初恋のジンクス



byドミ



「今年は受験もあるから忙しいし、あんまり遠出もあれだから。湘南の海辺りに、行ってみねえか?」
「湘南……?」
「ああ。蘭、どうかしたのか?」
「ううん。なんかちょっと引っかかったような気がして。そうね、今年は伊豆とか遠くに行くのはやめて、湘南辺りが良いかも」

高校3年の夏。
工藤新一は、幼馴染からつい最近恋人になったばかりの毛利蘭を、湘南の海の一泊旅行に誘ったのだった。

ただし、2人きりではない。
蘭の親友鈴木園子と、クラスメートの世良真澄、本堂瑛祐との5人組で、部屋は当然、男女別である。

新一としては、まだ蘭と深い関係にある訳ではないし、蘭の父親の手前もあり、2人きりの泊りがけ旅行も、一応「高校を卒業してから」と考えている。
真面目に、大切に、蘭との関係を育んで行きたいと、考えているのだ。



そして、5人は、湘南の海に立っていた。
新一と蘭が並んで立つ姿は、なかなか絵になっている。

それを、後ろから見ている3人組は、何となく侘しさを噛みしめていた。
園子は、恋人である京極真を誘っていたのだが、真は海外の試合があり都合がつかなかったとかで、ブツクサ言っていた。

「蘭達のラブラブを見せつけられるこっちの身にもなってよ!本当だったらわたしも、真さんとラブラブの予定だったのに〜!」
「何だって!?冗談じゃないよ!園子ちゃんまで恋人がいたら、ボク達は一体、どうなるのさ!」
「そうですよ!ますます、独り身の寂しさが身に染みるじゃないですかあ!」
「あら。じゃあ、あぶれ者同士でくっついたら?僕っ子と女の子みたいな男の子で、案外、ちょうど良いじゃない」

園子のあまりの言葉に、中身まで性別が違う訳ではない2人は、滝涙を流していた。

「初恋は実らないって言うけど、本当ですね……」

瑛祐が溜息をつく。

「へえ、瑛祐君って、失恋したばかりな訳?それは気の毒な。で、相手は、男?女?」
「僕はオカマじゃありません!それに、何、面白がってんですか!?そっちも独り身なのは一緒でしょ!?」
「いやいやいや、同じ独り身でも、ボクは失恋した訳じゃない。そもそも、まだ恋ってヤツに縁がないしね」

瑛祐と真澄は、意外と良いコンビかもしれないと思いながら、園子が新一と蘭を指さして言った。

「初恋は実らないなんてジンクス、当てになんないわよ。それが嫌って程分かる例が、あそこにあるじゃない」
「へえ。工藤君と蘭さんって、初恋同士なんだ」
「……わたしが見ている限り、たぶんね。昔新一君に告った内田先輩の話によると、蘭の事、子どもの頃から気になってたって事らしいし。蘭も……」
「まあ、あの人達も色々あったし。初恋のジンクス位、吹き飛ばすだけのものを持ってるんだろうよ」

3人、少し微笑んで、眩しそうに、愛し合う2人の姿を見詰めていた。

園子が、蘭の傍に行って話し掛ける。


「それにしても、蘭、懐かしいね!3年ぶりかな、この辺に来るの」
「ん?オレ達、3年前、ここに来た事あったっけ?」
「新一君は来てないわよ、だって、女の子達だけの旅行だったもん。ね、蘭」
「……そういえば、そんな事もあったような……」
「えー、蘭、ホントに忘れちゃったのお?絢とか誘って、何人かで来たじゃん」
「そう言えば、思い出した。でも、何でかな?今迄、殆ど思い出す事もなかったわ」
「あらら。蘭、あんな事があったのに?」
「「あんな事っ!?」」

