恋の種



By ドミ



(10)



「ふふっ。彼、憮然としてるわよ……」
「あの、志保さん。新一を苛めるためだったら、やめてもらえませんか?」

 
 蘭と志保は台所で作業をしていて、台所を追い出された新一がダイニングで憮然として座っているのであった。

 蘭が工藤邸でご飯を作り始めた最初の頃は、蘭が調理をしている間、新一はゴミまとめや他場所の掃除などをしていたのだが、まずまず工藤邸内が片付いてきたので、今は新一も蘭と一緒に台所に立つことが多い。新一は手際が良いとは言い難いが、蘭に言われれば真面目に作業をするので、まあ猫の手以上には役立っている。けれど今日は、志保の乱入で、新一は台所から追い出されたのだった。

 結局、あの後。阿笠博士は今日留守だということで、志保が持ってきたお裾分けと、蘭と志保で新たに作った料理とを、合わせて3人で食べるということで、話がまとまったのだ。

「あら。別に彼を苛めようと思ったわけではないわ。ちょっと、蘭さんと話をしたいって思って……」
「わたしと?」
「そう。工藤君のエンジェルとね」
「えっ!?新一の、エンジェル!?わたしが!?」
「そう。彼、アメリカでどんな女性から言い寄られても、絶対なびかなくてね〜。そんな彼が日本に残してきたエンジェルはどんな女性だって、みんな興味津々だったわ」
「え?ええっ!?」
「彼は、まあ顔立ち整っているっていっても、東洋人風貌だし、背もアメリカでは高くない方だし、見た目でモテることはあんまりないの。でもね。何しろ絶対、人の命を守ろうとする、特に弱者をね。で、全くなんの下心もなく、女の人を危機から救ったりするわけよ。それで……相手の女性は、工藤君に惚れられてるって、勘違いしてしまうの」
「ああ。それは、分かるような気がします」
「でもね、彼と少しでも親しくなると、彼は女性の容姿を褒めることもなく女性を喜ばせるような話術もなく、何の面白みもない男だって、分かる筈なのよ。でも、それが分かる前に彼に熱を上げてしまう女性が本当に多くて。まあ本当に、トラブルが絶えなかったわ……まあ……彼が悪いわけじゃないけどね」
「……」
「で、彼のベッドに忍び込もうとして叩き出された女も、本当に沢山見て来たわ……彼も、自分が悪者にならないように、ちゃんと録音して対処するようになった。そして、彼は必ず言うの。日本に最愛の女性が居るんだって。振られたけど、彼女以外の女性は絶対愛せないんだって」

 蘭は、赤くなって俯いた。6年……いやもう、6年半以上前。新一は蘭に振られた後、アメリカに行ってからも、ずっと蘭だけを想ってくれていたのだ。

「あっちでは、彼のその最後のセリフは、我々の間で、有名になってねえ。みんな、工藤君のエンジェルには、興味津々だったの」
「あ、あの……志保さん、その『我々』って、『みんな』って、いったい、誰のことなんですか?」
「あら。鋭いとこついてくるじゃない?我々ってのは、彼と一緒に戦った仲間のことよ」
「え?一緒に、戦った仲間?」
「目的のために手段を選ばない、無関係な人たちを巻き込んで大勢殺しても何も思わない、本当に恐ろしい組織があってね。実は、私は、そこの化学者だったけど、逃げ出したの……。その時、力になってくれたのが、工藤君たちだった。工藤君や工藤君のご両親、私の義父になった阿笠博士、FBI・CIA・MI6、多くの人たちが協力して、ようやく組織を倒したのよ……丸5年以上かかったわね……」
「……」

 想像を超えた話に、蘭は目を見開き、大きく息をしていた。

「私が逃げ出す少し前に殺された姉とか、最初の頃には助けられなかった人たちもいたけど……仲間たちが、ほぼ揃って生き延びたのは、本当に奇跡だわ。で、生き延びられたのは、工藤君の力も大きいの。そこは本当に感謝してる。ただ、あの戦いの最中は、全員、命を懸けていた。そして……巻き込まないために、親しい人たちへの連絡も封印した」

 蘭は息を呑んだ。

「じゃ、じゃあ……新一が6年以上、全くわたしに連絡を取らなかったのは……」
「あなたを巻き込まないためよ。あの組織は、日本にもメンバーが居たしね。もし、工藤君の好きな女性があなただってばれてしまったら、あなたが人質に取られてしまう恐れがあったの」

 蘭の手が震える。涙が零れ落ちる。新一がアメリカでそのような状況だったなんて。そして……蘭に連絡を取らなかった本当の理由が、そのようなことだったなんて。

「彼の活躍がニュースになっていたのは、本当に差し障りない一部だけだわ。でまあ、本当に、悪いけど、頭の悪い女たちに構っている暇なんて、なかったのよ!なのに、何かがあればすぐ、女を庇うから!」
「……新一ならきっと、女性だけじゃなくて、誰でも……特に弱いお年寄りとか子どもとかを守ったと思いますけど……」
「ええ、そうよ。だけど、頭の悪い女たちは、そこ、見てないから!自分が守られたことしか、見てないから!」

