青子の石



byドミ



<プロローグ>

青子のイメージは、ふわふわピンク色。
名前は青だけれど、イメージはふわふわのピンク色。

「サファイアというのは、ルビー以外のコランダムを指すのだよ」

マジシャンである父親は、何故か宝石にも造詣が深く、色々と教えてくれた。

「ホラ、見てごらん。これらは全て、サファイアだ」
そう言って父が見せてくれたのは、紫・黄色・無色・緑など、様々な色をした石だった。
「サファイアは、青いものを指すと思っている人が多いようだが、実はコランダムには様々な色がある。真っ赤なものをルビーと呼ぶ他は、全てサファイア――正式には青いもの以外は『ファンシーサファイア』と呼ばれているが」
快斗は、不思議な気持ちで色とりどりの石を見詰めていた。
その頃の快斗はすでに、仲良しの青子が9月生まれであり、その誕生石であるサファイアから名前を取って「青子」と名づけられた事を知っていた。

「青子の石って、青だけじゃないんだ」
快斗は不思議な気持ちで色とりどりの石を見詰めていた。

それらはサファイアの原石であったが、宝石にするほどの価値があるものではなく。
父親から好きにして良いと言われた快斗は、青子の所に持って行って、好きなものを選ばせてみた。

「これ、可愛くて好き」
そう言って青子が選び出したのは、淡いピンク色のサファイアだった。



「快斗。素晴らしい宝石は、大いなる力を持っている。
その宝石に見合う力を持たない者が無理にその宝石を手にした場合、宝石の力に押しつぶされる事もある。呪いの力を持つ宝石があるのもその所為だ。
逆に、自分の力量に見合った宝石と出会えれば、守護の力を持つ。人と宝石にも出会いというのがあるからね。
欲望で宝石を求めるのではなく、自分や大切な人を守る存在としての宝石を求めるのだ。その見極めを間違えるなよ」

そういった話はまだ幼い快斗にはよく解らなかったけれど、大好きな父が多忙な合間にマジックを教えてくれながら話してくれた事は、全て快斗の中に焼き付けられていた。


   ☆☆☆


黒羽快斗は、その石を見た時、一目で魅せられていた。


深い深い青。
どこまでも深く透き通った・・・雲ひとつない快晴の紺碧の空の色。

大粒で傷一つない、俗に言うコーンフラワー(矢車菊)の青と呼ばれる最高級の色と透明度を誇るサファイア。
ビッグジュエルの1つと言って差し支えない、素晴らしい宝石だった。


「青子に、あの石を贈りたい」
快斗は高校卒業を間近にして、幼馴染から先頃恋人になった少女・中森青子と、更に一歩進んだ関係になろうと思っていた。
その矢先に見つけたのが、件の石であった。

ただ当然ながらその石は、とても高校生である快斗の手に・・・いやそもそも一般人の手に負えるような値段ではなかった。
いやそもそも・・・稀有な宝石として博物館に納められたその石は、値段も付けられる事無く市販されてすらなかった。



「どうしても欲しい!青子に贈るのは絶対あの石でなければ」
黒羽快斗は、既に宝石の魔力に取り込まれかけている事に、自分で気付いていなかった・・・。




(1)きざし

「ば快斗!今日も更衣室覗いてたわね〜!」
「へっへ〜ん。高校3年にもなって育ってないアホ子の胸なんか見てねえから安心しなって」
「やっぱり見たんじゃない!!覚悟〜〜!!」

江古田高校3年B組の教室にて。
勇ましくモップを手にして薙刀のように振り回しているのは、中森青子という少女である。
あかんべをしながら振り下ろされるモップを軽やかな動きでかいくぐっているのは、青子のクラスメートであり幼馴染であり・・・そして一応恋人となった少年・黒羽快斗であった。

青子は、体型にメリハリが乏しいものの、ここ最近女性らしいしなやかさが加わり、大きな黒目とパッチリした睫毛が愛らしく、かなりの美少女と言える。
ただし、黙って座っていればの話だが。

一方の快斗は、悪戯っぽい目をしているがよく見ると顔は整っており、背がさして高くはなく細身に見えるがばねのある体つきをしていて、ハンサムで格好良い青年と言える。
ただしこちらも、黙ってたたずんでいればの話だが。

こうやって青子がモップを振り回し快斗がひょいひょいと逃げ回る図は、どう見ても「餓鬼」そのもので。
傍からこの光景を目にした者は、とても2人が恋人同士であるなど、想像もつかないだろう。



ただ、2年B組からそのまま持ち上がりで2人とは付き合いの長いクラスメート達は、2人がなまじのそこらの恋人達より、ずっと強い、誰も入り込めないような絆で結ばれている事が分かっていた。

「相変わらずねえ、あの2人」
クラスメートの1人が、苦笑いして見ている青子の親友・桃井恵子に声をかけた。
「もうホント。曲がりなりにも恋人同士になってるってのに、全然変わってないんだから」

「あら。それは、あの2人がまだ『大人の関係』になってないからではなくって?」
アルトのけだるげな声が背後から聞こえ、恵子達は振り返った。
そこに立っているのは、長い艶々の黒髪も麗しい、とても高校生とは思えない妖艶な美少女・小泉紅子であった。
「ええ?小泉さん、そんな事分かるの?」
紅子がふふんと鼻先で笑う。
「わかるわよ。中森さんがまだ『女』になっていないって事位は・・・ね」
「え〜〜!?小泉さんってすごい!どうやってわかるの?」
「それは、企業ヒ・ミ・ツvv」

そう言って高笑いして去って行った紅子だった。
「小泉さんって、相変わらず謎な人よねえ」
「うん・・・あんなに大人っぽく綺麗な小泉さんって・・・もしかしてやっぱり・・・経験済みよね?」
「それも、相手は1人2人じゃなさそう・・・小泉さん位に美人で大人っぽい人なら、普通と違って、食われてぽいと捨てられるのは男の方なのかも」
「でもさあ、あの位の人なら、お相手はその辺の男どもじゃないわよね」
「そりゃあ、一介の高校生とかじゃなくって、ハイクラスの金もルックスも併せ持っている大人の男性でしょうねえ」
「小泉さんクラスなら、そういう男性をたくさん僕(しもべ)として従えていそうよね〜〜」

