恋の種



By ドミ



(2)



 7月、前期試験直前のある日、午前中がたまたま休講になっていた蘭だったが、父親の小五郎に頼まれて、警視庁まで資料を届けに行った。

「おう。助かった、ありがとな」
「もう、しっかりしてよね!ちょうどわたしが休講で良かったけど」
「オメーが大学に行ってるのなら、そもそも頼んでねえよ」

 母親が弁護士で父親が探偵なので、蘭は、法学部に入っていた。ただ、将来の希望がハッキリ決まっているわけではない。弁護士にも探偵にもなる気はないが、父か母の仕事の手伝いをしようかとも、思っている。すでに現在父親の手伝いをしているが、それを「仕事」とするのも良いかもしれないと思っている。
 親友の園子は、帝丹大学の経済学部に入っている。鈴木財閥を背負って立つための勉強をしているのだ。ただ、大学卒業したら普通にOLをして社会経験を積むつもりだと言っていた。

 蘭の父親・小五郎は、元々警察官だったが、蘭が幼い頃にやめて探偵事務所を開設した。結構怠け者の面もあるが、一応曲がりなりにも蘭を大学まで行かせるだけの甲斐性は持っている。

 父親と母親は、何かといえばいがみ合って、今も別居続行中だが、決して仲が悪いわけではない。むしろ、仲が良過ぎてすぐに喧嘩になってしまうのだ。とはいえ、幼い蘭にとって、母親が家を出て行ったことは結構ショックが大きかった。その寂しさを癒してくれたのは、新一だった。

 そこまで考えて、蘭は胸がぎゅっと痛むのを感じた。

『わたし……新一のことが、好きになれれば良かったのに……』

 蘭はあの時、自分の心に嘘をついて、新一の告白に応えることは出来なかった。あれから6年以上が経ち……蘭は、新一が幼い頃からどれだけ蘭に愛と優しさを与えてくれていたのか、分かる程度に大人になっていた。それに気付かず、新一を傷付けてしまった罪悪感が、蘭を苛む。
 新一が居なくなったことで、新一の存在が如何に大きかったのか、新一が居ることでどれだけ心安らぎ癒されていたのか、蘭は知った。
 新一のことを男性として好きになれていたら、新一の告白に「わたしも」と応えられていたら、そしたら今頃は……。けれど、それはどうしようもなかったことなのだ。


 考え事をしていた蘭は、悲鳴と車の走行音に気付いてハッとした。蘭の方向にめがけて、猛スピードで車が突っ込んでくる。蘭は咄嗟に動けなかった。
 迫ってくる車がスローモーションのように見え、脳裏に父と母、園子と、中学時代に別れた新一の姿が浮かんだ。

 突然、蘭はすごい勢いで抱き込まれ、気付いたら、誰かに抱えられたまま、車の上に乗っていた。

「えっ!?」
「しっかりしがみついておけよ!この車、殺意を持って突っ込んで来たから、振り落とされるぞ!」

 相手の顔を見る余裕はない。けれど、この声は……あの頃より大人びているけれど、この声は……!

 その後、しばらくは、車の上にへばりついたままのカーチェースで、蘭は顔を上げるどころでは無かったが。車がどこかにぶつかる前に、また再び抱き込まれて、そのまま地面の上にダイブした。相手が蘭の下敷きになったため、蘭は怪我もなかったが、相手は「ってーっ!」と叫んでいた。

「あ、あの……大丈夫!?怪我は!?」
「ああ……大丈夫だ。オメーこそ、怪我はねえか、蘭?」

 そこには、別れた時よりずっと精悍な「男性」になった新一の姿があった。
 蘭の目に涙が盛り上がり……新一に縋りつきそうになったのを、必死で押しとどめた。蘭にはそんな資格はないと、思ったのだ。

