恋の種



By ドミ



(16)



 新一と蘭は、新幹線で東京に向かっていた。お互いに言葉はなく、けれど寄り添い合って、満ち足りた気持ちだった。

 新一の携帯のメール着信が鳴った。

「ん?服部?」

 新一がメールを開いてみると。「おめでとさん??」のデカデカとした文字の下に、写真があった。新一が蘭を抱きしめている写真……。

「げっ!アイツ……」

 蘭の携帯にもほぼ同時に着信があり、それは和葉からだった。

「蘭ちゃん、ホンマ、良かったな〜」

沢山の絵文字と祝福マークが画面で踊っていた。新一と蘭は自然に、お互いの画面を見せ合っこしていた。


「2人とも……帰ったふりして、こっそり見てたんだな……」

 新一は大きな溜息をついた。蘭が和葉に「2人にして欲しい」と頼んだのだから、どういうことになるのか、察してくれていたのだろう。まあいずれは、二人に報告しなければと思っていたので、手間が省けたと考えたら良いのかもしれないが。
 蘭は、平次が行ったことに新一が気付くのではないかと、ちょっとドキドキしていたが、どうやらそれは気付かれなかったようだ。ホッとすると同時に、探偵として鋭い観察眼を持つ新一も、事件の時以外、自分が心を許した相手に対しては、ある程度無防備になるのだろうと思った。

「一昨日の夜、服部には、色々話してたんだよ……オレがオメーをずっと好きだったこと、でも振られちまったこと、とかな……」
「わ、わたしは……和葉ちゃんとお話している時に、今、わたしの気持ちが育っていることとか、色々……」
「そっか。服部と和葉ちゃんはお互いに情報交換してたんだろうなあ……」

 新一が蘭の手をグッと握った。そして、お互いの顔を見つめ合う。

『こ、こ、これってこれって……もしかして、キスの流れ?』

 蘭が覚悟を決めて目を閉じようとした、その時。蘭の携帯に電話が掛かって来た。画面を見ると「小五郎」と書いてある。新幹線の中なので電話に出られないでいると、ほどなくしてショートメールが届いた。

『蘭、お前どこにいる?出かけるなんて聞いてないぞ!?』

「え〜っ!?休みの日にどこに行くとか、お互いに一々言わないのに、何で今回に限って?」

 嫌な予感がする蘭であった。



   ☆☆☆



「あ〜!わたしが一緒に行けなかった大阪旅行で、そんな……そんな……美味しいことになっていたなんて〜!蘭の世紀の瞬間を見られなかったなんて〜!」

 蘭の目の前で嘆いているのは、蘭の親友である鈴木園子だった。今日はふたりで学食ランチをしているのだった。

「世紀の瞬間なんて……大げさよ、園子」
「だって、蘭に初彼が出来たのよ!これが世紀の瞬間じゃなくて何なのよ?」

 新一と条件付きながら交際開始に至ったことを、電話では話せるような中身ではないので、園子とランチをしながら話したのだが、それが冒頭の雄たけびに繋がるのである。

「か、彼というか……まだ、彼氏予約っていうか……」
「何なのよ、予約って。そこまで行ったら、彼カノで良いじゃん」
「だって……まだ……キスもしてないし……」
「そんなの!真さんとわたしだって、付き合い始めてからファーストキスまで、数か月掛かったんだから!」

 蘭自身、対外的に「交際中」とするのだから、もう「恋人同士」でも良かったんじゃないかという気がしているが。新一に「待ってて」と言った手前、なかなかそう切り替えられないのであった。

「でも、蘭。良かったじゃない」
「うん……ただ、お父さんが荒れちゃって……」
「え?まだ恋人予約なのに?」
「そんな説明なんか、する暇無かったのよ……」

 大阪から帰って来た日。東京駅の駐車場に泊めてあった新一(の親)の車に乗り、毛利邸前(ポアロ前)に車が止まったら。毛利小五郎が脱兎のごとく飛び出してきた。そして、新一に背負い投げを……。