園子の意味深な言葉に、新一と蘭は同時に反応した。
その時。

「君、蘭ちゃんじゃないか!」
「え……?」

突然、20代前半位の男から腕を掴まれて、蘭は戸惑った。

「覚えてない?3年前に……」
「蘭、どうしたんだ?」
「新一……」

蘭が、縋るような眼差しを新一に向ける。
新一は、蘭をその男から引き剥がすようにして、自身の後ろに回し、男の前に立ちはだかった。
男は、新一より少し背が高く、なかなかにハンサムである。
自分を睨みつける新一と、新一の背後に隠れている蘭を、交互に見やった。

「そっか。お前が、シンイチか。成程ね……」

男の目に、険しい光が宿る。
新一は臆した訳ではないが、一体何だろうと訝しく思った。

男は、手を振って去って行った。
新一は忌々しげに、蘭は不安そうに、その後ろ姿を見守る。

「ねえ、蘭。もしかして、あの人って……3年前の夏に、蘭に言い寄って来た人じゃない?」
「そ、園子!」
「まさか、覚えてないの?」

新一は、困惑した顔をしている蘭を、ジッと見つめた。
蘭の表情は、覚えていて困っているのか、本当に覚えていないのか。

蘭の考えや気持ちはいつも読めないが、何となく前者のような気がして、新一は胸の奥がざらつくのを感じていた。



   ☆☆☆



遊んでいる時はそれなりに楽しく過ごしたが。
宿に引き上げる時は、何となく気まずい雰囲気に戻っていた。

それぞれ、一旦部屋に戻る。
午後七時には、食堂で一緒に食事を取る予定にしていた。
それまで、僅かな休息の時間である。

高校2年の時に帝丹高校に転校して来た本堂瑛祐は、間もなく渡米の為にまた帝丹高校を去って行ったが、高校3年になってから再び戻って来ていた。
瑛祐のいない間に転校してきた世良真澄と合わせ、今では5人でグループのようになっている。

瑛祐は、新一がコナンだった時にその正体を見抜き、蘭に惚れながらも、新一と蘭の絆を感じ取って、身を引いた男だった。

「工藤さん。気にする事ないですよ」
「別に、気にしてない」
「……僕が蘭さんを諦めたのは、あんな男に蘭さんを渡す為じゃありません。工藤さん相手だから身を引いたんです」
「……そりゃ、どうも」
「工藤さん。シッカリ蘭さんを捕まえてくれないのだったら、今からでも僕が蘭さんをいただきますからね」

新一の目に、剣呑な光が宿る。
瑛祐は首をすくめた。

「どうして僕じゃなくて、さっきの男にその視線を送らないんですか」
「は?」

新一は、虚を突かれた顔になった。

「……無意識なんですね、まあ良いですけど。僕を失望させないで欲しいものです」
「お前の失望はどうでも良いが、オレは蘭をあの男に……いや、どの男にでも、渡す気はサラサラないぜ」
「……その言葉、忘れないで下さいよ」

新一は、ふうっと息を吐き出した。
3年前といえば、中学3年。
その頃、新一は正直、蘭に対して全く自信がなかった。
蘭が自分に好意を寄せてくれている事は分かっていたが、それはあくまで、幼馴染として友人としてのものだとしか思えなかった。

コナンになった時に、思いがけず、蘭が自分を想ってくれている言葉を聞いて、天にも昇る程に嬉しかったけれども。
中学生のあの頃は、蘭の新一に寄せる気持ちは、まだ恋ではなかったのだろうと、思っている。

新一が共にいる時は、どんな男も蘭に近寄らせはしなかったけれど。
女の子達だけの旅行先で出会った「大人の男性」に、蘭が恋をしたとしても不思議はないと、どこかで考えていた。