「相変わらず泣き虫だなオメーは」
「な、な!もう泣き虫なんて言わないって言ったじゃない!新一のバカッ!」
「ははっ。そんだけ悪態つけるなら、大丈夫だな」

 新一は笑顔を見せ、立ち上がると、蘭に手を差し伸べ、蘭を立ちあがらせた。

「し、新一……あの……」
「ん?」

 突然の出来事と突然の再会に気が動転して、蘭が上手く言葉を出せないでいると、何人もの警察官が駆け寄って来た。

「おーい君たち、大丈夫か?」



   ☆☆☆



 蘭と新一は、警視庁の中で、状況を聞かれた。
 そもそもあの車は、警察に恨みを持つ者が、警視庁の前で通りすがりの人を轢き殺そうとして暴走したのだったということだった。
 幸い、蘭以外に巻き込まれた者はなく、怪我人も居ないと知って、蘭はホッとする。

 蘭は、新一の類まれな運動神経のおかげで、ほぼ無傷だったし、新一本人も擦り傷程度のようだった。

「で、通りすがりに毛利蘭さんを助けた、君は?」
「工藤新一。探偵です」
「は?探偵?」
「アメリカで最高位の探偵資格を取得しています。日本での届け出は、これからになりますが。どうぞよろしくお願いします」

 対応した刑事は、胡散臭げに新一を見やっていた。蘭は内心で、「この刑事さんはニュースを見ていないのかな」と思った。

 すると、そこに捜査一課の白鳥警視が入って来た。

「工藤君。いつ日本に?」
「白鳥警視……つい最近ですよ」
「すごいね君は。スキップして、もう大学も卒業したんだろう?」

 新一と蘭に対応していた刑事が、驚愕の表情で新一と白鳥警視を見比べていた。

「け、警視……お知り合いで?」
「ああ。君ももう少し、世の中のニュースを見ておいた方が良いよ。彼は確かまだ21歳になったばかりだが、アメリカのハーバード大を卒業した秀才で、日本人探偵としてもたびたびニュースで取り上げられている。僕がアメリカに留学した時に知り合ってねえ」

 蘭は目を丸くして白鳥警視と新一を見た。白鳥警視はキャリア警察官で、学歴能力とも申し分ない。その彼が、キャリア警察官としてアメリカ留学した時に新一と知り合い、これだけ新一を高く評価しているのだ。

「せっかくなら、君には是非、公務員試験を受けて僕と同じキャリア警察官になって欲しかったんだが」
「ボクには、警察官となるより、探偵となる方が性に合っています」
「そっか……まあ仕方がない。何かの時には、よろしく協力を頼む」

 新一も蘭も、今回は巻き込まれただけだったので、その後すぐに解放された。何となく一緒に警視庁を後にし、そのまま一緒に歩く。
 蘭は、色々聞きたい思いがあるものの……何を聞きたいのか何を言いたいのか、まとめられずに、結局黙ったまま新一の隣を歩いていた。すると、新一の方から口を開いた。

「いや、それにしても、オメーも変わんねえな……」
「そ、そう?」

 別に、「綺麗になった」なんて言葉を期待していたわけではないけれど、変わらないと言われると、進歩がないと言われているようで、何となく落ち込む。

「だってよ、オメー……警視庁に来る前に、子どもが危なかった時は華麗に子どもを助けてみせたのによ……自分の危機の時は体が動かねえんだもんなあ……」
「えっ?」

 そういえば、スッカリ忘れていたけれど、蘭が警視庁に着く直前に、ボールを追って車道に飛び出た子どもを助けたのだった。それを新一に見られていたと知って、蘭はパニックを起こしかけた。

「な……え……?何で新一っ……!それを見たのッ!?」
「あ!や、警視庁に挨拶に行こうかって思ってて警視庁の前をウロウロしてて、たまたまオメーの姿を見かけたんだよ!」
「そ、そう……じゃ、わたしと一緒に出てこずに、そのまま挨拶してくれば良かったのに」
「……まあ、急ぐことじゃねえし……」
「あ!ご、ごめんなさい!さっき助けてくれたのに、お礼を言うの、スッカリ忘れてた!あ、ありがとう……」

 新一が偶然警視庁の前をウロウロしていなかったら、蘭は今頃、大怪我するか、最悪、命が無かったかもしれないのだ。ぞっとすると同時に、まともにお礼も言っていなかったことに気付いて、申し訳なく恥ずかしく思っていた。

