恋の種



By ドミ



(12)



 質問も無くなって、そろそろ講演も終わりかという時。突然、壇上の新一がまとう空気が、不穏なものになる。蘭の居る方を険しい表情で見た。いったい何事かと蘭が思っていると……。

「ねえねえ、そこの可愛い彼女、俺達と一緒に回らな〜い……?」

 男性の声がして。蘭が振り向くと、男性2人組が立っており、その1人が蘭の肩に手を掛けようとしていた。ぞっとした蘭が思わずその手を振り払おうとした瞬間。

 ものすごい風が起こり、その男が吹っ飛んでいた。そして、地面にはサッカーボールが転がっている。

 蘭は、空手をやっている分、動体視力が良い方なので、そのサッカーボールが新一の方から飛んできてその男の顔に当たったように見えたのだが、とてもそんなこと信じられないと思って、新一の方に向き直る。すると……新一の足が、上がっていた。やはり今、サッカーボールを蹴ってこの男に当てたのは、新一らしい。
 今のボールは、よほど動体視力が良い者でなければ見えないくらいの、物凄いスピードだった。如何にサッカー名手の新一と言えど、あのスピードは有り得ない。
 周囲の人たちは、何が起こったのか分からずに、ざわざわしている。

 2人組のもう1人の男は、園子の肩を抱き寄せようとしていたのだが、ビビって地面にへたり込んでいた。
 新一がマイクを握って怒鳴る。

「そいつは、オレの……オレの……!

 そこまで言って、新一の言葉が止まる。そこにいる皆が、新一の視線を追って、蘭の方を見た。蘭は何も言えず突っ立っていた。

「お、オレの……ただの幼馴染で友達だから、手を出すな!」

 地面に這いつくばった方の男が、

「は、はい……彼女は、工藤新一さんのただの幼馴染でお友達、ですね。金輪際、手を出しません!」

 サッカーボールを受けて気絶している男を引っ張って、その場を去って行く。その場のざわめきが大きくなった。
 数人の女性が、蘭をにらみつけるようにして近付いてくる。

「あんた、いったい、工藤君の何なの?」

 すると、またも新一の怒声が飛んだ。

「おい!そこのお前たち、金髪ポニテと黒髪ショートカットと茶髪ロン毛!聞いてなかったのか!?そいつは、オレのただの幼馴染で友だちだから、手を出すなってんだよ!たとえ女でも許さん!」

 新一の剣幕に、女性たちも顔色を失くして蘭から離れた。園子は呆れたように額を抑えて俯き。蘭はやっぱり……何も反応できずに突っ立っていた。
 司会が気を取り直して、言った。

「あーその、工藤さん……あの方は、一体、どういう」
「だーかーらー!彼女はオレの……ただの、幼馴染で!友人だって!言ってんだろ!?」

 ということで、新一の講演会は、最後はなし崩しに終わってしまったのだが。

 今の時代、皆、スマホを持っているので。新一のこの状況は、何人かが録画していて、しっかりとSNSで拡散されてしまい、かなり恐ろしいことになってしまったのだった。
 蘭の方はマイクを持って喋ったりしなかったし、あまりにも観客が多くて蘭は少し離れたところにいたため、同時に拡散された蘭の姿は小さく判別しにくい状況だったのが、幸いだった。


 さすがに、その後、新一にも、そして蘭にも、近寄ろうとする者はなく。

「蘭!さ、一緒に学祭回ろうぜ!」

 新一が嬉々として言い、蘭に手を差し出す。蘭が園子の方を向くと、園子がヒラヒラと手を振って、「行ってらっしゃい」と言った。
 呆然としていた蘭だったが、徐々に笑顔になった。これで誰にも邪魔されずに、新一と2人で学祭を回ることが出来る。

 蘭は、新一の出した手を取らずに、新一の腕にしがみついた。
 新一が、赤くなり焦った顔をして、向こうを向く。蘭がしがみついていない方の手で、自分の顔を押さえているようだ。

「新一?」
「ご、ごめん……ちょっと鼻血が……」
「鼻血……っ!?大丈夫なの!?」
「だ……だひひょぶ……」

 その後、新一とふたり、あちこちの模擬店や出し物などを見て回り、楽しい時間を過ごした。不思議なことに、講演会が行われた広場に居なかったと思われる人たちも、新一と蘭を遠巻きにして、近づいてこようとしなかったし、模擬店では店員たちが顔を引きつらせていたが、蘭はちょっと不思議な気がしたものの、あまり気にしていなかった。
 すでにSNSで拡散されていたため、誰もふたりに近付けなかったということを蘭が知ったのは、後日のことである。


 新一が帰宅した時。門のところに志保が立っていた。

「工藤君。今日のこと、SNSで拡散されてるわよ!『ただの幼馴染で友達だから手を出すな』が、トレンド入りしてるわ!」
「いっ!?」
「もう組織の脅威がないから良いようなものの……一歩間違うと、蘭さんを危険にさらすかもしれないのよ!?分かってる!?」

