忘れ雪 <後篇>



byドミ



3月14日。
後は卒業式を残すだけの3学年は、授業らしいものもなく、早くに放課後となる。
江古田高校も、勿論、その例に漏れない。

黒羽快斗は、この日、真面目に登校し。
「義理」チョコレートをくれた女生徒達一人一人に、ささやかなクッキーの包みを配っていた。

義理チョコに対して、義理クッキーのお返しをしているのは、一目瞭然であるが。
青子の親友である恵子は、心配そうに青子を見やった。
心なしか青子は、顔色も悪く、何度も欠伸をしていた。

「青子、良いの?」
「青子が、快斗のお返しに、文句つけられる訳、ないでしょ?」
「でも」
「昨夜、青子も手伝ったんだよ。クッキーのラッピング。おかげで夜更かし、眠くて眠くて」
「あ・・・そ・・・」

青子公認(笑)の「義理」クッキー返しなら、そう心配する事もあるまいと、恵子は考えた。
青子の顔色の悪さは単なる寝不足によるものらしく、青子の表情は曇っていない。

「青子には・・・義理じゃない、別のお返しをくれるって、言ったから・・・」

俯いて、少し頬を染めて言う青子に、恵子は目を見張った。
卒業間近になって、いよいよ快斗は、青子との「幼馴染」も卒業しようとしているのだろうか?

『黒羽君、ここで期待を外したら、わたし、絶対許さないからね!』

親友の事を思い、心中ひそかにこぶしを握り締めた恵子であった。


そして、江古田高校3年生は、午前中の内に放課となり。
快斗は、青子を連れて出て行った。

クラスメート達は、皆、固唾を呑んでそれを見守る。

「いよいよ、あいつらも・・・」
「おそらくな」
「ここで外すなよ、黒羽」
「男が廃るぞ」
「青子、ファイト」


快斗と青子のクラスメート達は、妙におせっかいの者が多いようである。
皆から散々からかわれ続けた2人も、いまだに幼馴染のまま。
3年B組の面々は、雛に対しての親鳥のような気分になって、2人の行く末を見守っていたのである。


   ☆☆☆


「快斗。どこに行くの?」
「キッドが貰ったチョコレートの行方、オメーに教えておこうと思ってよ」

快斗が、電車を乗り継いで青子を連れて行った先は、とある養護施設であった。

「ここって・・・キッドが貰ったバレンタインチョコは、ここに寄付されたの?」
「チョコレートは、子供達誰もが大好きだし。ジュエリーは、ま、キッドに押し付けられた程度のもんは、売っても二束三文だけど。こういった施設では、少しでも資金が欲しいところだからな」
「そ、そりゃ、そうだけど。この施設は、確か・・・」

青子にとって、殆ど関わりのない場所であるけれど。
忘れられなかった。忘れられる筈がなかった。
何故なら――。

「あー!警察のお姉ちゃんと、手品のお兄ちゃんだ!」

彫りの深い顔立ちで、おそらく西洋人の血が混じっていると思われる、少年の声が聞こえた。

「ケンタ、君・・・」

青子の眼から、涙がボロボロと零れ落ちる。

ケンタ・コネリーは、昨年「殉職」した、インターポール捜査官ジャック・コネリーと、日本人妻との間に生まれた子供だった。
母親を早くに亡くし、脳腫瘍に苦しみ、そして、父親を失ったケンタの事は、青子もどれだけ心痛めていただろう。

「坊主。元気にしてたか?」
「うん!今はもう、頭痛もないし。後遺症の心配も要らないんだって」
「そうか・・・」
「ボク、おっきくなったら、きっと、パパのような立派な捜査官になるんだ!そして絶対、パパを殺したナイトメアを探し出して捕まえて、パパの仇を取ってやるんだ!」
「頑張れよ。応援してるからな」
「うん!その時は、お兄ちゃん達も、手伝ってくれるよね?」
「ああ。約束する」
「怪盗キッドは、泥棒だけど人殺しはしないし。パパを助けようとしてくれたから、しばらくは見逃してやるよ。けど、いつか、正々堂々と勝負してやるんだ」
「お。でかい事言うじゃねえか。オメーが大人になった時を、楽しみにしてるぜ」