「あらま。新一君、可哀相に……」
「新一は大丈夫だった。わたしが阻止したから」
「えっ!?」
「お父さんが背負い投げを掛けようとする前に、わたしが思いっきり蹴り技でお父さんを気絶させた」
「そ、それは……おじさまがあまりにも気の毒な……」
「だって!手加減する余裕、無かったんだもん!問答無用でいきなり投げ技かけようとしたお父さんの自業自得よ!」
「で?どうなったの?」
「……今、家出して、お母さんとこに居る」
「あら。それこそ、新一君ちに転がり込めば良かったのに」
「それは、出来ないわよ」
「何で?あ、新一君に手を出されるかもしれないから?」
「だから!新一は、わたしが同意しないのに手を出したりしないって!それは……新一からやめた方が良いって言われたの……だからもし、お母さんがダメって言ったら、園子の家にお世話になったかも……」
「そりゃ、うちは蘭ならいつでも大歓迎!だけどさ……前途多難そうねえ……」
「今日、お母さんと新一と、食事をしながら話をすることになってるの……」
「あらあ。英理おばさんも、厳しそうだしねえ……何かあったら相談して。うちに泊まるのは、いつでもいつまででも、歓迎するし!」



   ☆☆☆



「蘭と一緒に暮らすのも良いわね。毎日美味しいご飯が食べられるし」

 英理がそう言ったが。どうやら味音痴らしい母親に、「美味しいご飯」と言われても、今一つ喜べない蘭だった。
 英理のマンションに転がり込んで、一番嬉しかったのは、英理の愛猫「ゴロ」と一緒に過ごせることである。

『新一が猫嫌いじゃなかったら、将来、猫を飼うのも良いかも……』

 そう思ってしまってから、「将来猫を飼うなんて、なに飛躍してんのよ!」と自分に突っ込みを入れてしまう蘭だった。
 けれど……新一と交際開始したということは、新一との結婚の可能性を引き寄せることだと、蘭にも分かっている。というより、ハッキリ言って、そういう未来を、蘭自身が望んでいる。

「じゃあ、蘭。行きましょうか?」
「う、うん……」

 英理がハンドルを握って車に乗った。レストランの駐車場に車を止めて、外に出る。

「あ……」
「蘭、どうしたの?」
「新一、先に来てるみたい……」
「ふうん。あのジャガー車が、新一君の車なの?」
「あれ、ジャガー?ってメーカーの車なの?ううん、親の車だって言ってた」
「なるほど。有希子が好きそうな車だわ。にしても、借り物だとしても、社会人になりたてで、外車とはね……」
「だって!仕方ないじゃない、新一まだ、車買えるお金がないって言うんだもん!」
「……そう……」

 母親は、真面目くさった顔をしていたが。蘭には何故か、英理が笑いをこらえているように見えたのだった。


 先に着いていた新一が、立って英理と蘭を迎える。英理は新一の向かい側に座り……蘭は迷ったが、英理の隣に座った。

「ご無沙汰しています……その……妃先生……」
「新一君、お久しぶりね。にしても、ちょっと他人行儀が過ぎるんじゃなくって?それに、弁護士では旧姓を使っているけど、私の名前は毛利だしね」
「えっと……じゃあ……」
「英理でいいわ」
「英理お……英理さん……」

 普段、女性に気遣った言葉づかいをしない新一でも、女性に対して「おばさん」という言葉を使わない方が良いという分別は働いたようである。蘭は、吹き出しそうになるのをこらえるのが大変だった。

「新一君、飲み物は?」
「車で来ているので……ノンアルコールのシードルを……」
「ふふっ。ノンアルの食前酒としては、良いチョイスね。私もそれにするわ。蘭は?」
「わたしもそれで……」
「あら。蘭は運転しないんだから、遠慮せずお酒を頼んで良いのに」
「わたしは……ノンアルのシードルも好きだから……」
「そう」