 一言も反論できない新一だった。



   ☆☆☆



 帝丹学祭が終わった数日後。蘭は母親に食事に誘われた。

「わたしだけ?お父さんは?」
「今日は、あなたに話があってね」

 レストランは個室が予約されていて、蘭はドキドキした。料理を食べる間は、ふたりとも言葉少なで。デザートと食後の飲み物が運ばれてきた時、英理がおもむろに口を開いた。

「ねえ、蘭」
「なに?お母さん」
「あなた……新一君と付き合ってるの?」
「えっ!?」

 蘭の動きが止まる。

「つ、付き合っては、ないけど……何で?」
「知らないの?SNSがすごいことになってるのよ」
「ええっ!?」
「『工藤新一』『ただの幼馴染で友だちだから手を出すな』が、トレンド入り……」

 蘭は思わず息を呑んだ。そういうことになっていたとは……。

「蘭の方の写真は小さくて、親しい人しか分からないだろうと思うけど……これは、蘭よね?」

 英理が出したスマホの画面。青いワンピースを着た蘭が、写っている。

「お、お父さん……これ見たかな?」
「あの人はあんまりこういうもの見ないから、知らないんじゃないかしら?もし知っていたら、えらいことになっていたでしょうね」

 英理の眼鏡がきらりと光る。

「ことと次第によっては、私、新一君を許せないわ……」
「お母さん!やめて、やめてよ!悪いのは、新一じゃないの!だって……だって、新一はわたしに好きだって言ってくれたのに!わたし、わたしが、友だちでって、言ったんだもん!」

 蘭が涙を流しながら言った。英理が目を丸くして蘭を見ている。

「……あら。じゃあ、新一君は、蘭に振られたから、蘭のことを『オレの恋人』と言えないだけの、ヘタレなだけ……?」

 英理が、ぷぷっと噴き出した。

「お母さん!何を笑うのよ!こっちは真剣なのに……!」
「い、いや、だって……実際に振り回しているのは蘭の方で、新一君は……律儀に……ああ、おかしい……!」
「お母さん!」
「で?蘭、そこまで新一君を庇うのに、蘭にとって新一君は、お友だちなの?」
「そ、それは……」

 蘭は真っ赤になる。

「た、ただの、友だちじゃ、ない……けど……でもまだ……恋する相手でも……」
「蘭?」
「わたし……いつかきっと、新一のこと、男の人として、好きになる……一番大切な人に、なる……でも、まだ……」
「あら?そうかしら?」
「えっ!?」
「蘭……あなた、小五郎には結構遠慮なくものを言えるんだけど、私相手には、あまりものを言えないのよ」
「そ、そんなことは……」
「あるのよ。まあ、私がついつい高圧的になってしまうのが、悪いんだけどね……」

 そう言って、英理は溜息をついた。

「そんなあなたが、私が新一君を許せないと言った途端に、すかさず反論した……いつの間にか……大人の女性になったのね、蘭……」
「わたし……新一のこと……」
「まあ、急いで答を出す必要はないと思うわ。その気持ちが充分育ってからで……」
「うん……」

 それにしても、「ただの幼馴染で友だちだから手を出すな」がトレンド入りしてしまうとは。

「小五郎はきっと、ゴタゴタ言うでしょうね。自分のことを棚に上げて……」
「えー?やっぱりそうかなあ?」
「でもま、あの人だって、蘭の幸せを願っているんだから。きっと大丈夫よ」
「お母さん……」

 いつも離れて暮らしているけれど、今夜は「母の愛」を十分に感じ取れた蘭であった。



   ☆☆☆



 更に数日後。
 夕食の時に新一が切り出した。

「蘭。今度の、11月後半の連休は、空いてるか?」
「……バイトは、その日シフトに入りたがる人は多いから何とでもなるし、空手部も休めなくはないわ。なんで?」
「もしよかったら、大阪に行かねえ?」
「大阪?何かあるの?」
「友人に呼ばれたんだ」
「えっ!?新一、大阪にお友だちなんているの!?」

 新一は、中3の時からずっとアメリカにいたため、「いつの間に大阪に友人が!?」というのが、蘭の素直な感想だった。

「ああ。彼は今、平安大学の3回生なんだが、去年、交換留学でハーバード大に3か月ほど来てな。その時に親しくなった」
「へえ……わたしたちと同学年かあ。どんな人なの?」
「かつて、難波の高校生探偵と呼ばれ、今は学生探偵の服部平次。大阪府警本部長の息子だ」
「服部平次?聞いたことはあるかも……」

 新一が「アメリカの日本人高校生探偵」とメディアで紹介されたため、蘭は一時期、「高校生探偵」という言葉に敏感になっていた。それで、どこかで名前を聞いたことがあるらしい。

「でも、おじさんがうんと言わねえかな……?」
「ふっふーん。それがね。ちょうど、町内会の旅行があってお父さん留守なんだ」
「……マジ?」
「うん、マジ、マジ。まあ、お父さんが居ても行っちゃうけど、色々煩そうだしね」

 蘭は、父親想いの素直な良い子ではあるが、反面、父親に何を言われようが自分の意志を通す頑固さも持っている。
 大阪には、昔、行ったことがあるが、新一の友人に会えると聞いて、楽しみだった。



(13)に続く


2021年10月2日脱稿
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