快斗が、普段滅多に見せない優しい眼差しを、ケンタに向けるのを見て。
青子の目には、更に涙が盛り上がった。

快斗は、昔、父親を殺された。
快斗の父・黒羽盗一は、優れたマジシャンであったが、危険なマジックに取り組んで事故死した。
けれど、真実は、事故死に見せかけて殺されたのだと、今の青子は、知っている。

快斗が、自身の身の上と照らし合わせて、ケンタの事を気にかけたのは、当然の事だと言えよう。


青子は、快斗の孤独と苦しみを知ったからこそ、怪盗キッドの存在ごと、快斗を丸ごと受け入れ赦す事が出来たのだ。


施設からの帰り道。
青子は、何となく快斗の腕に自分の腕をからめて歩いた。

「・・・!何だよ?」
「別に、いいでしょ、ふふっ」

快斗は、呆れた目をしながらも、振りほどこうとはしない。

「ケンタ君、無事、手術が成功したんだね」
「ああ。費用に関しても・・・殉職だから、遺族には相応のものが支給されるし。ナイトメアと『怪盗キッド』から宝石を守った英雄の忘れ形見に対して、カンパが沢山集まったし。
・・・お父さんは立派な人だったと、胸に刻んで。寂しくても、強く生きて行くだろうさ、あいつは」

快斗が、遠くを見る目つきになった。
快斗の孤独を思い、ケンタの孤独を思い。
青子の胸が、ツキンと痛む。

「ケンタ君が大きくなった時」
「うん?」
「残念ながら、キッドとの対決は無理よね」
「へっ!?な、何でだよ!?」
「だってきっと、その前に、怪盗キッドジュニアは『引退』するでしょ?シニアの仇を取って」
「あ・・・そういう事か・・・だな。オレ達の子供に、3代目をさせたくはねえし」

快斗の「オレ達の子供」「3代目」という言葉にドキリとする。
まさか、そういう意味合いではあるまいと、快斗を窺い見るが。
快斗は、父親の事を想っているのか、ケンタの事を想っているのか、遠くを見詰めていた。

「ねえ、快斗。あれからナイトメアって姿を見せないけど・・・」
「んあ?」
「キッドジュニアが引退しても、ケンタ君がナイトメアをやっつけるお手伝いは、しようね」
「ああ・・・そうだな・・・」

快斗が、再び青子に優しい眼差しを向けて、言った。
ナイトメアに関して、快斗の胸に秘められている隠し事を、青子もケンタ少年も、永久に知る事はない。


青子は、微笑んで言った。

「快斗、ありがとう」
「ん?何が?」
「青子には、最高のホワイトデーのお返しだったよ」
「へっ!?お返しって、今のが?」
「え?違うの?青子はてっきり・・・ケンタ君の元気な姿を見せてくれたのが、ホワイトデーのお返しだと・・・」

快斗は足を止めた。
振り返って苦笑する。

「ホントに、敵わねえよ、オメーには。こんなんで大喜びするのって、青子位だぜ」
「なによ〜、そんなに馬鹿にしなくたって・・・」
「バカになんか、してない。金の草鞋を履いて探したって、オメーのような女は、この世のどこにも、いない」
「???快斗?」

快斗の眼差しが、とても優しくて。
青子は、胸がどきりとする。

『そ、そう言えば・・・青子、快斗からキス、されたんだった・・・。快斗・・・ねえ、何を考えてるの?青子の事、どう思ってるの?』

青子の問いは、口に出される事なく、青子の中で渦巻いている。
2人は同じ大学に進むけれど、学部が違う。
あの、口付けを繰り返した夢のような夜を残して、このまま自然に離れて行ってしまうのだろうか?


