恋の種



By ドミ



(11)



 園子に学祭のチラシをもらった次の日、蘭は新一の家に行ってご飯を作っていた。今日は新一も一緒に作業をした。
 他愛ない話をしながら食事を作る時間も、一緒にご飯を食べる時間も、楽しい。

 食後、紅茶を淹れて一息つく。蘭はチラシを出して、話を切り出した。

「新一……帝丹学祭で講演をするの?」
「あ、ああ……」

 蘭に問われ、新一はきまり悪そうな表情になった。

「すごいじゃない!年齢的には学生たちと変わらないのに、講演する立場だなんて!」
「う゛……いやそれはその……成り行きっていうか……」
「成り行き?」
「……元々は、聴講生になりたいっつー話をしに行ったら、学祭の実行委員の人から声を掛けられて……」
「聴講生!?って何で!?今の帝丹大では聴講生の募集はしてないし、それに第一、新一が今更、帝丹大学で勉強するようなことがあるの!?」
「……そ、それは……」

 新一の目が泳いでいる。蘭の目が細められた。

「新一。何か、隠してるの?」
「か、隠してるわけじゃ!た、ただ、オレは……」

 新一は、赤くなって、天井を仰いだり、俯いて頭を抱えたりした。

「あ……あのさ……その……」
「ん?」
「……オメーと一緒に、大学に通うってやつを、やってみたかったんだよ……」

 蘭は、目をパチクリさせた。園子が言ったことが当たっていたのだった。

「オメーと一緒に高校に通うとか……出来なかったから……」

 そう言って蘭を見る新一の姿が、まるで段ボールに入れて捨てられた子犬のようだった。そのすがるような眼差しに、蘭の胸はきゅんとなる。

「ご、ごめん……」
「なんで謝るの?」
「いや。オメーが呆れた目で見るから」
「ええっ!?呆れてなんかないからっ!」
「……帝丹学祭に行っても良いか?」
「良いも悪いも、チラシにもポスターにもなってるのに、今更、断れないでしょ!?」
「蘭……」
「ただ……ひとつだけ、心配なことがあるんだけど……」
「何だよ?」
「新一が来たら、学祭で殺人が起きそうな気がする……」

 新一はガックリ頭を下げた。

「……否定できないのが怖い……」
「新一、ごめんね……わたしも新一と一緒に学祭に参加できるなんて、楽しみだよ」

 蘭がそう言うと、新一は頭を上げて苦笑した。


 本当は。蘭が心配なのは、「日本警察の救世主」として人気上昇中の新一が学祭に現れたら、沢山の女性が新一に群がりそうだということだった。別に、新一が女性たちに鼻の下を伸ばすと思っているわけではないが、ふたりで学園祭を楽しむなんて難しいかもしれないと思ったのだった。
 とはいえ、学校の行事に新一と一緒に参加するなんて、中二の時以来だから。楽しみなのも、本当だった。



   ☆☆☆



 10月初め、夕食時に、蘭が言った。

「今度、10日はわたし、ご飯作りに来られないから……」
「お、おう……蘭はその……別にうちの家政婦ってわけじゃねえんだしよ……たまに作りに来てくれるだけでありがてえんだから……」

 ここ最近、蘭が工藤邸にご飯を作りに来る頻度はとても高くなっている。蘭の足がどうしても工藤邸に向いてしまうのだ。
 新一がちょっと考え込む動作をした。

「10月10日って……何もねえよな……昔は体育の日……あっ!そっか。おばさんの誕生日!」
「ピンポーン。すごいね、よく覚えてたねえ!」
「いや、おばさんの誕生日自体を知ってたわけじゃねえけど……オメー子どもの頃、運動会で入賞してリボンをゲットするんだって張り切ってただろ?あれ、おばさんの誕生日プレゼントにする積りだったんだよな?」
「うん……だって、小学生のお小遣いでは、大したもの買えなかったし……」

 蘭の胸を、幼い頃の切ない思いがよぎる。けれど、その風景にはいつも、蘭の心をあっためてくれた新一が居た。ぶっきらぼうで、ちょっと聞いた分には意地悪な物言いに聞こえる、けれど、蘭の心を包んで慰めてくれる言葉を、いつもくれていた。

「おばさん、まだ家に帰って来そうにないのか?」
「うーん……良い雰囲気になったと思ったら、どっちかが雰囲気をぶち壊しちゃうのよねえ……」
「ははは」

 新一が乾いた笑いを漏らす。
 小五郎と英理は幼馴染で、高校時代に付き合いだし、20歳の時に結婚したのだった。なのに、結婚して8年足らず、新一と蘭が小学校1年の時に、英理は家を出て行ってしまった。
 その後も、ふたりは離婚するでもなく、けれど別居は解消せず、顔を突き合せたらすぐ喧嘩になるが、でもラブラブという、不思議な関係を続けている。

