恋の種



By ドミ



(22)



 1月2日。蘭は、振袖を着て、一人きりで米花神社に居た。
 油断すると、涙が出そうになるが。こんなに人が大勢いるところで泣いたりしてはいけないと、顔に力を入れる。

「か〜のじょ、激マブじゃん。ひとりなら、どうお?俺と一緒に?」

 チャラそうな男性からも、一見チャラそうには見えない男性からも、ひっきりなしに声が掛かる。
 蘭はそのたびに、
「連れを待っていますので」
と断っていた。けれど、連れはおそらく、来ることはない。今頃、事件を追っている筈だからだ。



   ☆☆☆


 元旦、ベルツリーで初日の出を拝んだ後、そのまま何事もなく帰宅……出来るわけがなかった。ベルツリーの下にあるスカイタウンで、殺人事件が起こったのだった。蘭は事件を解く新一と共に居て、無事解決し、工藤邸に戻って来た時は、かなりくたくたになっていた。
 工藤邸の冷蔵庫に入れていたお節料理を食べた後、新一に送られて自宅に帰り。早くに就寝、そして2日の朝は早起きして、着物の着付けとヘアアレンジとメイクをしてもらったのだった。

 元々、着物の着付けとヘアアレンジとメイクについては、2か月も前に、英理の知り合いの若い美容師から、練習のためのモデルを依頼されていた。その後、新一と付き合うことになり、初詣デートの約束をした時には、着物姿を新一に見せられてラッキーと思ったものだったが……。

 仕上がった着物姿の自分を鏡で見た時には、我ながら結構綺麗だと思い、テンションが無茶苦茶上がっていた。

『蘭……スゲー綺麗だ……惚れ直したよ』
 新一とのラブシーンまであれこれ妄想していたというのに。
 待ち合わせ時間の少し前に、新一から電話が入った。事件が起こって呼ばれたとのことだった。

『蘭も一緒に行くか?』
と、新一からは尋ねられたが、既に着付けが終わっているこの格好のままでは、足手まといになるだけだと思い、断った。

 女がオシャレをするのは、基本的には自分のため。けれど、好きな相手には、おしゃれした自分を見て欲しいと思う。
 蘭が振袖を着たのは、これで2回目。1回目は昨年の成人式だった。

 今の日本は制度が変わり、18歳で成人であるが、18歳は高校3年生、受験真っただ中の者が多い。そのため、多くの自治体で成人式はやはり20歳を迎える若者としており、米花市もそうだった。
 ただ、新一は、18歳の時も20歳の時も、日本には居なかった。昨年の成人式は、同窓会の様相を呈していたが、その中に新一は居なかったのだ。

 だから今日、初めて、新一に振り袖姿を見せられると思っていたのだが……。
 誰が悪いわけでもない。新一に着物を着ることは話していなかったのだし、事件が起これば優秀な探偵である新一が呼ばれるのは当然のことだ。仕方がないことだ。
 自分にそう言い聞かせても、胸が苦しい。

 友人たちは皆それぞれの予定があるし、父親と母親は今日久しぶりにデートのようだし、一緒に行く者は誰もいないけれど、家に居ても仕方がないので、蘭は米花神社に初詣に来た。
 しかし、一人でお参りをしても出店を見ても、詰まらないことこの上ない。何人もの男性から声を掛けられて断るのも、疲れる。もう、そろそろ帰ろうかと思っていた時。

 4〜5歳くらいの男の子が、欄干の上を歩いているのを見かけて、肝を冷やした。欄干のこちら側は大した高さではないが、向こう側はかなり高さがあった筈だ。万一向こう側に落ちたりしたら、大変なことになってしまう!
 蘭は、その子どもを怖がらせないように、そろそろと近づいて行ったが。

「きゃ〜〜〜っ!しんちゃん危ない、降りて!」

 母親らしき女性の悲鳴が響き渡り。子どもは、その声にびくりとした拍子に足を滑らせ、あろうことか向こう側に落ちて行こうとした。
 蘭は飛び掛かり、その子どもを懐に抱き込んだが、何しろ着物なので、思うように体が動かず、向こう側の落差がある方へ、真っ逆さまに落ちて行った。

『新一!』

 心で愛しい人を呼びながら、子どもだけは絶対に守ると、しっかり抱き締める。衝撃を覚悟していたのだが……蘭は、風船のような感触の上で、ぶわんと跳ね返った。そして、子どもごと、頼もしい腕に抱き留められる。

