恋の種



By ドミ



(20)



 それは、蘭にとって、初めての口づけだった。しかし蘭は正直言って、ファーストキスの感慨とか、気持ちよさなど、全く感じる余裕もなかった。そこに確かに新一が無事生きていること、その生の証の温もりを感じ取って安堵するのが、精いっぱいだったのだ。

 それは、長い時間だったのか、短い時間だったのか……唇が離れたとき、「蘭」とかすれた声で呼ばれた。
 蘭が目を開けると、そこに、今までにないドアップの新一の顔があった。しかし、せっかく見えたのに、またあふれ出した涙で視界が歪む。

「し、新一……」
「ん?」
「も、もし、新一に何かあったら、わたし……」
「蘭」
「それが、わたしを庇ってだったりしたら……わたし……生きてられない……」
「蘭……」
「じ、自殺はいけないことだって、分かってるから、しないけど……」

 蘭は、力強い腕で抱きしめられた。そして、蘭の耳元で、新一が囁く。

「蘭。オレはぜってー、オメーを残して死んだりなんかしねえよ」
「ほ、ホント?」
「ああ」
「絶対だよ」
「ああ」
「約束だよ」
「ああ……約束だ……」
「も、もし、約束破ったら……」

 さらに続けようとした言葉は、新一の唇に?み込まれてしまう。新一からの口づけの甘さに、蘭の全身を電流のような幸福感が貫いた。
 二度目の口づけは、角度を変えながらいつまでも続けられた。

 新一は、蘭の唇を放すと、至近距離でまた囁く。

「蘭……愛してる……誰よりもお前を……」
「新一……わたしもよ……だから……絶対、わたしを置いていったり、しないで!」



『け、警部殿……我々はいつまでこの態勢のまま居なきゃならんですか?』
『ええい、こらえ性のない!もう少し我慢しろ!』

 背中を向けていても感じ取ってしまうラブラブオーラに、その場にいた者たち全員が、しばらく動けなかった。
 しかしとうとう、部下を??りつけていた目暮警部自身が、音を上げた。

「こ、こほん。工藤君……その、そろそろ、いいかね?」

 2人だけの世界に入り込んで全く周囲が見えなくなっていた新一と蘭は、ハッと我に返った。蘭は、恥ずかしさのあまり、顔を両手で覆ってしまった。
 そこにいた全員が、ふうと大きく息をついて、力を抜いていた。


 容疑者だった一人の男が寄ってきて、新一の肩をポンと叩いた。

「名探偵。助かったぜ、ありがとうな」

 そう言ったのは、被害者の現在の恋人で、加害者の元カレである。彼は被害者とデートに来ていて、今回の事件では最有力容疑者になっていたのだった。

「あいつがナイフを持って走ってくるのを見て、腰を抜かして、恋人を守ることも出来なかった……これからあいつのとこに見舞いに行くが……まあきっと、振られちまうだろうな。けど、助かって良かった。名探偵、アンタにも、アンタの彼女にも、礼を言うぜ」

 ほかの3人の容疑者だった人たちも、鮮やかに事件を解決してすぐに自分たちへの嫌疑を晴らしてくれた新一には好意的だった。

「これは、ネットには絶対出さずにおいてやるよ。工藤新一が事件現場で逆上した犯人の魔の手から命がけで彼女を助けてラブシーン、なんて、すごく美味しいネタだけど、な」

 そういって3人はそれぞれ去っていく。警察官も、それぞれの持ち場へと去っていった。

「工藤君。どうせ、事情聴取には立ち会わないんだろう?送ってくよ」

 高木渉刑事が言ったが。そこに、羽田由美刑事が横から顔を出して言った。

「高木君は、警視庁で残務処理しなきゃでしょ?私が送っていくわ。苗子、行くわよ」

 由美刑事に呼ばれたのは、ツインテールでつり目がちの、可愛いタイプの美人警察官だった。彼女は、千葉苗子と名乗った。
 新一と蘭は、その言葉に甘えて、覆面ではないパンダカラーのパトカーに乗せてもらった。

 パトカーの中で、お互いに自己紹介をする。

「もしかして……羽田刑事は、太閤名人の奥方ですか?で、千葉刑事は、捜査一課の千葉刑事の……」
「その通りよ。よく分かったわね〜」
「あ、太閤名人からは、奥方が交通課の警察官だと聞いたことがあって……」
「え!?工藤君、あなたチュウ??に会ったことあるの!?」
「え、ええ……彼のお兄さんと知り合いなもんで……」
「……そういえば、工藤君はアメリカ帰りだったわね。私はつい最近、普段アメリカにいる、彼のお兄さんに、初めて会ったのよ」

 蘭は、「へえそうなんだ」という感じで話を聞いていたのだが。突然、新一から話を向けられた。

「蘭、ほら、この前うちに来てた、赤井さん……彼が、太閤名人のお兄さんだよ」
「えっ!?苗字が違うじゃない!」
「太閤名人は、羽田家に養子に行ったからね」

「それにしても。工藤君、蘭ちゃんのこと、『ただの幼馴染』って、ずっと言ってたそうじゃない?二人でいるときも、『お出かけです』って言って、絶対にデートとは認めようとしない。警視庁の中でも、周りに彼女と紹介しないなんて、なんて冷たい男なんだって、散々、噂されてたわよ」
「ええっ!?」