新一と瑛祐が食堂に行った時、蘭達女子はまだ、来ていなかった。
その代りに、思いがけない人物と出くわした。
先ほど、蘭に声をかけて来た男である。

「やあ」
「……!あなたは……」
「俺は、大江川義男ってんだ。君……シンイチ君?」
「工藤新一です」
「工藤君か。じゃ、君が、今の蘭ちゃんの彼氏な訳だ」
「い、今のって、何ですか!?蘭さんは昔も今も、工藤君の恋人ですよ!」
「……君は?顔は女の子みたいだけど、水着姿からすると男だったよね」
「僕は、本堂瑛祐……って、僕の事はどうでも良いんです!」
「蘭ちゃんの右太腿の付け根には、黒子が二つあるよね」

大江川の言葉に、さすがに新一は平静を保てず、顔色を変えた。

「くくっ。その顔を見ると、君は彼女とは、まだなのかい?3年前の夜、痛がってたけど、初々しくていじらしくて、すごく可愛かったよ、お前の彼女」
「おい、あんた!まだ中学生だった女の子に手を出したのか!?」

激昂して大江川に掴みかかって食って掛かったのは、新一ではなく、瑛祐である。
新一は顔面蒼白になりながら、拳を握りしめて立っていた。

そこへ。

「新一、お待たせ……えっ!?」

食堂へ顔を出した蘭達が、不穏な空気と、思いがけない人物の存在に、顔色を変えた。

「俺はもう、食事は終わったから、そろそろ行くよ。じゃあな」

大江川はそう言って席を立った。

「新一?」
「……何でもねえよ」
「蘭さん、あの……」
「本堂瑛祐!何も言うな!」

口を開こうとした瑛祐は、新一の一喝に言葉を失う。

「もう、予約の時間を過ぎてるぜ。食事にしよう」

新一が促し。
一同は、気まずい雰囲気の中で黙々と、夕ご飯を食べた。
新鮮な海の幸も、味を感じるどころではなかった。




   ☆☆☆



食後。
お互い何を言うでもなく、一同は早々に部屋に引き上げ。
それぞれに、大浴場に行って入浴した後、瑛祐と園子と真澄は、ロビーのソファに座り込んで話をしていた。


「ねえねえ。3年前、一体、何があったのさ?」
「……わたしだって、細かい事までは分かんないわよ。あの年、女の子達だけで旅行に行って……」

真澄の問いに、園子が言いにくそうに口を開いた。


浜辺で、女子達のグループに声をかけて来た、大学生男性グループがあった。
泊まる宿も偶然同じで、数日間、スッカリ仲良くなった。
後から考えたら、相手が悪ければ結構危険な状況だったかもしれないのだが、男性グループは概ね紳士的で、特に問題もなく、楽しく過ごせた。

その時、蘭を気に入ったらしく声をかけて来たのが、あの大江川で。
蘭の方も、頬を染めて大江川を見る姿は、恋に落ちたとしか、思えなかった。

お互いのグループ共に、明日は帰るという最後の晩、浜辺近くの、花火が出来る広場で、花火をして過ごした。
気付くと、大江川と蘭の姿がいつの間にか消えていた。
2人一緒に過ごしたのは間違いないだろうが、どうしていたのかまでは、園子も知らない。


花火も終わり、園子達が部屋に戻ると先に蘭が戻っていて。
何だか泣いているようだったので、園子が心配して声をかけた。

『蘭!何か、あったの!?』
『ううん。何も』
『でも……』
『園子。わたしね。恋に恋してたみたい』
『蘭?』
『わたし、大江川さんの事、好きなのかなって思ってた。でも、違ってたみたい』

