人だった。

「あん?何か?」

わたしが振り返った時、その男は悪びれる風もなく、手がわたしの方に伸びたままだった。

「あのあの、何でもありません!」

あー、情けない!痴漢だって分かっているのに、何も言えないなんて!けど、怖いんだもん!

「大した体してんじゃねえのに、自惚れてんじゃねえよ、姉ちゃん」

男がにやっとしながら、バカにした口調で言った。
悔しい。どうして痴漢から、「自惚れてる」なんて言われなきゃならないのよ?けど何より、何も言い返せないわたしが、情けなくて悲しい。

そして、男は、わたしが何も言えないと見て取って、今度はわたしの胸に手を伸ばしてきた。

「!」

嫌なのに、逃げられない。声も出せない。わたしの目から涙がボロボロ零れ落ちる。
その時。

「アァアアアァァアァ!」

声がして……わたしの胸に触っていた男の手が、手刀でやられたようだった。「ようだった」と言うのは、目の前の出来事だったのに、目にも留まらぬ速さだったからだ。
先程見ていた、長い黒髪の女の子が、いつの間にか傍に来て、男に空手技をかけたらしい。怒りの炎を纏った彼女は、一段と綺麗だった。

「女子高生相手に、何て事してんのよ!恥を知りなさい!」
「ま、待った、俺はその子とお付き合いしてて、スキンシップをだな」
「何がスキンシップよ、この子、泣いてるじゃないの、ウソつき!ハァアアァアッ!」

その女の子が構えを取る。
強面男は、案外腕に覚えがなかったらしい。それとも、その女の子の強さが桁違いで、男にはそれが分かったって事だったのかな?
駅についてドアが開いた途端に、その男、素晴らしいスピードでダッシュで逃げて行った。

「あ、こら、痴漢!待ちなさーい!」

その女の子が追いかけようとするのを、カチューシャの女の子が引っ張って止める。

「蘭!気持ちは分かるけど、試合に遅刻するよ!」
「でも!あんな男放置してたら、また繰り返すかもしれないじゃない!」

二人で言い合っている姿に、わたしは居たたまれなくなった。

「あ、あのっ!ありがとうございました!」
「あ、ううん。嫌な目に遭ったね、大丈夫だった?」

長い黒髪の子が、心底心配そうにわたしを見て、言った。

「はい、大丈夫です。ちょっとは気持ち悪かったけど、あなたのお陰で、殆ど触られなかったから」
「そう。だったら、良かった。あの痴漢を逃がしてしまったのは、悔やまれるけど」

少し悔しそうながらも、微笑みながら、その女の子は言った。悔しがっているのは、今後、他の犠牲が出る事を心配してだよね?
素敵な子だなあ。女ながら惚れてしまう、本当に素敵だなあ。綺麗で強くて優しくて。こんな完璧な女性も、世の中にいるんだ。

「あ、あの……!お名前、教えて下さい!あ、わたし、長月ひろみって言います!」
「わたしは、毛利蘭。こっちは、鈴木園子。宜しくね」
「蘭、ホント、かっこ良かったよ〜!旦那に見せられなくて、本当に残念だったね!」
「だから、旦那じゃないって!それに、べ、別に、どうでもイイよ、アイツなんか……!」

だ、旦那?
毛利さんが少し赤くなってる。毛利さんの恋人の事なのかな?こんな素敵な女性と釣り合う男性と言ったら……。
ふっとわたしの胸をよぎった面影。同じ帝丹高校生だし……まさか、まさかよね。わたしの胸が大きく軋んだ。

わたしは、ふと浮かんだ思いを振り切るように、笑顔を作った。

「あの!帝丹高校空手部の方ですよね!今日の試合、応援します!」
「え……?でも、長月さん、あなた、杯戸高生よね?」
「そんなの!だって、わたしを助けてくれた恩人ですもの!」
「あ、ありがとう。でも、他の杯戸高生達もいるだろうし、気まずい事になるかもしれないでしょ?気持ちだけ、受け取っとくわ」

はあ。相手の立場も考えてくれて、本当に素敵な人。もし、この人が、工藤さんのお相手だったら……。
そりゃ、もてる工藤さんだったら、毛利さんじゃなくても、わたしなんかには殆ど可能性ないかもしれないけど。でも、この人相手じゃ、全く勝ち目ない。どうか、毛利さんの恋人が、工藤さんではありませんように。

わたしは、自分の暗い想いを気付かれないように、一所懸命話をした。毛利さんと鈴木さんは、わたしと同じく高校一年。毛利さんは一年にして、レギュラーメンバーだという事も分かった。そりゃ、そうだよね。あんなに強いんだもの。

鈴木さんは、名だたる鈴木財閥のお嬢様だという事だった。でも、鈴木さんもそんな事を感じさせない気さくな人柄で、好感を持てた。
ちょっと会話しただけでも、鈴木さんと毛利さんは、お互いを大切に想っている事がよく分かった。世の中には、こんな素敵な人達もいるんだな。