「あ……や、それは……ま、良かったよ、オメーに怪我が無くて」

 新一に優しい眼差しで見られて、蘭はドギマギする。
 蘭は、知っている。新一はあのような場合、相手が誰であろうと助けようとする。だから……蘭を特別に思っているから助けたと、自惚れてはいけないと、蘭は思う。

 6年の月日を経て、新一は何事もなかったかのように蘭に接してくる。新一は今でも、あの頃と同じ気持ちなのか、それとも、とっくに他の女性へ気持ちが向かっているのか。
 とても気になるけれど、それを問うことは出来ない。何故なら、蘭自身、助けてもらった感謝の気持ちと、そんな時に人を助けるように動くことへの称賛と尊敬の気持ちはあるけれど。新一はあの頃より大人びてカッコよくなったけれど。それでも、新一への気持ちは、やはり昔と同じで「恋する相手」ではなく「大好きな幼馴染」だと感じていたからだ。

 何となく新一について歩いていると、着いたのは駐車場で。結構大きな車のところまで、新一はスタスタ歩いて行く。蘭には車のことはよく分からないが、結構値段の高い良い車なのではなかろうかと感じた。

「し、新一……?」
「オメー、午後は講義あんだろ?送ってくよ」
「新一、車、持ってるの?」
「まさか。オレにはまだ、んな甲斐性ねえよ。親の車を借りてるだけ」

 新一は笑って言った。蘭はおずおずと助手席に乗り込む。考えてみれば、父親以外の男性が運転する車の助手席に座るのは、初めてだった。

「新一……スキップ制度使って、もう大学も卒業したんだよね……すごいね……」
「別にすごかねえよ。単に夏休み全部スキップして、4年を3年に凝縮しただけだしよ」
「え?そうなの?」
「高校は成績が良ければ短縮して卒業できるけど、大学は卒業に必要な単位を取らねえと、成績優秀だけでは卒業できねえんだ」
「そ、そっか……」
「アメリカで大学行くのには、成績優秀者への奨学金使っても、スッゲー金が掛かるんだぜ。とっとと卒業して、早く独り立ちしねえとな。父さんは金持ってるけど、出世払いの借金額が、スゲーことになっちまってるし」

 アメリカの名門ハーバード大学は、日本の大学よりずっと卒業が厳しい筈だ。新一はネットニュースに載るような探偵活動を行いながら、大学の課題を全てクリアーするという、離れ業をやってのけたのだ。並々ならぬ努力をしたのは、間違いないと思う。

 ほどなく、車は帝丹大学に着いた。

「じゃ、蘭。またな」

 そう言って新一は去って行く。そして蘭は、今更ながら、お互いに連絡先も何も交換していないことに気付いた。

「またなって……次、どうやって会う積りなのよ……?」

 言いたいことも聞きたいことも、何も言えず何も聞けないまま、思いがけない再会はあっさりと終わってしまった。けれど、蘭は今、柔らかな微笑みをたたえていた。蘭は自分でも、この6年間、胸にぽっかりと開いていた穴がほぼ塞がっていることに、気付いていなかった。



(3)に続く


+++++++++++++++++++

<後書き>

 いつになるか分からないと言っていた続きが書けてしまいました(テヘペロ)。でも本当に、次の話が降臨しないことには書けないのは確かなので。
 まさか、2話目でいきなり再会とは!いや、別れてから6年の月日が経ってはいますが……新一君がどうしてもどうしてもどうしても!出るって聞かないので(ホントです)。
 ただ、再会したからって蘭ちゃんがいきなり新一君に恋をする……ということには、なりません。6年前に苦しい思いをしてでも誠実に対応しなきゃと思って新一君を振った蘭ちゃんが、簡単に気持ちが切り替わる筈がないのです。

 第1話を書いた後、私の中の新一君が。

「オレは蘭に振られたからって、蘭に黙って居なくなるようなことは、ぜってーしねーよ!んなことしたら、蘭が傷つくじゃねえか」
と、猛抗議して来ました。

「あら。じゃあ、どうして蘭ちゃんに黙って居なくなってしまったの?」
「そ、それはだな……」

 ヤツは頬を掻いてだんまり。どうやら、何かワケがあるようです。


2021年9月21日脱稿



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