去って行った紅子は、クラスメイト達からまさかそのような下世話な噂をされているとも知らず、突然悪寒を覚えて不審がっていた。

一方、快斗と青子は・・・相変わらず追いかけっこを繰り広げていた。


   ☆☆☆


「快斗、今日はおばさんお仕事で帰れないんでしょ?うちもお父さん当直だから、ご飯作りに行ってあげるよ」
「ホントか?やりぃ!」
帰り道。
青子と快斗は、教室での戦い(?)が嘘のように、仲良く肩を並べて歩いていた。
「腕によりをかけて作ってあげるねvお魚料理vv」
「げげ!それだけは勘弁・・・」
快斗は青子の言葉に心底から脂汗を流す。
快斗は魚と言えば、その形をしたものを見るだけでも駄目な位に苦手なのだった。
「な〜んでそこまで嫌いなのかなあ?美味しいのに」
「た、た、た、頼むから!話だけでもやめてくれ!」

青子がちょっと肩をすくめて言った。
「青子、お魚を使わないお料理、たくさん覚えなきゃ、将来困っちゃうね」

快斗は、かっと頬に血が上るのを感じた。
『こいつ。分かってて言ってんのかよ?』

そう、青子が言っているのは、どう考えても「未来予想図」。
つまり、2人が結婚した後の事を指していると考えられる。

もっとも、快斗にはおおよその見当がついていた。
青子は、将来快斗と結婚する日の事を思い描いていたにしても。
毎日美味しい料理を作って家の中を整えて、「行ってらっしゃい」と夫を送り出す、そういったままごとみたいな部分しか想像していないに違いないのだった。

青子は、高校3年生になり、一段と綺麗になって。
「お子様」だの「アホ子」だのとからかいながら、快斗は時々眩しく思う事がある。

最近の青子は男子生徒達から、熱いまなざしや好色の目で見られる事も多くなった。
そういった虫達は快斗が気付き次第いつも蹴散らしている為もあって、青子自身はそのような事に全く気付いてないが。

そして青子が女性として花開き始めているのに今も変わらず、気持ちと態度は子供子供しているので、快斗は尚更にやきもきしていた。
そういった焦りもあり、快斗は青子を早く自分のものにしてしまいたい衝動を、最近抑えるのが困難になって来ていた。



「お邪魔しま〜す」
青子は、家に誰もいないと判っているのに、きちんと挨拶をして黒羽邸の玄関に上がった。
青子は子供っぽいようでいて、昔からそういった礼儀作法はきちんとしているのだ。

青子が鼻歌を歌いながら、快斗の為に料理をする。
その後姿を微笑ましく見詰めながら・・・ふと快斗はどうしようもない衝動に駆られて思わず青子の背中に手を伸ばした。
その途端に、気配を感じた訳でもないだろうが、青子が振り返ったので、快斗は慌てて手を引っ込めた。
「快斗、どうしたの?」
青子が首を傾げて無邪気に快斗を見やる。
その邪気のない顔が、かえって今の快斗には苦しい。
「あ・・・いや。何か手伝う事はねえか?」
「ううん、大丈夫だよ。青子、慣れてるもん。快斗、なんなら部屋で待ってて」
「けど・・・」
「あ〜!目を光らせてないとお魚料理作るとか思ってんでしょ!そんな事しないから、待ってて!」

青子に強く言われ、快斗は2階にある自室へと引き上げて行った。
同じ屋根の下に2人きりでいるのに、何も感じていないらしい青子の様子が、何とも恨めしい。

「アホ子。オレだって男で、オメーは女なんだぞ。分ってんのかよ」

普段青子の事はお子様扱いしている自分の事は棚に上げ、快斗は独りごちる。
もっとも、青子がそういう人並みの警戒心を快斗に対して持っていたら、そもそも今日家に来てくれる事もなかったであろう。

「快斗〜!御飯出来たよ〜!」
階下から青子が叫ぶ声が聞こえ、快斗は頭を一振りして階段を下りて行った。



青子の料理は、流石に普段作り慣れているだけあって美味しいものだった。
食後、お茶を飲んでくつろぐ頃には、快斗のもやもやも一旦落ち着いていた。

この流れだと青子を家に泊める事になりそうだが、何とか理性を保って落ち着いていられると・・・この時点で快斗は思っていた。

食後くつろいだ後は、青子は快斗の部屋で(一応2人とも受験生なので)一緒に勉強して過ごした。
ひと段落したところで快斗がお茶を入れて自室に戻ってくると、青子がパネルの前で黙って立っていた。
等身大の黒羽盗一・・・快斗の亡き父親の写真が貼られているパネルである。



青子には、黒羽盗一が怪盗キッドの一代目で快斗がそれを継いだ事も、パンドラの事も、父親が殺された事も、全て・・・快斗がパンドラを見つけ出し父親の敵を討ち怪盗キッドを廃業したその時に、打ち明けてあった。
そして青子が全てを許し、快斗をキッドの存在ごと受け入れて抱き締めてくれ・・・快斗は長年の想いを青子に打ち明けて、2人は恋人同士になったのである。


青子は、どんな思いで、盗一の遺影に語り掛けているのだろう。

「青子・・・」
青子が泣いているのかと思って思わず快斗は声をかけたが、振り返った青子の目には、涙は浮かんでいなかった。
「快斗。快斗のお父さんとも、約束したよ。青子は、ずうっとずうっと、快斗の傍にいるからね」