 志保はプンスカ怒って言った。よほど邪魔になったんだろうなと、蘭は思う。ただ、どんなに戦いの邪魔になっても、新一ならやっぱり、誰のことでも守ろうとしただろう。

「志保さん自身が、新一相手に、その勘違いをしなかったのは、冷静に見てたから?」
「ああ。悪いけど私、そもそも、工藤君みたいなのはちょっと苦手でね。彼のように、自分の正義を貫こうなんて人間は、あまりにも眩し過ぎて、目が痛いのよ」

 志保は苦笑する。

「私は、もうちょっと……私だけをチヤホヤしてくれるような男の方が良いわ。頑張ってアプローチしても絶対に振り向いてくれないような男なんて、まっぴらごめんよ」

 好みの問題もあるのだろうが、志保は冷静に工藤新一という男を観察し、男女としては相容れないと結論を出したのだろう。


「でも、男性としての彼には魅力を感じないけど、友だちとして仲間としての彼は最高だったと思ってるわ。で?彼の最愛の女性である蘭さんは、やっぱり彼のこと、友だちとしか思えないの?」
「……ううん。たぶん、違います」

 蘭が、新一への自分の気持ちが「ただの友だちではない」と口にしたのは、初めてである。何故だか、初対面の志保なのに、素直に胸の内を話すことが出来た。

「たぶん?」
「今はまだ、友だちだけど。いつかきっと、新一は、わたしにとって一番大切な男性になる……そんな気がしてるんです。今は、その気持ちが育って行っている……温めている、その途中というか……」
「ふうん。まるで、卵みたいね」
「卵?ううん、どっちかといえば……」

 蘭は、今日見た蓮の葉を思い出す。千年以上も種のまま眠り、芽吹いて花開かせた、古代蓮。

「種、かな?千年以上もの長い期間じゃないけど、何年もわたしの中で眠っていた……」
「なるほどねえ……恋の種、かあ……じゃあ、芽吹きの時期を待ちましょうか?」

 恋の種。その言葉が、蘭の気持ちを表すのに、一番しっくりきた。新一がアメリカに行く前の時点では、固かった種が、少しずつ膨らみ、芽吹く準備をしている……。
 たぶん、新一とずっと一緒にいたのなら、その種が芽吹く日は、もっと早くに訪れたのかもしれないと、蘭は思う。

「それにしても、阿笠博士もアメリカに居たんですね!」
「あら。何年も居なかったのに、気づかなかったの?」
「そ、その……新一が居なくなって、この家に来ることもなかったから……」
「成程。博士とも、工藤君を通じての友人だったわけね」

 色々話をしている内に、食事は出来上がり、新一の元へと運んで行った。



 3人で食事を始めたのだが。

「美味い!これ作ったの、蘭か?」
「え……うん、よく分かったね……ああ、少し形がいびつだから、分かっちゃうのか……」
「いや、分かったのは、味だよ!」

 さすがに、普段はお世辞や愛想を言わない新一だが、この場で蘭のことだけ褒めるのは悪いと思ってか、志保の作ったものも、一応「美味い」とは言ってくれるのだが。その表情も声の調子も全く違う。志保は眉がひくひくとなった。
 で、新一の側のとろけるような表情は、まあ理解できるとして。蘭が新一を見る眼差しも表情も、すごく柔らかくて綺麗で。

「……種でこの状態なら、芽吹いたらどうなるのかしら?」

 志保は思わずぼやいてしまった。この場に一緒にいることの、あまりのバカバカしさに、思わず天井を見てしまう。
 ただ、あのまま退散して置けば良かったとは思わない。ここで、新一と蘭と一緒に過ごしたことで、蘭の存在が新一をずっと支え続けていたことを、よく理解できたからである。

「……きっと、花が咲くまで、そんなに長く待つことはないだろうと思うわ……」

 志保は、ふっと微笑み、そう独り言ちた。



   ☆☆☆


 9月下旬、夏休みが終わり、大学の講義が再開された。

「ら〜ん!アンタの旦那、帝丹学祭のゲストになってるじゃない!」
「ええっ!?」

 園子が持ってきたチラシを、慌てて蘭が覗き込む。帝丹大学の学祭は、11月初めの連休に行われるのだが。
 園子が持ってきた学祭のチラシには、確かに、写真入りで、新一が講演を行うことが書いてあった。

「おや?旦那と認めましたね♪」
「も、もう、そんなんじゃ!でも、何で新一?」
「そりゃあ。愛しのハニーが通っている帝丹大学に、オレも行ってみたい……ってことなんじゃないのぉ?」
「まさか!新一がそんなバカな事……」

 けれども。新一が帝丹学祭に講師として参加することになった動機は、その「まさか」なのであった。



(11)に続く


2021年9月30日脱稿
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