そう言って蘭は、ちょっと泣き笑いみたいな表情で、舌を出した。


園子の話を聞いて、瑛祐が戸惑ったように言った。

「あの大江川って男、蘭さんと深い仲になったような言い方してましたけど」
「へっ!?んな訳、ないでしょ!そんな時間もなかったし……それに、そんな事があったのなら、さすがに蘭も、もっと違う態度を取ると思うし」
「ですよね。って事は、ヤツのハッタリか」
「新一君、まさか、それ、真に受けてないよね?」
「冷静沈着な工藤君が?まさか」
「いやいや、ヤツも蘭の事になると、さすがに冷静でいられないかも」
「でも、あの2人ならきっと大丈夫ですよ。たとえ誤解があったとしても、すぐ解けます!」
「瑛祐君!よく言った!よし、今夜、アンタ、わたし達の部屋においでよ!」
「へっ!?」
「アンタ達の部屋は、蘭達の仲直りの為に提供しなさい!」
「そ、そんな!嫌ですよ!」
「何を今更。アンタも、蘭達の為にひと肌脱ぎなさいよ!」

いくら2人の応援をしている瑛祐であっても、同じ宿の中で新一と蘭がソウイウコトをしているとなると、とても平静ではいられないのであったが。
瑛祐の蘭への想いを知らない園子は、自分がいかに残酷な事を言ったか、知らないのだった。



   ☆☆☆



蘭は、入浴後、夜風に当たりたくて、1人で、海が見えるベランダ庭園に出ていたのだが。
偶然にも、入浴後の新一が、蘭のすぐ後にその場所を訪れた。

「蘭……?」
「新一?どうして、ここに……?」
「夜風に当たりたくて……」
「そう……」

新一は、蘭の隣に並んで、夜の海を見詰めた。
そして、口を開く。

「なあ、蘭。3年前……大江川さんと何かあったのか?」

蘭は息を呑んだ。
そして、おずおずと言葉を出す。

「……言わなくちゃ、ダメ?」
「いや。オメーが言いたくないんなら、良い」

新一は、蘭をチラリと見ると、再び夜の海に目を転じた。
蘭が、新一の方を窺うように見る。

その時、2人の背後から声が掛かった。


「おやおや。仲が良くて、結構な事だ」

2人はハッと振り返った。
大江川が、皮肉気な笑いを浮かべて、2人を見ている。

無意識のうちに。
蘭が、新一の背後に隠れるように、新一は蘭の前に立って庇うように、それぞれ動く。

「3年前、素敵な夜だったよな、蘭ちゃん」
「……やめて下さい!」

蘭が耳を塞いで、目を閉じる。
新一は蘭の方を少し見やると、大江川の方に向き直った。
新一と大江川の間に、見えない火花が散る。

「工藤君。蘭ちゃんは純真な顔をして、なかなかに魔性の女だよ。覚悟しておいた方が良い」

新一の背後で、震えている蘭の気配を感じ、新一は後ろ手に蘭をポンポンと安心させるように叩いた。

「3年前に何があったにしろ、関係ない。蘭はオレに取って、生涯ただ1人だけの、大切な女だ。蘭が、今とこれからを、オレと共に過ごしてくれるなら、過去に何があろうと、そんなの、どうでも良いんだ」

新一のキッパリとした言葉に、蘭は息を呑み、大江川は鼻白んだ。

「ふん。青いねえ。ガキのおままごと恋愛になんぞ、付き合ってられるか。じゃあな」

そう言って、大江川は踵を返した。

蘭が新一の浴衣を後ろから掴んでへたり込んだ。
新一は振り返ると、蘭を抱きかかえるようにして立たせた。

「新一……わたし……」
「蘭」

新一は、泣いている蘭のあごに手をかけて上向かせ、そのまま唇を重ねた。
触れるだけの口付け。
新一と蘭はまだ、深いキスも交わした事がない。

新一は、微笑み、蘭の額にこつんと自分の額を当てた。

「ごめんな、蘭」
「えっ?」
「オレも、未熟だからさ。もしかして蘭がアイツと何かあったんじゃねえかって思うと、殴りたくなるくれーアイツが憎くて苦しいけど。でも、オメーの過去がどうであろうと関係なく、大切だってのも、本当なんだよ」
「新一っ!」

蘭が、新一にしがみついた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、わたし……!」
「蘭」
「わたしは、酷い女なの」
「蘭……?」