それにしてもわたしってば、こんな短期間に、二回も痴漢に遭うなんて……隙だらけなのかな。でも、それを言ったら毛利さんも鈴木さんも、「勘違いしちゃダメ!悪いのは、触る男の方だからね!」と言ってくれた。

「蘭は、隙だらけのようでそうじゃないよね。何しろ、旦那にも触らせない位だもんね〜」
「んもう!旦那じゃないってば!そ、それに、わたしが触らせないんじゃなくって!アイツは、そんな事するヤツじゃないもん!」
「へえ、蘭は触って欲しいんだ〜?」
「ば、バカッ!そんな事、あるワケ、ないでしょ?それに、アイツは意地悪だけど、女の子が嫌がるような事、絶対、しないもん」
「そうねー、何のかんの言って、紳士だよね、アヤツは。意地悪なのは、蘭に対してだけ、みたいだけどねー」
「……やっぱり、本当は女と思われてないのかな?」
「逆でしょ、逆。蘭はアヤツの事、紳士で大人、みたいに思ってるけどさー。アヤツは、どうでも良い相手に対して慇懃無礼なだけで、蘭に対しては、ガキ大将と変わんないじゃん」
「あ、あの……アヤツって一体……?」

鈴木さんと毛利さんのやり取りに、思わず口を挟んでしまうと。鈴木さんは、毛利さんの肩に手を回して、ニヒヒッと笑いながら言った。

「蘭とお互いにただの幼馴染と言い張ってるけど、その実、熟年夫婦な相手の男の事よ!」
「だ、だからっ!誰が夫婦よっ!それに、熟年って何よ熟年って!わたし達、まだ一六歳なのに!」
「いや、ホント、長年連れ添った夫婦みたいな風格だもんね、アンタ達」

毛利さんは顔を真っ赤にして怒鳴り返したけれど。その反応から、むしろ、その男の人の事が大好きなんだって、見え見えだと思った。照れる余り逆切れしている毛利さん、何だかすっごく可愛い。だからこそ、鈴木さんも、からかってしまうんだろうな。

そうこうしている内に、杯戸高校最寄りの駅に着いた。
私達は電車を降りた後、杯戸高校まで一緒に歩いて行った。校門のところで別れて、中に入った。

練習試合が開始される。女子の試合が先だった。

帝丹高校の女子空手部主将は、塚本数美さんっていう、短髪だけどやっぱり綺麗な人で、この人も強かった。その人の試合の時は勿論、杯戸高選手の方を応援したけど、全然歯が立たなかった。
いよいよ、毛利さんの試合。わたしは……他の杯戸高生の手前、表だって毛利さんを応援する事は出来なかったけど、こっそり応援した。幸いというか何と言うか、わたしの友達は、毛利さんと直接対戦する機会がなかった。
毛利さん、やっぱり、桁違いに強い。強いだけじゃなくて、ポーズもりりしくて、すごく素敵。向かう所敵なしって感じ。
どちらの高校も、応援に熱が入っている。あの鈴木さんは勿論、すごく大きな声を出していた。本当に心から毛利さんを応援している事が伝わって、微笑ましかった。

男子空手部の面々は、女子の空手部の見学というか、応援をしている。ふっと、主将の京極さんを見て、違和感を感じた。京極さんは、帝丹高校応援席の方に目を向けている。
応援の声がうるさ過ぎるとか、そういう風に思ったのかな?でも、熱心に応援する場合、あの位の声は、当たり前だしねえ。

ずっと後になって、京極さんと鈴木さんとが恋人同士になった話を聞いた時。わたしは驚いたけど、もしかしたらあの時、京極さんは鈴木さんを見てたのかもしれないと、気がついた。
でも、それはまた、別の話で。その時のわたしは、すぐに忘れて、毛利さんの応援をしていたのだった。


練習試合も終わって、電車に乗って帰る時。
同じ電車内に、やっぱり、毛利さんと鈴木さんが乗っていて。わたしは、近付いて声をかけようとしたけれど。毛利さんの向こうに、あれだけ焦がれていた姿を見つけ、凍りついた。

「だーかーらー、悪かったよ!事件解決まで長引いちまってよー」
「新一君、蘭がものすごく活躍したのにさー、結局間に合わなくて!探偵ごっこも良いけど、愛しの妻の試合に間に合わない程、腕が悪いんじゃ、どうしようもないわよね!」
「だ、誰が妻よっ!そ、それに、事件だったら仕方ないじゃない。別に、わたしごときの試合、新一なんかに見て貰わなくたって……」
「だから、悪かったって言ってんだろ?埋め合わせ、すっからよ」
「じゃあ、わたし達、これから杯戸シティホテルの、ケーキバイキングに行くんだから!新一の奢りね、園子の分も含めて!」
「おい!何で園子の分まで……」
「ああら、新一君、悪いわねー、蘭とわたしのデート代、奢ってくれるのぉ?」
「……なろ!何で、オレだけ仲間外れなんだよ!?」