それが、青子なりの慰めの言葉である事は、快斗にも解っていた。
けれど、青子の表情と言葉に、快斗の中で押し留められていた欲望が、むくりと頭をもたげたのだった。

「快斗?か・・・んっ・・・」
知らず、快斗は青子を強く抱き締めて、激しくその唇を求めていた。



キスをするのは、初めてではない。
青子と恋人になってからは、何度かついばむような優しいキスを交わしていた。
けれど今夜のキスは違っていた。
奪うような激しいキスに、青子の体は強張って行く。

青子が怯えているのは分っていたが、快斗は止められなかった。

「うっ、ん〜、ん〜!!」
快斗が青子の唇を割って自分の舌を青子の口腔内に侵入させた時、青子が渾身の力でもがき始めた。
快斗の胸を必死で押してくる青子の腕に、快斗は胸に苦いものが広がるのを感じ、そっと青子を離した。

青子が少し後退って、ギュッと自分の胸を抱き締めるようにする。
その目に涙が浮かんでいるのを見て、快斗は自分の拳をギリ、と握り締めた。


「青子。嫌・・・なのか?」
快斗が思わず発した問いへの、青子の答えは予想とは異なっていた。

「イヤなんじゃない、そんなんじゃないよ!だけど・・・!」
青子が目に涙を溜めて快斗を上目遣いで見る。
その姿はいつもの子供子供した青子とは違い扇情的で、快斗は更に理性の緒を締め直さなければならなかった。
「青子は、青子は・・・快斗のことがイヤなんじゃないよ。快斗が望むんなら・・・青子が持ってるものは、全部、快斗のものなんだから。だけど、違うでしょ。快斗は、快斗は、青子にそんなの・・・望んでるんじゃないでしょ」

青子はしゃくりあげながら、必死な様子でそう言った。

「オレが、青子を・・・望んでるんじゃないって・・・どういう事だ?」
「青子には、うまく説明できないけど。快斗は、なんで青子が欲しいの?」

「何でって、そりゃあ、あ・・・」
当たり前の事、と言おうとして、快斗は言葉に詰まった。

恋人同士なら、当たり前の事。
愛する女性の全てを得たいと思うのは当然の事。

そう言いたかったが、何かが引っ掛かっていた。


快斗は、青子を欲している。
それは幼い頃から――時計台で青子と初めて会った時から変わらず、ずっと願ってきた事だ。

けれど、「青子が欲しい」という思いは、このような形で叶えられるものだったろうか?



この時の疑問を快斗がもっときちんと突き詰めていたならば、これから起こる事は避けられていたかも知れない。
けれど快斗は、「青子に拒まれた」事にショックを受けていたのと、これ以上青子と一つ屋根の下2人きりでいたら自分が何をしでかすか分からないという危惧とで、それ以上考えるのを放棄した。




「青子。わりぃけど、オレ、今は冷静になれそうもねえ。今夜は帰った方がいい。送ってくから」
快斗がそう言い、青子は俯きながら頷いた。

そして2人、満月の光が明るい夜道を、中森邸まで歩いて行った。

青子は始終俯いたまま、一言も喋らない。
そしてちょっとだけ快斗と離れて歩く。
その距離は、元々の幼馴染だった時のように、つかず離れずといった感じだった。
快斗にはそれがもどかしい。

怪盗キッドが飛ぶのに相応しい様な満月を見上げながら、快斗はどうしてこのような事になったのだろうと考えてしまう。



「今夜はね、お父さん、江古田博物館に展示されている宝石の警備に当っているの」
突然、青子が口を開いた。
快斗は、青子が何故突然そういう話を持ち出したのかと訝りながら、言葉を返す。
「ああ。『ブルーファンタジー』か?怪盗キッドだったら追い求めそうな、大粒のサファイアだよな。けど、キッドの予告状も来ていないのに?」
「だってお父さんは、怪盗キッドが引退したって事、知らないもん。あれだったら絶対キッドが欲しがるに違いないって、張り切って警備してたよ。・・・やっぱり快斗、無関心そうにしてても宝石の事は気になるんだね。で、そのサファイアって、キッドが狙いそうな宝石だって思う?」

そう。
もう怪盗キッドは引退しているし、キッドでない素の快斗は、宝石など欲しがらない只の高校生だ。

そもそも怪盗キッドが大粒の宝石を狙っていたのは。
命の石・パンドラを捜し求めていたから。

既にパンドラを見つけ出し破壊した今となっては、宝石には興味がない筈なのであるが。
やはり気になってちょっと調べてみてしまうのは、身についてしまった性と言うべきか。


「ああ。パンドラが見つかる前だったら、キッドが狙っていたかも知んねえな」

快斗はそう答えた。
内心では、「青子の石だな」とも思いながら。

青子の誕生日は9月であり、青子の名前は9月の誕生石・サファイアから来ている。
だからサファイアは、青子の宝石、青子そのものであるという気が少ししていた。

だが「ブルーファンタジー」は、その気高い姿に関わらず、殆どの持ち主を不幸にした事で有名である。
歴代ブルーファンタジーを所有したのは大抵女性であったが、「呪いを跳ね返す宝石」「誠実・貞節さを与える宝石」に似合わず、夫を裏切り・裏切られ、あるいは家族を亡くし、女性・妻としての幸せを失ってしまうのが殆どであった。
骨肉の争いの末に、家中で流血沙汰が起こった例も1、2回ではない。
結局、個人がブルーファンタジーの持ち主になる事はタブーとして、博物館に納められるに至ったのだった。


快斗は直接にブルーファンタジーを見た事はなかったが、青子の守護石である美しいサファイアがそのような存在であるとは、信じ難いと思っていた。

快斗のもの思いを、青子の声が現実に引き戻す。

「快斗。もう、盗みは駄目だからね」
「わーってるよ。ってか、私利私欲では盗みをやってねえだろ?」
「うん、怪盗キッドが私利私欲で盗みをしてないのは、分かってるよ。でも、警察の人達や探偵達を煙に巻いて振り回すのは、楽しかったでしょ?」