蘭が、涙を溜めて新一を見上げ、言った。

「3年前の事。聞いてくれる?」


そして、蘭が語り始めた顛末は、こういうものだった。



   ☆☆☆



3年前の夏。
蘭達が湘南に泊まりがけで旅行に行った時、一同の中には失恋したばかりの同級生・西村翼がいた。
翼は、ずっと泣き通しだった。

「翼〜。大丈夫ぅ?」
「うううっ……ごめんね、みんなわたしのせいで辛気臭くて」
「気にしなくて良いって。少しでも楽しく過ごして、嫌な事は忘れよ!」

中学3年ともなれば、恋をしたり失恋したり、色々と起こって来る。
蘭自身はまだまだ、そういう事とは無縁だったのだが。
友達の恋バナは、それなりに興味を持っていたし、恋をした子は応援し、失恋した子は慰めて、という日々を送っていた。

そして、溜息混じりに語られる中で、蘭の心に引っ掛かった言葉があった。

「初恋は、実らない」

失恋して涙した子達は、最終的にその言葉に行き着いて、涙しながらも自身を慰めていたのである。

蘭は、自分もいつか恋をするだろうか、そしてやっぱり、最初の恋は実らなかったりするのだろうかと、思い巡らせていた。


そして、旅行の中で。
蘭達が海辺で遊んでいると、大学生だと名乗る男性達のグループから声を掛けられ、仲良くなった。
少しは世間や男という生き物を知った今から考えると、冷や汗ものだけれども、彼らは紳士的で、お金も出してくれたけれど、誰かに手を出したり弄んだりする事もなく、本当に集団で遊んだだけだった。


そして、男性達のグループの中に、結構ハンサムで行動もスマートな、大江川がいた。

「毛利さん。いや、蘭ちゃんって呼んでいいかい?」
「大江川さん?」
「一目見た時から、スゲー可愛い子だなって、気になってたんだよ」

大江川に見詰められ囁かれて、蘭の胸は高鳴った。
蘭が今迄出会った事がない、少し年が上の大人の男性。

もしかしたら、これが初恋なのかと、蘭は思った。


帰る前の夜、ふたグループで一緒に花火をしていたが。
蘭は、大江川に手招きされるままにその場を離れ、2人だけで夜の浜辺を歩いていた。

明日は、お互いに、帰ってしまう。
もう、会えない。
花火のように儚い、ひと夏の恋は、終わりを告げる。
蘭の胸に、甘酸っぱい想いが満ちていた。

その時、大江川が立ち止り、蘭の肩に手をかけて来た。

「えっ!?」

その瞬間、蘭の胸に満ちた、ぞわりとしたもの、それは「嫌悪感」でしかなかった。

「俺は真剣だよ。真剣に蘭ちゃんの事……ここで終わりじゃなくて、この先もずっと、お付き合いして行きたい」
「お、大江川さん?」
「同じ関東にいるんだ、俺、会いに行くからさ。約束する」

そして、大江川が顔を近づけて来る。

「イヤッ!!」

蘭は、大江川を突き飛ばし、踵を返すと、そのまま一目散に宿へ向かって走った。
どうしようもなく涙が溢れて止まらなかったけれど、それは自己嫌悪と、何とも言えないやり切れなさでしかなく、大江川との別れを惜しむ気持なんて全くない事に気づいてしまったのだった。



   ☆☆☆



「そっか……」

蘭の告白を聞いて、新一は正直、ホッとしていた。
蘭が他の男を恋うた事があろうが、他の男に身を任せた事があろうが、関係なく、蘭を愛する気持ちが揺らぐ事などないのは確かであるが。
蘭の過去に対しても、独占欲が働いてしまう事も、また、事実なのであった。