憎まれ口を叩きあいながら。三人、目は笑ってる。三人とも、すごく仲が良いんだ。工藤さんが恋人同士なのは毛利さんだけど、鈴木さんとも憎まれ口を叩き合える信頼関係があるんだって、感じた。
工藤さんの焦った顔も、屈託のない笑い顔も、初めて見た。わたしが見たのは、探偵としての対外的な顔だけ。毛利さんの事、本当に好きなんだなあ。ああ……儚い初恋だったなあ……もう、どう引っくり返っても、見込みはないんだね。いや、最初から無理だって事は分かってたけど、もう、夢見る事も出来ないや。

不思議と、涙も出そうになかった。悔しいなんて気持ちは、全然、起きない。だって、最初から、敵いっこないって分かってたもん。

呆然と、近寄る事も出来ないで、そちらを見ていると。
朝の痴漢が、毛利さん達の近くにいるのが、目に入った。

わたしは、ハッとする。その痴漢男が、毛利さんの背後に忍び寄って行く。
痴漢男の手が毛利さんのお尻に伸びかけ、わたしが思わず声を上げようとした時、気配に毛利さんが振り返るのと、工藤さんが動くのが、同時だった。
工藤さんが、毛利さんを引き寄せ、素早く位置を入れ替える。そして……毛利さんのお尻に伸びていた痴漢男の手は、見事、工藤さんの股間にタッチという、一瞬だけど、見るのもおぞましい光景になってしまった。
一瞬、工藤さんの顔が、気持ち悪そうに歪んだけど、多分、痴漢男も、似たような表情だったんだと思う。そして。

「新一に何すんのよ!?」

毛利さんの膝蹴りが、痴漢男の鳩尾にヒットしていた。

「蘭……そいつも、新一君に触りたくて触った訳じゃないと思うわよ」

鈴木さんの呆れ声。工藤さんは、苦笑いしていた。
痴漢男は、鳩尾を押さえながらも、うずくまる事もしていなかった。そして、唇の端がニッと上がる。わたしは、嫌な予感がした。

「空手の有段者が、一般人に手を挙げたな?これは、許されないな」

その男のいやーな笑い声に、わたしもだけど、工藤さん達も固まっていた。

「そっちが先に、痴漢行為を働いたんじゃないの!」

毛利さんが怒って言うが、痴漢男は涼しい顔で言ってのけた。

「痴漢?どこに、証拠がある?電車の揺れでよろけて、偶然、そっちのアンちゃんに当たった。それはお互い、不幸な事故だったよな?なのに、姉ちゃん、アンタは問答無用で、俺に暴力を振るった。大勢の目撃者もいる、なあ?」

男が周囲を見まわして言った。確かに、毛利さんの空手技は、多くの人が目撃している。
そうか!男の狙いは、朝の仕返し!毛利さんを「素人に技をかけた空手有段者」として、告発する気なんだ!多分、毛利さんにわざと技をかけさせた時、ダメージを受けないように、プロテクターみたいなのを身につけてるんだ!

「ふざけるな!オメーが蘭の尻に触ろうとしたとこは、オレが見てる!先に手を出そうとしたのはそっちだ!」
「あんちゃん、威勢がいいな。けど、俺がそっちの姉ちゃんに触ろうとしてたって証拠は、あるんか?ああん?」
「くっ……!」

工藤さんが、顔を赤くして歯噛みした。わたしは、勇気を振り絞って、その場に駆け付ける。

「わ、わたし、見ました!その男が、毛利さんのお尻に、手を伸ばそうとしたところ!」
「……長月さん……!」
「君は……?」

工藤さんと毛利さんが、ホッとしたようにわたしを見た。工藤さんが、わたしに見覚えがある様子に、失恋で痛い心が、僅かに慰められる。

「ふん。知り合いだけの証言と、その他大勢の証言と、どちらに分があるかな?」

その男は、余裕の姿勢を崩さない。反面、工藤さんは、余裕のない顔をしていた。
そうか。いつも冷静沈着に推理を披露する工藤さんだけど、毛利さんの事だと、そんな余裕なくなるんだ。男を泳がせて証拠を掴むより、まず、守ろうとする。それだけ、毛利さんの事が好きなんだね。わたしは寂しく、そう思った。
でも、それとこれとは、話が別。とにかく、こんな痴漢男、のさばらせていちゃいけない!