青子の言葉に、快斗はドキッとした。
青子は、お子様なようでいて、時々こうして鋭く本質を突いてくる事がある。

快斗は欲望で盗みはしていなくても、警官や名だたる探偵達との駆け引きとスリルを楽しんでいた部分が確かにあった。

『待てよ。さっきの青子の態度は、オレ自身自覚していない、何らかの部分を感じ取ってたって事か?』
ふと快斗がその事に思い至った時。
「快斗。送ってくれてありがと」
2人は中森邸の玄関に着いていた。



(2)ブルーファンタジー

中森邸からの月に照らされての帰り道。
今迄どれだけ通ったか分らない通い慣れた道の筈なのに。
快斗は、ふと道端で見慣れない店を見つけた。

今迄気付かなかったのに、当たり前のようにその空間に馴染んでいる、古びた洋風の小さな店。
シャッターはまだ下りていず、店の奥には明かりが見える。

快斗が見上げると、
[青の宝石屋]
という看板が目に入った。


胡散臭い思いは抱いていた筈なのに、その店の名に惹かれて。
快斗はドアを開け、店内に足を踏み入れた。


古びた店内に、半貴石で作った飾り物や、水晶の置物、原石などが雑多に陳列されている。
けれど良く見ると、玉石混交といった感じに、かなり価値の高いと思われる宝石が混じっていた。



快斗は、あるサファイアに目を奪われた。
大粒の、深い深い青色で透明度の高い、最高級のサファイア。

「ブルーファンタジー・・・」
快斗が呟く。
中森警部が今頃警備している筈の宝石が、何故ここにあるのか?


「お気に召しましたかな?その宝石――ブルーファンタジーが」
いつの間にか、気配も感じさせずに現れた老紳士が、快斗に声を掛けて来た。

「オメー、これを盗んだのか?」
快斗が低い声で尋ねる。
自分自身も泥棒だったので、他人が泥棒であろうとそれを咎めだてする気も権利も、快斗にはない。
けれど、勝手な理屈だと分っているが、中森警部が守っている宝石が、怪盗キッド以外の人間に盗まれるのは我慢ならなかった。

「とんでもない!私は宝石自身が、自分の望む主人に出会える手助けをするだけの存在に過ぎない。その宝石は、誰かが盗んだのではありません。自分の主人となる存在を探していた。そして、その橋渡しとしての私を頼った。それだけです」

「で?宝石の代価として、何を望むんだ?オレには、とてもこれに見合うだけの代価を払える経済力はないぜ」
「おお、勿論、そのような事は判っておりますよ。ブルーファンタジーが、主人としてのあなたを望んでいる。私はその望みを叶えたいだけ。それではいけませんか?」
「ブルーファンタジーがオレを?そんな馬鹿な事・・・」

快斗は鼻で笑ってそう言って、再び宝石を見やった。

青い青い・・・最高級のサファイア。

ふと何故か、石と重なって、先程涙ぐみながら上目遣いで快斗を見た青子の姿が浮かんだ。
おそらく快斗以外の誰も知らないだろう「女」としての青子の姿が、宝石と重なり。
青子の石だ、と思った。

その瞬間に、宝石の魔力に取り込まれてしまった事に、不覚にも快斗は気付かなかった。

   ☆☆☆

快斗が帰った後、青子は自宅の玄関でふうと溜息をついた。
青子は快斗が大好きで、幼い頃から大好きで、出来る事なら快斗のお嫁さんにいつかなりたいと思っていたし、快斗から告白を受けた時には本当に夢のようだった。
快斗が怪盗キッドだったと知った時は驚きもしたけれど、青子だけにその事実を打ち明けてくれたのが嬉しかった。

快斗と深い関係になるのには、不安や怖さがないと言えば嘘になるが、決して嫌ではないし、心のどこかで待ち望んでもいる。
男性の欲望は女性のそれとは違うらしいけれど、快斗に「欲望を抱かれた」事自体が嫌だと言うのでもない。
なのに何故今日拒んだのか、自分でも実はよく分かっている訳ではなかった。

ただ漠然と、どこか何かが違うと感じたのである。


ふいに、呼び鈴の音がして、青子は飛び上がりそうになった。
ドアの内側から、「どなたですか?」と声をかけると、「お届けものです」と男性の声が返って来た。
チェーンをしたまま、少しドアを開ける。
外に立っていたのは、宅配便業者とはちょっと・・・かなり違う風体で、青子が何度か会った事のある年配の男性だった。

   ☆☆☆

次の日。
新聞にはデカデカと、
「怪盗キッド、予告なしに宝石を強奪!?」
という見出しが躍っていた。


江古田高校3年B組の教室では、その話題で持ちきりだった。

青子が快斗の所に来て、心配そうに声を掛ける。
「快斗。怪盗キッドの偽者が現れたみたいだけど、どうするの?」

青子は昨夜「キッド」の犯行時刻に快斗と一緒に居た為もあり、宝石を盗んだのがキッドではない事が分っているのである。

「んあ?別に、どうする必要もねえだろ?」
「だって・・・冤罪でしょ?」
「けど、どうすりゃ良いってんだ?警察に行って『本物の怪盗キッドはオレですが、今回の犯人は違います』とでも言えと?」
「そ、そういう訳じゃないけど・・・」


「黒羽君」
快斗の背後から声がして、快斗は顔を顰めながら振り返った。
「ああ?んだよ?」
声を掛けた紅子は、快斗をじっと見据えて言った。
「最近、妙なものに出会わなかった?」
「妙なものって・・・何の話だ?」
「私からの忠告。怪盗キッドともあろう者が、宝石に呑まれるようでは、お話にならないわよ」
「・・・怪盗キッドが、何の関係があんだよ?」
「まあせいぜいお気をつけあそばせ、ほほほ」