 それなりの格のレストラン、お値段も相応だ。
 メニューを見ながら、新一の顔色が心持ちよろしくないのが、蘭は気になった。

「新一君?」
「は、はい?」
「何か食べられないものはある?」
「と、特には……あ、でもレーズンがちょっと……」
「じゃあ、問題ないわね。ここのディナーコースはBの牛頬肉の赤ワイン似がお勧めよ」
「は、はい……」
「ふふふ。心配しなくても、ここは私の奢りだから、大丈夫よ」
「えっ!?そ、そんなわけには……!」
「まず一つ目。ここに誘ったのは、私。二つ目、私はあなたの親世代。三つ目、あなたは通常なら学生の年齢だし、一応今社会人ではあるけれど、まだまだ新人。四つ目。私は高額所得者の部類に入る。以上から、ここは私が奢るのが当然なのよ」

 そう言って英理は笑った。

「……それでは、お言葉に甘えまして、ご馳走になります」
「でも、一応、ここで3人分を払えと言われても大丈夫なくらいのお金は、持っているのよね?」
「は、はい……それは……」

 新一は一応、このレストランに誘われた時点で、覚悟を決めていたようだった。

「でも、できれば、将来に備えて、少しでも貯金したい……違う?」

 英理の問いかけに、新一は赤くなって目を泳がせた。

「そ、それは、まあ……はい……」

 蘭は、英理と新一のやり取りに何か含みがあるのは気付いていたが、含みの内容が分からない。

「あ、あの……英理さん」
「なあに?新一君」
「先日から、蘭と……蘭さんと、正式にお付き合いさせていただくことになりました」
「ええ。蘭から聞いてるわ。いきなり大阪に泊りがけの旅行だったんですって?」
「え……あの……泊りがけでしたが、オレ……ボクは服部本部長宅に、蘭……蘭さんは遠山刑事部長宅に泊まりました。まだ蘭さんには指一本触れていません!」
「指一本?」
「あ、えっと、指一本は言葉の綾で、その、ハグと手を繋ぐくらいは……」

 英理が俯き、その肩が震えた。どうやら、笑っているようだが……新一の方は、何かが英理の機嫌を損ねたと思ったのか、顔面蒼白になっていた。
 しかし、顔を上げた英理が、笑い顔だったため、意味が分からないながらもホッとした表情に変わった。

「……ちょっと新一君。ここ、レストランなのに……笑わせないでくれる?」
「え?あ、あの……」
「はあ……新一君が手を出してないことくらい、蘭から聞いて知ってるわ。まあでも、新一君が、蘭のことを、ものすご〜く大切にしてくれてることは、よく分かったわ」

 そこへ、前菜が運ばれてきた。

「まずは、せっかくの食事、楽しみましょう!」

 さすがに一流のレストラン、食事は文句なしに美味しかった。しばらく3人とも、食べることに専念する。
 食後、デザートが運ばれてきたところで、英理がまたおもむろに口を開いた。

「まあ、成人した娘なんだから、誰を選んでも、基本的にケチはつけても反対はしないわ……ただ、もちろん、蘭が傷つけられるようなことがあったら、容赦しないけどね」

 英理の眼鏡がきらりと光る。

「……はい。肝に銘じます」
「あら、あなたが蘭を傷付けないよう気を付けるのは、私が怖いから?」
「いえ、それは違います」

 この時の新一の眼差しは揺るがず、真っ直ぐに英理を見た。

 と、その時。大きな悲鳴が響き渡った。新一が素早く立ちあがると、蘭と英理を庇うように背にし、手を広げて立った。

「蘭とおば……英理さんは、ここに居てください!見てきます!」

 そう言って新一は声がした方へと向かって行った。

「あらあらあら。事件を呼ぶ人だとは聞いてたけど、本当なのね」
「お母さん、そんな話、誰から?」
「私は、警察の方とお会いする機会も多いから。……蘭は、ここに居て」
「え?お母さんも行くの?じゃあ、わたしも……」
「蘭はダメよ!このテーブルの人がみんな行ってしまったんじゃ、レストランの方が困るでしょう?」