「蘭!」
「し、新一!?」

 たった今、心で呼んだその人が、自分を抱き留めてくれた。蘭は、思いがけない出来事に、心がついて行かない。

「新一……事件は?」
「とっくに解決したよ。で、オメーに連絡しても繋がらねえし、毛利邸に電話しても誰も出ねえし、オメーがもしかして一人で米花神社に行ってんじゃねえかと思って来てみたら……はあ……間に合ってよかった……阿笠博士様様だな……」

 蘭と子どもは、新一がボール射出ベルトから出したアドバルーンのようなボールに受け止められたのだった。蘭が自分の携帯を見ると、マナーモードにしていた積りが、サイレントモードになっていた。新一からの着信が数件、メールも届いていた。


 母親らしい女性が、駆け寄って来た。そして、子どもを抱きしめる。

「もうホントに……心配かけて……」
「みさえ〜、ごめんな」
「こら!ママって呼べって言ってるでしょ!?しんちゃん!」

 母親らしき女性は、子どもを小突いて言った。

「しんちゃん?」
「あ、この子、しんのすけって名前なので……助けてくれて、本当にありがとうございました!」

 子どもからみさえと呼ばれた女性が、子ども……しんのすけを抱き上げたまま、ぺこぺこと頭を下げた。

「新一と名前は違うのね……でも、お母さんからの呼ばれ方は同じなんだ」

 蘭の言葉に、新一は憮然とする。しんのすけは、蘭の方を見て、頬染めて言った。

「おねいさん、きれいだね……おらのおよめさんにならない?」
「こら!恩人をナンパするんじゃありません!」
「あははは、20年経ったら考えるね〜」

 蘭が子どもに手を振ると、突然、新一にギュッと抱きしめられた。

「お姉さんはオレのお嫁さんになるんだから、オメーはダメ!」
「し、新一……子ども相手に……」
「子どもでも、男だ!オレがオメーに惚れたのは、あのくらいの年齢だったんだからな!」

 新一の心の狭さに呆れながらも、嬉しいと思ってしまう蘭だった。

 みさえはしんのすけを抱きかかえたまま、何度もお礼を言ってお辞儀をして、去って行った。


 新一が、少し蘭を離して、改めてマジマジと蘭を見た。

「今日のオメー、スゲー綺麗だ……蘭……」
「……惚れ直した?」
「バーロ。惚れ直せない位、オメーにゾッコンだっての」

 新一が頬を染めて言った。蘭は新一の胸に顔を寄せる。

「良かった。去年の成人式では、新一に会えなかったから……着物姿、見て欲しかったの……」
「蘭……オレも、オメーの着物姿、見られて良かった。ホント今日は、色々な意味で、間に合って良かったぜ……」

 さっき、新一が駆けつけてくれなかったら、蘭は大怪我必至だった。本当に良かったと思う。

「うん。ありがとう、新一」

 蘭は、ホッとして、涙が出てしまった。

「ら、蘭!大丈夫か!?」
「うん……きょ、今日はね……せっかく着物着て、ヘアアレンジして、自分でもすごく綺麗になったと思うのに……新一が事件に行っちゃうのは仕方がないって、分かっているけど……でも、この姿で新一に会えないかなって思ったら、すごく苦しかったの……」
「蘭……」

 新一はまた蘭をギュッと抱きしめた。
 ここで、キスまでしなかったのは、周囲に人が沢山いるからではなく、神域でラブシーンを演じるのはマズいだろうという分別が働いたからだ……ということを、蘭はのちに新一から聞いた。


   ☆☆☆


 それから改めて、ふたりでお参りをし、お守りを授かり、出店を覗き、茶店で一息つき……ツーショットの写真を何枚も撮って、新一の車で帰宅した。
 着物のままで新一の家に行くとくつろげないので、一旦、毛利邸に戻ることとする。

 1階のポアロは正月休み。2階の毛利探偵事務所も、今日はお休みである。小五郎の探偵の仕事自体がお休みというわけではないが、何かあれば個人携帯で依頼を受けるのだ。もっとも、お酒が入ってしまったら、仕事にならないだろうと思うが。
 今日、小五郎は英理とお出かけしている筈だから、こじらせずにそのままデートしてくれていればいいがと、蘭は思う。

 毛利邸の鍵を開けて、中に入る。
 新一が後ろから蘭を抱きしめ、うなじに口づけられた。

「ひゃあっ!」

 蘭は思わず声を上げた。

「な、な、何するのよ!?」
「ごめん……こうやって髪上げてっとさ……うなじがすげー色っぽくて……」

 新一の息が首筋にかかって、蘭はゾクゾクする。新一は蘭の体を回転させると、今度は真正面から抱き締め、唇を重ねて来た。
 唇に触れるだけだが、角度を変えながらの長いキスだった。