紅子は高笑いをして去り、憮然とした快斗と、呆然とした青子がその場に取り残された。
「ねえねえ快斗、紅子ちゃん、キッドの正体知ってるの?」
「・・・不覚だが、気付かれちまったらしいんだよな。ったく、情けね〜」
「紅子ちゃんは、おまじない出来るからね。ばれても仕方ないよ」

青子の言葉に快斗は驚き、改めてマジマジと青子を見る。

紅子は正真正銘の魔女で、その事を知っているのはクラスメートの中でもおそらく快斗だけであろう。
青子はのほほんとしているようでいて、妙に鋭く本質を突くところがある。
紅子はまさしく「おまじないが出来る女」、それ以上に紅子の真実を表す言葉はないと言って良い。
青子は自分でもそれに気付いてはいないようだけれど。



高笑いをして去って行った紅子は、少し離れた所から心配そうに2人を振り返った。
「黒羽君ともあろう者が、まさかね。今迄数々の名のある宝石を盗み出し、その力に全く惑わされなかったあの人が、たかだかあの程度のサファイアに呑まれるなんて考えられないわ。
でも、かすかに魔法の痕跡も感じたのよね・・・」

快斗自身は魔法は使えないが、耐性はある。
世界中でただ1人、赤魔法の使い手である紅子の虜にならない男性なのだから。

その快斗が、まさか誰かの魔法に捕えられるなどとは信じがたく。
けれど一抹の不安も感じながら、紅子はその場を去って行ったのである。




快斗は、ふと気付いたように教室を見回して言った。
「そう言や、白馬のヤロー今日は学校に来てねーみてーだな」
「昨日盗まれた宝石の捜査に当たってるみたいよ。白馬君は、今回の犯人は絶対怪盗キッドじゃないって言ってるわ。それはうちのお父さんもだけどね」
「ふうん。まあ確かに、あの2人だったら分かるのかもな」
「お父さん、盗まれた宝石の事で、今夜も泊まり込みみたいなの」
「そうか・・・」

快斗は、青子をじっと見詰めた。
青子は、昨日の今日なのに、何事もなかったかのように振舞っている。
快斗は、ホッとすると同時に、面白くない。
青子が昨日の事は何とも感じていないかのような(冷静に考えればそんな筈はないのだが)気がしてしまうのだ。



快斗自身は、自分がおかしいという自覚は微塵もなかったが。
怪盗キッドの偽者が宝石を盗んだと言うのに何とも感じないのは、今迄の快斗からすれば、充分過ぎるほどおかしい事だった。




「青子。ちょっとオメーんちに寄ってっても良いか?渡してーもんがあるんだ」
「うん、わかった。でも、ご飯はおうちに帰って食べるよね?小母さん今夜は留守じゃないでしょ?」
青子がちょっと上目遣いで快斗を見て答えた。
快斗は、「やっぱり警戒されてんのか?」と内心苦笑しながら、
「ああ」
と頷いた。



快斗には、勝手知ったる中森邸。
快斗と青子は、初めて出会った時から、お互いの家をいつも行き来していたものだった。

快斗は父親を、青子は母親を、幼い頃それぞれに亡くしている。
ただ、快斗の父親は青子も知っているが、青子の母親は、快斗は直接知らない。
快斗が青子と時計台の所で初めて会った時、既に他界していたから。
青子自身も母親の事は朧にしか覚えていないと言う。

救いと言えば、どちらの家族とも、夫婦・親子で充分に愛し合っていたという事だ。
死によって別たれてしまった事は悲しい事ではあるけれど、微かな記憶であっても、亡くなった親に愛し可愛がられていたのは確かな事で。
今でも快斗と青子の心を奥深い所で温かく照らしてくれる。

快斗の母親も、青子の父親も、再婚はせず、肩肘張ってでなく自然体で、残された子供を可愛がって育ててくれた。

だから、快斗も青子も、片親である事を辛いと思った事はない。
死んでしまった親に会えない事を淋しいと思ったり悲しいと思ったりする事はあっても。

別に傷を舐めあうという訳ではないけれど。
お互いに、欠けた家族を埋め合うかのように、家族同然の付き合いをして来た黒羽家と中森家だった。


今、快斗は、なくしたものを取り戻す為にではなく、未来を共にする新しい家庭を青子と作りたいと考え始めている。
まだ高校生ではあるが、この先共に人生を歩み一緒に家庭を築く相手は青子しか居ないと、そう思っていた。



「快斗、何か飲む?ココアで良い?」
快斗は頷き、青子が台所に消えた。
リビングのソファに座り、快斗はかばんの中から取り出した物をギュッと握り締める。
今の快斗は、それを青子に渡す事が、2人の新しい関係を作る為にどうしても必要だと・・・思い込んでいた。


青子がココアを淹れて、快斗の前に置いた。
お湯を注ぐだけで出来てしまうインスタントではなく、きちんと牛乳でココアパウダーを練って作りホイップした生クリームを浮かべた、本格的なものである。
自分が好きだからというのもあるが、甘党の快斗の為もあって、青子はいつもこのようにしてココアを作っていた。

その温かさが、快斗の体に染み渡って行く。
『オレがアイスクリームみたいに冷たいとしたら、青子はココアみたいにあったけーな』
快斗はそう考え・・・ふと一瞬、青子の温かさに「あれ」はそぐわないのではないか、と思ってしまった。
が、すぐに頭を振ってその考えを打ち消す。
『あれは、青子の・・・青子そのものなんだから』


「快斗、どうしたの?」
青子が快斗の顔を覗き込んでくる。
「ああ、青子。オメーに渡してえものがあるんだ」

そう言って、快斗がテーブルの上に置いたものを見て。
青子は息を呑んだ。


指輪に出来ない位大粒で(その為かチョーカーに加工してある)深い青色をした宝石。
宝石の目利きが出来ない青子でも、とてつもなく高価そうと思える位の素晴らしいものだった。