 新一も蘭も、もう、小五郎と英理が結婚した年を越している。蘭は今はまだ、結婚なんて考えることも出来ないが。もしかしたら、もしかして……そう遠いことではないのかもしれないと、ちょっとだけ思う。



 そして、10月11日。

「はあ……今回も、撃沈した……」

 蘭が、新一の家で、テーブルに突っ伏して嘆いていた。

「途中まで良い雰囲気で食事してたのに〜!」

 新一は、何と言ったら良いのか分からない様子だった。

「でも、多分あれが……あの二人の夫婦の在り方、なんだろうな」
「それは、分かっているんだけど……うー」
「蘭は、寂しかったよな……」
「……まあね。別に今も、そのトラウマが残っているってワケじゃないけど……わたしの子どもには、絶対、そんな思いをさせたくないな!」

 蘭がそう言ったとき。微妙な空気が流れた。新一の表情が硬く、心持ち顔色が悪い。
 蘭は、そんな新一の様子を見ていて、はたとあることに思い当たった。新一は、蘭が家庭を作るとしたら、新一以外の男とだと思っているのだろうか。

「……たらればの話よ。今のところ、結婚なんて、全然考えてないから……」
「ん?ああ……」

 微妙な空気を払しょくするように、蘭は紅茶のお代わりを淹れようと席を立った。

 蘭は、もし将来結婚するとしたら、相手は新一以外考えられないと思っている。子どもを産むとしたら、その父親は新一以外有り得ないと思っている。
 けれど、今の時点でそれを新一に告げることは出来ない。蘭の恋の種が芽吹き、新一にハッキリと「好き」と伝えることが出来る時までは。

『それまで、新一、待っててくれるかなあ?』

 蘭の気持ちが新一の気持ちに追いつくまで、新一は待っていてくれるだろうか?
 それだけが、心配だった。



   ☆☆☆



 帝丹学祭の日が来た。
 蘭の所属する空手部では、道場で型を見せるパフォーマンスをやるし、模擬店も出している。園子の所属するテニス部も、模擬店を出している。
 もっとも、1回生2回生が主力で活動するため、3回生になった蘭と園子は、ゆっくり見て回ることが出来た。

「去年は、あんまり見て回れなかったよねえ」
「そうね。案外、真面目な研究発表とかもやってんだね。ところで園子、京極さんは?」
「まーた外国に修行に行ってるわよ!でもま、学祭の最終日には来てくれると思うけど。で、蘭の旦那は?」
「講演には間に合うように来ると思うけど……な、なによ?」
「蘭……わたし、新一君って一言も言ってないのに、旦那といったら新一君に自然に変換するようになりましたね♪」

 園子がスケベ目で言って、蘭は真っ赤になる。

「だだだって!園子がいっつもそういう風に言うから!」
「……でも蘭、本当に変わったよね……」
「何がよ?」
「中学2年の頃はさ……わたしとか他のクラスメイトが新一君と蘭のことをからかうと、蘭は本気で、心外だという顔で怒ってたじゃない?」
「え?そうなの?」

 蘭自身には、そんな自覚は無かった。

「でも、今の蘭は、違うよ……頬染めて、潤んだ目をして……」
「も、もう!園子!」

 蘭は真っ赤になって怒った。すると、園子が蘭の背後を指さした。

「あ!新一君!」
「もう!その手には乗らないんだから……えっ?」

 蘭も気配を感じて振り返る。すると本当にそこに新一が立っていた。
 新一はスーツを着ていた。蘭と「お出かけ」の時はラフな格好をしていることが多いが、今日は講演があるためだろう。警視庁の前で再会した時の新一もスーツを着ていた。蘭は、新一にはスーツが似合うと思う。帝丹高校の制服はスーツだが、もし新一が帝丹高校に入っていたら、制服が似合っていただろうなと夢想する。

「蘭……その青いワンピース、似合ってるよ……スゲー可愛い……」

 蘭はまた、ボッと真っ赤になった。中学生のころまでの新一は、「馬子にも衣裳」だの何だの言って、ストレートに褒めてくれたことなど無かったのだが。7年近い月日が、新一を変えたらしい。

「まあ、どうだろ。目の前に美女2人がいるのに、片方だけしか褒めないあたりが、アンタの小憎らしいところよね!」
「園子……オレは、迂闊にオメーを褒めて、京極さんの鉄拳を食らいたくはないぜ」
「あ、そう……ま、その言い訳でよしとしますか……って、ええっ!?なんで新一君が、真さんのこと知ってるの!?」