「皆さん、この男、朝、わたしに痴漢行為を働いたんです!そこを、この毛利さんが、助けてくれたの!こいつ、毛利さんに逆恨みして、仕返ししようとしたに違いないんです!」

わたしは周りに向かって叫んでいた。今迄困惑した表情で見ていた周囲の人達が、ざわめく。
男は、少しだけ、たじろいだ風だったけど、でも、痴漢の件は証拠がないとばかりに、開き直っていた。

「さて。証拠なんかない身内の証言を、警察も信用してくれるかな?」

そこへ。

「ああら。朝の痴漢の証拠なら、ここにあるわよ〜ん」

声を上げたのは、鈴木さんだった。

「なんだと!?嘘をつくと為にならんぞ!!」

男が威嚇するように声を荒げるが。

「為になるかどうかは、これを見てから言いなさいよ」

鈴木さんが取り出したのは、スマホ。その画面には、痴漢男がわたしのお尻をシッカリ掴んでいる写真が、映し出されていた。

「ぐっ……!」

男が画面を見て絶句した後、顔色を無くして、ヘタヘタと座り込んだ。

「園子!いつの間に!?」
「今朝、蘭が、この痴漢男にコッソリ近寄っている時よ。すぐに逃げられちゃったから、使う事もないかと思ってたけど、データ削除してなくて良かったわー」
「園子。オメーにしちゃ、気が利くじゃねえか」
「わたしにしちゃは、余計でしょ!言っとくけど、今回は、蘭の為だからね!新一君の為に協力する気なんか、全くナッシングなんだから!」
「でも、ありがとな」
「フン。他の事だと悪魔みたいに頭回る癖に、蘭の事になると形無しなんだから。ちなみに、さっきの新一君への痴漢の瞬間も撮影しちゃったけど、どうする?それも証拠提出する?」
「い、いや、それはイイ……」

工藤さんが額を抑えて、手をヒラヒラ振って言った。さすがに、思い出したくもないのだろう。

「じゃ、削除しちゃうわよ。蘭、良い?」
「な、何で、わたしに振るの?」
「だって、蘭を守った記念画像として、欲しいかって思って」
「い、イイよ、そんなの」

毛利さんが頬を染め、困った顔で言った。
そりゃ……工藤さんのあそこが、男に触られている図なんて、いくら工藤さんの事が好きでも……いや、好きだからこそ、見たくないだろうな。


朝の件の証言もあるので、わたしは、自宅最寄り駅では降りず、三人と一緒に警視庁にお邪魔する事になった。
同行したのは、鉄道警察隊の警察官で、以前、わたしが痴漢に遭った時に犯人を引き渡した警察官と同じ方だった。もっとも、その方は、工藤さんの事は覚えていたけど、わたしの顔は覚えていらっしゃらなくて、その時と同じ女子高生だと聞かされると、目を丸くしていた。

「君も、そんなに何度も、痴漢被害に遭うとは、災難だったねえ」

災難だったのか、幸運だったのか。出会えたのは幸せだって思ったけど、結局失恋というか、恋が形になる前に終わったんだから、災難だったのかも……。

工藤さんは普通、殺人事件に関わる事が多いので、警視庁の刑事部捜査一課に行く事が多いようだけど、今回は、痴漢行為についてなので、地域部の方に向かった。地域部の刑事さん達も、工藤さんの事はよくご存じのようだった。

「以前、無実の人を痴漢呼ばわりして金を巻き上げるグループの摘発を手伝ってもらった事がある。あの事件は、直接の管轄は捜査二課だけど、私達地域部と鉄道警察隊も、協力させて貰ったからね。まあ、そういう詐欺は別として、痴漢は、何をどう言っても、する方が悪い。隙があったんじゃないかとか、気に病むんじゃないよ。怖くて泣き寝入りする人も多いのに、長月君は、よく頑張ったよ。ま、毛利君の空手技は、正直、過剰防衛気味だけど、その正義感に免じて、不問としよう」

毛利さんは顔を少し赤くして、頭を下げた。工藤さんと鈴木さんが、苦笑している。
わたしは、緊張感の糸が切れたのか、今頃になって涙が流れた。

「可哀想に、今迄、我慢してたのね。大丈夫?」

毛利さんが、心配げにわたしの顔を覗きこんで来た。

「だ、大丈夫です。ありがとう」

お願い、わたしの事なんか、心配しないで。
だってわたしが泣いているのは、もう工藤さんと会えないなって思ったからだし。今更のように、失恋の痛みが迫って来たからだし。毛利さんの彼氏に横恋慕しているような女の事なんか、どうか、心配しないで。
ホント、敵わないなあ。毛利さんが意地悪な女の子だったら、憎む事も出来たけど。すごく思いやりがあって、優しくて。うん、本当に、こんな素敵な人が工藤さんの恋人なら、素直に、仕方がないって、思えちゃう。

警視庁の前で、わたし達は別れた。工藤さんが送ってくれるって言ったけど、それは辞退した。

「まだ、日も明るいし、大丈夫。でも、もし、また痴漢に遭う事があったら、工藤さんにSOSしても、良いですか?」
「ああ。犯人が空っとぼけたら、鉄道警察隊にオレの名を告げてくれ。必ず駆け付けるから」