「かいと・・・どうしたの、これ?まさか・・・!」
「言っとくが、盗んだんじゃねーぞ。ああ、まあ・・・これは見た目程高いもんじゃねえんだ。一応サファイアだけど、一介の高校生であるオレにも手に入れられる程度のもんで・・・サファイアはオメーの誕生石だからさ」
「快斗・・・ありがとう・・・」

素直に喜ぶ青子を見て、快斗の中に残るまともな部分の良心が少しばかり痛む。

快斗は、確かにこれを盗んだ訳ではないし、法外なお金を支払った訳でもない。
けれど、この宝石自体は、とても一介の高校生に手が届くような代物ではない、中森警部が警備していて盗まれてしまった、世界有数の宝石・稀有なサファイア「ブルーファンタジー」なのである。

快斗が青子の胸にそのチョーカーを着けて上げた。
「嬉しい、快斗・・・」
そう言って顔を上げた青子に、快斗は少しばかり違和感を覚える。
いつもの無邪気な表情とは違う、ちょっと艶を感じさせる笑顔。

けれど快斗は、青子も大人になりかけているのかと思い、違和感を振り払った。

「ねえ、快斗。もう帰らなきゃいけない?」
青子がそう訊いて来たので、快斗は首を横に振った。
おそらく、快斗の母親は、快斗が中森邸に泊まると言っても特に咎めだてしないに違いない。

それは快斗を信頼しているからというのでもなく、青子相手だったら間違いを犯してさっさと嫁に貰っても良い位に考えている為だ。



快斗をじっと見上げる青子の瞳が、熱く潤み、きらめいている。
快斗が青子を抱き締め唇を重ねると、青子はいつになく情熱的に快斗の首に手を回して抱きついてきた。
快斗の理性が食い破られて行く。

けれど快斗の奥底のどこかで・・・微かに警鐘が鳴り始めていた。



(3)青子の石

快斗と青子は、口付け合ったまま、ソファーに倒れ込んだ。
青子がその眼差しで快斗を誘い・・・自らの襟元を開いて行く。
快斗はその首筋に唇を落とし、そのまま胸元まで辿って行こうとした。

けれどその時、青子のはだけかけた胸元で何かが淡い光を放ち。
快斗は自分の心の奥で大きく鳴り響く警鐘を聞いた。



快斗は体を起こし、頭を一振りし、そして僅かに残る理性を総動員させて青子を離した。

「かいと?どうしたの?」
青子が、快斗を熱い眼差しで見上げて来た。

いつもの青子と違うそれは、ただ単に「大人の女性」の眼差しであるというのではなく。
青子だったら絶対に持ち得ない、邪な何かに彩られていた。

髪も肌も目鼻立ちも華奢な体つきも、いつもと何も変わるところはない、快斗が愛して止まない幼馴染の少女のもの。
けれど、そこにいるのは青子ではなかった。
いや、青子の中に、何かが潜んでいた。


「オメーは、誰だ?」
快斗は、青子の中に潜むものに問いかけた。

《青子は、青子よ。他の何者でもないわ》
「違う。オメーは、オレの青子じゃねえ!」

青子は・・・青子に潜む何者かは、艶然と笑った。
《どこが違うの?私は、あなたが欲している青子そのものよ》

「違う!青子だったらオレをそんな風に誘う真似はしねえ!」
そう言い切った快斗に向かって、「青子」は高笑いする。
《快斗は青子の事、全然解ってないよ。
青子は臆病だっただけで、自分から誘えなかっただけで、本当は快斗に抱いて欲しいってずっとずっと思ってた。淫らな事だって考える、普通の女だよ。
昨日だって本当は、強引に青子を求めて欲しかったのに、意気地がないんだから》

そう挑戦的に言った「青子」に、快斗は冷たい目を向ける。
「ちょっとばかり青子の記憶をトレースした位で、オメーに青子の何が解る?
あいつの本質をどれ位理解出来るってんだ?
あいつはそんな安い女じゃねえよ。オメーが束になってやって来たって、青子に比べれば屑ほどの価値もねえ。あいつは、この世でたった1人の『オレの女』だ」

《な、何を!?あの時快斗は私の事を、『青子の石』だって思ったじゃないの!》
屑扱いされた怒りの為か、「青子」の顔は今や醜く歪んでいた。

「バーロ。他人の女の顔を、勝手に歪めてんじゃねえ。オレはあの時オメーの事を確かに『青子の石』だって思った。青子の守護石として相応しいとな。けどそれは間違いだった。オメーは青子の身に着けるだけの価値はねえ」
《快斗・・・》
「ブルーファンタジー。オメーの以前の持ち主って、余程人格が破綻してたんだな。オメーは以前の持ち主の人格をトレースして擬似人格を持ったんだろう?
今までの持ち主が皆不幸になったってのは、皆性格が悪過ぎたんだな」
《何を・・・じゃあこの『青子』の人格をトレースすれば、良いんでしょ?そしたら、この身は青子のものだから、私は快斗の愛する青子そのものになれる》
「バーロ。オメーのような邪悪の存在に、青子の人格トレースなんて出来っかよ。それに、いくら青子をコピーしたって、無駄だぜ。オレは『青子』が欲しいんだ。他の存在は、要らない」


快斗は話しながら、自分がこういう風に考えていたのかと自分で驚いていた。


快斗が初めて青子と会った時、とても愛くるしい顔と、淋しそうに佇む様子に一目で心奪われた。
まだ小学校にも上がっていない餓鬼の頃とは言え、最初の出会いは「一目惚れ」だった事は否めない。
後になって、青子より客観的に美人と思われる女性に出会っても全く心が動かなかったところを見ると、早い話、「青子の顔が好み」だったのであろう。