快斗が、怪盗キッドである事を知った日。
快斗の父親が、初代の怪盗キッドであった事と、パンドラという不思議な宝石を狙う一味に殺されてしまった事を、知った、あの日。

青子は、ずっと快斗を支えて行きたいと、思った。
けれど。


『青子の、独りよがり、思いあがり、だったのかな・・・?』

青子は、俯いて、零れ落ちそうになる涙を必死でこらえていた。
その時、快斗の大きな右手が、青子の左手をとった。

『え・・・?』

快斗の手は、マジシャン特有の、柔らかいが人一倍筋肉がついた、大きな手だ。
青子の手は、すっぽりと快斗の掌に納まる。

そうしたまま、快斗の空いた左手が動き、指先から薔薇の花が一輪、生まれた。

『わあ』

青子が、いつの間にか解放された左手で、その薔薇の花を受け取ろうとして。
薬指にきらめくものを見つけ、目を見張る。

ごくごく小さいが、深い深い青色をした、サファイアのはまった指輪。
指輪の向こうから、サファイアのきらめきに負けない、深い蒼の瞳が、青子を見詰める。

「か、快斗、これ・・・」
「別に、今日の・・・ホワイトデーとやらの贈り物として考えてたんじゃねえ。ずっと、考えてた。今日は、バレンケンシュタインのお返しに、ジュエリーをあげる風習もあるって聞いたから、ちょうど良いかって思って」
「快斗・・・?」
「今迄のささやかな貯金を全部はたいちまったぜ。それでも、まだ一介の高校生である黒羽快斗には、それが精一杯だった」

青子は、両手で顔を押さえた。
涙がボロボロと零れ落ちる。

「ったく、オメーもよく泣くよな」
「だってっ・・・!」
「なあ。まさか、受け取るのが嫌とは、言わねえよな?」
「快斗。青子は、快斗の恋人になれたんだって、思ってて、良いの?」
「恋人?あんなあ、オレとしちゃ、エンゲージリングの積りなんだけど」
「えっ!?」

青子は、あまりの驚きに、思わず涙が止まり、目を見開いて快斗を見た。


「黒羽快斗が、怪盗キッドの存在に飲み込まれてしまわない為には。青子という存在が必要だ」
「快斗・・・」
「青子がいる。青子が待ってる。だからオレは、オレのままで居られる」
「快斗・・・」
「そんな目的の為に、青子を傍に置きたいなんて、自分勝手過ぎると思うけどよ」

青子は、フルフルと首を横に振った。
黒羽快斗に、必要とされている。青子の存在が、快斗を一介の青年という立場に、繋ぎ止めている。
こんなに嬉しい事はないと、青子は思う。