「わたし……自己嫌悪で、忘れたくて、思い出さないようにしてたの」
「まあその……まだ中学生だったんだしよ。恋に恋してた状態だった、って事なんじゃねえか?」
「違う、違うの!その時は、わたしも、そう思ってた。恋に恋してたんだろうって、まだ恋は早かっただけなんだって、思ってた。でも……気付いてしまったの。わたし、わたし……自分でも、無意識で、分かってなかったけど……本当は心の奥底で、ものすごくずるい事、考えてたの……」
「蘭?」
「初恋は、実らないんだって、言われてるのは、新一も知ってるでしょ?」
「そ、そりゃまあ。だけどよ、当てになんないぜ。オメーの両親だって……」
「昔、お父さんとお母さんにそれぞれ聞いた時は、2人とも、初恋は別の人だって言い張ってたの」
「……は?」
「お母さんなんか、『小五郎で初恋を済ませてたら良かったわ、そしたら私は今頃、憧れの橋本君の奥さんだったかもしれないのに』なんて、言ってたのよね」
「でも、それって……」
「うん。今になってみたら、2人の照れ隠しと意地っ張りで、本当は違ってたって分かるけど、中学生のわたしは、結構真に受けてた。初恋は絶対、実らないものなんだって、そう思ってたの」
「蘭……?」
「だから。わたし、心の奥底で、ものすごくずるい事、考えたの。今になって、分かってしまったんだけど……初恋の人と結ばれないってのが本当なら、初恋を、他の人で済ませちゃおうって……」
「ほ、他の人……って……」
「だ、だから!新一以外の人と、初恋を済ませちゃおうって、わたし……」

蘭が、泣き顔で新一を見詰める。

「でも。新一が、わたしの事、ただ1人だって言ってくれたの聞いた時、新一はそこまで真っ直ぐわたしの事思ってくれてたのに、わたしって、何てずるい事考えてたんだろうって……」

新一は、時間をかけてようやく、蘭の言葉の意味を理解すると、真っ赤になり、蘭を強い力で抱き締めた。

「蘭っ!!」
「新一……?」
「オレさ。中学生の頃は、ぜってーオレの片思いだったって、思ってたよ。なんか、スゲー嬉しい!」

蘭が「新一以外で初恋を済ませよう」と考えたという事は、つまるところ、蘭が新一の事を「将来結ばれたい相手」として考えていた、という事で。
蘭の無意識下でその道具にされてしまった大江川には気の毒としか言いようがないが、新一は蘭のその「ずるさ」が、嬉しくて仕方がなかった。


新一が、蘭の顔に自分の顔を近づけると、突然、ドタドタと人が倒れ込む音がした。
新一が蘭を背後に庇って、向かい合う。

「誰だっ!?」

「あ〜あ、見つかっちゃった。本当に瑛祐君、ドジなんだから」
「園子さんがよく見えないって僕の事押すからじゃないですか〜!」

園子と瑛祐と真澄が、気まずそうに笑っていた。

「オメーら、いつから覗いてたんだよ!?」
「ん〜?大江川さんが去ってった辺りからかな?」
「……殆ど全部じゃねえか」
「2人があんまり遅いから、心配して探してたんだよ」
「でもま、結局、雨降って地固まっただけだったわね」
「もうちょっと、ふた波乱位あるかと思ったけどな」
「ま、何はともあれ、めでたしですね」
「って事で、新一君。瑛祐君は引き受けたから、蘭は新一君の部屋に泊めてね〜」
「ちょっと待って下さい!2人は仲直りしたんだから、それはもう、良いでしょう!?」

嫌がる瑛祐を、園子と真澄が引きずって行く。
残された新一と蘭は、目が点になっていた。



   ☆☆☆



次の朝、まだ早い時刻に。
新一は、人気がまだまばらな食堂で、眠気覚ましのコーヒーを飲んでいた。

いきなりの事態に心の準備が出来ていない蘭に、無体を働く気にはなれず、ただ抱きしめて眠るだけの夜は、それなりに甘く幸せでもあったが、年頃の男にとっては苦しく眠れない夜でもあった。