本当に優しい人なんだな。でも、それって、騎士道精神の優しさで、女性への愛情とは全く違うんだよね。
わたしは、悲しかったけど……とっても、悲しかったんだけど、何だか、どこかサッパリと晴れ晴れとした気持ちになっていた。


   ☆☆☆


「ひろみ、そんな事があったんだ。大変だったねえ」
「うん。で、ごめんね、わたしあの時、杯戸高生なのに、内心、毛利さんを応援しちゃってた」
「ううん、全然イイよ。ま、わたしは直接の対戦相手じゃなかったし。わたしの時は、わたしを応援してくれてたんでしょ?」
「うん、勿論だよ!」

空手部部室に遊びに行ったわたしは、敦子に、数日前の痴漢騒ぎ一連の出来事を話していた。工藤さんと初めて会った時の事や、工藤さんへの恋心は、今も、誰にも内緒、だったけど。

「何かさ、高校生探偵って、持ち上げられてる工藤新一?ひろみの話だと、大したヤツじゃないよね」
「え?そ、そんな事ないよ、彼だって自分の恋人の事だと、冷静になれないって事なんじゃない?」
「そうかもしれないけどお」
「毛利さんも、工藤さんも、カッコ良かったけど。毛利さんの友達の鈴木さんも、カッコ良かったなあ」
「へえ?」
「試合の時は、心の底から、毛利さんを応援してたし。それに、しれっと証拠写真を撮ってて、そのお陰で、痴漢男をぐうの目に遭わせられたんだもん!」
「はいはい。ひろみは、友達のわたしの応援、心の底からしてくれてなかったって事は、よく分かった」
「あーん、そんな事ないもん!ちゃんと敦子の応援、してたもん!」

その時、ドアのところで物音がして、わたしと敦子は思わずそちらを見た。そこに立っていたのは、男子空手部主将の京極さんだった。

「京極さん?どうなさったんですか?」
「女子部キャプテンに、連絡したい事があって来たんですが」
「あー、今、いませんけど……」
「君は?空手部の子じゃないですよね?」

京極さんの目が、こちらを見る。責めている風ではなかったけれど、わたしは慌てて頭を下げた。

「す、すいませんすいません、部外者が部室に来ちゃって……!」
「いや、それを咎めている訳では、ありません。ただ、先程の痴漢の話が気になってしまいまして」
「す、すいませんすいません!」
「だから、君を責めている訳ではないです。その男が、男の風上にも置けないヤツというだけの事。で、帝丹高校の毛利選手と、そのご友人達が、君を助けてくれたんですね?」
「はい、その通りです」
「我が杯戸高生を守ってくれた事、機会があれば、私からもお礼を言って置きましょう」

そう言って、京極さんは去って行った。

そして、わたしの儚い、まともな形にもならなかった初恋は、終わりを告げたのだった。
悲しいけど、でも、嫌な気はしなかった。工藤さん達との出会いは、さわやかな風のようにわたしの心を吹き抜けて行ったのだった。





(三)小さな名探偵


それから、一年近くが過ぎた。

わたしは、恋には破れたけれど、秘かな一ファンとして、工藤さんを追いかけ、記事や写真を集めたりしていた。
けれど、そうこうしている内に、工藤さんはある日突然、ぱったりと、どのメディアにも姿を現さなくなった。

帝丹高校に知り合いがいる子が聞きつけてきた話だと、彼は、単にメディアに出ないだけじゃなく、学校すら、長い事休学してるって事だった。外国に行ったとか、本当は亡くなったとか、様々な憶測が流れ。やがて、そういう噂も、下火になっていった。

クラスメートで、工藤新一に夢中になっていた子たちも、いつしか他のタレントに夢中になっていて。世間を沸かせていた、高校生探偵工藤新一は、すっかり忘れ去られた風だった。
でも、わたしはずっと、忘れなかった。工藤さんは無事なのか、すごく心配だったし、毛利さんはどうしているだろうと、気がかりだった。

そんなある日、わたしは、本当に偶然、電車の中で毛利さんを見かけた。そして、毛利さんの傍らには、眼鏡をかけた小さな男の子がいた。

「コナン君。今日はもう、ご飯作る時間なさそうだから、何か食べて行く?」
「じゃあ、僕、レストラン・コロンボの、ミートソーススパゲティがいいな!」
「コロンボのミートソーススパゲティ?阿笠博士の好物だって、新一が言ってたわね。ま、新一も好物なんだろうけど」

毛利さんの表情は、どこか寂しそうで、わたしは胸を突かれた。工藤さんは、毛利さんの傍にいるのではないの?