 そう言い置いて、英理は、新一が去った方へと去って行った。

 手持無沙汰になった蘭が、赤い光に気付いて窓の外を見ると、パトカーが数台、泊まっていた。どうも結構大きな事件が起きたようだ。殺人事件かもしれない。



   ☆☆☆



 蘭は、デザートを追加で頼み、更にワインを頼み……新一と英理が戻ってきたころには、すっかり出来上がっていた。

「蘭。殺人事件が起きたけど、事件は新一君のおかげで、スピード解決したわ……さすがに、私の頭脳をもってしても、新一君には今一歩、及ばないわね……」

 戻って来た英理は、そう言った。

「それにしても、さすがに事件を呼ぶ男、よねえ……推理能力が高くても、彼の傍に居ると気の休まる暇はないと思うわ。蘭、こんな男、やっぱり、やめといた方が良いんじゃない?」
「え!?英理さん、それは……!」
「違うもん!」

 酔って目が据わっている蘭が、母親に反論する。

「蘭?」
「今日の事件は、新一が居なかったら、起きなかったような事件なの!?」
「……いいえ。まあ、いずれは、起きたでしょうね」
「新一が事件を呼ぶんじゃないもん!新一が、事件に呼び寄せられるんだもん!」
「蘭?」
「……神様か、なにか、分からないけど……姑息な迷宮入りを狙う犯人の思い通りにさせないって、そういう意思が働いて、新一が事件現場に呼び寄せられるんだもん!」

 英理も新一も、言葉もなく、蘭を見詰めていた。英理が、ふっと微笑む。

「蘭。男の人で……ううん、人間にとって、一番大切なことは、何だか分かる?」
「えっ?」

 英理が、蘭の耳元で蘭にだけ聞える小声で言った。

「一番大切なのは、真摯さ・誠実さ……新一君が事件を解決する時の姿を見て、それを感じた……ま、新一君は蘭の相手として、合格ね」
「お母さん……新一が事件を解く姿、間近で見てたんだ……ずるい〜!わたしも見たかったのに〜!」

 英理の言葉は小声だったが、酔った蘭は結構大きな声で喋っているので、その声は新一にも聞こえている。素面の蘭なら絶対に出さない「ずるい」という言葉に、その理由に、英理は苦笑し、新一は目を丸くした。

「あ、そうそう。新一君」
「はい?」
「私、家に帰ったら仕事の残りがあるから、酔っぱらいの相手をしてられないの。今夜、蘭を泊めてくれない?」
「ええっ!?そ、それは、マズいのでは!?」
「どこがマズいのよ。まさかあなた、酔った蘭に手出しをするような節操無しなの?」
「い、いや、それは……!」
「まあ、別に、手を出しても良いけどね」

 ジト目で新一を指差した後に、けろっと表情を変えた英理の様子に、新一は思わずずっこける。傍から見たら「昭和のギャグか?」という感じだった。

「え、え、英理さん!」
「蘭ならたとえ酔ってても嫌なら撃退するだろうし……まあ、お互い成人してるんだから、何かあっても自己責任ということで」
「新一……嫌なの?」
「え!?嫌ってワケじゃ……ってオメー、相当酔ってるな!」
「酔ってなんかないもーん!」
「じゃあ、新一君。私のマンションに寄ってくれる?蘭の寝間着と着替えを持ってってもらわないと」
「あのー……英理さんのマンションに行くのなら、蘭をそのまま連れ帰ってもらっても……」
「新一ぃ……やっぱり嫌なんだ……」

 蘭が涙目で新一を見上げる。

「だーっ!嫌じゃねえって」
「じゃあ、泊めてよ〜」

 ふにゃふにゃと縋りついてくる蘭を、新一は突き放すことなど出来ない。

「ま……小五郎対策は、また改めて、検討しましょう」
「別に良いじゃない、お父さんなんか!」
「そうは行かないわよ……結婚式に父親不在は、イヤでしょう?」
「そ、その!おじさんの機嫌を損ねないためにも、蘭をオレの家に泊めるわけには!」
「ふふっ。その点は、大丈夫よ。手は打ってるから」

 英理の言った「手は打ってる」の意味を新一が理解するのは、工藤邸に帰り着いてからのことであった。



(17)に続く


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<後書き>

 とりあえず一応「恋人仮予約」状態(と本人たちは思っているけど、実際には傍から見たら勝手にやってろなバカップル)の新蘭ですが。
 周囲を取り巻く人間模様を書いていたら、迷走しました。今も迷走中。小五郎さん攻略は最大の難関のような気がします。


2021年10月7日脱稿
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