 やがて、名残惜し気に新一の唇が離れる。

「……着物姿って、スゲー破壊力だな……」
「え?そ、そう……?」
「体の凹凸を隠して体中覆っているのに、エロい」
「ええっ!?新一のスケベっ!」
「……否定する気はない。オレはスケベだよ。対象は蘭限定だけどな」
「……!」

 新一に、熱い目で見られて、蘭の頬が熱を持つ。

「中に入って、くつろいでて。わたし……着替えて来るから……」

 そう言い置いて、蘭は自分の部屋に入った。すごくドキドキする。
 ここは、いつ小五郎が帰って来るか分からない毛利邸だから、新一も蘭も暴走せずに済んでいるが。今のふたりは、ちょっとした起爆剤で、一気に最後まで突っ走ってしまうだろうと、蘭にも分かっていた。

 着物を脱いで、衛門架けに架け、帯を折り畳み、小物類をまとめる。下着も着物用だったので、全部交換し、普段着に着替え、髪のアクセサリーも外し、髪を下ろした。
 着物姿の時も着けていた、新一からもらったペンダントは、そのままにする。

 新一は、卓袱台の前に胡坐をかいていた。

「新一。コーヒー飲む?」
「あ、ああ……いただくよ」

 蘭はコーヒーを淹れ、新一にはブラック、自分の分はカフェオレにして、卓袱台の上に置いた。
 新一の向かい側に座り、お互いに無言で、コーヒーを飲む。

 ややあって、新一が口を開いた。

「あのさ、蘭……」
「ん?」
「一緒に暮らさないか?」
「えっ!?」

 蘭は目を見開いて新一を見た。



   ☆☆☆



「……結婚前に、同棲しようってこと?」
「そ、そういうことになるんだろうけど……その……一緒に暮らしたら、今日のようなすれ違いは起こりにくいかなって……」
「……」

 新一の優しさは、本当に分かりにくいと、蘭は思う。「同棲」の申し出が、自分の欲望からでなく、相手を泣かせないためだなんて、誰が思うだろうか?

「ねえ新一。結婚はいつ頃とか、考えてる?」
「……まあ普通に考えるなら、オメーが大学卒業したら、かな?」
「で、一緒に暮らすのは?」
「出来るだけ早く……」

 新一が、頬を染めて、あちこち目をさまよわせながら言った。


 蘭は、先ほど部屋で着替えながら考えていたことを、新一に告げる。

「ねえ、新一……わたしね……もうすぐ、大学の定期試験が始まるの」
「は?ああ……そういえば……後期の定期試験が……」
「わたしは今まで結構真面目に単位を取っていたから、この後期定期試験で取りこぼしがなければ、4学年はほぼ卒論に専念できる。だから、試験頑張りたいの。なるだけAで単位取れるのを多くして……」
「……?あ、ああ……」
「わたし、ただでさえ、新一のことで頭がいっぱいで、勉強に手がつかなくて」
「……!」

 新一が真っ赤になった。

「もしも、もしもね……その……今、新一と深い関係になったら、わたし本当に、全く勉強に手がつかなくて、単位を落としまくるかもしれない……」

 新一がふうと大きく息を吐いた。

「で?蘭としては、オレと会うのを控えようかと……」
「それはイヤ!」

 蘭の強い言葉に、新一の目が見開かれる。

「会わないのは、イヤ。ただ……その……しばらくは、外デートに……」
「なるほどな。わーった。しばらくは外デート、食事も外食だな」
「時々は、作ったご飯、差し入れるから」
「試験勉強があんだろ?無理しなくていいぜ?」
「うん……でも……新一には、栄養バランスのいい食事をして欲しいから……」

 新一がふっと笑って、蘭の頭をクシャっと撫でた。

「試験は、いつからいつまでなんだ?」
「1月末から2月12日まで……」
「そっか。結構なげーんだな」
「うん。高校と違って、受ける科目はバラバラだからね。で、あ、あの……試験が終わったあとの、2月14日に、新一の家に、泊っても、良い?」

 新一は息を呑んだ。お泊りの意味は、お互いに重々分かっている。1ケ月以上も先のことではあるが、これまでの苦しかった日々を思えば、甘い気持ちで待てる1ケ月強は、辛くはない。

「わーった。2月14日にお泊り、な。……一緒に住む云々は、その後のこと、だな」
「わたし、お父さんに話をして見る」


 小五郎は、一筋縄では行かないだろうが……蘭は、試験が終わった後の春休みから、新一と一緒に暮らそうと心に決めていた。



(23)に続く


2021年10月17日脱稿


戻る時はブラウザの「戻る」で。