「毛利さん!」

わたしは思わず、声をかけていた。

「あら?あなたは、杯戸高校の……」
「長月です、お久しぶりです!」
「本当に、久し振りねえ。元気にしてた?」
「お陰さまで、あれ以来、痴漢に遭う事もなく……」
「そう、良かったわ。わたし、もしかして長月さんが、あの後、どんな時も立ち向かうべきだとか、考えるんじゃないかって、心配で……」
「えっ?」
「わたしは、空手で鍛えているから、あんな時、つい、しゃしゃり出ちゃうけど。武道をやっていない人が無理をして、酷い目に遭わされる場合だってあるから、立ち向かわずに逃げる事だって、悪いとは思わない。自分を大切にね」
「は、ハイ……!」
「長月さん。わたし達、同級生なんだから、敬語なんか使わないで?」
「はい。あ!う……うん!」

ああ、やっぱり、素敵な人だなあ。

「ところで毛利さん、弟君がいたんだね」
「あ、この子は、訳あってウチで預かってる子。江戸川コナン君って言うの」
「初めまして、江戸川コナンです」

子ども――コナン君は、律儀に礼儀正しく挨拶して来た。ふふっ。何だか、可愛い。

そしてわたしは、毛利さんと子どもの隣に座り、色々と話をした。
工藤さんが大きな事件を追っていて、連絡はあるし、たまに戻ってくるけど、学校も休学し、殆ど留守にしている事とか、京極さんと鈴木さんが、いつの間にか恋人同士になっていた事とか、色々。

「ええっ!?ここ最近、有名になった、名探偵・眠りの小五郎って、毛利さんのお父さんなの!?」
「そうなの、探偵は昔からやってたんだけど、新一がいなくなってから、どういう訳か、妙に推理に冴えるようになっちゃって」
「ボクが来た頃は、もう、名探偵だったよね、おじさん」
「……そうだったかしら?ううん、コナン君がうちに来てからだよ、確か。お父さん、コナン君が福の神みたいな事、言ってたもん」

わたしはコナン君をじっと見た。あれ?何となく……この子、どっかで見た事あるみたい?
それを言うと、毛利さんは、

「もしかして、長月さん、キッドの記事を見たんじゃない?」

って言った。

「き、キッド?」
「怪盗キッドよ」
「か、怪盗って……キッド?怪盗、キッド……聞いた事あるような、ないような……」
だって。工藤さんが一課専門だったから、わたし、泥棒の記事になんか、目を向けなかったもの。平成のルパンと呼ばれる大泥棒なんだって……でも、怪盗ルパン、知ってるけど、読んだ事もないし。

「ふふっ、実はわたしも、新一がキッドとは関わった事なかったから、全然、知らなかったんだけどね。園子の方が、前からファンだったみたい。コナン君がウチに来たちょっと後に、鈴木財閥の至宝・ブラックスターが、キッドから狙われた事があって。で、コナン君が、お宝を取り戻したんだよね〜」
「へええ!すごいじゃない!」
「コナン君、キッドキラーとして、何回も、大きな写真入りで新聞に出た事があるのよ」

誇らしげに言う毛利さん。この子の事が、よっぽど可愛いんだな。
そうね。新聞の一面をでかでかと飾っていたなら、わたしが興味持ってなくたって、目に入った事があったのかもしれない。

でも、それだけじゃなさそう。じっと見つめていて、気付いた。

「ねえ、この子、工藤さんに似てない?」
「うん。似てるよね。新一の遠い親戚だって事だけど、本当にソックリだよね。それも、顔形だけじゃなくて、推理オタクなとことか好奇心旺盛なとことか、サッカー好きな事も、もう、ソックリなのよ〜」
「蘭姉ちゃん……」

毛利さんが笑って言い、コナン君は……何か、苦笑してた。

「でもね。新一に、もっと似てるとこがある。それは……正義感が強くて、勇気があって、優しいところ」

毛利さんが真顔になってキッパリと言い、コナン君は今度は真っ赤になった。

「本当に、好きなんですね、工藤さんの事」

わたしの言葉に、

「いやあ」

何故かコナン君が照れ。

「ち、違うわよ、アイツはただの幼馴染みで!」

毛利さんが妙に力説する。

「遠距離恋愛みたいなもんだから、寂しいのは分かるけど、ラブラブの恋人の事、そこまで言わなくたって」
「ううん、違うよ、長月さん。新一とわたしとは、何の約束もない関係」
「えっ?」

毛利さんの思いがけない言葉に、わたしは固まった。

「みんなから、夫婦とかって、からかわれたりするんだけどね。新一とわたし、付き合ってるんじゃないの。本当に、ただの幼馴染み同士でしか、ないんだ」
「えっ!?だけど!」
「新一は、わたしの事、大事にしてくれるけど、それは、あくまで幼馴染みに対してのものかも、しれない。もしかして、って期待しちゃったり、新一にとってわたしはやっぱり、ただの幼馴染みで、女じゃないんだろうなって悲しくなったり、その繰り返し」
「…………毛利さん……」
「新一には、わたしの気持ちなんか、お見通しなのかなって思ったり、全然通じてないの?ってガックリ来たり。でも、新一には、わたしより親しい女の子もいなかったし、彼女が出来た事もなかったし。
このまま、傍にいられるなら、それで良いって。変な事言って関係壊すより、幼馴染みのままで良いって思った。っていうか、勇気が出せなくて。何も言わなかったし、言えなかった。
そしたら、新一が突然、いなくなっちゃって。時々、連絡はあるけど、滅多に会えなくて。今、考えたら、ホント、バカだった。幼馴染みのままで、ずっと傍にいられる筈なんて、ないのに」