では、顔さえ同じなら良いのかと言えば、そうでもない。


以前、怪盗キッドを追い詰めた探偵の事を調べている内に、毛利蘭という少女を知る事になり。
初めてその顔を見た時は、青子とあまりに似ているので驚いたものである。
顔が似ている少女は、性格も青子に似ていた。
純粋で、真っ直ぐで、どこまでも他人に優しい部分など、かなり共通していると言える。
けれど、毛利蘭の優しさは、母親の愛に似て包み込み慈しむような優しさだった。
これに対し、青子の優しさは、何ものにも汚されない、天使のような純真さを具現化した優しさだった。
彼女とは「仕事」絡みで何度か会う事になったが、その度に、「青子だったらどんな反応するだろう?」「青子だったらどんな表情をするだろう?」と、青子の事ばかりを考えてしまっていた。



快斗が青子以外で唯一「惹かれた」と言える、サブリナ公国のアン王女は。
金髪碧眼で一見そうとは見えないけれど、実は容姿が青子に似ていた。
性格となると、更に青子にそっくりだった。
王女として育った故に純粋で穢れを知らず真っ直ぐなアン王女。
市井に生まれた庶民の娘ではあるけれど、青子はその気高い魂・穢れを知らぬかのような純粋さがアン王女と共通している。
ただ、青子の場合は。
王女様のように「綺麗なものだけを見て育った」訳でもなく、清濁併せ呑みながら、どこまでも清いという違いがあった。



結局の所。
快斗が青子に惹かれた最初は確かに「一目惚れ」だったが。
ただ見た目の可愛らしさが好きなのではなく、いつのまにか「中森青子」という少女をその魂ごと、丸ごと、愛してしまっていて。

青子に似た女性には多少気を引かれはするものの、やはり「青子でなくては駄目」なのであった。




快斗も年頃の男であってみれば、愛しく思う女性を自分のものにしたいという欲望を抱くのは、当然と言えば言えるが。

最近、青子が綺麗になって来て、虫がたくさん近付いて来たり。
なのに青子がそれに対して無頓着だったり。
色々あって、とにかく自分のものにしてしまいたいと焦る気持ちがあったと思う。


けれどそもそも、快斗は青子が大好きで、青子の笑顔を守りたくて。
初めて会った時に、快斗がマジックで出した薔薇に笑顔になってくれたその笑顔を、いつも見て居たかったのだ。

青子とはいつか自然に結ばれ、ひとつになれる事を願っていた筈なのに。
最近はそれを忘れて、早く青子の体を我が物にしたい、一線を越えたいと焦るようになっていた。




「はは。原点を忘れちまってたから・・・青子に拒まれちまったんだなあ」
快斗はその事に思い至り、ちょっと苦笑いした。



ブルーファンタジーが口を開いたので、快斗は状況を思い出してハッとなった。

《でも、青子だってここに居るのよ。私はここから離れるつもりはないから、私を拒むって事は、青子を拒むって事になる》

快斗が手を伸ばして、青子の首に付けたチョーカーを取ろうとした。
しかしその時、チョーカーが縮み、青子の首に食い込みかけ、快斗は真っ青になった。

「おい!止めろ!青子に何かしてみろ、オメーをぜってー許さねえぞ!!」

《ば快斗。私が「青子」の命を握っているのを、忘れない事ね》
ブルーファンタジーは、再び青子の首を緩め、青子の口でそう言った。
快斗は怒りで身が震えたが、青子を危険に晒す訳にはいかない。
怒りを極力抑えながら、声を絞り出した。

「何が望みだ・・・?」
《快斗が、私のものになってくれれば良いのよ》
「具体的に、どうすれば良い?」
《青子の体を抱いて。そうすれば、あなたは私のものになるわ》

おそらくは、その行為を通じて、快斗はブルーファンタジーの「虜」になってしまう、そういう事なのだろうと考えられる。


自分自身の事よりも、青子を取り戻すにはどうすれば良いのか。
青子の意思を無視して青子の意識がない状態で青子の体を抱くのは、快斗としては避けたい事であったが、それよりもっと大きな問題がある。
たとえここでブルーファンタジーの言う通りにして青子の体を抱いたところで、この魔石が青子から離れてくれないであろう事は明白だという事だ。


「そもそもオメーは何で青子に取り付いた?何でオレを望み通りにしようとする?」
《私が、怪盗キッドに恋をしているからよ!》
「へ?オレがオメーに会ったのは、昨夜が初めてだろ?」
《間違えないで。私は「怪盗キッド」に恋してるの。もう10年以上も前からよ》
「・・・!!親父・・・こんな置き土産を残しやがって。恨むぜ」



『君の甲斐性のなさを、私の所為にしないで欲しいね』
突如、声が聞こえ。
快斗は思わず周りを見回す。

直後、青子の胸元からピンク色の光が放たれ、その瞬間、
《な、何だこれは!!?ぐ、ぐああ・・・・・・っ!!》
青子に乗り移ったプルーサファイアが突然激しく苦しみだした。
「お、おい青子・・・・・・ん!?」
快斗がふと見上げた時、空中に薄ぼんやりと透けた男性――怪盗キッドの姿が現れていたのに気付いた。

「!!親父!幽霊になったのか!?」
快斗の呼びかけに、怪盗キッド1代目の幻は、答える。
『正確には、ちょっと違う。これは君の父親の残留思念といった存在で・・・まあ幽霊に似たようなものだとは思うが、元々の存在が魂としてこの世を漂っているのかあの世に行ってしまったのか、それは知らない。
ま、どちらにしろ、私としては、もうちょっとばかり「マシ」な置き土産を残しているつもりなのだがね。
青子ちゃんがどういう存在なのか、よく考えてみてごらん?青子ちゃんの守護石が、そのような魔性のものでない事位は、君にもよく解るだろう?』
「ああ。不覚だったぜ。こんなものに操られてるとはな。だけどとにかく今は、青子を助けたい。オレが甲斐性なしだろうと何だろうと構わねーが、どうやったらこの擬似人格持った魔性の石を青子から離せるんだ?」