 園子が言って、蘭も、そういえばと思った。

「新一君、蘭から聞いたの?」
「ううん、わたしは喋ってない!園子に彼氏が出来たってことだけは言ったけど……」
「ふっ……それは、オレが探偵だからだ」
「いやそりゃ、新一君が探偵だから、そのくらい調べるの造作もないのは分かるけどね!わたしのこと、調べる必要なんか、ないでしょ!?」
「あるよ。オメーは蘭の親友だからな」

 新一の眼差しが一瞬鋭くなって、蘭も園子も息を呑む。

「あ。そろそろ約束の時間だ。行かなきゃ。じゃな」

 そう言って新一は手を挙げて去っていく。

「……何なのアレ?」
「園子……たぶん新一は……わたしの周りに危険な人が居ないか、アンテナを張ってるんだと思う」
「ええっ!?」
「詳しくはわたしも知らないし、知ってても言えないんだけど……新一は、アメリカで相当ヤバい事件に掛かりきりで……わたしを守るために連絡も取れない状況だったらしいの……」
「ええっ!?それで、まだそのヤバい事件って、続いてるの!?」
「それは、ないみたい。後処理まで全部終わってから、帰国したってことだから。でも、新一は今でも、わたしの周りに少しでも危険が無いのか、ずっと調べているみたい」
「……それ……一歩間違えばストーカーじゃん……」
「園子!そんな風に言わないでよ!新一は……!」

 涙ぐんで抗議する蘭に、園子は慌てて手を振って言った。

「あ、ごめんごめん……蘭にとって新一君のその行動が疎ましいものじゃないのなら、新一君はストーカーじゃないね」
「園子?」
「ストーカーかどうかって、お互いの関係性によるから……。でも蘭、アンタ本当に、変わったよ。昔の蘭だったら、新一君を怒っていたかも」
「うん……変わったんだと、思う……」
「そっか……新一君が蘭に連絡しなかった理由って、蘭を守るためだったんだね……」
「うん……そうみたい……」
「蘭、本当に愛されてるよね……」

 蘭がまた、ぼぼぼと真っ赤になった。園子は、蘭を優しい目で見詰める。

「それにしても、蘭はどこでそんな話を聞いたの?」
「アメリカで、新一と一緒に事件にかかわってたって人から……」
「そっか。まあでも、良かったじゃん、蘭。本当の理由、知れて……」
「新一が筆不精ってのは本当らしいけど、今、わたしには、結構マメに連絡くれているから……」
「筆不精の人間も、好きな相手にだけは筆まめになるものよ。さて、そろそろ、講演会が始まるんじゃない?行こうよ、蘭」

 そして2人は、工藤新一が講演をする場所に行ったのだが。まさかの人だかりだった。観客は、女性が圧倒的に多いが、男性の姿もそれなりにある。

「キャー工藤くうん!」
「カッコいい!」

 黄色い声援に、蘭も園子も呆然とする。

「な、なんか……まるでアイドルのコンサートみたいだよね……」
「う、うん……」

 最近、新一がメディアに出ることが増えているのは、蘭も気づいていた。新一の家に行ったときに、今時レトロな手紙でのファンレターが結構届いていたのも目にしていた。
 SNSで、新一のフォロワーがすごいことになっているのも、気づいていた。
 しかし、帝丹学祭のチラシに載ったら、こんなに観客が集まるほどだとは。

「まあ、ヤツは、見た目も良いからねえ……真さんには負けるけど」
「……」
「でもさ!ヤツのベルト、何とかならない?何だか、ぶっとくてダサいベルトしてたんだけど!」
「あ……はは……」

 今は上着の下に隠れていて見えないが、新一がいつも身に着けているベルトは、確かにぶっとくてダサダサだった。園子は今日いち早くそれに気づいたらしい。今度、新一にベルトを贈ってあげようかと、蘭は思案する。

 新一が語り始める。難しい内容を?み砕いて、探偵や推理に興味がない人でもそれなりに楽しめる話になっているし、新一の声や語り口調が聞き取りやすく心地良いので、引き込まれた。しかし、うっとり聞き惚れる女性が多いのには、参ってしまった。この後、新一と一緒に回るのは無理なような気がしてきた。

 新一の話が終わり、拍手が起き……司会が、質問を受け付けていたが。

「彼女、居ますか〜!?」

の質問には。

「プライベートなことにはお答えできません」

 アルカイックスマイルで返した新一であった。


(12)に続く


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<後書き>

学祭の話、もうちょっと続きます。次回、ベルトが活躍するはず!たぶん。

2021年10月2日脱稿
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