わたしは、複雑な気持ちで聞いていた。二人が相思相愛だと思えばこそ、わたしの仄かな恋心は、育てる前に、心の奥深くに仕舞って諦めたのに。そりゃ、わたしなんかはどうせ相手にされないだろうからともかく、工藤さんの事好きな女の子って、きっと山程いるだろうに。
工藤さんの一番近くにいて、そして絶対、愛を注がれていただろう毛利さんが、こんな風に臆病になってて、許されるのだろうか?

「わたしは、それって……ズルイって思う!」
「うん。わたしも、そう思う。ズルイよね。

新一がいなくなる前は、こんな風に、傍にいられない日々が来るなんて、考えた事もなかった。ずっと一緒にいられる幸福に、気付いてなかった。だから、バチが当たったのかな」

毛利さんの寂しそうな微笑みに、わたしは胸をつかれた。幼馴染みの長い歴史なんて、わたしには、想像もつかないけど。
今までの関係が壊れてしまったら、傍にいる事も許されなくなったら。それが怖くて、告白出来ないのも、仕方ないかもしれない。

「わたしから見たら、工藤さん、毛利さんの事、好きな風に見えました……見えたわ」
「ありがとう」

もどかしい。本当に、もどかしい。
傍から見たら、どう見ても相思相愛なのに、毛利さんがこんなに不安がって、辛い思いをしているなんて。

「蘭姉ちゃん、大丈夫だよ。新一兄ちゃん、絶対、蘭姉ちゃんのところに帰って来るから」

コナン君が、毛利さんの袖を引いて、言った。この子、こんなに小さいのに、毛利さんのナイトを気取ってるのかしら?
工藤さんの親戚だというこの子は、何だか工藤さんに似ている。面倒を見ているのは毛利さんの方だろうけど、この子の存在は、毛利さんの慰めになっているのかも、しれない。

「わたしも、そう思う。工藤さんは、絶対、毛利さんの所に帰って来る」

わたしは、確信を持って言った。あれだけ、毛利さんを大切にしていた工藤さんが、他の女性の所になんか、行く筈ないもの。
っていうか、わたしの勝手な言い分だけど、工藤さんが他の女性に心変わりするなんて、そんなの、許せない。

「だから……待ってて欲しいって、わたしも思う。だって……工藤さんと毛利さんの二人は、わたしの憧れだもの」

わたしの口から、強がりでなく、するりとその言葉が出てきて、自分でも驚いた。そうなのだ。わたしの本当の気持ち。工藤さんに恋する以上に、二人の絆は、わたしの憧れだったのだ。
だからこそわたしは、悲しくても、すんなりと諦めがついたのだ。

毛利さんは、ふうわりと、とても眩しい笑顔を見せた。

「ありがとう。大丈夫だよ、わたし、いつまででも、待てるから」

毛利さんは、多分、今も、工藤さんが毛利さんの事を想っているだろう事に、自信があるワケじゃないのだろう。
だけど、彼女は、確信を持って頷いていた。毛利さんが自信があるのは、きっと、彼女自身の気持ち。工藤さんを想う、気持ち。

何となく、だけど。彼女は、工藤さんと離れて、寂しくて辛いだけじゃなくて。想いが育って、より強くなった、そんな風に感じた。

工藤さんが長い事手がけているとあらば、難しく大きな事件なんだろう。でも、早く解決して、毛利さんの元に戻ってきますように。


わたしは、心から願っていた。




(四)青春の終わり


そして、また、半年以上が過ぎた頃。
久しぶりに、本当に久しぶりに、彼の記事が新聞に載っていた。

それからまた、以前のように、彼はメディアに顔を出すようになった。
暫く鳴りをひそめていた頃の事は、差し障りがあって語れないとの事だったけれど。何となく、以前より少し大人びた彼が、そこにいた。

嬉しいと同時に、複雑な気持ちが、わたしの中に湧き起こっていた。
彼への憧れ、彼を素敵だと思う気持ちは、変わらず残っている。恋心も、完全に消えたワケじゃない、きっと。未練があるのとは、違うけれど……でも、気になった事は、他にあった。

彼は、きちんと、毛利さんの所に戻っているのだろうか?毛利さんは、ちゃんと待っていただろうか?
きっと、大丈夫だと、彼らの絆を信じたいと、思うけれど。
もしかしたら、大好きだった筈の物語が無残なラストに終わったような、後味の悪い事になっているかもしれないと思うと、怖くて、とても怖くて。わたしは、二人の事を確かめに行く勇気が、起きなかった。
二人とも、変わっていませんように。今、幸せでありますように。勝手だけど、どうか、どうか、お願いです。