「だ、だから。ずっと、生涯、オレの傍に・・・」
「うん。青子でよければ」
「青子が、いい」

そして、優しい口付けが、降りて来るのを、青子は静かに受け止めた。
お互いに、相手の背中に手を回し、しっかりと抱きしめ合う。

元々、バレンタインデーすら知らない快斗だったから。
ホワイトデーに、このような嬉しい事が待っているとは、青子は予想もしていなかった。

「ねえ、快斗」
「ん?何?」

快斗の父親のように、手の届かない所に飛んで行ってしまわないで。
青子は、その言葉を呑み込んだ。

「浮気、しないでね?」
「しねーよ!あ、いや・・・多分、しないと思う・・・」

女好きの快斗は、ちょっとばかり、言葉が弱気になる。

「もお!浮気したら、即、離婚だからね!」
「そ、それだけは、勘弁!」

いつもの悪ふざけのように、(どこに隠し持っていたのか)モップで快斗を追いかけ回しながら。
青子の心に、切なさを帯びた温かで優しいものが、満ちて行く。

快斗が、羽を広げて自由に飛び回りながらも、必ず青子の元に帰って来られるように。
青子は、しっかりと、綱を握り締めていよう。

2人は、ひとわたり駆け回った後、息を切らしながら、笑い合い。
仲良く寄り添い合って、黒羽邸へと向かって行った。


   ☆☆☆


同じ日、別の場所で。
快斗達のクラスメートである、小泉紅子の屋敷で。
1人の青年が、家主である紅子と、口付けをかわし合っていた。

「それでは、白馬さん、おやすみなさい」
「ボクは、一足お先に、あちらでお待ちしています」
「あら。白馬さんはロンドンではありません事?わたくしは、魔女の本場、ブロッケン山(ドイツ中部にある、ブロッケン現象で有名な山。年に一度、魔女達が集まるという伝説がある)に向かうのですから、場所が違いますわ」
「なんの。同じヨーロッパですから、すぐですよ。それにあなたは、箒に乗って会いに来て下さるのでしょう?」
「じょ、女性から会いに来させるなんて、紳士の言葉とも思えませんわ」
「冗談です、ボクの方から、会いに行きますよ」

ふと、何かが舞い降りる気配を感じて、紅子は空を振り仰いだ。

「あら・・・忘れ雪ですわね・・・」
「本当だ。今年は暖冬で、ほとんど雪を見なかったのに」
「もうすぐ、日本とも、そして・・・あの人達とも、お別れですわね・・・」

紅子の目に、少し切ない彩を見て、探は思わず紅子の両肩を掴んだ。

「白馬さん?」
「紅子さん、あなたはまさかまだ、黒羽の事を?」

紅子は、艶やかにふっと笑う。

「そういう事ではありませんわ。・・・それにしても彼、バレンタインデーも、ホワイトデーも、青子さんから貰うばかりで。しょうのない人」
「・・・ボクも、あなたから色々頂きたいところですが、今はこれで、我慢しておきます」

探が、そっと紅子の唇を奪う。

「続きは、あちらで」
「んもう、仕方のない方ですわね」
「愛しい女性の全てが欲しくなるのは、男の性です。許して下さい」

そして、探は、名残惜しげに小泉邸を去って行った。
彼からの紅子への「お返し」が何であったのか、それはご想像にお任せしよう。


   ☆☆☆


「あ・・・快斗、雪だよ・・・」
「外の景色なんか見るな。今は、オレだけを見てろ」
「うん・・・」

灯りを消した、快斗の部屋の中は。
季節外れに積もった雪に、ほんのりと照らされていた。


今日が何の日であるのか、そんな事はすっかり2人の頭には残っていなくて。

ただただ、お互いの存在を確かめ合い、お互いの溢れそうな想いを感じていた。
指先まで絡め合い、吐息と共に名を呼び合い。
今迄告げる事のなかった気持ちを、てらいもなく言葉にする。


そして。

溶けるような熱さの中で、快斗と青子は、ひとつになった。


「快斗・・・青子を、ひとりにしないでね・・・」
「ああ。約束する。ぜってー、どこにも、行かねえから・・・」

快斗が深い色の眼差しで青子を見詰めて、誓う。
2人の頭をよぎるのは、妻と子供を置いて、旅立ってしまった、偉大なる怪盗キッドシニア。


2人の想いは、同じだった。


青子の頬を、涙が伝い落ちる。
今夜は2人の、永遠の始まり。



Fin.


++++++++++++++++++++


<後書き>

ホワイトデー話を書こうと思った時から、何となく考えていたのは、まじ快最新作・ダークナイトの事です。
ケンタ君の元気な姿を、2人で見に行く、これは絶対書こうと思ってました。

結局、バレンタインデーもホワイトデーも、快斗君が美味しい思いをしています。
元々、冬の快青リングは、「黒羽快斗君を幸せにしよう」という企画だったようなので、これで良いのかなと思います(爆)。

最後は、裏行きにならないように、頑張りました。

白紅が、最後近くに出張ってしまったのは。紅子姫の「彼、バレンタインデーもホワイトデーも、青子さんから貰うばかり」というセリフを書きたかったが為、だったりします。

一応、自分なりに「甘甘な話」に仕上がったと思うのですが、どうでしょうか?