 由美の発言に、蘭が素っ頓狂な声を出した。

「でも、今日の様子を見る限りでは、工藤君は冷たいんじゃなくて、超絶照れ屋だったのかな〜?」
「そ、それは……違うんです、あ、あの、以前は、本当に、付き合ってなかったので!正式に付き合い始めて、やっと1か月経ったばかりで……」
「あらまあ、そうだったの?」
「そ、それに……新一が告白してくれたのに、最初断ったのは、わたしなんで……新一は、冷たくなんかないです!」
「ふふふ、工藤君がどんなに蘭ちゃんを大切に思ってるか、それはもう、さっき思いっきり見せていただいたからね。そっかー、もともと、蘭ちゃんが振った側だったのか〜」
「この先、警視庁内での噂は、確実に変わりますね!」
「工藤君。無事、思いが伝わって良かったわね」

 由美と苗子が笑って言って、新一と蘭は、真っ赤になったのだった。



   ☆☆☆



 工藤邸に入り、玄関ドアを閉めた途端に、新一と蘭は抱き合い、口づけ合った。何度も何度も、飽くことなく、お互いの唇を求めあう。蘭の下腹部にぎゅんとうずく感じがあり……初めての感覚に蘭は戸惑っていた。

 しばらく口づけ合っていた2人だったが、蘭が小さく「くしゅん」とくしゃみをした。工藤邸の中は既に遠隔操作で暖房が入っていたが、それでも玄関は寒過ぎる。
 新一は苦笑して、蘭を促し中に入った。

 既にお風呂の準備はできている。それを確認し、新一は蘭に、先にお風呂に入るように言った。蘭がお風呂に入っている間に、新一はミルクティの準備をした。蘭がお茶を飲んでいる間に、新一も入浴した。
 新一がお風呂から出ると、蘭が新一にコーヒーを淹れて待っていてくれた。新一はソファに腰かけ、蘭の肩を抱き寄せる。

「蘭……もう、予約とか仮とかじゃなくて、オレ達は恋人同士ってことで、良いのか?」
「……うん……いいよ……もう、とっくにわたしは……」

 お互いに、相手の顔を見詰める。そして、顔を寄せ、また唇を重ねた。そのまま抱き合い、満ち足りた気持ちでお互いの温もりを感じる。

「あのよ……オレ、一つだけ心配なことがあって……」
「ん?なに?」
「もしかしたらオメーは、あの緊迫感で勘違いしたんじゃねえかって……」

 蘭が、新一からバッと離れて、新一の顔を覗き込んだ。

「なに?もしかして、わたしの気持ちが、吊り橋効果なんじゃないかって!?」
「え……?」
「バカーッ!そんなんじゃないもん!」

 悔しさのあまり、蘭は新一の胸をドンと叩いた。

「ってーっ!!」
「え?新一ごめん……そんなに力強かった?」

 蘭が慌てて新一の胸をさすった。

「いや、大丈夫だ……ててっ……」
「もしかして、今日、刺されたところ!?」
「ああ。まあ殆ど時計が衝撃を受け止めたんだけどよ、ちょっとだけ痣になったかな?」

 蘭がバッと新一のスウェットを引き上げる。胸の心臓に近いあたりに、結構広範囲な青痣になっていた。もしあのナイフが時計からずれていたらと、今更のようにゾッとする。

「あのー蘭さん?オレ、襲われてんの?」

 言われて蘭は、ハッとなった。今年の夏は色々と忙しくて、新一と一緒に海やプールに出かけたりもしていなかったので、中学時代以来、新一の水着姿すら見たことがないのに、いきなり上半身を脱がせたのだ。
 蘭は、真っ赤になって涙ぐむ。

「ら、蘭!?」
「し、新一の、意地悪!わたしは、わたしは……もうとっくの昔に、新一のこと……っ!別に今日、あんなことがあったから、気持ちが変化したんじゃないもん!新一のバカッ!」
「蘭……ごめん……ごめん、蘭!」

 新一は蘭をギュッと抱きしめ、頭と背中を撫でる。

「蘭からキスしてもらうなんて、あんまり夢みたいだったから……だからつい……バカなことを言って、ごめん!」
「新一のバカっ!バカバカっ!わたしは、わたしは……!」
「蘭……蘭は泣き顔も可愛いけどさ……オレ、蘭の笑った顔が好きなんだ……だから……泣き止んでくれねえかな……」

 新一にギュッと抱きしめられ、頭と背中を撫でられて、優しい声で囁かれている内に、少しずつ蘭のささくれ立った気持ちが落ち着いて来た。

「新一……」
「ん?」
「……大好き……」
「蘭……オレもだよ……」

 新一が蘭の肩に手を置き、少し蘭の体を離すと、もう一度、優しく口づけた。



   ☆☆☆



 次の朝。蘭は、新一の腕の中で目覚めた。目の前の新一の寝顔を見て、蘭は微笑んだ。

 といっても、2人は一線を越えたわけではなく。お互いに寝間着を着たままである。
 新一は一晩中、蘭をただ抱き締めていてくれたのだった。

 もうすっかり日は高くなっているが、今日、蘭のバイトは休みである。そして、新一に、警察からの呼び出し電話が掛かって来ることはなかった。
 何故警察からの呼び出し電話がなかったのか、それを蘭が知ることはなかった。



(21)に続く



2021年10月11日脱稿


 
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