また、更に月日が流れ、大学受験がひと段落し、高校卒業を間近に控えた、ある日。
自由登校となっている杯戸高校へ、電車で向かっていると、米花駅ホームで扉が開いた瞬間、寄り添って立つ二つの影を見つけ、心が震えた。

二人はどうやら、反対方向へ向かう電車に乗る積りのようで、こちらの電車を見る事もない。以前見た時より少し背が高くなった男性が、女性の肩を大切そうに抱き寄せ。女性は甘えるように男性に身をもたれさせている。
以前とは違い、二人の間には、恋人同士らしい甘い空気が流れていた。こうやってみると確かに、以前の二人は、お互いに想い合ってはいても、告白する事なく、まだ幼なじみだったのだという事が、頷ける。

工藤さんが何かを囁いて、毛利さんがはにかんだように顔を上げ。そして、その唇がそっと触れ合う。まるで、映画のワンシーンのようで、溜息が出た。
でも、すぐに電車の扉が閉まり、動き出して、二人の姿はすぐに見えなくなってしまった。

わたしの頬を、熱い滴が流れ落ちて行く。
今、わたしの初恋は、わたしの青春は、本当に終わったんだ。


あれは、確かに恋だった。

あの人は、わたしの心を震わせて吹き過ぎて行った、一陣の風。
わたしの心を揺さぶった、空にかかる虹。

あの人に、あの二人に、逢えて良かった。
わたしの初恋は幸せなものだったって、今、心から思っている。



Fin.




++++++++++++++++++++



<後書き>

このお話は、2011年の新蘭オンリーに出した同人誌の再録です。
元々、エースヘヴン10周年記念短編集で、これの元になった短編を掲載していました。(今もそのまま掲載しています)

オンリーでこのお話を書こうと考えた最初のきっかけは、溝端版コナンドラマから。私的には、萌えどころも多く、すごく好きでした。ただ、蘭ちゃんが痴漢に遭った時の新一君の反応だけは、ちょっと、ウーンってなって。
ヤツなら、絶対、蘭ちゃんが他の男から見られたり触られたりするのを嫌がる筈!蘭ちゃんのお尻を触った男に、容赦なんかしない筈!そこから、少しずつ話が膨らみました。

それと、映画「天空」の、蘭ちゃんの「新一だったらそんな事しない!」とキッドに言い放った台詞に対しての、多くの皆さまの反応「いや、新一君は触りたい筈!蘭ちゃんが勘違いしてる!」に対しての、ちょっとした反発もありまして。新一君が「蘭ちゃんのお尻には触りたいだろう」には同感ですが、触りたいのと、行動に出るのは、天と地程の差があります。蘭ちゃんに許される前に、新一君が行動に出る事は、絶対にないと、私は思う。

少しずつ話は固まって来たのですが。蘭ちゃんに他の男が触るってのは、嫌だから、未遂に終わらせてしまおうとか。だったら、オリキャラを出して、その視点で書いた方が良いかもなとか。
そうだ、オリキャラ視点なら、サイト掲載の短編を書き直したらどうだろう?と閃き、出来上がったのが、このお話です。

「いいひとに逢えたね」は、元々、「新一のテーマ」として作られた、阿久悠さん作詞大野克夫さん作曲の歌です。歌詞が先か、曲が先か、そこは存じません。
10周年短編集で使ったタイトルは、まじっく快斗の「虹のかけら」を除き全て、初期に出た「名探偵コナンソングアルバム ぼくがいる」から取っています。
アルバムの他の曲は、名探偵コナンアニメの中で結構使われるのに比べ、「いいひとに逢えたね」は、耳にする事がとても少ないです。「新一のテーマ」だから、新一君の出番があんまりない事とも、関係あったりするのかなと思います。

歌詞のイメージが、工藤新一君に片思いした第三者女の子って感じだったので、「新一君へ片思いのオリキャラ視点話」になりました。
オリキャラ視点ではありますが、オリキャラが主人公という訳ではなく、あくまで語り手。主役は新蘭の二人です。というか、新蘭園かな?

常々、新一君スキーを標榜する私ですが、今回、新一君を酷い目に遭わせてます……ごめんなさい。でも、蘭ちゃんを守る為、蘭ちゃんを他の男に触らせたくない!って事で、お許し下さい。
アニメ初期のオリジナルバレンタインデー話で、蘭ちゃんを狙うマッチョ男に、コナン君の唇が奪われてしまった話を、思い出してしまいました。好きな筈の新一君のカラダを全然大切にしていない私です(苦笑)。


同人誌版発行:2011年10月9日
サイト用原稿最終作成:2018年2月5日
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