すると、新一に声が掛けて来た者があった。


「やあ」
「……大江川さん」
「その様子だと、無事誤解は解けたものの、手出しはせずに悶々とした夜を過ごした、ってところかな?」

大江川の皮肉気な笑いに、多少ムッとしたものの、彼の気の毒な過去を聞いてしまった今では、敵意は感じない。

「ま、どうせそんなに揉める事はないだろうと思ったんだけどね。ちょっとした意地悪というか、意趣返しだな」
「意趣返し?」
「そうだよ。俺はあの時、真剣に、蘭ちゃんの事好きで、この先もずっとお付き合いしようと思ってた。そして、蘭ちゃんも俺に気があるような素振りをしてたのに。いざ、キスしようとしたらいきなり、『イヤッ!シンイチ!』と叫んで突き飛ばされたんだもんな。俺の立場、ないじゃないかよ」

新一は思わず、飲みかけていたコーヒーを噴いてしまった。
蘭がその時、新一の名を呼んでいた事までは、聞かなかった。
というか、蘭本人も忘れていたのかもしれない。

「蘭ちゃんがお前の事、シンイチと呼んでるのを聞いて、そうか、コイツかと思ったよ。ずっと思い続けていた男と無事結ばれて良かったねと、俺の立場で言える筈もないだろう?」
「大江川さん……」
「あの子が魔性の女ってのは、ある意味、事実だけどね。何しろ、自分の魅力を自覚してなさ過ぎる」

それには、新一も頷かざるを得ず、苦笑した。
そこへ、キョロキョロしながら食堂へ入って来た女性の姿があった。
蘭である。
目覚めたら新一の姿がなかった為、探しに来たのだろう。

「新一!」
「蘭」
「どうして?」
「いや。早くに目が覚めちまったから……」

眠れなかったからという言葉は呑み込んで、新一は優しく蘭に笑いかけた。

「惚れた女を不安にさせるもんじゃないぞ。泣かせるなよ」

大江川が声をかける。
蘭は、少し悲しそうな目で、大江川を見やった。

蘭が大江川に対して抱いている思いは、無意識の内に利用してしまった後ろめたさと罪悪感なのであろうと、新一は思う。


新一が蘭の肩に手をかけ、促して部屋へと戻る。
蘭は、安心したように新一に身をあずけた。

「ねえ、新一」
「ん?」
「今は、まだ、心の準備が出来ないけど……受験生だし」
「蘭?」
「いつか、あげるから、待ってて」

蘭の言葉に、新一は心臓が爆発しそうになり、鼻血が一筋垂れ落ちた。

「蘭。高校を卒業したら……」
「えっ?」
「いや、二十歳になってからでも良いけどさ」
「新一?」
「オレの嫁さんになってくれるか?」
「新一……」


蘭は、真っ赤になって、小さく頷いた。



Fin.


+++++++++++++++++++


<後書き>

初恋は実らないって、言われますよね、確かに。


某方の「初恋のジンクス」に関わるお話に触発されて、書き始めたこのお話ですが。
蘭ちゃんをこういう風に描いてしまい、ごめんなさい。


新一君と蘭ちゃんが、お互いに初恋で唯一の相手ってのは、私の中で絶対に譲れないんです。
現実にはあり得ない、どこまでもピュアでお伽噺のような2人の愛は、私の聖域です。

新一君は幼い頃から蘭ちゃん一筋だし。
蘭ちゃんには高校生になるまで恋の自覚はなかったようだけど、だからって、他の男性を好きになったなんて事はないんじゃないかな。
新一君と蘭ちゃんのピュアな愛は、初恋のジンクスも何のそので、吹き飛ばしてしまうだろうなと思ってます。

まあ、青山界では、というか、漫画では、初恋同士で結ばれる話は、結構多いですけどね。


2012年4月15日脱稿
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