『快斗。青子ちゃんの首から、そのチョーカーを取り除いてごらん。今だったら、大丈夫だから』

《ま、待てやめろ・・・・・・!そ、そんな事をされたら私は・・・・・・!!》
まるで恐怖に慄くかのようにブルーサファイアは光を点滅させた。

「うるせー!つべこべ言わずにとっとと青子から離れやがれ!!」
《ぐっ、ぐああああーーーーーーーーーっっっ!!!》
快斗が青子の首からブルーサファイアのチョーカーを外した瞬間、その宝石はまるで断末魔の叫びを上げるかのように強烈な青い光を放った。


気付くと、いつの間にか青子は目を閉じていて、青子自身の意識もないが、手に持ったブルーファンタジーの意識もないようだった。
快斗がおそるおそる青子の首に手を伸ばしたが、今度は何の異変も起こらなかった。
いや。
チョーカーを淡いピンクの光が包み込み、ブルーファンタジーの力を無効化しているのが、快斗にも分った。



快斗は取り除いたチョーカーを、慎重に袋に入れて、鞄の中にしまい込んだ。




青子の胸元からは、なおも淡いピンクの光が放たれていて。
快斗は青子の胸があまり露出しないように注意しながらそっと襟元を開いた。


そこにあったのは、ハート型にカットされた大粒の良質なピンクサファイアを4個、4つ葉のクローバーの様に配して、大粒の素晴らしい花珠真珠をあしらったペンダントだった。


「親父・・・!」
快斗は思わず声に出したが、既に父親の幻は消えていて、答える者はなかった。



これは、快斗の父親が快斗に渡し、青子に選ばせたピンクサファイアに間違いなかった。
幼い頃には父親の「価値ある宝石ではない」という言葉を鵜呑みにしていたが、とんでもない。
なまじの青いサファイアよりもずっと希少価値のある、加工などせず天然のままで美しいピンク色の、最高級サファイアであった。
あの後父親が加工して、快斗の誕生石である真珠と組み合わせペンダントに加工し、青子の守護石として整えたに違いなかった。




その頃、マジシャン黒羽盗一の付き人であり、1代目・2代目の怪盗キッドの付き人でもある寺井(じい)は、自分の家で、心の内で初代怪盗キッドである盗一に語りかけていた。
「盗一様。ブルーファンタジーが表に出て来る事があれば、青子嬢ちゃまにあのペンダントを渡すようにとのお言い付けでしたが。じいは、盗一様の仰るとおりのお役目を果たせたのでしょうか?」
誰も答える者は居ない筈だが、心の内で、盗一が笑って頷いたような気がした。


☆☆☆


「ん・・・」
青子が目を覚ました時。
青子は快斗の部屋で、快斗に抱きかかえられていた。

「え・・・?」
「お。気が付いたか」
快斗が笑顔でそう言った。

青子は、最初訳が分らないような顔をして目をぱちくりさせていたが、自分の胸元が大きく広げられているのに気付いて、悲鳴を上げた。


「ば快斗!エッチな事したでしょう!」
「こら、待て、待てって!何にもしてねえったら!」
「信用できない〜!」
暴れる青子を、快斗は抱き締めた。
「ちょちょちょっと待て!オレはまだ、エッチな事はしてない!けど、今からエッチな事してえんだけど」

快斗の言葉に、青子の動きが止まり、青子は再び目を見開いた。

「あのさ。オレ、青子が好きだ。青子をオレの嫁さんにしたい。だから・・・今からエッチな事、しても良いか?」

青子は、なおも暫く固まっていたが。
突然真っ赤になった。



そして、微かに青子が頷いた事を、快斗は見逃さなかった。




その後の事は、敢えて語るまい。
ただ、その夜が2人にとって幸せな夜であった事だけは確かである。






<エピローグ>

「このような所で、宝石屋を開業してましたの?」
「いやいや、採算が合わなくてねえ。もう店じまいするつもりですが」
[青の宝石屋]の主人は、突然店に入って来た美女から声を掛けられて、そう答えた。

「黒羽君からあなたの痕跡を感じたので、忠告に来ましたわ。彼はあなたの手に負えるような人ではありません事よ」
「どうだか。紅魔法の正当継承者である小泉紅子の魔力が通じない男というから興味を持ったが、あっさりブルーファンタジーの手に落ちましたよ。あの程度だったとは、がっかりだ」
[青の宝石屋]の主人は、美女――小泉紅子に皮肉気な目を向けて、そう言った。
紅子は鼻先でふふんと笑う。
「あら。彼があの宝石の手に落ちたと思うのは、早計ではなくって?」

[青の宝石屋]の主人は、ふと空中に目を向けた。
「どうやら、そうだったらしい。怪盗キッドがたった今、あれを博物館に戻したようだ。結局私は怪盗キッドの伝説をまたひとつ加える手助けをしてしまっただけか。悔しい事だが」

「彼を動かす事が出来るのは、強い魔法でも素晴らしい宝石でもなくて。たったひとりの少女だけなのですわ。悔しい事に」
「所謂『愛』の力というやつですか?私はそのような力を信じる気にはならないが。まあ確かに彼は私の手には負えないようだし、これ以上深入りするのは止めにしますよ」




後日。
黒羽快斗が例の道を通ってみても。
[青の宝石屋]は、影も形もなかった。
店があった筈の所は、両側にあった建物が違和感もなくそのまま連続していて。
そもそもあの店が魔法の存在であった事を、快斗は知る。
いや、分っていたが、改めて確認したというべきか。

青子は、幸いブルーファンタジーの事は全く覚えていなかったので、快斗は余計な言い訳をせずにすんだ。




「結果良ければオーライ。全て世は、事もなし」
「快斗?何ぶつぶつ言ってるの?」
「いや・・・青子、オレは高校卒業したら本格的にマジシャン修行しようと思ってんだ。で、アメリカに行きてえんだけど・・・ついてくるか?」

快斗の最愛の少女は、笑顔で頷いた。





青子の石(完)


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